ダイアリー






2009年12月27日


クリスマスに、市川春子 「虫と歌」 を買いました。
読んでみて、びっくり。
久々にマンガで、何何これ何! という衝撃。
いや、すんばらしい。

何何??の衝撃で言えば、ベン・リバース。
先週末に、三日連チャン忘年会 (内二日は朝帰り) の体調不良を、押して駆けつけ、大正解!
『ハウス』 の噂は聞いておりましたが、いや、唖然呆然のヘンテコさ。
イメージフォーラムの狭い教室が、満員になるのも分かります。
あの質感、16ミリフィルム自家現像の、なせる技なのでしょうか?
被写体のマテリアルの選択からして、徹底的に、初めて見る、懐かしい世界でした。

懐かしい衝撃で言えば、先月末に、古井由吉 「人生の色気」 を買い、読み耽りまして。
すっかり、古井熱が甦りました。
で、昔、学生時分に図書館で、全集からコピーした処女作 「木曜日に」 を読み返して、
ああ、もう、この興奮、どう言い表わせばよいのでしょう!
うち震え、打ちのめされ、
ん〜、最初に発表した小説がすでに、日本語表現の極北って、これどういうことっすか?
びっくりしたなあ、もう。




2009年12月14日


練馬美術館で、日本画家の菅原健彦展を観ました。
キーファーを想わせる、重厚で陰影深い都市図、暗黒の桜。
大判のベニヤ板を連ねて、岩絵具や顔料が厚塗りされた、巨大な障壁画群に圧倒され。
この迫力と質感は、映像イメージのような実体のない表現では、なかなか表せないよなあ、と。
そう言えば、石田徹也の孤絶に打ちのめされたのも、去年の今頃、ここだったし、
その前の年は、中村宏の小品展があったし。
毎年一度は、気になる展覧会が、練馬であるなあと思いつつ。

気になると言えば、先日、『母なる証明』 を観ました。
師走ともなると、今年の映画は…なんて話題はつきものですが、これさえなければ、
「いやあ、今年は 『ボヴァリー夫人』 に度肝を抜かれたよお」 で決まりかと思っていたのですが、
年も押し迫って、こんな怪作が待ち受けていようとは!
脚本を書いた、パク・ウンギョさんは、二年前に 『TOKYO!』 のポン・ジュノ編で、
韓国側のメイキング担当として、一緒になったことがあったのですが、
そのとき、何か持ってそうだなと感じさせる女性だったんですよね。
実は僕は、ポンさんの作品は一作目が一番面白くて、その後はあまりしっくりこなかったのですが、
これは、パクさんが関わっているので、なんとなく気になっていたのです。

てなことで、シネマライズに行ったわけですが、
とてもとても嬉しかったのは、矢崎監督の新作の、美しいチラシとポスターがすでに配されていたこと。
『スイート・リトル・ライズ』
実は実は、すでに僕は、ゼロ号試写で拝見していまして。
いや、これが、本当に素晴らしい、凄い作品なのです。
来春公開、どうぞお楽しみに!




2009年11月29日


京都の友人が、とてつもない催しを、繰り広げているようでして。
同志社大学の学生ホールを会場に、十月上旬から年明け一月半ばまで、計17回も続く、
21世紀の音楽をめぐる、ライブ+講演+上映の、野心的かつ壮大な企画。
名付けて、「アワー・ミュージック」。

プログラムを見ると、ライブには、ジム・オルークやアンサンブル・ノマドや大友良英ら、
シュトックハウゼンについてのドキュメンタリーやコンサート、
ロジエやタチや伊藤大輔、ジャン・ルーシュなどの映画、
フェラーリ夫人や茨木千尋氏らが登壇する、さまざまなレクチャー。
もう、テンコ盛り!
しかしきっと、かの夫妻は、超人的な行動力で、この大イベントを難なく、こなしているのだろうなあ。
僕は、彼らに敬意を表して、日本のストローブ=ユイレと呼んでおります。

で、来週末の12月5日の夕方には、満を持して、
精力的に現代音楽の日本初演をなさっている、ピアニストの井上郷子さんが登場し、
メシアンやシュトックハウゼン、ヴァレーズ、フェラーリを弾くそうで。
僕は、以前、二回だけコンサートを拝聴したことがあるのですが、
ルーマニアを代表する女性作曲家の作品を、実に優美で精緻に、
クリスチャン・ウォルフの前衛作品を、明晰かつ躍動的に演奏され、
その表現領域の広さ、深さに感服いたしました。

いやあ、5日、行きたい!
行きたいけど、行けない。
京都だから。
ということだけでなく、翌日の午後に、小金井市公民館での、
8ミリ・シンポジウムに参加することになってるのです。
ん〜、重なっちゃうものですなあ。
関西圏のみなさま、ぜひ、足をお運びください。
ちなみに、「アワー・ミュージック」 のプログラムは、
スタジオ・マラパルテのHPで、ご覧いただけます。




2009年11月26日


先週から、連休もなく追われていた、いつもの構成仕事が、何とか終わりました。
今回は、ホッローケーというハンガリーの、人口36人の小さな農村について。
なんと牧歌的な、と思われるかもしれませんが、そんな題材とは裏腹に、実に憂鬱な仕事でして。
先日も、先月関わった回が放映されたのですが、オン・エアを観て、愕然。
なんとも、無残な仕上がりだったなあ。
スタッフは各自、各所で真っ当な仕事を心がけているはずなのですが、
局の方針というやつが、番組を歪めていくわけです。
どんな業界にもあることでしょうが、ストレス溜まるわー。
生活は、苦しくなるのだけれど、
もう、いい加減、潮時かなと、思ったりしています。

で、こんな時だからこそと、渦中を抜け出して、舞台を二つ観ました。
素晴らしかった!
一つは、黒田育世&BATIKの 「花は流れて時は固まる」。
五年前、初演を新宿パークタワーで観たときも、十分すぎるほど圧倒的だったのですが、
この再演は、言葉を失うとは、まさにこのことだと見せつける、凄まじさ。
あの痛々しさ、彼女たちの加速と暴走の過激さは、いったい何なのでしょう!
高所から落ち続けるクライマックスを、来ることが、もう分かっていても驚愕してしまうほど、
前半が、ハイテンションに、エスカレートしていて。
いや、既に知っているからこそ、本気で、この疾走のまま、
あの最後の大技までいくつもりなのか?
身体はもつのか? と、
ハラハラドキドキ、そして昇天!!
ああ、凄いものを見せていただきました。

一方、アゴラでの、パスカル・ランベールの演劇は、静かな一人語り。
だからこそ、演技者の存在感が、何もかも全てなのだという、厳しいスタイルで。
その点、ファスビンダーやアサイヤス、ガレルの作品にも出演している、ルー・カステルは、適役で。
実に、しみじみと、情けなく疲れ、ときに深淵に、
「演劇という芸術」を語り、演じたのでありました。
共演の小犬も、いい味出してたしね。




2009年11月12日


「最近、飲んだくれてるそうですね」
と、ある人に、顔を見るなり、言われましたが、
全く、その通りでして。
先週だけで、朝帰りが三回、
それ以外の日も、きちんと毎日、飲み続けており、
まあ、体には、あんまり良くない生活を送っています。

