ダイアリー






2011年12月23日


あらら。
いつの間にか、師走も大詰め。
こんな大変なことがあった年でも、年末はやって来るのだなと、
なんか不思議で、ちょいと違和感。
でも、感慨深くしてる暇もなく、日々が過ぎていきます。

初めて行った神戸では、とある奇特な方から身に余る歓待を受け、
びっくり仰天したのですが、そんな出来事すら押しやられるほどの、この師走の忙しなさよ…
うーん、でもそうやって流される生き方には、なんとか楔を打たねばなりません。
まあ、そんなことと関係あるかどうか。
昨日の新聞で高橋源一郎が引用していた、農文協のブックレットの言葉。
「 (震災復興事業と、TPPという) 二つの津波には共通点がある。どちらも、小さなもの、多様なもの、ヒューマンな共同体を破壊し、何もかも一様なものにしてしまうのだ…」
これって、まんま、DCPやVPFといった映画のデジタル化問題にも当てはまるよな、と思いました。

さて。
すでに公開が始まっているのですが、
映画 『瞳は静かに』( 原題 『アンドレスはシエスタ(昼寝)なんてしたくない』 )
のパンフレットに寄稿しました。
アルゼンチンが軍事独裁政権下にあった、1970年代が舞台の物語なのですが、
これって、今の日本にも言えるんでないかい? と思ったのでありました。
ぜひ、ご高覧を!




2011年11月23日


TPPも大変ですが、今、映画界を揺るがす大問題はDCP…
という話はいずれするとして、それと全く関係ないわけでもない、
念願のイベントを、今週の27日曜に催します。
題して、『眠り姫』 @ 「夏への扉」。

「夏への扉」 とは、猫のピートが活躍する、ハインラインの名作青春SFですが、
その名を店名にした、素敵な喫茶店が青梅にあるのです。
実は、『眠り姫』 で印象的に登場する喫茶店が、この店。
つまり、映画をロケした場所で、その映画を上映しちゃおうという試みです。
昨年は、真っ暗やみで、映画の音だけを聴かせる
「闇の中の眠り姫」 というけったいな上映?会を企てましたが、
これと同じくらい、以前からやりたかったのが、このロケ地上映会。
日没の窓や、木のテーブル、壁の絵など、撮影したものに囲まれながら、
撮影された映像を流したら、どんなふうに見えるんだろう?
と、思いまして。
昨日、実際の時間帯にお店でテスト上映をしてきたのですが、
いやあ、思った以上に格別な体験でした。
だんだん暮れなずむ室内で、ときおり表の気配を感じながら、
あの薄明や夕景の映像を眺めるのは、凄く不思議でキモチいい…。
当日も天気に恵まれるといいなあ。
おひまでしたら、ぜひ。
あ、予約制ですので、詳しくは、このHPの新着情報か劇場のページをご覧下さい。

そして、さらに告知。
12月9金、10土、11日に、神戸アートビレッジで、
『ホッテントット』 が、神戸初上映されます。
しかも、東京ではまだ未公開の、サウンドリミックス版!
この五年間のライブ上映で、進化した演奏を新たに加えた、
出来立てほやほやの、音のリニューアル版です。
乞うご期待!!

とか何とか書いていたら、談志師匠の訃報が飛び込んできました。
うーん、なんともはや。
寂しい限りです。




2011年11月01日


珍しく、早々に更新します。
というのも、前回記した “長い間続けること” について、まだ書くことがあるからです。
まあ、『眠り姫』 についてなのですが。

おかげさまで、10回目の再映がはじまりまして。
客足もまずますのようで、本当にありがとうございます。
嬉しい限りではあるのですが、こんな風に 回数を声高に謳うのは、
少々、気恥ずかしくもあります。
誇らしいというよりは、信じられないというか。
誤解を恐れず申せば、再映は、続けようとして頑張っているのだけれど、
続いてしまっているというのも、正直な実感でして。
何故だろう?
と、よく考えます。

