ダイアリー






2023年12月19日


日記が流行っているという話を聞いた。
たぶん、読むのも軽く流せるし、書くにも容易いからだろう。

それなのにこの記は、前回から7か月以上が空き、もう年末である。
容易いはずなのに、なぜなのかな。
いや、けっこう書くのがしんどくて間が空いてしまった記憶が強い。
書くことが不得手なのもあるが、何事も肩に力が入ってしまうのが理由だろう。
力を入れたって、大したものは書けないのに。

今年は辛い年だった。
夏前あたりから、後半がとくにキツかった。
精神的なことが大きく、それは今もなので過去形ではない。
でも、そのことを書くのはやめよう。
マジな心情吐露日記など、このご時世(いや以前からか)誰も読みたくないだろう。
流行っている日記というのは、そういうものではないだろうというのは想像できる。

日記のページを持ち始めてすでに、なんと20年?!

居眠り日記なのだから、その前は、のんき日記だったのだし。
のほほんと書いてみるかな。
そうすれば、もっと書けるかな。




2023年04月30日


堂々めぐりと空回り。
そんな人生を送ってきたなと、改めて思う。

若いうちに何も出来なかったに等しい。
チャンスがなかったわけでもなく、それを生かせず惜しいことをしてきた。
頑張らなかったのでもないので、おそらく、何かがズレていた。
世の中への理解が足りなかったのだろう。

四十歳を過ぎてから、新人のようなつもりで一念発起し、やってきたつもりだが。
それも中途半端だったのか、実績と言えるまでのことにはならなかった。

かろうじて、今は取り組むことがあるが。
それも、いつまで続くのやら。
五十代の半ばを回り、限界を感じること多々あり。

世の中の変化も凄まじい。
それに合わせて、付いていこうと自分を変えるのも気が引ける。
どうしたものだろうか?

母の銀座での個展(たぶん最後の…?)が、昨日で終わり。
付き添って実家まで戻り、今、栄町のスタバでボーっとしている。




2023年03月31日


この一年、懐かしい人々との邂逅が多くあった。
それは、こちらから意を決してというのもあり、
思いがけず連絡が来て、ということもあった。
つい最近も、浪人時代につるんでいた友人から突然メールをもらい、
35年ぶりに会って、吞んだのだが、
店に入るなり目が合い、笑い出すくらい。
あまりに近しく感じ、びっくりした。

それは、長く音信不通で、
人を介してまで電話番号を調べねばならなかった、
大学時代の親友もそうだった。
夏に、福岡へ行く用事に際して、アポを取り。
彼は、わざわざ佐賀から博多まで会いに来てくれたのだが、
駐車場に停めた車から降りる姿を見た瞬間、時間が30年巻き戻された。
その日は、彼が時間なく、豚骨ラーメンを一緒に啜っただけで別れたが、
冬に再び、私の上映会のために泊りがけで会いに来てくれた晩は、
夜通し酔いつぶれるまで呑んだ。
お互い相応に老けはしたが、声も表情も、ほとんどあの頃のままで。
なんだか学生時分にタイムスリップしたように、盛り上がった。
何だろう、この地続き感。

学生時代の親友と言えば、新宿の飲み屋でばったり会った、
もう一人とも、そうだった。
そのときはちょうど、新作現場のただ中だったので、
落ち着いたらゆっくり、と約束して、数か月後。
新宿で待ち合わせ、彼の案内で大久保のエスニック料理屋へ歩く間に、
時間は学生時分に巻き戻され、店の席に着くころには、
最近の関心領域について話し込んでいた。
たぶん20年以上話してなかったはずなのに、近況報告もせず。
先週の続きを話すように、すんなり入ってしまう不思議。

他にも、いくつか、そんなことが続いている。
この連続に、どんな意味があるかと考えても、詮無きことだが。
去年から多くの訃報が重なっていることを思い、悪い想像もしてしまうのだが。
まあ、とりあえず、検査の結果が甚大でなかったことに、
今はホッとしている。




2023年02月22日


デジャビュのようだ。
映像ファイルを書き出す間に、飯を食いに駅前へ行く。
寒い2月、毎年この時期、ギリギリ間に合うか、
あと何時間あるか、何をどの順番でこなせばいいか。
と考えながら、PCの映像ソフトと格闘している。

「サロメの娘」の頃は、Final Cut Pro 7だった。
あれは、完成された、良いソフトだった。
十年選手(買ったのは『ホッテントット』を作った2005年ごろ)の一番安い、
デスクトップのiMacがひーひー言いながら、
私の込み入った編集、何重もの画の重なりを計算してくれている間に、
あと何分というタイムを確認して、
駅の立ち食いへ、小走り。
ソバをかき込んで、家に戻り、編集を続ける。
そんな冬、春先の繰り返しが、四十代後半だった。
そのうちに五十を越えた。

何か変わったろうか?
今はMacBook Proだから、カフェでコーヒーをすすりながら、編集することもある。
家にいるよりその方が暖かいし。
えげつないサブスクのPremia Pro CCは、レンダリングの待ちはない。
でも、書き出しは違う。
ものすごい負荷が、小さいスペックのマシンを痛めつけながら、数時間の計算を続けている。
画落ちする場合もある。
見直し、確認して、また書き出す。
その待ち時間に、飯を食い、コーヒーを飲んでいる今。
大した違いはない。

こんな繰り返しを、これからも続けるのだろうか。
いつまで、続けられるだろう?
経済的にも体もしんどい。
いつのまにか、もう55歳だ。

いや、まず目の前のことだ。
間に合うだろうか。
明日の朝には、車で出発。
京都での上演は週末。
無事、出来るだろうか、、、




2023年01月02日


正月早々、いやな夢を見た。
自分が死んでしまう夢だった。

普段は目覚めると同時に、きれいさっぱり夢は忘れてしまうのだが、
しばらくぼんやりと夢を反芻するように、起き上がれずにいた。
というか、醒めたと気づかずにいた。

どのように死んだかは覚えていない。
ただ、その後も延々と、死んで幽霊になったのだろう、
自分の死後の状況を傍観しているのだ。
その顛末は、わりと細かく、しかも淡々と続いていた。

私が死ぬ前に、別の映画監督も亡くなり、
その監督と比べて、どうも自分は顧みられていないなと。
そのことを、つくづく認識する状況だった。

自分では一生懸命やっていたことも、
世間とはあまり関係なかったし。
まあ、大して重要な仕事ではない、
そう思われていたと、客観的に知らされる状況。

周囲にずいぶん迷惑をかけたし。
自分がいなくなることで、
彼、彼女は、ちょっと楽になったんだなと。
悲しさとホッとするのを天秤にかければ、
そんなもんだろうなと。
しみじみ認識する夢だった。
ちょっと、梅崎春生の小説のようだった。












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