でも、酒と睡眠の間に、いろいろ映画を観てまして、
その中には、ライアン・ラーキンのアニメーションや、
年明けに特集される、ジャック・ロジェの 『オルエットの方へ』 や、
葛生くんが差し入れてくれた、スコリモフスキーの 『キング、クイーン、そしてジャック』 など、
珠玉の作品も含まれていて、幸せこの上なし。
体調の不調なんて、全然気にならないのであります。

とりわけ、酩酊を加速させるのは、先週末から始まった、カネフスキー特集。
長年、もう一度観たくて、この日を待ち焦がれていた、『一人で生きる』。
ああ、『一人で生きる』 !
映画が始まった途端に、マジで泣き出しそうになってしまい、
「こんなに俺、この映画観たかったんだあ…」と、そのことに勝手に感動してしまうほどでして、
いやはや、いい歳して、キモいですよね。

で、でも、カムチャッカ行きの船上から、悲愴なまなざしを向ける、
少女ワーリャの、アップ・ショットの凄まじさ、素晴らしさ!!
改めて思いましたが、これに匹敵する表情は、古今東西映画史上、
成瀬の 『乱れる』 の、高峰秀子のラスト・カットぐらいしか、ないのではないでしょうか。
先日、トーチカ・トークでお会いした、廣瀬純さんの言葉を借りれば、
映ってる人々が、みな、デカイうんこをしてそうなぐらい、圧倒的!
って、これ、最上級の讃辞だということは、今後の廣瀬さんの批評をチェックしてもらうと、分かるかも。

と、まあ、酔いどれ人生、漂っておりますが、その流れで、
今週末からバウスで始まる、山岡君の 『ロスト・ガール』 の再映にも、御呼ばれしてしまいました。
恥をさらして懲りもせず、恐縮です。
みなさま、僕のトークじゃない日に、ぜひ、お足をお運び下さい。




2009年11月04日


偶然、ばったり人と出くわすこと、ありますよね。
あれって、ほんとに、偶然なのかな。

先日も、映画館を出ようとしたところで、なぜか、トイレ行っとこかなと思い、
引き返したら、これ以上ないタイミングで、知人と鉢合わせ。
その数日前にも、駅前で似たようなことがあったのですが、
それも、その前に、なぜか反対方向に歩いて行ってしまった、時間のロスがあったから起きたこと。
割と頻度高く、そういうことが起きるのですが、
あれは、偶然のようで、無意識の予知がそうさせてるのでは、と思ったりしてしまいます。

というわけで、ということとは関係なく、
只今、トーク週間真っ最中でして。
相変わらず、人と話すことは、うまくはならず、
恥をさらして、照れ隠しで、うそぶいて。
ゲストの方に、申し訳なく、
観客の方々には、もっと申し訳なく、
ああ、俺のトークって、映画の余韻をぶち壊しているだけかなあと、
酒浸りの日々でございます。




2009年10月26日


昨日の日記のはしゃぎっぷりに、読み返して、赤面。
これじゃ、小学生以下ですな。 白痴。 お恥ずかしい。
実際、昨春のコスタとの対話に比べると、
僕自身は、準備不足による、消化不良。
一夜明けて、猛烈に反省。
ただただ、スコリモフスキーの光背を間近で拝んだという次第です。
詳細は、近々、INTROというWEBサイトにUPされると思います。
みなさま、お手柔らかに。

最近、友人知人の講演、トークショーが重なり、
ちょうど一昨日も、『アンナと過ごした4日間』 を再見しがてら、
映画道の敬愛する先達・山本均氏と、中原昌也氏の対談を拝聴しました。
中原さんは同世代ですが、山本さんは10以上上だということもあり、
70年代初頭まで射程に入る、圧倒的な映画体験に裏打ちされた、スコリモフスキー伝来物語は、
温かみに溢れ、改めて尊敬。
なにせ、『早春』 をリアルタイムで (しかも二番館まで待って) 観てる人ですから。

二週間ほど前には、アテネで 「アナクロニズムの会」 の第二、三回もあり、
桑野さんと木全さんが、それぞれ、ドン・シーゲルと佐分利信について、
該博な知識をもとに分析を披露されました。
実に、勉強になりました。
僕もここ数年、人前で話さねばならない機会が増えてしまって、
毎度毎度、自分の至らなさに、家に帰ってから、自己嫌悪&自己喪失するのですが、
ホントに秀でた方の話を聞くと、ああああと言葉を失い、打ちのめされますね。
前後して、こないだ、高橋源一郎さんと川上弘美さんの公開講座へ、
明治学院大学の横浜キャンパスまで足を運んだのですが、
やはり文学者は、何気ない会話の中でも、さりげなく使う言葉の、的確さ、詩性が、まるで違う。
四十年も生きてきて、今や小学生以下の日記しか書けない者としては、まいりっ放しです。

先日、若きアニメーションの俊英・大山慶さんの上映会を観に行きまして。
大山さんの才気溢れる作品群に、ただならぬものを感じ、しばし想像界へ飛翔できたのですが、
上映後の、山村浩二さんとのトークも、聞き応えがあった!
教え子である大山さんへの、山村さんのコメントが実に真摯で。
僕は、山村さんの作品はとても好きで、その偉業ぶりに敬意を感じていたのですが、
初めて、生でお話を聞いて、
ああ、こういう論理的で実直な方だから、成し遂げられた仕事なのだなあと感じ入りました。
今週30(金)の 『眠り姫』 上映後トークには、山村さんをお招きして、
直にお話しさせてもらうので、楽しみであり、緊張です。

と、長くなりましたが、もう一つ告知を。
明後日29(木)21:00から、今年の夏を潰して書いた、コルビュジエの2時間番組が放映されます。
タイトルは、『20世紀建築の革命児』。
BS-TBSなので、もし見れたら、見てね。
ちなみに、僕は見れません。
トホホ。




2009年10月25日


昨日は、『眠り姫』 再映の初日でしたが、
夜には雨が降り出すし、まあ再映も6回目だし、
ひょっとして観客 0人な〜んてこともあったりして…と、
超弱気で劇場に顔出したのですが、あにはからんや、席数半分以上を埋める快挙!
スタッフ一同大喜び、支配人ニコニコ顔で、僕も調子に乗って、予定外の挨拶なんかしちゃったりして。

こりゃもう飲むしかないでしょーと、祝杯をあげていたら、びっくら仰天の連絡アリ。
映画ライターのわたなべりんたろうさんから、「明日、スコリモフスキーのインタビュー行きませんか?」
えー!! マジすか? 行きます行きます是非とももちろん!