虚勢を張って 喧伝するには、あまりにささやかな映画だし。
そもそも、この作品は当初は、劇場公開するつもりさえなかったのです。
ただ、「納得いくまで やり遂げたい」 と自分のエゴで広げてしまった風呂敷――製作行為に、
きちんとオトシマエをつけることだけは しようと。
そのために、無理に無理を重ねて催した、北沢タウンホールでの生演奏上映会。
あの二日間で、 『眠り姫』 は終わるつもりでした。

それが、2年後にユーロスペースで公開することになり、
さらに 5年経った今も、再映が続いているというのは、
もう僕の意思など越えて、多くの人の 大小さまざまな思いが、そうさせているとしか考えられない。
その思いの一つ一つに、改めて 深く敬服いたします。

もちろん、思いだけでなく、苦労をともなう具体的な努力もありまして。
例えば、『眠り姫』 の上映にプロデューサーとして関わっている、棚沢努さん。
彼が、熱心に劇場公開を勧めてくれなかったら、
映画館に自主配給するなんて、怖れ多くて踏み出せなかったと思います。
そして、僕のような ふつつか者が、負担の多い上映活動を なんとか続けてこれたのも、
彼が二人三脚で 携わってくれているからなのです。

この5年間、コンスタントにアンコールを繰り返してきましたが、
決して 順風満帆などではありませんでした。
最初に、定期的な再上映を申し出てくれた、下北沢のシネマアートン。
あそこが、親会社の不祥事で、突然、閉館したときには、天を仰ぎました。
本当に、いい映画館だった!
あのとき、悲嘆にくれて泣きそうだった 劇場スタッフの表情が、目に焼き付いています。
実際、僕らとしても、かなりの痛手で。
宣伝費も回収できぬまま、うーん、終わるしかないのかなあと苦汁を飲んでいた、
そんなところに、手を差し伸べてくれたのが、
アップリンクの、当時 支配人だった鎌田くんでした。
「うちでやりましょう」 と。
まさかそれから三年以上、実に7回も再映を繰り返すことになろうとは、
彼自身もさすがに、あのときは思ってなかったはず。
けれど、『眠り姫』 をカルト映画に育て上げたのは、
紛れもなく、鎌田くんをはじめとする、アップリンクの誠実なスタッフたち。
彼らの愛情こもった応援であったのは まちがいありません。

そして、みなさん御存知の 『眠り姫』 のチラシ。
あれをデザインして下さった、渡辺純さんにも 触れておきたい。
最初にお目にかかったのは、もうずいぶん前、
『のんき』 を配給してくれた某会社に、彼がまだ間借りして仕事をされていた頃。
戦場のような宣伝業務の 殺伐とした空気の中でも、いつも泰然自若として、
ニット帽に煙草をくゆらせている姿が、不思議な人だなあと 印象的でした。
その渡辺さんが、『眠り姫』 を観てくれたのは、
来年いよいよ自主配給に乗り出す 不安でいっぱいだった、2006年暮れの晦日。
確かあのとき、試写に使わせてもらったのも、シネマアートンでした。
階段のところで、観終わった渡辺さんに、もじもじ、自信なくご挨拶したら、
一言、「今年最後に観た映画が、この映画で本当に良かったよ」。
いやあ、僕の方こそ、本当に勇気づけられました。
とはいえ、チラシでは、もうお世話になりっぱなしで。
表のデザインが決まるまでも、数え切れぬほど案を出してもらい、
そして、再映するたびに、文字面を改定してもらって…。
恐縮至極。
ですし、あのチラシあっての 『眠り姫』 だとつくづく思います。

まだまだたくさん、書くべきこと、人はいるのですが、
まあ、この辺で。
とにかく、長い間 続けてくると、噛みしめること、いろいろです。
去っていった者もいますし、嫌な目にも遭いました。
しかし、そんな全ての出来事に、僕が、
頼りなくも 責任を取り、恥ずかしながら 感謝を示すのは、
作品を眠らせない努力を 続けることなのかなあと、
ぼんやり考えております。




2011年10月28日


わりと、めんどくさがりで。
自分で何かを始めるのが、苦手なのですが。
でも、一度始めたことは、なんとなくでも続けるのが信条でして。
この日記も (ほとんど月記ですが)、前身の 「のんき日記」 から数えれば、
早九年目になるのですね、いやはや。
まあ、やめるのも面倒だから、だらだら続けてるとも言えますが。

