ダイアリー






2014年11月13日


10月もいろいろ大変でした…
って、もう、11月も半ばですよね。
先月と同じ言い訳になっておりますが、ひと月遅れの月記を記します。

札幌に行きました。
二、三日ですが、6年ぶりのことで。
久々の街を訪れるというのは、それだけで気持ちが盛り上がるものですが、
今回は、その6年前の上映で 『眠り姫』 を観た(かつての)高校生が、
どうしてももう一度観たくて、仲間たちと開いたという上映会で。
いやあ、それだけでもう感激!
東京では16度目のアンコールだし、今年は京都や名古屋でも再映あったし。
まったくあの作品は、物語とは裏腹に、実に幸せな映画ですなあ。
ちょうど札幌は紅葉の季節で、赤や黄色に街路樹が色づき、とても美しく。
うきうきと、犬のようにあちこち歩き回りました。
ああ、楽しかった。

10月は私、誕生日の月で。
まあ、この歳にもなると嬉しいというよりは、大体ため息なのですが、
でも偶然、その日に書きとめておきたいことがありました。
お名前は伏せますが、敬愛するある映画監督の方が治らないガンになったと
ちょうど夏前ぐらいのことですが、知らされまして。
御歳や普段のありようからして、然もありなんとは思えども、
うーん、それでもやっぱり落ち込んでしまって。
直前にたまたま観劇した、飴屋さんの 『教室』 が何度も何度も思い返されたり。
あれ、あの、お父さんの遺灰を骨壺からザッと机の上に移して、
フライドチキンにかぶりついて、チキンの骨を放り出し、
どうして、この骨はゴミ箱に捨てて、人間の骨はお墓に入れるのか、わからない、
僕にはどうしてもわからないんです、と声を荒げるところ。
いや、そこだけではもちろんないですが、凄い劇だったなあ、
生と死と、性と詩と。
いろいろ綯い交ぜになりながら、夏から秋へとへヴィに過ごしました。

と、誕生日の朝、電話が鳴りまして。
どうやら抗ガン剤治療が功を奏し、癌は緩解したと。
監督ご本人からそう聞いて、ぱあっと心が晴れて、思わずこう言ってしまったのでした。
「ありがとうございます、夏からずっと憂鬱でした」 と。
電話を切ってから、ハタと間違いに気づきまして。
言葉が違うでしょ、それ言うなら、
「おめでとうございます、ずっと心配しておりました」 でしょ。
心の底から出た言葉だから、なおのこと、つくづく思ったのです。
自分ってやつは、どこまでも自己中心的に考えるものだなと。
そして、そんなにまでもそのことが、他人事になんか思うことできず、心に影を差していたんだなと。
で、思い出したのは、最近とある映画のアフター・トークで、柴田元幸先生から、
「本当に正直な人なんですね(=嘘がつけないんですね)」 と、まじまじと言われたこと。
ふー。
いくつになったら、大人になれるんでしょ?




2014年10月02日


怠けていたわけではないのですが、
9月の日記を更新せぬまま10月になってしまいまして。
いやはや面目ない…。
言い訳ですが、やらねばならないことが山積みで。
しかも、全く稼ぎにならないというのは、困ったもので。
どうしたものやら、頭が痛いです。

とかなんとか言いながら、一昨夜も久々に会う親友と呑んでいたのですが。
その彼が、この夏からブログを始めたようなので。
どれどれ続いているかな?と、待つ間にぱらぱらめくってみたら、
なんと、ほぼ毎日のように長文をUPしているじゃないですか!
いぶし銀のクラリネット吹きで、ニューオリンズに一時住んでいた彼なので、
その辺りの話題はとくに深く、詳しく、充実していて。
これほどルーツ・ミュージックの事情に精通して、
自分の考え、思いを書き込んでいる日本人のサイトって他にあるのかしら?
中村とうよう氏の自死を悼む文章なんて、当時も彼と話し合っていたからでしょうが、
読んでて泣きそうになっちゃって。

で、感心して彼にそんな感想を話したら、いやあ、参った。
毎日一時間と決めて、集中してブログを書いているのだそうですよ。
うーん、僕なんかこの日記、実はひとつ書くのに二日も三日もかかっているのです。
アホですよね。
でも、月に一度ぐらいの頻度だと、その間にあったことの何を書こうかとか、
どう書くべきかとか、余計に悩んでしまうのです。
まあ、それも言い訳ですが…。