というわけで、今日、会ってきました、イエジー・スコリモフスキー。
ああ、こんな幸せ、味わっちゃっていいのでしょうか、光栄の至り。
目の前に、あの伝説の映画監督がいて、話をしていると思うだけで舞い上がり、
超緊張で、何言っていいやらわからん状態。
僕自身は、大した質問はできなかったのですが、わたなべさんが、さすがのグッド・ジョブで、
スコリモフスキー監督も、終始上機嫌。
いやあ、生きてれば、こんないい日もあるもんだねえと、
六本木ヒルズをあとにしたのでした。




2009年10月20日


祖母の老衰が始まったようで……。
厄年ともなると、いろいろあるなあと思います。

相変わらずバタバタが続き、日記を更新できぬまま、すっかり十月も下旬ですが、
今週末から、『眠り姫』、ついに6度目のアンコール上映が始まります。
いやあ、よくぞここまで。
みなさま、本当にありがとうございます。
ユーロで公開してから、もう丸二年が経つのですねえ。
ああ、感慨深い。

という、ある原稿を頼まれて書いてるのですが、
大幅に締め切りを過ぎてしまって、すいません。
もう少し、お待ちください。
以上、業務連絡でした。




2009年09月27日


体力の減退に、愕然。
久しぶりに、週末、シャバを出歩いていたら、もう、へとへとです。
やばい。 歳かなあ。

今日は、昼から代官山で、サンガツのライブ。
ドラム・カルテットが打ち鳴らす、荘厳な音の洪水に、ああ、ああああと感じ入り、
圧倒的な至福に酔いしれました。
そのあと歩いて、目黒まで。
庭園美術館で、「ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし」展に、
うう、ううううと畏れ入りながら、新宿へ移動したところで、グロッキー。
鎮西さんのピンクをもう一度、劇場で観るつもりだったのですが、喫茶店で爆睡。
その後の飲み会にも合流できずに、帰ってきてしまいました。
ごめんなさい。

それにしても、庭美の展示は、実に刺激的で、
僕は、刺繍のことなど、あまり知らないのですが、人の表現欲とは、ホントとめどないものですね。
手作業が醸しだす、妖気漂う作品群。
それに見入るアート系女子たちの、素敵さ可憐さにも、見惚れてしまったのですが。

昨日は、アテネで、「アナクロニズムの会」 第一回がありまして。
吉田さんが、アルドリッチの現代性について講演されたのですが、その中で評された、
「終わってしまったことへの、郷愁がもたらす悲劇」という言葉の含蓄に、いたく感銘。
さらに質疑応答では、聡明な女性の鋭い指摘と、フォローする千浦氏のヒューマンに感動しながら、
水道橋の坂を駆け下りて、渋谷タワレコへ。

柴田元幸×新元良一のトークイベントへ馳せ参じたら、
会場でばったり、当の柴田先生と。
「いや、そんな、来てもらうほどのことではありませんよ」と、ニコニコしながら、
その手には、ギターを握っておられるじゃあーりませんか!
いやあ、驚いた。
柴田元幸のビートルズの弾き語りが、聞けるなんて!!
しかも、堂に入った、弾きっぷり!!!
nowhere man, your mother should know, here comes the sun……
その造詣の深さは、文学性からフレーズ解説にまでおよび、
ジョージがパクッた、ロネッツやバーズの元曲を爪弾き、弾き比べる、まさに弾き語り。
いやあ、多才博識なんて程度じゃありません。
つくづく、すごい方だと、感激しました。




2009年09月21日


やっと自由な時間ができるかと思いきや、
その後も、何かと不自由が多く、日々、摩耗しております。

早く、ここに記さねばと思ううちに、すでに、始まってしまいました。
鎮西尚一監督の、13年ぶりの新作映画 『熟女 淫らに乱れて』。
たぶん、新宿国際です。

僕は、先月末に初号試写で拝見したのですが、
いやあ、もう、吹き出しそうになるのを、堪えるのに必死でした。
とにかく、あの比類なき鎮西節が、十年以上経っても健在なことが、嬉しくて、嬉しくて。

もう20年以上前のことになりますが、
二十歳を過ぎたばかりの僕は、当時まだ30歳そこそこだった鎮西さんの、
素っ頓狂かつ爽やかな魅力に惹かれて、助監督を始めてしまい、今に至るわけであります。

この運命のハードボイルドというか、人生の可笑しさと哀しみに彩られたバラードを、
一気に笑い飛ばすに、十分な傑作であります。
みなさま、必見です!




2009年09月09日


やっと、終わりました。
コルビュジエの、2時間番組の、構成。
昨夜、収録を終え、これで、少し、自由になります。

気づけば、もう、秋口なのですね。
確か去年の夏も、スペシャル編の原稿書きで、缶詰めにされてたから、
これで、2年連続、夏を喪失したわけだ。
はあ……。

というか、まあ、夏はともかく、こうして人生を流してしまうことに、
それでいいのだろうかと、痛切に感じる、執筆期間でありました。
コルビュジエのように、連戦連敗を不屈の精神で乗り越えて、
映画に挑み続けなければならないのではないか?
食い扶ちのためとはいえ、横道にそれてしまっている現状を、改めねばと思うのであります。

頑張りますよ、これから。
少しずつ、ですが。




2009年08月06日


苦しい夏です。
カラッとしない天候のように、すっきりしない状態のまま、
過酷な原稿仕事に、拘束され続けている日々。
あ、でも、久しぶりにテーマは面白いんですけどね。
今は、近代建築について。
ル・コルビュジエの、二時間番組を書いてます。

思えば、夏前までは、アフリカの自然や野生動物とばかり、格闘してまして。
その頃に書いた、映画評が、今、発売中の映芸に掲載されています。
表紙がアニメ作品であることが、物議をかもしているようですね。
アニメの傑作を論ずることに、何の疾しいことはないはずですから、
問題は、売れりゃあいいってもんじゃないが、売れてくれたら嬉しいという、
現実、実情なのかな。
まあ、それは、自主映画が抱えている問題にも抵触してくるわけで、
そういう座談会が、奇しくも本誌に掲載されているのは、因果なことです。

偶然ですが、昨年末に参加した、これまた、映画のオルタナティブをめぐる座談会。
それを掲載した、「ecce」 という、新刊の批評誌が、今、本屋に並んでいるはずです。
メンツも、井土が重なってまして、こちらの方が、先に行われたことなので、
僕としては、言いたいことを、一生懸命、話したかな。
どちらも、手に取っていただければ、ありがたいです。
大事なことは、いかに、Soulを失わず、Fairであり続けられるか。
それに尽きると、僕は思ってます。

あ、全く、話は飛びますが、こないだ、
イーストウッドの 『愛のそよ風』 を観ました。
仕事を抜け出してまで行ったのは、どうしてもスクリーンで観ておきたかったのと、
田舎に戻った、大学時代の先輩が、上京してまで観に来ていてから。
映画が終わってから、久しぶりに飲んだのですが、楽しかったなあ。
傑作に高揚して、酒に酔う喜びを覚えて、もう二十年も経つのか。
二十年間、生活もたいして変わらず、歳だけとったことに、
反省した方がいいのか、開き直ればいいのか。
まあ、どっちでもいいやと、千鳥足で帰りました。




2009年07月27日


昨日の 『ホッテン』 ライブ上映にお越しいただいたみなさま、
本当に、ありがとうございました。

怒涛の当日から、一夜明けて。
二日酔いの頭で朦朧としながら、終わった淋しさを一人、ほろほろと噛みしめておりました。

まあ、何であれ、そうなんですが、
その日に向かって、頑張って、やり遂げると、終わってしまうのですよね。
振り返れば、あっという間。
人生は、その繰り返しなんだなと。

それにしても、完成から数年経つのに、間は空いても、こうして繰り返し上映できて、
その度に、多くのお客さんに恵まれるとは、つくづく幸せな作品だなあと思います。
今回、会場で声をかけていただいた方で、
アキバでの初演から観続けて下さって、これで五度目だと仰る方がいました。
いやあ、本当に嬉しかった!