昨日は、『ホッテントット』 のライブ上映でした。
これも初演は、2006年秋ですから、もう五年も経つわけです。
回数は少なく、地方を入れてまだ7回ですが、
ここ一年は、多摩美、新潟と、半年おきに上演する機会が持てたこともあってか、
昨夜のプレイは、演奏者それぞれがお互いに、そして映画とせめぎ合い、
刺激的で、本当に素晴らしいものでした。
場内が明るくなっても、しばし客席から誰も立つ人がいなかったことに、
手応えを感じ、ちょいとドヤ顔になってしまいました。
ふー。

しかも、昨日は特別で。
ニューオリンズ帰りのクラリネット吹きに加えて、
久しく沖縄に行ってしまっていた、女性スタッフも顔を出してくれまして。
彼女は、『ホッテントット』 の過酷な現場、緊張の初演はもちろん、
2005年春の 『眠り姫』 生演奏上映のときから手伝ってくれていた人で。
人間嫌いが激しかった、あの頃の僕にとっては、彼女ののほほんとした感じが、
なんとも言えず心安らぐ、貴重で大切な存在でした。
あの頃、二十歳だった女の子は、すっかり20代後半の大人の女性になって…
というほどでもなく、相変わらずのキャラだったのも、とても嬉しく。
みんなの努力の結晶である作品を、
長く、見せ続ける意味を噛み締めたのでありました。




2011年10月10日


ありえたかもしれない自分を、生き直すこと。
そのための引っ越しが、藤田映画の深層に迫る重要な鍵である…

という、西山洋市監督の 実に秀逸な藤田敏八論を、
サポートできた喜び、余韻に、浸っている間もなく。
怒涛のごとく 構成仕事に忙殺されて、スイスアルプスへ 脳内トリップ。
「ユングフラウ アレッチュ氷河」 の回は、10月16日放映です。
とは言っても、僕はそのオンエア、見れないんですけどね。
うーん、いろんな意味で、テレビの世界とは乖離していきます。
しんどいなあ…
でも、まあ、愉しみもちらほら。

今月27(木)に、西麻布の音楽実験室新世界という、
コアなライブハウスで、『ホッテントット』 の生演奏上映があります。
今回は、長くニューオリンズに行ってしまっていた クラリネット吹きも帰国して、
オリジナルメンバー・白波五人衆が、初演以来の そろい踏み!
しかも、ピアノが加わったり、電子演奏が無かったり。
ミュージシャンそれぞれが、微妙に楽器を変えて臨む、
まさに ?音楽実験室? な装い。
乞うご期待!! であります。
そして、22(土)からは、『眠り姫』 がついに 10 回目!!!
の再上映を、お馴染みアップリンクXで。
いやあ、これまたワンダフルでございます。

とまあ、大事な告知ですが、それはそれとして。
こないだようやく、念願の鎌倉へ。
5年ほど前、うちの近所から移転してしまった、
東京一おいしい珈琲を出す、ある喫茶店を訪ねたのです。
で、せっかく鎌倉に来たのだからと、寄り道してしまい、
とくに、夕暮れ時の大仏の荘厳な姿には 思わず足が釘付けになって。
見惚れているうちに、辺りは真っ暗。
ヤバっ!と、慌てて早足。
見知らぬ住宅地を迷い歩き、なんとか辿り着きました。
「かうひいや三番地」。

店構えは変わっても、あの落ち着いた雰囲気、品の良さはそのまま。
こみ上げてくる懐かしさを押しとどめて、しらっと席に着くと、
水を運んできたマスターが、にっこり笑って言いました。
「久しぶりだね」。
あ、あ、あ、あ、あ。覚えててくれてたんだあ…
ちなみに、マスターとしゃべったこと、以前もほとんどなかったんですよ。
毎日通ったわけでもなかったし。
ただ必ず、仕事終わりや煮詰まったときに、あの珈琲が欲しくなって。
一人でぼんやりしにいく、大切な場所だったんです。
だから、年がいもなく感動してしまいました。
ふー。
おまけに帰り際、マスターがある内緒話をしてくれて…
朗報です!