9月も振り返ると、なんてことない日々ではあれ、そこそこいろいろあるわけで。
俳優の伊藤猛さんが、52歳で亡くなったと聞いて号泣したことは、やはり書いておくべきかな。
何かホント、最近、酒と涙腺が弱くなってきたのか、
確かにその話を聞いたとき、けっこう酔ってはいたのですが、
夜中というのに方々に電話かけまくって、しまいにゃ泣きじゃくったらしいのですよ。
(つまり、あんまり記憶がないのです…)
御迷惑をかけた皆さま、大変申し訳ありませんでした。
おまけに、告別式には寝坊して行けなかったのだから、呆れたもんです。
でも、正直、堪えたのですよ、無念だったろうなあと思い。
鬱々としてたら、川瀬陽太が 「俺たちには映画が残る」 とメールくれたのは救われたなあ。
そうなんだよ、その通りだよ。
伊藤さんとは、実際、そんなにつきあいがあったわけではないのですが、
ピンクの助監督を始めた頃に知り合っているので、けっこう古い知人ではあった。
というか、その頃、ある映画で共演もしたのだった。
うーん…。

で、告別式だった日は何の因果か、
廣木組の兄弟子でもある安藤尋監督の、『海を感じる時』 の初日でもあり。
起きたら昼過ぎだった僕は、「葬儀の後、呑んでるよ」 という伝言ももらっていたのですが、
今さら恥ずかしく、ふがいなくて、なんとも顔向けできず。
安藤さんの何年ぶりかの長編監督作 (あ、ケイタイ刑事ザ・ムービーとかはありましたが…)、
それも難産の末の晴れの舞台挨拶を、祝いに行くことに切り替えたのです。
いやあ、映画も良かったが、とにかく大盛況で。
立ち見数十人の大入りはすごい、めでたい、素晴らしい。
安藤さん、自虐ネタを繰り返しながらも御満悦の様子で、微笑ましく。
ほんと、良かったなあ。
で、初日立ち見をした後輩にやはり嬉しかったのか、呑んでけ、もう一軒行こう、もう一杯…
と、たどり着いた店で、まあよく考えてみれば、狭い業界、当然必然なのですが、
伊藤さんの葬儀からの流れ、しめやかに呑んでいる一行と鉢合わせてしまったわけです。
その時にはすでに、安藤さんはすっかり出来上がってしまっていて。
(あの酒ぐせを御存知の方は、容易に想像できると思いますが…)
まあ、いくらはしゃいでいるとはいえ、めでたい当人を腐すわけにもいかんだろうし。
式に出て来ず別で呑んでた僕に、とばっちりが来るのは、まあ仕方あるまい。
しかし、いやだなあと感じたのは、わりと親しく思っていた、ある古い知人の監督から、
「お前のやってるのはアート映画で、あんなの誰でもできるわ」と、
なぜ今そんな話になるのか分らないようなことを言われたこと。
どうして、映画を分けるのだろう?
悲しくなるなあ。

ところで。
広島の土砂災害の傷も癒えぬうちに、御嶽山の噴火の凄まじい惨事。
まだ記憶に新しい震災被害へのつれない対応といい、原発事故へのシラの切りようといい、
この国の土地がどういう性質にあるかを、為政者たちは本当に理解しようとしているのかな?
亡国へアクセルを踏んでいるのは、どこぞの新聞社ではありませんよね。
どうなることやら、暗澹たる気持ちです。

うーん、やっぱりこの日記も数日かかってしまった…




2014年08月30日


若干すずしくなったと思ったら、もう八月も末。
そろそろ夏も終わるのですね。
今年の夏もとくに何するでなく、いたずらに過ごしてしまいました。

思い出すトピックスと言えば、丸々した青唐辛子とピーマンを取り違えたこと、とか。
半分に切って種を掻き出しているうちに、ピリピリ指先や鼻の頭が沁みてきて、
これはいかんと、手と顔を水で洗ってしまったものだから、あとの祭り。
目にまで刺激分がしみ込んでしまい、もう痛いのなんのって…。
(みなさん気をつけて下さい、オリーブオイルで緩和させるそうですよ)

あとは、稲田堤の多摩川沿いにある、天国のような呑み屋で昼日中から酒を楽しんだこととか。
連れて行ってくれたのは、名古屋での上映会とイベントを世話してくれた方で、
よく、こんな穴場を知ってるなあと感心したり。
彼だけでなく、シネマテーブルの皆さんには大変お世話になりまして、ありがとうございました!
シネ研後輩の三宅君に乗せられて、べらべら恥じらいなく話したのも、すでに七月のことでしたね。

最近は、中村登の特集にちょこちょこ、財布と相談しながら通っていまして。
学生の時分に観たときは、退屈という印象しかなかった 『古都』 さえも、今見直すと全く素晴らしい。
鮮やかな演出の、手際の良さ、見事さはもしかしたら、吉村公三郎を上回るのではないか?
武満徹を最も巧く映画に生かしたのは、中村登かもしれない。
いやはや、決して叶うことなきかつての(日本)映画の奥深さに、感嘆する日々。
うーん、こうしてあれよあれよという間に、人生も終焉を迎えるのでしょうか。