さまざまな苦難を乗り越え、形作った結晶を、
その価値を感じ取って、大切に受け止めてくれる人が、どこかにいる限り、生きていけるかもしれない。
大袈裟ですが、そんなふうに思ったのでありました。





2009年07月25日


高校の先輩が、自著の出版イベントをするというので、秋葉原へ。
思えば、『ホッテントット』 を生演奏でお披露目したのは、できたばかりのUDXだったわけで。
三年ぶりにライブ上映する前日に、これも何かの巡り合わせだろうと、行ってきました、土曜のアキバ。

いやあ、濃い!
よく、この街で、僕みたいな古くさい人間が、作品を上映できたもんだなあ、と。
ある種、『ホッテン』 も、メイドとかアニオタとか、そういうアキバ的な色で、当時は見られていたのかあ? と、
今更ながら、思ったりして。 (そんなわけ、ないか)

濃厚なアキバの空気に、胸焼けしそうな気分を中和するため、
帰りに、羽仁進の 『不良少年』 を観ました。

逆上という言葉はあれど、逆ギレなんて稚拙な行為は、誰も認めてなかった時代、
不良ではあっても、真っ当な人間が、ここには映っているなあと、ある意味、ホッとしました。






2009年07月20日


いよいよ、です。
「ホッテントット」のライブ上映まで、あと一週間。
先週は、リハーサルもあり、三年ぶりの再演に向けて、
否が応でも、気持ちは高ぶります。

再演とはいえ、コヤも違うし、同じことはやりません。
前回のアキバは、200席以上のホールでしたから、
どちらかと言えば、即興楽団のコンサート風だったのですが、
今回はアップリンクですし、まさに、ライブハウスでの、インプロビゼーション!
変則四人編成で、ここまでやるかあ〜という、濃厚な音響を披露いたします。

で、チラッと、雰囲気をお伝えしますと――、
今までは、足踏みオルガンだった侘美氏のパートは、
エレクトリックに、チューンナップされた、ピアニカ、に。
美しいグランド・ハープのメロディは、コンピュータが解体・再構築。
衝撃的に、感動的な音像で再生されます。
これに絡むが、僕の親友でニューオリンズに行ってしまった、クラリネット吹き。
今回は、彼が、一時帰国したので実現した、企画なのです。

そして密かに、すごーく期待しているのが、パーカッションの宿谷氏が操る、秘密兵器、シンギングボウル!
(提供して下さった、サンガツ、サンクス!!)
ネパールやチベット仏教で奏でる、高周波の共鳴音を出す、金属のお椀なのですが、
これがもう、一度聴いたら病みつきになるほど、ナチュラル・トランスなのです。

さあて、さてさて、最初で最後の、言わば、「ホッテントット2009」。
乞う、ご期待!!!




2009年07月11日


気が重い状況の中で、仕事も重なり、うーうーウツな日々。
気がつけば、『ホッテン』ライブ上映まで、あと2週間しかない!
気を持ち直して、ここらで、内気な自分にムチ打ち、告知しまくっております。

自主宣伝配給って、大変だよなあと、今更ながら痛感。
そんな、まさに、渦中の折に、次号の映芸の、自主映画事情をめぐる座談会に参加し、
ああ、みなさん、同じ苦労と矛盾を抱えてるのねと、感じ入ったわけです。
大きな状況に対して、僕なんかは全く無力で、たいした発言はできなかったけれど、
でも、目の前の一つ一つを精いっぱい、誠意を込めて、やり抜いていくしかないわけで。
その先に、奇跡が起きたらいいね、と。

で、慌ただしい日々を、うんにゃと押して、
見聞きしに行った、いくつかの奇跡的な作品について。

まずは、矢内原美邦の『五人姉妹』。
圧倒的なスピードで繰り出される、言葉と振る舞いの応酬を、踊り切った、役者(ダンサー?)陣に、もう感服。
すごいよ!君たち!ブラボー!です。
暗転しながらの、最後の、普通のスピードで発せられた一言が、
あんなに、ゆるやかに、際立ち、耳に残るなんて。
その一言のために、この全ての舞台はあったのでは、と思えるほど、
速度に、感動させられたのは、初めての体験でした。

対して、この遅さはなんだ! と深い感銘に陥れられたのは、
音楽の複数次元2009という、足立智美氏主催シリーズの、コーネリアス・カーデューの「大学」。
儒教の「大学」の、エズラ・パウンドの英訳のうち、
たったの三行を、二時間近くもかけて、
約40名の混声が、そろりそろりとうごめきながら、合唱するのです。
前回の、クリスチャン・ウォルフのときは、即興音楽こそ芸の技量がものを言うと思い知らされたのですが、
今回は、いや、もうこれは、肉声の響きそのものに、どこまで純化できるかの、果てでしょう!
恐るべき。





2009年06月17日


なんだかなあ、と。

腹が立つを通り越して、もう、がっかりしてしまうことが、あり。
かなり、鬱です。

本当は、何もかもやめてしまい、どこかへ行ってしまいたい気分なのですが。
そうなると逆に、無理して、気丈にがんばってしまう性質でして。
ポッキリ折れてしまう方が、楽なんだろなと、いつも思います。

それにしても、大変、困った事態なのです。
まだ渦中にあるので、はっきりとは書けませんが、
それでも、つい、こんな弱音を吐いてしまうほど、心中かきむしられております。

だが、やらねばならぬことは、山積み。
その大きな一つが、すでに告知を始めつつありますが、
来月の7月26(日)、『ホッテントット』を、なんと3年ぶりに、生演奏上映します!
(詳しくは、『ホッテン』 の HP の info をご覧ください)

ああ、これのことを考えると、楽しみで気が晴れます。
がんばるぞー!!




