ダイアリー






2015年09月20日


何でこんなことがまかり通ってしまうのか、不可解でしょうがありません。
誰が、なぜ、それを欲しているのか?
欲望や理由をつき詰めて行った先には、もしかしたら誰もいないのかもしれない。
と、不穏な想像をしてしまい、恐怖です。
歴史は繰り返すと言いますが、本当に僕らは戦争に巻き込まれてしまうのかも。
国が亡ぶのを目の当たりにして、荒廃する世に死滅する可能性が高まっているのか。
分りません。
だが、それは嫌だと思います。

もうひと月前のことですが、二年ぶりに海外へ行ってきました。
初めてのフランス。
と言っても、パリではなく、ガイドブックにも載っていないような小さな町クレ。
そこで、毎夏開催されている老舗の電子音楽祭FUTURAで、
今春、両国門天ホールで発表した 『サロメの娘』 アクースモニウム上映を、
披露するため、勇んで乗り込んだのですが、いやあ大変でした。
着いたその日が仕込みで、翌々日に上演という強行軍。
羽田を夜出て、時間を巻き戻しながらCDR空港に早朝着。
始発のTGVに乗って、ローカル線を乗り継いで、クレへ。
で、会場入りしてから翌朝4時まで頑張ったのですが、トラブル続きで作業は終わらず。
翌日も、他のプログラムが終わるのを待って、深夜から朝方までセッティング。
いやはやギリギリでしたが、なんとか漕ぎつけて。
上演が始まったときには、もう放心状態で、気がついたら終わっていました。

終わって、呼ばれて、前に出てお辞儀をして。
拍手をもらったのですが、どんよりした空気が流れていて。
うーんダメだったかなと、そそくさ後片付けを始めようとしていたら、
席を立つ観客が、最後のフレーズを楽しそうに口ずさんでいたり。
変な感じだなと思っていると、ロビーから檜垣さんが飛んできて、
「すごい評判になっていますよ」 と。
なんか、絶賛だったみたい。
現地のシャイな電子音楽オタクたちと、仏語のできない日本人の間に、
取り立てて会話は無かったけれど、マインドは通じ合えたかも。
行ってよかったな。
ほとんど全てを取り仕切ってくれた檜垣さんに、改めて敬服。
同行して随所でアシストしてくれた池田さん、お疲れさま。
柔和なFUTURAのみなさん、ありがとうございました。

とまあ、ささやかな喜びをいただいて帰国したのですが、
旅から戻ったホームに感じる、この違和は何だろう?
漠然とした言い方ですが、人が人を見てないな、というか。
街を歩いていても、電車に乗っても、お店に入っても。
人と話している時さえ、人を見ていないような。
知らず知らずに、人を見ないようにしてる。
そう言う自分もそうしている、なっていく。
これが原因だとまでは言いませんが、
国会という問題の場に噴出していること、欲情がねじれた殺人事件、
天のしわざである川の氾濫が甚大な被害をもたらしたことまでも、
なんだかそれが、背後にあるような気がして…。

明日は 「映画以内、映画以後、映画辺境」 の再開初回。
連続講座も、おかげさまで第三期です。
クリス・マルケルは、どんなふうに人を見ていたんだろう。
そう思いながら僕は、たぶんきっと、あんまり人を見れないのだと。




2015年07月13日


沖島さんが亡くなったという気がしません。
まだ、どこかで生きているような。
1万年後…とか。
って、そんなふうに思っているのは、僕だけではないんじゃないかな。
だから、でも、不思議と悲しい気持ちになれないんです。

今になって言うのもなんですが、
僕が、どん底まで落ち込んだのは、ちょうど去年の今ごろ。
沖島さんが末期ガンだと知らされた、初夏でした。
あの夏から秋にかけては、本当にヤバかった。
知らされて、その日のうちにお見舞いに駆けつけたら、
沖島さんはベッドで半身を起こして、夕御飯を食べていて。
「どうしたの?」 って、きょとんとした顔で迎えられ。
案外元気そうで、奥さんからも 「ガンに見える?」 って首かしげながら質問されて。
でも、「まだ誰にも言わんでくれ」 と御本人から頼まれて、誰にも言えず。
一人で抱え込んでいるうちに、
沖島さんがこの世からいなくなっちゃうんだ…
という不安が、じわじわと心を蝕んでいって。
酒量が増えて、頻繁に泥酔したり、記憶を無くしたり。
伊藤猛さんが亡くなったと聞いた晩、酔い潰れて泣きじゃくったのも、
もしかしたら、どこかで沖島さんのこと考えていたのかも。
猛さん、ごめんなさい…。