先日、井川耕一郎さんの新作の試写会に行きました。
井川さんは、前記した映画サークルの先輩で…と、型通りに書くのもおこがましいほどに、
20代前半の僕に夜毎の長電話を、2時間、3時間と掛けてきた人であり、
タテ乗りのカラオケ絶叫を一緒に繰り返した人であり、
彼の好物のカマンベール・チーズを勝手に頂戴したのを事あるごとに恨めしく言われる関係であり。
で、その新作というのは、ピンク映画の歴史的巨人、故・渡辺護監督の追悼作で、
渡辺護さんも、『ぬるぬる燗々』 というふざけた題名の酒呑み西部劇?に出演いただいて以来、
何度かコタツを囲んで鍋を御馳走になったり、私的映画史の講釈を受けたりという御縁で。
でも、そういう90年代末頃から僕は、井川さんをはじめそれまで付き合い深かった方々と、
微妙に別の道を歩み始めたというか、ちょいと距離を置くようになり…。
まあ、そんなこと思い出しながら、何となく神妙な気持ちで観たのでもありました。

で、映画の感想はさておき。(いずれ別の機会に)
試写後に、井川さんを囲んで呑んだ面子が、また濃厚で。
ほたるさんやアニメーション作家の新谷さんら、作品の関係者はもとより、
久々に会った鎮西さんや佐野(和宏)さん、映画館でちょくちょく遭遇する今泉(浩一)くん、
そして(佐藤)寿保さんまで同席して、しかも隣に座ってしまったから、もう大変。
かつて、寿保監督が武闘派で鳴らした時代に助監督で付いた身としては、
いくらニコニコ笑顔で酒を酌み交わしていても、いつパンチが飛んでくるかヒヤヒヤの緊張感。
実際、思い出すだに、寿保組は寝られなかった。
移動含めてとは言え、三日ぶっ通しで現場が続いたこともありました。
もっとも、その三日目には芝居を撮り切ったら、監督もカメラマンも倒れてしまい、
仕方なく、撮影助手と僕とで、機材返却ギリギリまで小物撮りをする羽目に嵌ったり。
うーん、まだ20代だったし、体力あったなあ…。
それにしても、立ち位置としては当時の両極端にいた寿保さんと鎮西さんが、
(まあ、先鋭的なピンク出身監督とでも括れば、同世代だし、近いところにいた御二人ですが)
同じテーブルで呑んでいるのを見たのは、僕は初めてで。
というか、両方の助監督に付けたってのは、考えてみたらけっこう貴重なことだろうなあと思い。
それどころか、実はここにいる濃厚な面子全員と、自分は現場を共にしていると気づいたら、
なんとも眩暈がしそうになり、余計に紹興酒をかっ食らってしまったのでした。




2014年07月17日


のんべんだらりと映画を観続けて、すでに30年。
僕は実は、映画を撮った後に(と言っても8?ですが) 映画を努めて観るようになったので、
とくに若いころは、観なくちゃという焦りが勝って、数ばかり重ねていた時期もあり。
本当に観たと言えるのか心許ないなあと、今になって思うのです。
というのも、昔観た映画を観直したときに、観えてくるものの違いに驚くこと多く。
それは歳の功なのか、たくさん観たからなのか、それなりに考えてきたからか。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、ここのところ、心に刺さっているのは、神代辰巳でして。
久しく観ていなかったのが、たまたま、阿佐ヶ谷ラピュタの芹明香特集で、
『濡れた欲情 特出し21人』 を観て、たまげてしまい。
これで映画になってしまう凄みというか、あれはいったい何でしょう?
沸騰した脳天を酒で冷やしても冷めやらず、本棚の奥からシナリオ集を引っ張り出し、
ぱらぱら拾い読むうちに、このとき神代さんは、今の自分と同い年だったのかと気づき。
何と言うか、胸がざわざわし始めて。
1974年、公開作 6本。
ゴダールより三つ年上の遅咲きの新人が、一度は干された挙句再び巡ってきたチャンスに、
何を思い、息せき切ったように撮り続けたのか。
そんなことは分らないし、分ったからどうだということでもないですが、
でも、しかし。
『しのび肌』、『抜けられます』、そしてあの強烈な 『開けチューリップ』 と、
芹明香の薄い胸の向こうに、演出家のまなざしを感じ取ろうとしていたら、
なぜか神代さんのお宅で、あれは炬燵に入りながらだったかなあ、
田辺製薬のナンパオのCMをビデオで見せながら、
「俺が今やってる仕事はこれだ」、「映画監督なんて、持って十年だ」 と腐してた、
不機嫌で淋しげな横顔を思い出し。
で、『特出し21人』 をもう一度観て、『快楽学園』 に呆れて。
ラピュタ神代シーズンの最後に 『恋人たちは濡れた』 を観たのですが、
うーん、やっぱりこれなんだろうなあと思いつつも、だから納得できるわけもなく。
シナリオの冒頭にある重要な前振りが、削られていることによる寄る辺なさ。
刺されて海に沈む男が、波間にぽっこり頭を出したコマで止め画になるしまりなさ。
張りつめることに恥じらい、しど気ない素振りでうそぶいて、宙ぶらりんな泣き笑い。
神代映画の前衛性について、もう少し考えないと。