2011年09月25日


お互いのために、 距離をおくことにしました  

とは、豆腐や白滝と、牛肉を 
別鍋で煮込むことにした、吉野家の広告文でしたが。
不意に目に入った広告に、ニヤッとしたり、ほほうとなることが
たまにあります。
その昔、

一人でいる、さびしさか
二人でいる、わずらわしさか

というキャッチコピーに、白黒写真の藤田敏八監督がたたずむ、
酒か煙草の 広告ポスターがありまして。
あまりにかっこよくて、見惚れて
その場を離れられなかったことがあります。
まさかその数年後に、現場でご一緒するとは思いもよりませんでしたが…

今週水曜の28日、アテネで、
藤田監督の2時間ドラマ 『予期せぬ出来事』(89) を上映して、
藤田論を語る 西山洋市監督の、お相手をします。
で、最近はもっぱら、DVDやらで 敏八三昧、悦楽の日々です。

西山さんと同席するのも、うきうきで。
というのも、僕が初めてとっぷり手伝った自主映画が
西山さんの 『エルビスの娘』 (脚本・高橋洋!) という作品でして。
まだ大学に入ったばかりの 小僧だった僕は、
大学を出ても何してるわけでもない 西山さんの後ろにくっついて、
80年代末、冬の高田馬場を、寡黙にうろうろ歩き回っていたのでした。

まあ、あれが現場で働きだすきっかけ、元凶?とも言えるわけで。
その後、十年に及ぶ助監督生活の間には、当然、西山組も何本かありまして。
洋一時代の西山さんは、ほとんど 「そうっす」 以外なにも言わない、動物のような人だったので、
僕はいつも、助監督というか、現場通訳のような役割で。
藤田さんとご一緒したのも、そんな現場でした。

暮れも押し迫った時期に、夜の河原でひと晩中 撮影するような、
寒い寒いロケを、なんとか無事に仕切りきった 御ほうびだったのかな。
藤田さんに 呑みに連れていってもらったことがあるのですが、
あのときも、生意気な若造は煩わしいんだけど、
一人でいるのもなんだか寂しいので、二軒目、三軒目といつまでも帰れない…
そんな藤田さんに魅了された一夜でした。

ところで。
落合監督が、中日からクビを言い渡されました。
あれだけの、輝かしい成績を残しながら…。
落合ファンとして応援してきた中日とは、これでオサラバです。

最後にもう一花、逆転優勝、日本シリーズ制覇。
ありうると思います。
長嶋巨人のメイク・ドラマ、ミラクルの本当の立役者、
フィールドの指揮官は誰だったのか。
いつも憎まれ役に徹した、いぶし銀のような選手、
落合がいたから、なんだよ、ね。




2011年09月02日


あれ、九月。
もう夏も終わりですな。
今年は地味だが、平穏な夏でした。
平和を取りもどしたと言うか…。
こんな、なんてことない日々が、僕には幸せなのかも。
けっこう泳げたし。

先日、突然、親友が結婚しました。
相手の親が、余命いくばくもないと知り、すぐ決意して、
三週間で、彼女の地元で式をあげるまで成し遂げたという、快挙!
「いやあ、疲れましたよー、ははは」 と笑い、
なんてことない顔してる彼と、ささやかな祝杯をあげました。
あっ晴れ。
おめでとー。

昨日は、博覧強記の映画マスター・均さんに、久しぶりに会いました。
一年前、松本圭二氏の詩集をひと袋貸してくれたまま、
東京からいなくなってしまったときは、ちょいと心配になりましたが、
なんのなんの。
驚異の記憶力と、鋭い指摘は衰えることなく、
同席した映画批評の吉田さんも、「いやあ、さすがだなあ」 と感心しきり。
今回の上京も、国会図書館等で調べものがあってのことらしく、
なんとなく肌つやもいいし、安心しました。
かつて均さんが、僕の一作目の 『のんき』 を観て評した、
「お前の映画は、誰にも似てないっ」 という言葉を、
今も心の支えに生きています。

ところで。
今さらですが、Emmy The Great いいですね。
呑んだくれのオヤジですが、昔はオリーブ少年だったので、
こういうのには、やはり、そわそわしてしまいます。