何でそんなに、沖島監督が? と解せない方もおられるかもしれませんが、
僕は、自分の進んでいる道に先人がいるとしたら、
それは、沖島勲しかいない。
と勝手に信じていて。
何年か前に大阪でお会いして、懇意にしていただくようになってから。
『怒る西行』 を撮られる、ちょいと前くらいのことですが、
沖島勲がいる、ということが心の支えになったと言いますか。
全く独りよがりな思いではあるのですが。
だから、昨年、治療でガンが寛解したとお電話いただいたときは、
「おめでとうございます」 と言うところを、
思わず、「ありがとうございます」 と言ってしまい。
それなのに、その後も大して会いに行くことできず。
もっといろいろ、聞きたいことあったのに。

最後にお会いしたのは、四月。
ゴールデン・ウィーク前にお見舞いに行ったとき。
「もうすぐ特集上映ですね」 って言ったら、それまで生きてないよと返されて。
なに冗談言ってるんすか、と軽く流したのに。
六月に入って、肺炎になって、体調思わしくないということで、
沖島さんと一緒に登壇できなくなって、トークの前に電話して。
「 『出張』 と 『性の放浪』 (沖島さんの脚本一作目、若松好二監督) は、話が似てますよね」 と言ったら、
「それは前から指摘されてる、君が来てくれた宇波(彰)さんとの対談のとき、新聞記者だという男も質問したよね」 と即答されて。
ああ、すごい明晰。自分の方がボケてる、
と、たじたじになっていたら、
「でも、まあその線で話してくれたら、いいんじゃないの」 と。
「よろしくお願いします」 と言われて。
「今度ご報告に上がります」 と言ったのに、行けずじまいで。
あれが最後の会話になっちゃった。

7月2日のお昼過ぎ、沖島さんが危ないと、西山さんが知らせてくれて。
夕方前に用事を済ませて向かうとき、人身事故かなんかでダイヤが乱れてて。
駅から病院へ、とにかく早足で、
病室に飛び込んだときには、もう心肺停止の直前で。
山川君と宇波(拓)君が、ベッドのわきで直立していて。
僕は、最後に一つ、沖島さんが咳したのに間に合った、
だけだった。
御臨終を初めて見た。
死亡したと診断されてから、お顔を間近で覗きこんだら、
薄目を開けていて、まぶたの下の目が、角度によっては光っていて。
あれ、沖島さん、死んでない、と思った。
しばらく、そのまま覗いていた。

前にも、お見舞いに行ったとき、
沖島さんは眠っていて、
僕がそばで、静かに考えごととかしてたら、
いつの間にか目覚めていて、
僕がいることを当然のように、話し始めた。
だからまた、ぼそりと面白いこと、言ってくれるんじゃないかと。
じっと見ていた。

沖島勲は死んでません。
きっとどこかで生きている。
でも、もう、今は会えないんだよね。




2015年05月15日


頻繁に日記を…
と書いたにもかかわらず、すでに10日以上空いてしまいまして。
まあ、せいぜいこんなものです、お恥ずかしい。

そろそろ京都で、イメージフォーラム・フェスティバルの巡回上映がありますが、
今年は、最終審査員とやらを任されまして。
公募作品から受賞作を選ぶという、気の重ーい責務を果たすため、
GWは足繁く、東京会場に通い詰めておりました。
というのも、「どの作品も二回ずつスクリーンで見よう、そうしないと分らない」
なんて、愚直な決意をしてしまった上に、
「公募以外のプログラムも全部見よう、そうすれば分かる、かも」
とか、馬鹿なことまで思いついてしまい。
おかげで同時期、しかも、同じ新宿のケイズシネマで、
拙作 『DUBHOUSE』 と 『映画としての音楽』 をかけてもらっているのに、
そちらへは、ほとんど顔を出せず。
(ケイズさん、すいませんでした…)

で、その甲斐あって、すんなり選べたかというと、全くそんなことはなく。
初めに面白かった作品が、次にはけっこう粗が目に付いたり。
逆に一度目は印象薄かったものが、二度観たら魅力的に感じたり。
迷いに迷って、私の推薦作はなかなか決まらず。
こんなことなら、ファースト・インプレッションだけで選べばよかった…
と後悔したり。
うーん、相変わらず、要領良くできない自分の性質がうらめしく。
フェスティバルの最終日、選考会を迎えたのでした。

で、選考会は、混迷やら紛糾やらしたかと言えば、全くそうではなく。
三人の審査員の選出は、意外と重なっていて、
充実したディスカッションを経て、異議なく総意で、受賞作が決まったのでした。
それは、斉藤綾子先生がしっかりした考えをお持ちだったことに加え、
オランダから来日した ヨースト・レクフェルトさんが、実に、実に明晰だったからで。
英字幕も付いていない日本語の映画を、あれだけはっきり分析、評価できるのは、
よほど強い視点と、柔軟な思考を持ち合わせているからなんだろう。
いやあ、凄いことだと本当に感心しまして。
今回の選考については、下馬評の大賞候補や、それに準ずる問題作が、
選外で無冠の結果となったわけですが、だからそれは、
好き嫌いなんかで決まったわけでは全然なく、明解な理由があったのです。
授賞式で、私が代表して読み上げた総評が、IFF2015の公式サイトに掲載されておりますので、
ご興味あれば読んでみて、その含意を汲んでいただければありがたいです。