2009年05月21日


いまさら何ですが、この日記のようなものも、
付け始めて、早七年目なのですね。
ありゃ、びっくり。

じゃあ、今まで何を書いてきたのかと、思い起こしてみれば、
あれをした何を観た、ってな報告と、
今度これやります的な、宣伝の類が、主な内容。
ん〜、なんとなく空しい、ですな。

と、書き始めてみたものも、とりたてて change ! もせずに進めますが、
昨日一昨日と連続で、原稿書きをサボって、二本のドキュメンタリー映画の試写に行ってまいりました。

ひとつめは、松江君の新作、『あんにょん由美香』。
問題作なのに、楽しく見れる、このテイストは、松江君独特なものだなあ、と。
由美香さんから、「まだまだね」と言われたのは、本編中盤で、平野勝之が、ボソッと凄む一言に、
全て帰結するのではないかな、と。
それすらも、展開のひとコマにできてしまう、自虐性というか、娯楽性が、彼の作家性なのだろう、と。
まあ、思ったわけです。
それにしても、由美香さんは、現場や飲みで一緒になったこともある人なので、
多くの方々と同じく、改めて見る彼女の表情に、つい、しみじみしてしまいました。

そして、これまた、ポレポレ東中野で公開される、『台湾人生』。
こちらも、古い知り合いの、しかも初作品でして。
もう何年も前から、台湾の日本語が話せる世代、つまり、戦争前の大日本帝国下で教育を受けた、おじいさんおばあさんを取材されているというのは、聞いていたのですが、
実に力作、立派な仕事を成し遂げていまして。
最近、食い扶ち稼ぎにかまけているだけの身としては、襟元を正されるというか、
この社会の有り様にまで、考えを促されたのであります。

やはり、
Soul と 知性が、足りないのだ、と。




2009年05月11日


気がつけば、五月も半ば。
連休もなく、構成原稿の締め切りに追われ、
合間の時間に、酒を飲み、憂さ晴らし、
このまま、夏まで行くような気がします。

ちゅうことは、秋にもなるし、冬も来る。
あっという間に、2009年よ、さらば! です。

まずいまずい。
まずいことは分かっているのだが、働かないと生きていけない境遇、
仕事のあるありがたさに、まず感謝しなければ、と思いもする。
しかし、どんどん映画、作品の創作から遠ざかる方へ、背中を押されているままに歩いていて、
あんた、それでいいのかい? と引っ切り無しに、心の声が響きます。

響いてないときは、つまり、
締め切りがそれどこでなく、焦りまくってる、というわけなんですがね。




2009年04月22日


快快・篠田さんの、「アントン、猫、クリ」を、アゴラで観劇。

見事な、断絶。
二人の演者のリズムが、絶妙に合えば合うほどに、
人と人は、個と個で、孤独だと痛切に感じる、痛快作!でした。
観ながら、新国誠一の具体詩を思い起こしたりしたからか、
篠田さんの表現って、“演劇詩”とでも呼びたいなあ、などと思ったりして。

が、惜しむらくは、というか願わくば、
あの先の、跳躍というか、カタストロフまで、連れて行って欲しかった。
昨年観た 「ジンジャー」のとき、
生きていくことは、瞬間が死んでいくことの連続なんだ! と興奮させてくれたように。

でも、きっと、回を重ねるごとに、彼女の舞台は進化していくのだろうから、
この後の上演が、もの凄いことになるんだろうなあ。
くそー!




2009年04月20日


いつの間にか、四月も下旬。
もうすでに、今年も、三分の一が過ぎようとしているのですね。
ああ、なんてことだ。

最近は、構成の原稿書きが、途切れなく続いていまして。
仕事があることはありがたいのですが、常に、生活と脳内の大半が、
“言葉の労働” (言ってしまった!)に占拠されていて、ストレス過多。
そんな日々をやり過ごすには、スキマ時間に、鑑賞観劇。
ああ、それだけで、光陰矢のごとし。
じりじりと、死へ近づいていくのだなあと。

先日、アゴラで始まった企画公演 「キレなかった14才りたんーんず」で、
昨年 「リズム3兄妹」が素晴らしかった神里氏の、「グアラニー〜時間がいっぱい」に、感傷。
ノスタルジーとハイテンションを織り交ぜる、独特のグルーブ感に酔いしれました。
ほとばしる才気に、心地よい気持ちで仕事に直行。
すぐにまた、脳内掻き毟られ、ささくれ立った心を鎮めるため、フィルムセンターへ。

『無法松の一生』。
ああ、阪妻。
阪妻、阪妻、阪妻!
人のふるまい、まなざしが、こんなに感情を揺さぶり、心を包み込むものなのかと。
偉大な映画が、ちまたに、普通に、人の目に触れていた時代へ憧憬。
そして、昨今の白痴状況を憂い、憤るのであります。




2009年04月02日


『眠り姫』、始まりました。
東京再映、なんと、五度目!
それなのに、多くの方が足を運んで下さって。
昨夜は、なんと、立ち見!!
アンビリーバブー!!!
というか、春の雨嵐のなか来て下さったみなさん、本当にありがとうございました。

そして今回もう一つ、とても嬉しいのは、大阪で再映できたこと。
しかも、七藝で昨年すでにレイトショーしてる作品を、
ロードショーで再映してくれたシネヌーヴォの、勇気と熱意に、感謝感激です。

個人的には、思い出もありまして。
ちょうど昨年の今頃、僕は広島で、ペドロ・コスタと対話し、
『ヴァンダの部屋』と、『眠り姫』を、同時上映するという、生涯忘れないだろう一夜があったのですが、
その前日に、コスタがトークショーをした映画館がシネ・ヌーヴォであり、
上映期間中だった『ヴァンダ』のフィルムを、夜中だけ貸し出してくれた寛大さが、
その名を心に刻んでいたのです。
実は、今回の大阪再映も、あの一夜を企画してくれたマラパルテの超人夫婦が(僕はひそかに、日本のストローブ=ユイレと呼んでいます)働きかけてくれた。
この場を借りて、心からの謝意を申します。

で、東京の話に戻りますが、みなさま。
突然ですが、本日の上映後に、映画作家の高橋洋さんが、御登壇してくださることが、急遽決まりました。
てなことで、今夜いらしていただくと、そんなサプライズ・イベントもございます。
よろしくです。

で、どうしても書き留めておきたいので、近況も書きます。
昨日まで、この2週間、いつもの構成原稿仕事が二本同時進行で、
マサイ族と野生動物、アボリジニと6億年前の巨石に、すっかり心も体も時空間も奪われていて。
実際、もう無理、物理的に間に合わなーい!
んじゃないかという驚愕スケジュールに、追い詰められていたのですが、
そんな渦中にあっても、これだけはどうしても見逃せないと思い、
行ってきました、世田谷パブリックシアター。
「another BATIK〜バビロンの丘へ行く」
笠井叡の振付で、黒田育世がボレロを踊る……
浮ついた言葉で評したくないので、こうして書きながらも混乱してしまうのですが、
瞬きもできぬくらい、釘付けになった約1時間半、
舞台上で倒れた黒田に、少女たちの巨大な影が、踏みつぶさんばかりに迫った幕切れまで、
観終わって、思いました。
ああ、本当に素晴らしいものって、この世にあるんだなあ、と。

心の底から感動しながら、
満員電車に揺られ、帰ったのでありました。




2009年03月17日


忙しない日々。
ただ逃げ去るだけの時を、ぐっと引きとめてくれるような、
映画や芝居を、ぽつぽつ観ました。

まず、渡辺護監督・大和屋竺脚本の、『㊙湯の町 夜のひとで』。
再見でしたが、以前観た10年前には、大和屋さんの脚本ばかりに気がいって、
こんなに演出が素晴らしいとは、気づかなかったなあ。
温泉町へ流れ着いた、ピンク写真が生業の、男女の悲哀が実に際立ち、良いのです。