2011年08月02日


テレビが見れなくなって早々に、
夏風邪をこじらせてしまい、1週間ほど寝込んでいました。
熱と頭痛が引かず、ベッド上で一日をほぼ過ごす生活をしていると、
だらっと見ていられるものがないのは、不便なものですな。
ただ砂嵐を眺めていられるわけもなく、
昔、録画してずっと見ないままだった、膨大な量の教養番組などを、
ここぞとばかりに見始めたのですが、見たい内容だから、けっこう集中してしまうわけで、
熱が上がったり、頭痛がひどくなったり、あんまり良いことなく。
やはりテレビは、ただ点いてたり、ぼんやり眺めるものだなあと、つくづく思い。

そんなわけで、映画もずいぶん観れなくて。
そうなると、最後に観た映画のことを、繰り返し思い返したりできるわけで、
これは、楽しいことですね。
風邪引く直前に観たのは、都内某所で覆面上映した 『加藤泰 映画を語る』 。
70年代から80年代初頭にかけて、『緋牡丹博徒』 の現場風景や、
幻の企画 『好色五人女』 のシナリオ作りを16ミリで撮ったスナップに、
朗々とインタビューに答える加藤泰の肉声が被さるという、
実に贅沢な、私家版ドキュメンタリーなのですが、
いやあ、観終わってもずっと顔がほころびっぱなしなほど、
全くもって至福の時間でした。
鈴木清順や工藤栄一らとともに、イタリアの映画祭に招かれた時の、草の上の昼食風景など、
本当に本当に貴重な貴重な映像記録の連続なのですが、
僕が、とてもとても印象に残ったのは、とある商店街のケーキ屋さんで、
家族へのお土産なのかな、を買ってる加藤泰を、店外から盗み撮りしたようなショットでした。
つまり加藤泰は、ケーキを選んでいても加藤泰なんだな、と。
見事な生きざまでした。

ところで、伊良部秀輝が亡くなりました。
ここ数年、有名無名を問わず、寿命を全うできなかった人々の無念に思い入れてしまいます。
伊良部はアメリカへ、父親を探しに渡ったのだと思います。
そして、とうとう会うことができなかった。
天国で願いが成就することを祈ります。




2011年07月21日


地元の美術館でやってる 「古川タク展」 が、思いのほか楽しめたので、
というわけではないですが、松濤美術館の 「カレル・ゼマン展」 へも。

メリエスの後継者と、当時は言われたトリック映画の巨匠、古典的存在ですが、
そういう能書きがアホらしいほど、わくわく童心に帰っちゃいまして。
映画って、こんなに豊かな表現だったんだあ、想像力膨らむなあと。
逆に今の映画は、ジャンルに凝り固まって、どんどん狭く貧しくなっているよなと。
なんだかんだ思いながら、半日以上いて、
上映を二本も観たし、おなかいっぱい楽しみました。

その一方で、今月はヴェーラのATG特集へ、
原田芳雄出演を裏テーマに、観に行っていたのですが、
うーん、まさか胸騒ぎがしたわけではないが、こんなことになるのですね…。
ピーター・フォークも亡くなってしまったし。
映画世界からまた一人、濃厚な演者が消えてしまった。
ご冥福をお祈りします。合掌。

それにしても、女子サッカー。
あの子たち、本当にすごいよ!
ああ、テレビの最後に、いい思い出ができた。
ありがとうー




2011年07月13日


汗のしたたる日々、切ない夏が続きます。
こんなときは、泳ぐに限ると、
例によって、せっせと市民プールに通っております。
去年の夏は、自堕落に過ごしてしまったので、
今年はいつものように、ストイックに送るつもりです。

さて。
次の日曜17日に、ようやく、「サハラ砂漠の4つの集落」が放映されます。
先月のバイカル湖、先々週の小笠原と、
なんだか仕事が続いているようにも見えますが、
あれ、放映順に作られるわけではなく。
けっこう前に書いたもの、だったりするんですよね。