2014年07月02日


京都から帰ってきました。
と言っても、もう先々週のことですが。
いやあ、たーのしかったなあー
同志社・寒梅館での鈴木了二氏とのイベントから、
引き続いて木屋町の立誠シネマが組んでくれた、特集上映の最終日まで。
せっかくなんだし、10日以上も滞在していまして。
幸い、梅雨入り直後にかかわらず、そんなに降られず。
毎日てくてく方々を漫ろ歩き、京都ライフを堪能しました。
もちろん酒は欠かさず、でも呑んだくれていたばかりでもなく。
いろいろ収穫、発見もありまして。

まずは何と言っても、初日に催したアクスモ上映。
とくに、我々の作品と恐れ多くも併映した、JLG 『ソシアリズム』 が凄まじく。
アクスモで増幅されたサウンドトラックは、音の洪水? 乱気流?
どんな形容をしようが、あの体験にかなう言葉はないと言い切れるほどのもので。
ううーん、2010年公開時には正直分らなかった、
デジタル・ゴダールの予見の深度を、まざまざと見せつけ、聞かせつけられたというか。
とにかく、爆音とか単なる多チャンネルのサラウンドとかと、
アクースモニウム(アクースマティック)は全く違うものでして、
いまだ、それをうまく簡略に説明することが出来ず。
でもこうやって、音の設計が露わにされ、解像度を上げながら、
響きが空間へ拡張されていく場に立ち合ってしまうと、
なんとラジカルで強力な武器を見出したのかと、ただただ戦慄するばかりで。
まあそれも、檜垣氏という繊細に解釈を施す、凄腕の演奏家あってのことなのですが。

思えば始まりは、去年の同じ六月、やはり寒梅館。
映画をアクスモで演奏するという前代未聞の試みを、『眠り姫』 で敢行した後の打ち上げで、
「次は 『DUBHOUSE』 がやりたいですね!」 と盛り上がったのではありましたが。
でも35?フィルムだし、そうなると映写機のある 800人収容の大ホールになるのだし…。
大それるにもほどがあるよなと、半分諦めかけていたところのまさかのウルトラC!
なんと長短4作品、計3時間にも及ぶアクスモ×フィルム上映が実現したのでした。
まさに快挙、あらためて、御尽力いただいたみなさまに感謝を申し上げます。
そして、この一年 2月川崎を含め、こうした試みを重ねてきたことで、
檜垣氏にはある程度、映画のアクスモ演奏への方法論が確立したのではないかとも思いました。
今後の広がりに可能性を感じる、充実したプログラムでした。

で。
そんな初日を皮切りに、その後も。
岡崎乾二郎×浅田彰の講演を聞きに行ったり、鞍馬山に登ったり。
神戸映画資料館へ足を延ばした帰りに、ヌーヴォに顔出し九条で呑み明かしたり。
アビチャッポンの展示も良かったし、京大・吉田寮にはゾクゾクしたし。
いろんな方とお会いして、お世話になり、まあ何やかや慌ただしく、トピックスも多く。
あっという間とも言える10日間でした。

その最後の上映イベントだったのが、「闇の中の眠り姫」 in 立誠シネマ。
立誠シネマは、閉校した小学校の教室内にすっぽり収まる仮設シアターで、
学校内映画館で 『時を駆ける症状』 を観るという企ても、なかなかウィットに富んでいたのですが、
プログラムの白眉は、この 「闇」 上映。
周囲天井を暗幕で囲まれたテント空間の薄ぼんやりした闇の中で、
とつとつとした西島さんの語りや、呟くようなつぐみさんの声、
近づいてくる足音、遠く聞こえる夜明けの電車に耳を澄ます心地よさ!
暗がりで光を受けないスクリーンを眺めていると、うっすら何かが見えているようで、
お客さんも後から感想を聞かせてくれましたが、優しい闇に包まれる快感でした。

実は、この?ぼんやり″闇上映を試みた最初は、この春 4月バウスシアターでのこと。
それは、映写室の灯りが消せないとか、全ての開口を完璧に封鎖することは出来ないといった、
不可抗力からそうしたことだったのですが、それが案外、いいと気づかされまして。
今は無きバウス1の高い天井の下、暗がりに身を沈めて、
どこからするとも知れぬ声、物音を聞いていると、
それが、あの空間から染み出してくる響きのようにも思えたのです。
もともとの 「闇」 上映は、映画から一切の光を奪うというコンセプトのもとに、
アップリンクの閉鎖的な施設特性を利用して、完全暗転を徹底する試みでした。
けれど、その完璧なる闇、視覚を奪う暴力性といったことが、
なんだか震災以後の時代に、なじまないもののように思えて。
一時はもう、このイベントは封印しようと考え、
それが新しい試行、アクスモの導入へと連なったのですが。
しかし今回、立誠シネマで確信しました。
あれは、映画を聞くとともに、その場所の闇を見つめる体験になる。
だから、劇場ごとに別の?闇の中の眠り姫″が立ち現れるのかもしれません。
『眠り姫』 をアクスモで何度も演奏し、サウンドトラックを分析しているはずの檜垣さんが、
立誠の闇上映で、「知らない音を聞いた」 と仰っていましたし。
今後もまた、どこか魅力的な空間でやってみたいな。
御提案お待ちしております。