それから、束芋さんのご紹介で観た、京都の劇団ワンダリング・パーティの「饒舌な秘密」。
まるで神仏への祈祷のように、語られ始まる、その物語が、
ホリエモン事件と、ロスジェネ世代の鎮魂歌だったと分かる下りからは、圧巻。
失礼ながら、まったく存じ上げない劇団だったのですが、作・演あごうさとし、恐るべし、です。

で、タイの恐るべき子供、アピチャッポンの『世紀の光』。
繰り返されるシチュエーションと、輪廻を感じさせる、妙な長まわし。
やっぱ、この人、ヘンだよなあ。

『世紀の光』を観た晩に、花摘み会飲み会で一夜を過ごし、
ちょうど、WBCの中継が始まるころ、まだ暗い町を歩いて帰りました。

見上げると、だんだん色づいていく空。
ああ、久しぶりだなあ。
夜明けの光。
上っていく朝日を、しばし眺めました。





2009年03月13日


5日と10日の日記に書いたこと。
意外なほど、反応ありまして。
何より驚いたのは、この日記って、けっこう読まれてるんだなあと。
いやはや。
みなさんにご心配かけない程度に、ぼちぼち、やっていきます。
どうも、お騒がせしました。

それにしても、人のふり見て我がふり直せ、と申しますが、
自分の10年、20年後が、どういう生き方、人生になっているかを、
痛切に感じ、考える、出来事では、ありました。
まあ、そこまで長生きしないかも、しれないけど、ね。

食うために、働く。
それは、僕のような庶民の出にとっては、逃れられない問題でして。
ここ数年は、自主製作をしたために、すっかり傾いてしまった生活を、
立て直すべく、あくせく、構成原稿仕事に、精を出しているわけです。

明後日15にも、先月書いた、イタリアの港町ジェノヴァの回が、放映されます。
16世紀から17世紀にかけて、資本主義という怪物が、生み出された時代に、
金融という名の錬金術を編み出した、貴族たちの豪邸――パラッツォ。
400年前に築いた財産を管理するだけで、今も悠々自適の生活を送る現役貴族が、
インタビューに、ちょこっと登場するのですが、
書いていて、複雑な気持ちになってしまいました。
あ〜あ。

いかん、いかん。
食うために働きながらも、人生をかけて、作品を創らねば。
と、自分に言い聞かせながらも、今月も、
アフリカと、オーストラリアの、ある世界遺産の勉強に、忙殺されているのです。
ん〜。
しかし、今年こそ、やるぞ!




2009年03月10日


いつものように飲み明かしているうち、数日が経ってしまいました。
これは、5日の日記の続きです。
と言っても、ここから読んでも、別にかまいません。
いずれにせよ、もう、過去のことです。

今回、大阪に滞在したのは、審査員として参加した映画祭のためだったのですが。
僕の担った仕事――企画審査は、すでに半年前の夏に終わっていまして。
というのも、この映画祭の特徴は、
自主映画の企画を公募して、選んで、助成し、作らせるところにありまして。
その出来上がった映画を、また別の審査員が評価する、というコンペなのです。

てなわけで、僕の立場は、言ってみれば、
我が子らの入試の、結果発表に付き添う親みたいなもので。
審査される側ではないものの、
それなりにドキドキわくわく、結果を待っていたわけです。

で、最終日。
結果をいち早く知らされたとき、
僕の本命だった作品が、大賞を取ったのは、順当でしたが、
対抗だと思っていた作品に、部門賞の一つも与えられなかったのが、
ちと、解せないなと、思っておりました。

その受賞発表の時、ちょっとしたハプニングがありました。
審査員を代表し、講評する、某映画監督が、
べろんべろんに酔っ払って、壇上に登ったのです。
足元フラフラでの、歯に衣着せぬ、独演。
予定を20分近くオーバーする、ワンマンショーに、顔をしかめる人もいましたが、
僕は、まあそれも、分からんでもないなと思いました。
そもそも、審査という行為自体、おこがましいこと。
若者たちの苦労の作に、優劣を付けねばならないことに、ナイーブであれば、
酩酊状態にでもならなきゃ、結果発表なんてできないでしょう。

でも、それでもあくまで、厳正なる態度で臨まなければ、
ならなかったかもしれない。
十人十色。
みながみな、講評を真摯に受け止めるとは限らないのだから、
スキを見せれば、いらぬ誤解や詮索を呼んでしまうものです。
独断と偏見なんじゃないか、
テキトーなこと言ってるだけじゃないか、と。

彼の発言の中で、僕がハッとしたのは、繰り返し、強調していた、
「人の死を、映画にすることを、軽々しくしないで下さい」
という言葉でした。
それは、大賞を取った作品に向け、苦言しているようで、
実は、そうではないような、気がしたのです。

該当する映画は、世間にあふれている。
最近、ちまたでヒットする、数々の泣かせる映画もそうでしょうし、
例えば、前日この会場で上映された、醜悪極まりない実演映画なんて、
その最たるものでした。
あの場に、彼はいなかったけれど、
飲みの席で、京都の友人が憤って、さんざん吹き込んだだろうから、
それが、どんなに卑しいものだったかは、十分知っていたはず。
もしや、そのことを念頭に、しゃべっているのでは?
そんな風に、意味深に思って聞いていました。

ところが、全く、分かっていなかったのは、
非難された、当の本人だったようで……

授賞式後の打ち上げの席。
僕は、一番後ろの壁ぎわで、賞を逃した無冠の才能と、
しみじみ、ちびちび、酒を酌み交わしておりました。
正面舞台では、引き続き、酔いどれ監督が、場を盛り上げていました。
と、どういう経緯か知りませんが、気づいたら、
あの、親の亡骸を見世物に、投げ銭をせびった破廉恥野郎が、
マイクを取って、演説を始めていたのです。

おおかた、泥酔してなお、弁舌流暢な某監督の独壇場に、
うずうずして、俺にも言わせろ的に、調子に乗ったのでしょう。
グランプリ受賞作家を、前に立たせて、延々と、
愚にもつかない感想を、エラそうに、のたまい出しました。

それは、聞くに堪えない、暴言のオンパレードでした。
あまりの酷さの一例を挙げると、
「君の映画は、分かりにくいね。亡くなった女の子の親族が、兄なのか、父なのか、はっきりしないとね」

親族役を演じた男優は、せいぜい40歳手前にしか見えず、
亡くなった役の女優も、20代半ば〜30歳。
誰が見ても、父親であろうはずがなく、(実際、兄妹だと、台詞でも分かります)
それが分からなかったのは、おそらく世界で、野郎ただ一人でしょう。

そして、兄か父かの区別なんて、そんな瑣末なことで、
作品が問うていることが、〈分かりやすくなる〉 はずもありません。
野郎は、いったい、映画の何を観ていたのでしょう?
ただ、相変わらず、ビデオとフィルムの違いがなんだ、フリッカーがどうしたと、
バカの一つ覚えのような、恥ずかしい屁理屈しか言えない。

しかも、そいつは、今回のコンペの、審査に関わったわけではありません。
ただ、映画祭に参加したゲストに過ぎない。
それなのに、受賞作家を立たせて、ナンクセを言うということは、
審査や、賞に、もっと言えば、CO2という映画祭に、
ケチをつけているに等しいのではないのか。

