ダイアリー






2020年04月23日


いまさらだが、インターネットが怖い。
と、ネットの日記に書き込んでいる、馬鹿らしさ、よ。
なにもかもが、オンライン化への流れ、だ。
オンラインって何?

打合せを mtg と略されるのさえ、戸惑う僕が、
PCの画面の小窓に並ぶ、動く顔の画像と話している。
ここにはいない人を、そこにいると思い込む。
それが当たり前になる、共通認識になる社会の、薄気味悪さ。
でも、それも、じきに慣れていくのだろう。

そんなに簡単に置き換えていって、いいのかな。
「場」がすり替えられ、「関係」が変質し、「生」も侵食される。
「性」も、か。

フィルム映画が、デジタルシネマに置き換えられたときに似ている。
扱いやすく便利になって、経済的で何が悪いのかと。
デジタルもフィルムも、映画に違いはなし。
そして、昔から映画は変わり続けてきた、そういうものだと。
いつの間にか当たり前になり、違和感さえ抱かなくなる。

会議も、授業も、おしゃべりもオンライン。
安全だし、効率的だし、何か悪い?
仕方ないでしょ、今は会えない。
そうやって、距離を作り、
ネットを介して関係を結ぶようになり。
人間も変わっていってしまうのだろう。




2020年04月04日


また夜中に書いている。

この一週間で空気の圧が一段と強まったように思う。
抑圧という形で、世の中が変化するのが日本の不健康なところだろう。
そこには、理がない。
そういうものだという同調だけが、どこからともなく求められる。
だから流され、うやむやになる。

傷つくことを必要以上に恐れる者たちは、
相手を、誰かを傷つけることに、とても敏感である。
それは自己防御なのだろう。
「自粛」を「要請」される理不尽に、抗せず、スルーできるのは、
そういうメンタリティも多分に反映しているのかもしれない。

この、妙に静かで不穏な春には、覚えがある。
既視感のある人は少なくないはずだ。
しかし、何かが違う。
今回の方が不健全に感じるのは、なぜだろう?




2020年03月28日


27日の深夜に書いています。

こんな晩だからこそ(というのは言い訳ですが)、
知っている呑み屋に入った。
ずいぶん前から、若者たちばかりで賑わうようになっていて、
あろうことか(とあえて言っておこう)今夜もいっぱいだったので、
肩身を狭くして、空いていた座敷の一席に座り、チビチビ飲みながら、
両隣の会話を、聞こえてくるままに聞いていた。

片側は、ライブの反省会で。
しばらくして、芸人とその親しい者たちの打上げだと分かった。
ピンなのかチームなのかは知らねど、その彼女らしき女の子が、めっちゃディスっていた。
けっこう、シビアな瞬間もあった。

もう片側は、はじめはカップルだったが、やがて年上女性が相席して。
しばらくしてから、女の子の母親なのだと会話から理解。
仲良し友達のような母娘。
娘の彼氏を肴に、また彼氏の方もいい感じで母親を持ち上げながら、盛り上がっている。
のろ気ているというべきか。

うん、両側とも、とてもいい感じだ。
若者たちが、こんなに大らかに呑んでいることを、僕は好ましいと思う。
こんな状況の夜だからこそ、普段通りで良いと思う。
でも、と。

一時間ほどしかいなかったが、どちら側からも、社会状況への抗議はおろか、心配がひと言も漏れなかった。
お会計を待つ間、カウンター席からもそんな話題は聞き取れなかった。

それでいいのだろうかと。
そういうことなのだなと。

世間は分断されている。
SNSは無力だと。
あらゆる抵抗手段が、脱臼されているのだろうと思う。












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