と、
実り多き京都滞在を終え、帰りに途中下車して、実家に顔など出しておりましたら、
東京から思いがけない訃報が舞い込み、愕然。
それは、舞踏のプロデューサーで、土方巽の時代を知る重鎮で。
でも僕は、この10年ほど、とある呑んべの会で年に何度かは必ず会って話す、
なんと言うか、小うるさい爺さんと生意気な若造という関係に過ぎず。
知り合ったときにはすでにガン患者で、でも平気な顔して酒を食らって議論をして、
昨秋もプロデュース公演を拝見して、感想を言ったら、
呑んでじっくり話したいと言われたのに、この半年バタバタしていて約束果たせず、
だからなのかなあ、帰京してすぐの告別式で、お棺の中の目を瞑った顔も拝んだのに、
次の呑み会ではまた会えるような、
あぐらをかいて、背筋をぴんと伸ばして酒を食らっているような。
弔辞を聞いて初めて、貧困問題や社会運動から舞踏の世界に入った人だと知った。
何にも知らずに、ただ話していただけだったなあ。

と、
切なさを抱えておりましたら、今度は、
この20年ほど毎朝のように、行きつけの喫茶店でお顔拝見していた斎藤晴彦さんが、
亡くなったとニュースで知りました。
一度も話すことはなかったけれど、いつも定席と新聞を取り合っておりました。
失礼のしっ放しで、ごめんなさい。

今に始まったことではありませんが、
何か、ぼろぼろと歯が抜け落ちるように、
人が去り、世間から良心が失われていきますね。
テイノーな為政者どもよ、恥を知れ。

鬱々としてきました。
観た映画のことや、他にも書こうと思っていたことありましたが、この辺りで。
では、また。




2014年06月02日


今日やっと、髪を切りまして。
ああ、すっきりした。
半年以上もめんどくさくて切っておらず、伸び放題で。
ロン毛っぽいのもまあいいかと思っていたのですが、
さすがにここ数日、暑くて蒸して、耐えられず。
これで少しは、京都行きも涼風に過ごせそうです。

ところで、この日記。
日記というものを、今後どのように続けていこうかなどと、
最近、ときおり考えます。
実はもう、最初に 「のんき日記」 をアップし始めてからは、10年が過ぎておりまして。
それは、『のんきな姉さん』 の公開に向けて、今は無き作品公式HPに、宣伝のために掲載せよと、
宣伝会社の方から指令があって、始めたものだったのですが。
それが、『眠り姫』 の自主制作発表をした2005年の生演奏上映会用のHPに、
「居眠り日記」 の名称で引き継がれ。
さらに、2007年の劇場公開時にリニューアルした、このHPに継続して今に至るというわけで。
私、何かをやるまで腰はたいそう重いのですが、一度始めたことはけっこう続ける方でして。
つらつらと、気づけば10年が過ぎてしまったのです。

この間には、日記をブログにせよとの親身な助言も何度かあったのですが、
私のつまらない日常や勝手な感想に、コメントやら反応などいただくまでもありませんと、
一切、つながりを断ってきまして。
それでも、2012年の特集上映に際して、告知のため差し迫った必要から、
のんきツイッターを、配給のパートナーが始めて下さり。
また、昨年の映画祭デビュー?を機に、恥ずかしながら個人の公式HPを開設しまして、
それに連動する形で、フェイスブックを立ち上げて下さる方も現れたのですが。
しかし未だ、いわゆるソーシャル化というものに抵抗感があり。
情報の渦にただ押し流されるだけでない、在り方はないものかと。
日記ごときに、悶々とするわけです。

とはいえ、代わり映えもなく、取るに足らない感想など。
昨日、結局、会期末に滑り込んだ、近美の 「映画をめぐる美術」 展。
結局などと書いてしまったのは、展示映像というものを目の前にして、
どうにも困ってしまうことがよくありまして。
美術、アートとして映像を読む(視る)ことと、映画を観る(読む)ことを切り替えるのが難しい。
いや、切り替えなくたっていいんじゃないの?
と思ってしまうわけで。
なので、こんな挑発的な展覧会名を付けられると、最近、似たようなタイトルで、
形式やジャンルを超えて映画を表現することに挑戦した者としては、
うーん、気にはなるが、二の足を踏んでしまっていたわけです。