百歩譲って、たかが自主映画の、たかが賞とはいえ、
選ばれた者がいれば、選ばれなかった者もいるのです。
そこには、悲喜こもごもがある。
それを思えばこそ、僕らは、一生懸命に作品を観て、企画を読み、選んだわけだし、
賞を決めることにナーヴァスになり、酔っ払ってもしまうのです。

そういう重みの全くない、たわ言。
それが、五分やそこらで済むならまだしも、十分、二十分と終わる気配すらない。
前に立たされた大賞作家は、引っ込むわけにもいかず、困ってしまっているし、
隣にいる無冠の作家は、複雑な表情で、うつむいている。

運が悪いことに、映画祭のディレクターをはじめ、スタッフらは、
会場の後片付けで、まだ到着前でした。
いいかげん、誰か、あいつを黙らせろ!
そう思った時には、僕は、前へ、進み出ていました。
まあ、酒も入ってましたし。

マイクを奪い取り、「もう、いい加減やめましょう」と、睨んだ。
ところが、ああいう輩には、他者の真剣は伝わらないのですね。
さえぎられた話を、なおも続けようとする。
それで、僕は、こぶしを振り上げた……に到らなかったのは、なぜか。

野郎の背後にいる、酔っ払った某監督が目に入ったからです。
その目は、意外と、クールなものでした。
こいつは泥酔しているようで、案外、何もかも見えているのかもしれないな。
そう思ったら、一気に冷めた。
で、無言のまま、野郎を睨んで、元の席へ下がりました。

その後、某監督から、釈明を求められ、もう一度、前に出て、
精一杯の敬意を野郎に払いながら、ここに書いた通りのことを話した。
席に戻るとき、
某監督とすれ違いざま、一瞬、なぜか、抱擁された。

それで、終わりのはずでした。

終わらなかったのは、あの野郎が、
「もっと話そうよ」と、つきまとってきたからでした。
初めは無視していたのですが、どうにも、しつこく。
おまけに、後から合流した映画祭のディレクターが気を回して、
仲を取り持とうとしてくれたもんだから、再び、一触即発状態になった。

その時のことも、やはり、書いておこうと思う。

言い合いの最中に、発覚したのです。
先日の日記に書いた、帽子の中の万札が、
実は、若いカノジョに入れさせた、サクラの金だったと。
そのことを、野郎自ら、当然のように、さらっと言ってのけるので、
あさましい、と言ってやった。
すると、「貧乏なんだから、仕方ないだろ!」と、逆ギレされたのです。
おい、だったら、ヒモやってないで、働けよと。
親の年金、亡くなるまでせびって、何やってんだ、お前。
そう言ったら、野郎は、掴みかかってきました。
さすがに、もう、応戦しようかとしたとき、
止めに入ったディレクターが、「七里さん、やめときましょう。向こうの方が、ガタイがいいですよ」と言ったのを聞いた、あの野郎の勝ち誇ったような、笑み。
僕は、あんなに醜く、稚拙な感情が、映画を名乗っているかと思ったら、吐き気がした。

僕の大学の先輩で、レジ打ちをしながら、
今も、誠実に、映画や世界に向き合おうとしている人が、います。
そんな人も、かつて、あの野郎の映画を、憧れをもって観ていたかと思うと、
情けなくなりました。

白々と朝を迎えましたが、さらに、もう一軒。
すでに、映画祭スタッフと、大賞作家ら以外は、僕だけしかいなくて。
気が抜けたのか、正体無くなるまで、酔い潰れました。
そしたら、突然、泣き出してしまったのです。
驚きました。
こんなことは、初めてです。
涙が止まらないのです……。

昼前に、ふらふらでホテルへ戻り、チェックアウトして。
喫茶店で、コーヒー飲んで目を覚ますつもりが、仮眠となり。
夕方、阪急電車に揺られて、約束していた、京都の友人宅へ向かいました。
車中、ぼんやり、なんで泣いたんだろうと思いながら。

夜。
友人が、一日煮込んで作ってくれた、鳥スープをいただきながら、
ぼそりぼそりと、昨夜の出来事を話しました。
すると、彼は一言、
「そいつは、粗大ゴミだな」と言った。

ああ、そうか。
俺は、ゴミなんかに目くじらを立てた、
自分の愚かさに、泣いたのかな。
と、そのときは思いました。
しかし、それだけでもないような、気がして……。

ひと月ほど前、父親が亡くなったようでして。
まあ、事情は省きます。
僕は、父の顔も覚えていないし、所在も知らないんですが、
風の便りで、亡くなったらしいと、
二週間くらい経ってから、伝え聞きまして。
そんなことも、泣いた遠因にあったのかなあ、と。

でも今も、あの涙の理由が、分からないのであります。




2009年03月05日


もう、数日前のことですが。
大阪滞在中に行こうと、楽しみにしていたのが、
国際美術館での、新国誠一展でした。
新国誠一は、具体詩の詩人。
具体詩ってなんや? 
絵と詩の接点。
声で聞く詩と言うけれど……。
と、いそいそ、中之島へ出かけたわけであります。

私、〈ニイクニ〉を〈シンコク〉と読み間違えてたくらい、無知だったのですが、
実は、『眠り姫』の職員室のシーン、青地と野口の会話のバックで、
「第一課/LESSON ONE」という音声詩の、マネのようなことをしてまして。
実際、その詩の本物が、リフレインされるのを会場で聞き、戦慄を覚えたり。

また、その日は館内で、足立智美氏のイベントもあり。
身振りにセンサーが反応し、声を変調するという変てこ楽器、「赤外線シャツ」。
初めて見た、噂のパフォーマンスに、大興奮!
おまけに出口では、合流した京都の友人と、藤井貞和氏を見かけたり。
藤井詩の「ついばめ、つばめ、とべ、とんび」を、脳内復唱しながら、
否が応でも高揚し、さあ次は!!と、
梅田の本拠地へ、映画祭のプログラムの、ある上映を観に戻ったのです。

ところが。

それは、8ミリ映写機を並べて3面マルチ上映をしながら、弾き語りを実演する、というものだったのですが、
(まあ、これで誰の映画か分かる方も、いるかと思いますが)
はっきり言って、醜悪の極みでした。

ベルグソンがどうした、ドゥルーズの「シネマ」がなんだという、
前口上からすでに、トンデモ的な臭いを、プンプン漂わせていましたが、
思い込みの強さと、羞恥心の無さで、60年近く生きてきたような、あの手の人々は、所詮そんなもの。
この際、見世物としての面白さを味わおう、と寛大でいられたのも、三部構成の二部までが限界。
第三部に到って、彼が、父親の葬式で、喪主を弟に任せきりで撮影した、親の亡骸を大映ししながら、
「〜父さんは、年金生活者になった晩年も〜貧乏な僕を不憫に思って〜少ない年金の中から千円札を、これだけしか上げられなくて、ごめんねと〜僕に小遣いくれた〜優しいお父さん、ありがとう〜そんな父さんのフィルムを、これからも上映していくためのカンパを、みなさんお願いします〜」
……とかなんとか、節を付けて歌う初老の男が、帽子を客席に回して、投げ銭をねだったのには、もう唖然。
あまりにも安い、安すぎる、お涙ちょうだい劇。
そんなものに、現代思想の金字塔を表題する、破廉恥。
そして、無批判無気力で、お金を出す若者たちに、絶句。
回ってきた帽子に、万札まで入っているのを見た時にゃあ、一瞬、
何かの間違いで、新興宗教のイベントに紛れこんでしまったかと、錯覚してしまうほどでした。
一緒に見た京都の友人は、憤りの余り、足早に会場を立ち去り、
別場所で飲んでいた、某映画監督&音楽家らに、この惨状をぶちまけに行った模様。