そんなわけで、サハラを書いてたのは、実は3月。
しかも、初稿の締め切りは、震災後の週明けでした。
だからあの土日は、つけっ放しのテレビから、
刻々と伝えられる津波の災禍、原発の状況、水素爆発などを横目に、
1000年前の、砂漠の都市の暮らしなんかを考えてまして。
もちろん集中できるわけもなく、頭の中は、錯乱状態。
おまけに、突然、計画停電の発表!
パソコンが使えるうちに、なんとか書き上げ、メールしないとと、
完徹敢行、もう朦朧…。

でも、まあ、そんなこと、
番組の内容には、全く反映させてないはずですが。
今見ると、どうなんだろう?
そして、今書いてるエーゲ海の古代遺跡は、
なんと、来年オンエアという噂もありまして。
鬼に笑われても、世界が平穏であり続けてほしいと思います。

それにしても、もう数カ月が経つのですね。
あれから、いろいろありました。
あんまり、いいことなかったなあ…。




2011年06月30日


生きていかねばならないので、食いつなぐ仕事をかろうじて続けていますが、
本当にめげてしまう出来事ばかり起きます。
辛いなあ…

こんなときは尚更、加藤泰の激情は胸を打ち、しみじみしてしまう。
例えば、『喧嘩辰』。
初めて観たのは、80年代末、
確か、東上線の朝霞辺りでやっていた、市民センターの16ミリ上映会だったはず。
会議室の備え付けの小さなスクリーンが、あんなに輝いて見えた興奮が忘れられません。
そこに、女と男の美しいあり方が結晶していると、僕は思います。
桜町弘子の白むく姿に、何度観ても涙してしまい、
やはり呑まずにはいられない。

久々に、以前通った●太郎で呑んで、
焼きそばを頼むと、オヤジさんが言います。
「麺が変わったからまだ試行中なんだけどね」
駅前の横丁に、地元の工場直売の竹田製麺という店がありまして。
とっても美味しくて安いので、自炊に重宝してたのですが、最近閉店してしまい…
そうか、ここも竹田を使ってたのか。
それにしても、悪貨は良貨を駆逐するというか、
せちがらいよなあと、またしみじみ思い。




2011年04月24日


何か、嫌な感じのこと、多く。
うつうつと飲んでいます。

先週放映された、シリアのパルミラ遺跡の回。
たまたま家にいたので、珍しくオンエアを見まして。
滅亡した、オアシス都市の話。
あれ、書いたのは年末なのですが、
今この状況で見ると、実に意味深く。
文明が自然の前でいかに はかなく、人の野心が愚かなことか。
書いていたとき以上に、考えさせられ、
意外とは、まさに このことだなあと思いました。

一昨年末に読んだ、古井由吉の語り下ろし 「人生の色気」。
あれは、60年代までと70年代以降で、いかに日本の社会が変質したか。
つまり、団塊の世代の青春期ぐらいから、この国は、現在の荒んだ状況を指向していたということが、
その一つ上の世代である、古井によって、明晰に語られて、
すっきりと腑に落ちる名著でしたが。
最近読んだ、同じく新潮の語り下ろし、中原昌也 「死んでも何も残さない」 は、
同世代の実感、満載で。
すでに いびつだった80年代は、でもまだ息抜きがあったのに、
この二十年の間にどんどん息苦しくなって、今や…
という呪詛、悪態をベースに、自虐的に語られる半生が滅茶苦茶泣けるし、笑えるし。
ちょいちょい、挟まる名言にも感心。
あのクソ選挙の翌日の晩、あるトークで同席した後、朝まで飲んでいて、
今、大事な映画はという話になって、
「それは 『タワーリングインフェルノ』 の、火災を知らずに情事に耽ってた不倫カップル、あれですよ人間は、ね、ね、ね、ね!」
と力説した中原さんを思い出しながら、一気に読了しました。

それにしても、先日、20年振りに神保町シアターで観た 『魚影の群れ』。
もう、ちょっと凄過ぎて、とてつもなくて、言葉にできません。
数日たった今も、あの映画を想うだけで、胸がざわざわする。
どうやったら、あんな凄まじいシーンの応酬が、導き出せるのか。
素晴らしい。
本当に素晴らしいです、相米さん。
僕は、演出とか、監督とか、同じ肩書きを名乗ることが、恥ずかしい。

誠意をもって臨んでも、陳腐な事情で、
大切なことが、台無しになっていく 日々。
何もかも、やめてしまいたくなる気分です、
ね、ね、ね、ね!