で、結局、やはり困ってしまったのかと言えば、そうでもなく。
おそらく、多くの方がこの会の白眉に上げるだろう、アナ・トーフ 「偽った嘘について」 は、
映画が切断された瞬間の連続であることを、改めて思い起こさせてくれる、
『裁かるるジャンヌ』 への美しいオマージュなのですが、
でも、そんなこと思い起こさなくたって、
スライドの画が切り替わる音が凛として、鮮烈な作品でした。
でも、個人的にグッときたのは、アンリ・サラの 「インテルビスタ」。
映像とサウンドトラックのかい離を巡るエピソードの含蓄の深さは、
正直、拙作のこないだの上演なんかより、うわ手だなあと感心しまして。
あれ、アルバニアの母の記憶を巡る出来事であるということが、実に素晴らしいのですよね。
一つの声を強要された時代、耳の聞こえない人にしか分らない記憶の声…。
台詞や状況の一つ一つが詩的でした。
それから、ピエール・ユイグの 「第三の記憶」 を観て思い出したこと。
『のんきな姉さん』 で、故佐藤允さんがライフルを抱えて乗り込んでくるシーン。
あれって、『狼たちの午後』 へのちょっとしたオマージュでして。
だから、プレゼントの包みからライフルを取り出したり、
佐藤さんがオネエな役どころだったりしたのですが、
誰にも指摘されなかったなあ…

近美へ行くと、収蔵品展の方も楽しみで。
ここ数年、とくにリニューアルしてからの展示の工夫が、毎度面白く。
常設作品に加えマイナーチェンジしていく作品選定や、テーマの立て方に世代の若返りを感じます。
2Fギャラリーで観た Chim↑Pomの 「Black of Death 2013」。
あれ、国会議事堂前での旧作のときより、完成度が格段に上がっていて。
あのまがまがしさの凄さは、映画とか美術とか区別なく、
ちょいと、いいんじゃないかい↑ と思いました。




2014年05月18日


すっかり、ご無沙汰してしまいまして。
三ヶ月も更新せずに、大変失礼いたしました。
どうも昔から、何かに取り組んでいるときに、それについて言葉にすることが、とても苦手で。
まあ、やり終えた後も、なかなか言葉に出来ず毎度苦労しているのですが。
そんなわけで、遅ればせながら。
まずは、上演や講座に足を運んで下さった皆さま、誠にありがとうございました。
そして御協力いただいた諸兄に、深く感謝いたします。

てなわけで今回のように、自分が学び考える場を講座という形でさらし、発言しながら、
それを進行中の制作にフィードバックして、何かを作るという試みは、
実際、精神的に辛い、苦行を極めまして。
ちょいと発狂しそうな瞬間、というと大袈裟ですが、
なんちゅうことを始めてしまったのだ、と自らを恨めしく思う日々でもあり。
こんな心境で、今どき普通にみなさんがおやりになっているように、
ツイートとか、フェイスブックで繋がり続けるなんて、
俺にはやっぱり無理だわと、つくづく再認識した良い機会でもありました。

とはいえ、ソーシャル化やデジタル化は、もう不可逆な趨勢であるようで。
そんな世界に、ささやかな抵抗と順応を試みようというのも、
今回の一連のプロジェクトの目論みなわけで。
だからというか、ナウでもなく後追いでつぶやきますと、
2月、3月、あの時期イベント準備や制作の合間に通い、胸躍らせていたのは、
阿佐ヶ谷ラピュタのATG特集でした。

勅使河原宏 『穴』 の音楽(武満徹/一柳慧/高橋悠治)の、あの強烈な金属音の打楽は、
確実に 「映画としての音楽」 のある場面に伝心していたでしょうし、
学生の頃に観て以来の吉田喜重 『煉獄エロイカ』 の、
映画の基本が血肉化しているからこそ、できるアヴァンギャルドは、
もう圧倒的で、逆にある種の諦めの契機、勇気となりました。
『竜馬暗殺』 の石橋蓮司、なんて清冽な表情をする役者だったのだろうとか、
『青春の殺人者』 の若さ、勢いで押し切っていく演出には、やっぱり感嘆してしまい、
終映後、ゴダイゴのテーマ曲を口ずさみながら帰路につきました。

他にもつらつら、感想をあげればキリありませんが。
60年代から70年代にかけて、模索する映画に何故かそそられる、今日この頃。
最近も、久々に観た神代さんの 『濡れた欲情 特出し21人』 は、本当に凄かった。
昔観た映画を、改めて見直すのは大事なことですね。
若い頃なんて、映画観ても何にも見えていなかったとつくづく思います。

話は跳びますが、近年、かつての前衛への回顧、検証の機会、展覧会などが、
頻繁にあるような気がしますが、すりゃまた何故なのでしょう?
ちょいと時代は上りますが50年代、実験工房の回顧展が各地であった昨年。
日本の電子音楽の黎明期にスポットが当てられた時期に、
意図したわけではありませんが、アクースモニウム上映なる企てを始めたのは、
我ながら妙にシンクロしているなあと。
今年も、工藤哲巳や、ハイレッドセンター。
要は、社会が不安におののいているってことなんでしょうが。
それにしても、「放射能による養殖」 (工藤哲巳)ってあれ、預言書のようでしたね。
あの衝撃冷めやらぬうちにまとめたのが、飴屋さんに読んでもらったモノローグでした。
え、どこが? とツッコまれそうですが。