でも、まあ、しかし。
私は呆れかえりながらも、呑み込みました。
人は、何かを売って、生きていかねばならないのだから、
他人の売り物を、否定はできない。

にしても、死んでなお、遺体をさらし物にされる、彼の父親の無念さ、情けなさを思うと、
親不孝なまま、親を亡くす子は数多いけれど、彼のような大馬鹿者は、まったく言語道断だなと、
否定はしないが、軽蔑するよと、
映画祭の、その日の打ち上げで、上機嫌の御仁を、横目に見ておりました。

が、しかし。
後日、それだけでは済まないことになり、私は思わず行動に出たのでした。

そのことは、もう一日、考えて書くことにします。




2009年02月26日


すでに、このHPのTHEATER欄でもお伝えしてますように、
またまたまたまたまたしても、「眠り姫」のアンコール上映が決まりました!
公開始まって、ついに2年目の快挙です。

東京は、渋谷アップリンクで、3月28日から一週間、
そして同じ日から、大阪でも、九条シネヌーヴォXで、こちらはなんと三週間!

ありがとう、大阪!!

てなことで、今日から始まるCO2で、だらっと滞在して参ります。
よろしゅうお願いします♪




2009年02月23日


ここ数日、自主製作の映画を、集中的に観ていまして。
長い間、預かったまま、観る機会を逸していたDVDや、
今週後半から、大阪で開催されるCO2という映画祭の、審査のための準備だったのですが。
いやあ、考え込んでしまいました。
ずいぶん前から、分かっていたこととはいえ。

実に、見ごたえのある作品が多い。
それは、すでに劇場公開映画としての体を成している、と言い換えてもいいのですが。

かつては、自主製作映画と言えば、なーんとなく、
商業映画へのアンチテーゼだったり、あるいは、プロ予備軍だったり。
そんな匂いやら、区別があったような気がするのですが。
映画がパソコンで編集されるようになり、DVからHDへと、機材が進化し、普及して、
学生からハリウッドまで、同じフォーマットを使えるようになって、
自主映画が、インディーズから、オルタナティブへと、出世魚のように名を変えてみたりなんかしているうちに、
プロとかアマとか、そういう領域や、下積みやデビューやらの垣根は、もはや無くなってしまっているな、と。

まあ、アカデミー受賞に沸く夜に、こんなこと言うのもなんですが、邦画と呼ばれる映画の現状が、
日本映画の豊饒な歴史から、いつの間にか、ボディ・スナッチャーされて久しいわけですし、
相対的に、スーパー・フラットな地平が、映画の現在であると。
愕然としながらも、映画の未来が、ぼんやり見えてきたわけです。

なんだか、分かったような、わけ分からんことを書き殴りましたが、
猛烈に、刺激を受けておるのであります。




2009年02月14日


二、三日前に、ようやく昨年から続いていた連続仕事に、一段落が着き。
いつもの構成仕事で、インドの石窟寺院、アルゼンチンの氷河、イタリアの港町ジェノヴァ、
と、何の脈絡もなく、世界の歴史や自然の不思議の知識をつけながら、
お正月教養特番?のために、藤沢周平と村上龍を読むという、
これまた、ベストセラー作家としか関連づけようもない取材に、頭をこんがらがせながら、
一方で、『TOKYO!』のポン・ジュノ組メインキングビデオの編集・仕上げが、完了しました!
3月末発売のDVDの、豪華てんこ盛り特典映像の一つとして収録されています。
特典映像とはいえ、手抜きできる器用さもない性ゆえ、非常に力入ってます!
音楽も、鈴木治行さんに、わざわざ作ってもらっちゃったし。

てなことで、羽を伸ばしつつあるのですが、最終試写に間に合った、
『THIS IS ENGLAND』って、イギリスのサッチャー政権時代のスキンヘッドもの?が、なかなか見ごたえあり。
旧ソ連のプロパガンダ・短編アニメ特集も、実にシュールでサイケで。
「秘仏開扉」というキャッチ・コピーにキャッチされて、サントリー美術館へ三井寺展も観に行ったのですが、
仏像がガラスケースに入れられ、陳列され、見世物になってるってことに、今さらながら、頭クラクラし。
ああ、エンターテインメントと資本主義ってやつは、と思ったのでありました。




2009年01月18日


久しぶりに、浅草へ。
金色の雲?が目印の、アサヒ・アートスクエアで、ライブを聴きに。
足立智美さん主催の、クリスチャン・ウォルフの曲の特集演奏だったのですが、
これが、予想通りの楽しさで、大興奮!

井上郷子ピアノと、神田佳子パーカッションの、居合斬りのような即興合戦に始まって、
池田拓実が奏でる楽器は、石!だし、
総勢20人を超える即興オーケストラなんて、最後は、
チェロは振り回すわ、全身黒タイツが跳ねるわ、風船やら、シャボン玉やら、ラジコンヘリまで飛ぶわ……
なんだかこれ読んでるだけだと、どこが音楽なんだと思うかもしれませんが、
それはもう、ケージの流れをくむ、由緒正しいアメリカ実験音楽なのでして、
脳内刺激されまくりの3時間でした。

で、思うに、
即興演奏は、やはり、「芸」ですな。
クリスチャン・ウォルフの60年代までは、なんでも、非専門的な音楽家――
つまり、アマチュアのための即興実験音楽だったそうですが、
芸達者が揃うに、越したことないな。と、実感。
ああ、楽しかった。

そう言えば、先週の日曜も、渋谷のO-WESTに行ってまして。
その日は、相対性理論が、あまりの人気で入場制限。
最後の岸野雄一ワッツタワーだけしか見れず、やや欲求不満でした。
でも、毎週ライブに行ってるなんて、なんて幸せなんでしょ!
と、新年早々思うのでした。




2009年01月07日


遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
と、言うところですが、気分は、ようやく年末を迎えたような…。

いつもながらの構成仕事が、越年で、昨日ようやく一段落しまして。
正月も、ずっと原稿と向かい合ったまま、終わってしまいました。
とほほ。

でも、世間では、寝る場所を失ったり、戦火にさらされたりの、大変な人々や地域もあるわけですから、
こうして食い繋げているだけでも、幸せかな、と。

ああ、しかし、しかし。
それだけでは、いかんですよなあ。
今年は奮起するぞ! と。
宣言だけは、高らかにすることにします。

あ、そうそう。
矛盾するようですが、今年の抱負も、決めました。
「これで、いいのだ」 なのだ!













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