それにしても、10日近くの間、朝から晩まで苦行のように、
全プログラムを踏破して、思うことはやはり、イメージの変容。
いや、イメージとそれを作る者、受け取る者の、
切り結び方の変容、とでも言ったらいいのでしょうか?
昨年から連続講座なんてものを始めて、つらつら勉強し続けておりますが、
続けるのは大変だけれど、一歩一歩、この問題の核心へとにじり寄っていきたいなあと。
決意を新たにしたのであります、
いやはや。




2015年05月02日


いろいろと、悩んでいます。
久々に書く日記を、こんな書き出しで恐縮ですが、
けっこう困っていることもあり。
今書く以上、そうしたいろいろを思わずには記せなくて。
すいません…。
で、何をそんなに困っているかというと、
端的には●●が無いという、身も蓋もないことが大元なので。
もう少し、いろいろ。

細かいことから挙げれば、まず、この日記のあり方について。
今までは、近況報告をたまに、徒然に記すだけだったのですが、
もう少し意識的に、いやもっとラフにでも、
現在進行形のしていることについて、考えていることを示すべき。
かも、と思い始めていて。

このソーシャル時代に何寝ぼけたことをと、お思いの方もいるでしょうが、
しかし、僕はどうも、今していることをその最中に、公にすることが大変苦手で。
というのも、何かに結実するまで、言わぬが花というか、
そういう、ひっそりと思い詰める時間を経ないで、大した物はできないだろうと。
強く信じてはいるのですが、一方で、今していることは、ワーク・イン・プログレス。
真逆の制作方法に取り組んでおるわけで。
そりゃもっと、ちゃんと発信していかないといけない、
もったいないと、もっともな助言もいただき。
うーん、分かっちゃおるけど、どうしたもんだろう?

という感じで、これから少しずつではありますが、以前よりは頻繁に、
現在をノートしていこうと思っております。
できるかな…




2015年02月03日


お久しぶりです。
なんと昨年11月から更新せぬまま、年も越し、早もう2月。
今さらですが、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

というか、年明けから重い、不穏な事ばかりが続き。
めでたいなどと決して言えない時勢、この先どうなってしまうのでしょうか。
人は、同じ世の中に生きていても、それぞれに分断され、
自分のことばかりで、手いっぱいで。
それが年々、加速度的にそうなっていくこと。
IT。
何かを上っ面で知ったような気になるだけで、何も分っていないことさえ気づかなくなる。
分らないから、慮る。
かつては、そういうものだったのではなかったのかな?
おもんぱかるとは、思慮と書くのでしたね。
人間は、全地球的に思慮浅くなっていっているのではないか。
危ないです。

かく言う私も、つるつるの脳みそが嘆かわしく。
心も荒みそうだし、体調も相変わらず、不調だし。
それでも、山積みのタスクに急き立てられる毎日。
が、かなり前にこの日記にも書きましたが、
今まさにやっていることを公に、どうも出来ない性分で。
かと言って、調子のいい適当を連ねる手練手管、筆力はほとんどなく。
まあ、日記を更新できなかった言い訳なのですが。

というわけで、なんとかやり果せたことで言いますと、
今月のユリイカ、高倉健特集号に拙文を寄稿しました。
昨年末クリスマスごろから、正月松の内が明けるギリギリまで、
あれこれDVDを見返しながら、健さんのことを考えておりました。
健さんを通して、日本映画の演技の移り変わりについて、
ある着眼点を見つけたところで、力及ばず、失速したのでしたが…。
でも面白かったのは、併載されている高橋洋氏の文章が、
どうやら違う切り口で、同じ問題を扱っているようだったこと。
もちろん、高橋さんの文章の方が、圧倒的に切れ味が良いのですが。
そして、その文章の中で 『鋳剣』 という具流八郎名義で大和屋さんが書いた、
鈴木清順の未映画化企画に触れていて。
その、黒い男という登場人物が、健さんをイメージしていたそうでして。
もう20年近く前になりますが、高橋さんの編纂で、大和屋さんの遺稿集を出したとき、
実は、『鋳剣』 については、僕が解説文など書かせてもらっていて。
そのときの、黒い男についての記述、ありったけの力を込めて書いた拙文が、かすかにフラッシュ・バックして…。
確かあのときも、あの書きっぷりを面白がってくれたんだよなあ、と。
普段つき合いがあるわけでもないのですが、若い頃の先輩後輩の繋がりというのは、
どこかで滲み出るものなのかもしれません。

感慨深い仕事をさせてもらいました。
これからも、精進します。












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