2011年04月11日


民意とは、無残なものですなあ…




2011年04月09日


どうもこのところ、体調がよくなくて。
なんか体に力が入らず、食欲もなく。
精神的なもんかなあ、俺、弱っちいなあと思ってたのですが…。
どうやら持病の、新しい薬が体に合ってなかったようで。
薬止めたら、元に戻りました。
単純ですね。

とは言いつつ、相変わらず酒は飲んでます。
飲まずにはやってられんでしょう、この御時世、世界。
それと関係あるのかないのか、日々、いろいろあります。
最近も、旧友が職を求めて東京を離れることになったり、
お世話になった御夫婦が、離婚したと聞いたり。

で、先日は、育世さんが郁子さんの歌で踊るというので、
バーキンさんの、チャリティ・ライブに行ってきました。
ああ、驚いた。
開会のあいさつでステージに立ったときは、確かに齢を重ねた優しい風情だったのに、
歌いだしたとたん、そこには少女がいました。
可憐な少女はときおり、凛とした闘士にも見え、
最後に無伴奏で歌うと、災禍を鎮める地母神のようでもありました。
わずか40分ほどの短いライブでしたが、ジェーン・バーキンという人の、女の生きざまを見たようで。
ついつい、ふらふらバックステージへ。
いつのまにか、何もしてないのに、ボランティアスタッフに交じって記念撮影まで。
いやはや恐縮です。
それにしても、飴屋さんちのくるみちゃんは可愛かったな。
遊んでくれてありがとー。




2011年03月31日


強度が試されるとき、なのだと思います。

この震災の前と後では、否応なく変わってしまうことが、社会経済にあります。
その影響は、文化や生活にも、きっと影を落とすのでしょう。

でも、以前から変わらないもの、変えられないことは、必ずある。
それが、この時勢の中でも、通用するのかどうか。
今まで以上に、強度が試されるとき、なのではないか、と。

漠然とした話ですいません。
このところ、度々強く思うのです。
チキンなもので…。




2011年03月23日


「ののちゃん」 が好きです。
毎日、気に入った店で珈琲を飲みながら、朝日とニッカンを読むこと、
それが、僕の生活の基本です。
どんなに貧しくとも、忙しないときも、
このささやかな贅沢だけは、なんとか守り続けてきました。
新聞は、一面から順に、全て一応、目を通すのがくせです。
なんでけっこう、時間がかかります。
その日課のピリオドが、「ののちゃん」 なわけです。
まあ、テレビ欄もありますが、あれはおまけ。
クスッとしたり、はてなとなったり、
さらりと 「ののちゃん」 で締める。
締めて、現実に向かう。

3・11から、すでに十日以上経ちましたが、
この間、山田家の日常は、ほぼ微動だにしなかった。
その揺るぎなさに、信頼感を覚えます。

あの日、あの時、僕は移動中で、電車に閉じ込められて。
東京で働く労働者のご他聞にもれず、繋がらない携帯に焦りながら、
交通麻痺ゆえの、夜のピクニックをして帰りました。
で、帰宅してからが、スクランブル。
なんと、こんなときでさえ、待ってくれない締め切りに呆れ果て……。
津波の爪跡に驚愕し、方々に連絡を取りながら、
やまない余震に怯え、刻々と深刻になる原発事故に動揺する一方で、
?サハラ砂漠の古い集落? についての原稿を書いておりました。
そして週明け、なんとか書き上げた、徹夜明け。
出た街と仕事先の局で感じた、異様な、重い空気。
あの違和感に、未だに、うまく言葉が当てられません。

3月26(土)から、『眠り姫』 が一週間、
翌週には、『ホッテントット』 がまた、渋谷のアップリンクで上映されます。
余震が続き、低放射能の危険がのしかかる今、こんなときに、
映画を見に来て下さいなんて…ね。
でも僕は、自粛された 『ヒアアフター』 を、こんなときだから観に行ったし、
『ブンミおじさんの森』 もぶっ飛んでて、今観れてよかった。

