ダイアリー






2016年07月12日


参院選の結果は、予想してなかったわけでもないですが、
いざそうなってみると、なかなかヘビーなものですね。
前にも書いたかもしれませんし、
あちらこちらで言ったり、作品の中でも触れていることですが、
私たちは近い将来、国が亡ぶことに直面するかもしれません。
その可能性をぼんやりと感じる人は、少なくないのではと思います。

京都から実家経由で東京に戻ってすぐだった、沖島特集。
連夜連酔、有意義に送った一週間から間も無くの、
新潟での貴重な、貴重な上映イベント。
それらのことに、全く触れないままに、
時計の針をけっこう巻き戻して、6月。
いや5月だったかもしれぬ、ある出来事を備忘録します。

それは、ある晴れた何でもない午後。
いつものように、いつもの駅前を、
ああ、いつも騒がしいなあと、
携帯電話の加入勧誘や、誰々ちゃんの治療費募金活動や、
政治やら宗教の街頭演説をスルーしながら、ぼやぼや歩いていたら、
突然、自分の名を連呼されたような気がして。
え?と振り返ったら、そこにメガホンを口にする知人がノボリを持って、
選挙に行こう!戦争反対!の示威行動をしていたのでした。
彼は奇才なアニメーション作家で、とある美大の講師でもあり。
そうした大学職員たちも立ち上がってるぞという団体活動だったように、
ぱっと見て把握しました。
「署名して!署名して!」 という名指しの連呼をされ、苦笑いしかできず。
選挙に行こうのフライヤーを受け取っただけで、立ち去ってしまったのでした。
背中には 「署名してってよ~!」 の怒声を浴びながら…

もちろん僕は、参政権を持ってから今まで選挙に行かなかったことはありませんし、
九条のなしくずし法案には怒り、呆れ果てております。
が、どうして、ああいう苦笑いのチャシュネコ行為をしてしまったんだろう。
あの時、署名しなかった私に、知人はどんなに失望したかと思うと、
その後もずいぶん引きずりました。
頑張ってね!と、なんで笑顔で署名できなかったんだろう。
でも、どうも最近の風潮、政治参加の新しい流れに乗ることができず。
非常に複雑な思いがあります。
うーん。

参院選のこういう結果が明らかになった今、
なお一層の重い気持ちが、
私を押し潰そうとしております。




2016年06月24日


今、京都におります。
明日からこちらの立誠シネマで、拙作 『サロメの娘 アナザサイド(in progress)』 の、関西初公開でして。
そんなわけで、いくつかイベントを組んでいただき、前乗りしておるわけです。

で、空梅雨気味の京都・大坂での、この三日間の怒涛について書く前に。
先々週の東京再上映を、振り返っておこうかなと。
本当は上映後すぐに書くべきところを、やっぱり滞ってしまい。
スローペースでノリ悪く、すいません。

楽日前の大詰めに、アフタートークに来てくれたのが、中原昌也さん。
中原さんとは、けっこう古くからの因縁?があり。
暴力温泉芸者前から、一方的に見知っていたのですが。
まあ、その話は長くなるので省きます。
とにかくお話するのは、ずいぶん久しぶりで。
上映前から呑んでしまい、また上映中 (中原さんは鑑賞中) も僕は居たたまれず呑んでおり。
当然、トークも呑みながらだったのですが。
中原さんから開口一番言われたのは、
「何ですかねー、この気持ちよさは、ずっと見ていたいような感じ」。
で、プラネタリウムに似ている、と思ったそうで。
すかさず、「昔、渋谷に五島プラネタリウムってありましたよね」 と答えたら。
「そうそう、そういうやつ。あれ良かったよね」 と相槌を打たれ。
そのままトントンと話を深めていけたかというと、プラネタリウム話に脱線してしまったり。
実際けっこう呑んでいたので (その後も朝まで呑んでしまい)
何を話したかほとんど覚えていないのです。

でも、後から、あのとき何を言おうとしてくれてたのかなあと考えてみて、
さすが中原さん、すごく本質的なことを言い当てていたのではないかと思い。
それは、“音から作る映画” とか、実験的制作とか、可能性の追求とか、
斬新さや奇をてらったことをやっているようでいて、
僕は実は、古き良き映画がたまらなく好きで、
どうしたってそういう 「感じ」 がにじみ出ているのかなと。

なんだかわけの分らないことをやっているように、
「音から作る映画」 のことは思われてもいるけれど、
世間の普通とされている映画より、よっぽど当たり前のことをしているという自負は、
実際あるのです。
中原さんのように、真っ当に見識のある方には、いろいろ見えてしまうのだろうかなと。
思った次第です。

と、日記を打っているうちに、空梅雨と書いた空がすっかり曇り、
行きかう人が傘を差し始めました。
京都では基本、僕はどこへも歩いていくことにしているので、困ったな。
続きは、またいずれ書くことにします。
滞在中に、こちらでのこと、書けるかな…




2016年06月08日


上映後のトークが、ショーであることに、
もっと意識的にならねば、語らねばと思ってみたものの。
その後のトークですぐに、劇的に、私がしゃべれるようになるわけもなく。
うーん、難しいもんですなあ。
でも、ゲストの方々から発せられる言葉は、それぞれに印象深く。
その場では、突っ込んだり切り返しきれず、口惜しさつのるのですが、
だから、ちょいとメモっておくことにします。