でも、その一方で。
こんな今この世の中にも、ちまたに詩情があふれていることを、
見事に写し撮った8? 映画に、心震えました。
『雲とか虫とかテツジョウモウ』。
今年のイメージフォーラム・フェスティバルで 2回見て、2回とも。
もう、泣きそうでした。 (いや、今も思い出すだけで目頭が…)
「中途半端な自分がヤになった」 と呟いた直後の、あの湧き立つ雲。
あんなエモーショナルなコマ撮り、見たことない。
日記映画の歴史的な傑作じゃなかろうか!
偶然とはいえ、拙作が同じプログラムでマジ嬉しいです。
次は、京都で23日。
みなさま、ぜひ。

そんなこんなで、京都。
6月にやらかします。
なんと 『DUBHOUSE』 をアクースモニウム上映。
しかもカップリングは、ゴダール 『ソシアリズム』。
私的には、『夢で逢えたら』 の繊細な音群をアクスモで聞けるのも、楽しみで。
同志社・寒梅館で 5日。
さらに翌々日から、立誠シネマが特集上映までしてくれます。
てなことで、6月上旬は京都におります。
関西のみなさま、呑みましょう。




2014年02月22日


呑まずにはいられない日々が続きます。
って、まあ、言い訳というか口実なのですが。
で、呑んだって眠れるわけもなく、疲れは抜けず体調は、うー。
いかんですな。

世の中、明るい話題が無いですね。
強いて言えば、落合が中日に復帰したことぐらいかな。私にとっては。
落合GM・谷繁捕手兼監督・森ヘッドのいぶし銀トリオが、(あ、達川もコーチにいたな…)
現有戦力でどこまで巨人に対抗しうるか。
その戦いぶりを心の糧に、日々耐えていこうと思っています。

ところで、遅ればせながら。
先日は 「以内、以後、辺境」 第一回にお越しいただき、誠にありがとうございました。
おかげざまで盛況な船出となりましたが、みなさまの評価は、どうだったでしょう?
吉田広明という碩学の批評家を相手に、ヘボな舵取り、全くお恥ずかしく。
会場をハラハラさせたかもしれませんし、話そうとしたテーマの半分にも届きませんでしたが、
私としては、少しは手ごたえも感じております。

そもそも自分が学びたくて始めた、この講座。
もちろん、映画の現在、昨今の変質も動機の一つではありますが、
最初に8? を撮った高校生のときから、気がつけば三十年も映画の周辺をうろちょろしていて、
もうここらで正面切って考え始めないと、人生終わるなあと思ったわけです。
ああ大変だ、まいったな。

心境の影響か、映画を観ていて、やたら疲れる。
最近試写で見せていただいた話題作、『アデル、ブルーは熱い色』 も 『アクト・オブ・キリング』 も、
映画の記憶をたどれば、ねちっこい描写のあんな女性映画も、人間の業の深さへのそんな挑戦も、
確かにあったがフィルムの時代にはあり得なかった(そうはならなかった)表現ではないかと。
デジタルカメラが生み出す映画の世界では、現実を侵食する映画が、人の目を奪うのかも。
以前、アテネで聞いた平倉圭氏の 『ゴダール映画史』 のヤバいほど凄い講演が、
『アクト・オブ・キリング』 を観ている最中、脳の深層にフィードバックし続けました。

一方で、ふと再見した村上龍 『トパーズ』 に、意外なほど心を動かされてしまったり。
当時見たときは、正直、なんじゃらほいという感じだったのですが、
改めて観て、とにかく二階堂ミホが常軌を逸していて、尋常じゃなく素晴らしい!
そこには、いつの頃からか失われていった、映画的体験? や特権的瞬間?
のようなものがある、気がする。
コマに定着される光の像と フレーム単位で記録されるデータ、
あるいはフィルムの投影と デジタル・プロジェクションの違いって、何なんでしょう?

さて、いよいよ今月末の28日。
まだSD時代のデジタルビデオで撮った 『眠り姫』 が、
電子音楽の立体音響システム、アクースモニウムでライブ上映されます。
スピーカー群の配置について、演奏の檜垣さんからの図面での提案は、
これまた意外、ほう!と私は驚きました。
その構想を、劇場で実現するのが今から楽しみです。
会場は新百合ヶ丘の川崎アートセンター、あいにく平日金曜19時からの催しですが、
御都合付けばみなさまも、ぜひ。

さらにその翌日、3月1日からは 『DUBHOUSE』 の再上映が、新宿ケイズシネマで。
こちらは、フィルム上映でしか原理的に実現できない、闇の表現をお見せします。
しかも、今回は前代未聞、同じネガからプリントした FUJI版 と Kodak版 の同時上映!
って、そんなマニアックなこと誰が喜ぶのでしょう…
初日は、鈴木了二氏とのトークもあります。
「物質試行」 の建築家に、映画の物質性について、たずねてみようと思っています。
こちらも、乞うご期待!!