生き抜いていくこと、死んでしまうこと。
つくづく考えております。




2011年02月23日


すでに十日ほど経ちましたが。
アテネ、アナクロ会の上映イベント、お越しいただき大変ありがとうございました。
雪もちらつく中、しかもどうやら、会場の暖房がほとんど効いてなかったようで。
極寒を耐え、お付き合いいただき、大感謝と陳謝でございます。

が実は、温度のことなど、全然気づいてませんでした。
洋ビッチ大先輩の、お相手をすることに、必死で。
本当に、あのイベントは僕にとっては、今年最初の大仕事でした。

昨年末に、友人の吉田広明氏に依頼を受けてから、約一月半、
色川武大の諸作品を読み返し、森崎東の監督作のソフト化されてるものはほとんど見直し、
高橋さんに頼んで、上映するドラマの脚本を送ってもらい、幻の続編のホンまでお借りして、
山口剛さんにも前取材させてもらい、そのキラ星の如きプロデュース作品歴に眩暈して、
20年前の高田馬場界隈のことなど思い出して、なんとなく大和屋竺の脚本集まで読み返して…

まあ、ひとつの講演を準備するに際して、それくらい当たり前のことではあるのですが、
1990年の高橋洋 脚本デビューという事件を、リアルタイムで経験した若輩の後輩としては、
なんというか、その話をお聞きする役が自分に来たという感慨が、勝手に、ただ事ではなくて。
一人で興奮しまくって…。
まあ、何とかなったのですが、
正直に言えば、あの三倍は、話を聞き出す用意はあったぞ、と。
しかし、そんなことをしたら、きっと客席では、凍死者が出ただろうから、
きっかり、二時間以内で終えれてよかったかな、と。
ただ、惜しむらくは、当初から用意していた 結論、
「大和屋竺の薫陶を受け、『もう人間ではないんだ!』 と標榜していた 高橋洋は、
実は、デビュー作で、人間を描いていた!!」
を言うのを、すっかり忘れてしまっていた、ということです。
うー残念。

で、そんな感慨も つかの間、
翌日から、いつもの構成仕事に突入しまして。
年明けから、同時に準備はしていたのですが、アフリカは、マリ共和国のドゴン人。
地上500メートルの断崖絶壁で、精霊たちに仮面の踊りを捧げて暮らす民と、今、格闘しております。
と言っても、もう時間がない…
なんと、今週末27(日)放映なのです。

が、力技で滑り込ませるその放映を、
僕は見ることができません。
その日は、新潟の i-MEDIA専門学校が、『ホッテントット』 のライブ上映をしてくれるのです。
ありがとうございます!
構成を終えたら、向かいますのでよろしくです。

あ、あ、あ。
翌28(月)は、駒場アゴラ映画祭で、なにやら恐ろしい、討論会があるのでした。
こちらも、よろしく。




2011年02月07日


すいません。
日記の更新を怠っていたのは、ただの筆不精です。
と言いたいところですが、どうも、書く気がおきなくて。

ネットと人間関係や社会活動が、ますます密着している現実が分かるほどに、
それに、背を向けたくなっていく、この天の邪鬼な性格。
いかんですなあ。

でも、できれば、村から外れたスナフキンでありたい、と思います。

実際は、私のしている仕事というか、活動は、
孤立などできない代物なので、ありまするが。

だから、本当に孤立することになると、そこには死が忍び寄ってくるわけで。
最近も、ちょいとへこんでしまう事件がありました。
まあ、詳しくは書きません。
ただ心から、合掌します。

おっと、気を取り直して、告知です。

今週末、2月12(土)午後3時から、アテネで、
高橋洋さんの脚本デヴュー作である、森崎東監督の2時間ドラマ、
色川武大原作 『離婚・恐婚・連婚』(1990)の上映&トークイベントをします。
不肖ながら私が、恐怖の大先輩・洋ビッチ先生の相手役を務めさせていただきます。
ああ、緊張。
とにかく大傑作ですし、めったに見れない作品なので、ぜひおいで下さい。

あと、私の 『マリッジリング』 も銀座のシネパトスで上映してくれるようです。
恥ずかしながら、こちらも、もしよろしければ。
2月10(水)〜13(日) よろしくです。












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