月曜に登壇された美術家の小林耕平さんが、
「感情ってイフェクトなのかなと思った」 と仰ったのには、
思わず 「なるほど!」 と相槌を打ってしまったのですが。
実際どういうことなんだろう? 実は、よく分っておらず。
小林さんからは、前にも呑んでいるときに、
「映像に物語があると、その物が見えにくくなる」 という、興味深い言葉をいただいて。
あのときのあれってどういうことですかね? と、トークの場で尋ねてもみたのですが、
そんなこと言いましたっけ? とはぐらかされて、残念。

けれど、翌日のゲストの黒川幸則さんから、
「七里さんって、映像作家とか言われたりもするけど、やっぱり物語作家ですよね」 と。
言われたことは、なんだか小林さんの話とも繋がっているような気がして。
「その場合の物語って、神話とかのこと? それとも近代以降のストーリー?」
と聞き返したら、逆に悩ませてしまい。
でも、人間の物語をするには、動物が重要、必要だということに繋げてくれたのは、
さすが黒川さん、いい線行ってるな。

淀みないトークなんて、たぶんきっと、私には無理なんだろうけど、
詰まりながらも、実のあるトークを続けたいなと。
そうすれば、お客さんもショーとして納得してくれるのではと、思った次第。
これからも精進していきます。




2016年06月05日


光陰矢のごとし、と申しますが。
気づけば前の日記から、3ヶ月近くが過ぎてしまい。
前回書いた頃に初公開しました 『アナザサイド(in progress)』 が、
昨日から1週間アップリンクで再上映されております。
みなさま、どうぞ宜しくお願いいたします。

にしても、再上映までの3ヶ月間、
日記を一度も更新できなかったという事実には、我ながら呆れるばかり。
いや、でも、ただサボっていたわけではなく、とにかく目まぐるしく、慌ただしく…
と、言い訳すら前回を繰り返しそうなほど、切れ目なく、何やかや続いておりまして。

とは言っても、この世の中に私より忙しい御方は五万といるはずで。
初日だった昨日は、その一人である佐々木敦さんとのアフター・トーク。
いやあ、さすがでした。
これまであんまり公言していなかった、「音から作る映画」 のコンセプト? について。
するするするっと、いつの間にか言わされていて。

いや、大したことではないんです。
コンセプトなんて大袈裟なものではなく、ぼんやり意識している程度のことなのですが。
でもそれは、必ずしもお客さんに分らなくていいことだと考えていまして。
むしろ分らずとも、見せる/魅せるものにならなくてはいけないのだ、
だから、言うのは野暮と、ぶっきら棒にしていたのですが。
そうでもないんでしょうね。

もちろん、敦さんにはおそらくお見通しで。
“リミックス”、“定型はむしろ不自然”、“アンパッキングして再構築” と、
僕がぽろっと漏らしてしまった言葉たちは、見事に掬い取られていき…。
うーんさすが、トークを ショーにしていくというのは、こういうことだなあ、
言い淀んでいるだけじゃなく、少しは前進すべきだなあ、と。
今さらながら、反省したのでありました。

でも、できるかなあ…




2016年03月09日


お久しぶり、でございます。
日記をサボってどれくらい経つかと数えてみれば、なんと半年。
これまでで最長のブランクが空いてしまいました。
すいません…。

サボって、と書きましたが、
ただ怠惰だった、わけではなく。
この半年間、とにかく目まぐるしく、慌ただしく。
書きとめたい、なければならないことが次々と、
書きとめる余裕もなく、続いていたわけです。

オランダにも 新潟にも行ったし、横浜での珍しい上映にも参加した。
連続講座という名の赤裸々な見世物を、数回にわたって催したし、
京都でアクスモや 6面マルチの上映パフォーマンスもした。
そうしたイベントの間に、録音を聴いて、準備して、撮影して、編集して。
悪戦苦闘の末に生まれた最新作が、先週末から上映、
一週間だけですが公開しております。

短い期間なので、アフタートークの無い日も、毎日顔を出しているのですが。
嬉しいことに、見知らぬお客さんに交じり、顔なじみの方も大勢おいで下さり。
中には、僕が何かを試みる、発表すると、それが東京であれ京都であれ、
必ず客席に身をうずめて、見届けてくれる人も、何人かいて。
その一人から、先日の上映後に感想をもらいました。
「このシリーズは今まで詩しかなかったけれど、今回初めて散文が入ったな」 と。

そうなんですよね。
詩としての映像、散文としての映画、と一概に分けることは出来ないけれど、
どちらかだけでは記述できない地平に、ようやく一歩。
歩を進めることができたのかもしれません。
彼はその後、ペドロの新作に対してある高名な批評家が送ったコメントについて、
そっくりそのままお前にも当てはまると思う、とまで言ってくれたのですが。
まあ、それはさておき。

高名な方々には観られなくとも、僕には、
いつも真剣に作品を見極めてくれる、大切な観客がいる。
だから、いつも、絶対に手が抜けない。
タイトルには (in progress) とありますが、
作りかけ、ということではありません。
へとへとになりながら、これしかない!という現時点での最大の熱量を、
しかし、慎ましく差し出したものです。
そしてそれが、見世物を作る者の節度だと思っています。












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