2014年02月01日


何度観たか知れない 『甘い汗』 を、久々にまた観まして。
いいものは何度観てもいいですね。
京マチ子の凄みが極まった一本。
水木洋子の描き出す人間の浅ましさ、愚かさと愛らしさ。
岡崎宏三の見事な撮影、というか光の設計。
あれは、日本映画のすでに失われた技術でしょう。
Experimental とかなんとか言われようと、私の目指しているものの一つが、
この映画の中にあるのは、ゆるぎないなと。
改めて確認したわけで。

それにしても、もう節分。 今年も早ひと月が終わったのですね。
何をしているというほどのこともないのに、やたら慌ただしく、
ただ日々が過ぎていきます。
こうやって徒に時を浪費しているうちに、ドカンと地震でも来て、あ〜あというか。
何も出来ないままに人生を終えるのではないか。
妙な不安に囚われもし、いやな感じです。

いかん、いかん。
後ろ向きになりがちな自分を奮い立たせるためにも、
いそいそ何かを見たり、聞いたりしに行く。
先日は横浜まで、タンゴを歌うさとうじゅんこさんを聞きに。
いやあ、ブラボー! ただただ、感動しまして。
やはり彼女は何を歌っても、凄い。 まさにディーヴァですね。
フランスから来た哲学者のようなバンドネオン奏者と、超絶技巧のバイオリン弾きと、滋味深いベーシストと。
実に素敵なライブで、帰路ふわふわしてしまいました。

会期終わりにぎりぎり飛び込んだ、ジョセフ・クーデルカ展も良かった。
ジプシーズも、プラハ侵攻も、壁一面の巨大なパノラマ写真も、
初めて見るオリジナル・プリントの迫力は、写真集とは桁違いで圧倒されまくりました。
中でも印象に残ったのは、工科大の学生時分に発表したという初期の作品群。
ショットの力というのでしょうか、すでにもう構図も表現力も非凡で、超カッコいい!
ああ、優れた表現者は最初から、何か違うのだなあとつくづく思い。

ジャームッシュも処女作 『パーマネント・バケーション』 が大好きで。
あの調子っぱずれの 「虹を越えて」 と落ちこぼれ少年のイメージが強過ぎて、
最近知ってびっくりしたのですが、もはや還暦も過ぎてるのですね。
〈廣木さんも還暦迎えたしなあ…)
でも、まあ、初めから老境の域にいた作家というか、歳や時を超えた作風だったと言えなくもなく。
新作 『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』 を観て、ふと思ったのですが。
あれ? この感じ、感触を誰か(の映画)に覚えたことがあるような…。
以前から、沖島勲監督について、唯一無二の作風と評してはばからずにおりましたが、
いたわ、似た人。
沖島さんの映画をオシャレにすると、ジャームッシュになる。
ジャームッシュの映画から、こだわりのセンスを抜いて(あるいは入れ替えて)、
世界へ相対する懐疑の姿勢を眺めると、極めて沖島映画に近い。
いかがでしょう?
あんまり賛同者、いないか。
御二人に怒られるかな…

と、まあ適当なことを言う輩ですが、連続講座は真剣です。
いよいよ明日、よろしくお願いいたします。




2014年01月04日


みなさま、明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。

毎年、新年が始まると、今年はどんな年になるのだろうか、
あれやこれや考えたり、計画したりするのですが、
必ず予期せぬ展開の一年になってしまうもので。
今年もきっと、予想を裏切る、意外な一年になるんだろうなと思うのであります。
少なくとも自分において、は。

というのは、昨年末に、ちょいと驚いたことがありまして。
それは、今年早々に計画している、ある企ての準備のため、
一昨年に催した、拙作の特集上映のチラシを引っ張り出したところ、
そこにすでに、今年やろうとしていることを暗示するような文章が載っていまして…。
まるで予言のようで、びっくり!
それは、映画批評家の吉田広明さんが、私について書いてくれたものなのですが、
実は読み返すまで、すっかりその内容について忘れていまして。
忘れていたから、さも紆余曲折あり一念発起して、これを始めるに至ったと自分では思っていたのですが、
他人の目からは、まあ想定内のことになるのかなと。
灯台下暗しと言いますか、自分の未来が見えてないのは自分だけなのかもしれませんね。

似たようなことは、『DUBHOUSE』 のときにもありまして。
作り終え上映した後に、誰だったかに指摘されたのですが、
あれでやったことのアイデアになるようなものは、
なんと2004年に、ペドロの 『ヴァンダの部屋』 について書いた文章に記していたのです。
いやあ、完全に忘却の彼方でした…。

先が見えないだけでなく、記憶も覚束なく。
未来も過去も頼りない不束者ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。












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