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2018年12月13日


いよいよ、吉祥寺で 『眠り姫』 です。
僕は今も、ぎりぎり徒歩圏内に住んでいるのですが、
東京で一人暮らしを始めてから30年以上、
この街を離れることは、なぜか、ありませんでした。

『眠り姫』 は、ある冬の、吉祥寺の光を捉えた映画です。
今から15年前、最小限の制作体制で映画を作ろうと決意したとき、
自分が住んでいる、住んできた場所で撮影を始めたのは、
当然であり、最良の選択でした。

僕は、吉祥寺が好きでした。
(今は、ちょっと、分かりません)
吉祥寺での上映は、今回が初めてではなく。
ムーブオーバー(続映)当初、2008年の正月明けにも、
今は無きバウスシアターで上映されたのですが、
そのときは、「ご当地映画」 だなんて、言いませんでした。
この街が好きだったから、ロケしたのをことさら喧伝しようとは、
むしろ思えませんでした。
なんか、浅ましい、というか。

今回は、なぜだろう、公言しようと思いました。
映画館のオープンという、お祭りに参加できる喜びかもしれません。
でも、浮かれたりせず、ひっそりと感慨に浸りたい。
上映が12年も続いてきて、
再びこの地に戻って、『眠り姫』 が上映されること。
とても楽しみです。

今回、アフター・トークで登壇いただく、あるゲストの方から、
「あんな(人の姿をほとんど見せない)映画を作ったのはなぜか」、
「それが今のあなたの活動(「音から作る映画」)とどう結びついているのか」、
と、至極真っ当な質問をメールされて、答えた返信が、
わりとしっかり書けたので、
ちょいと長いですが、以下に記します。

『眠り姫』 を制作したのは、
2003~2005年ですから、もう15年近く前のことですが、
動機の一つは、「嫌な予感」でした。
たぶん、あの頃もし病院にかかったとしたら、
「鬱ですね」 と簡単に診断されて、それで終わってしまったかもしれません。
しかし、その予感はある種真っ当な感覚で、
ゼロ年代に入った頃から急速に強まったのですが、
もの凄い閉塞感、
これから世の中はどんどん悪くなっていくだろうという、暗い感じでした。
それを、山本直樹さんの原作と、その原作の内田百閒「山高帽子」、
さらにその元となった芥川龍之介の自殺というエピソードに託して、
ああいう表現にしてみたのです。

作品が完成し、劇場公開される頃(2007年)には、
ますます世の中は、サービス過剰で分かりやすさばかりを求める、
不寛容な社会へ突き進んでいったかと思います。
そこで、当時「美しい風景映画」 というような評判で、
アンコールを繰り返していた自作に対して、自虐的な実験をします。
それが 「闇の中の眠り姫」 (初上演2010年)でした。
この上演で使用したスピーカーが、
その頃 UPLINKでは、もっぱらライブ・イベント用に使われていた
田口音響のスピーカーでした。
UPLINK吉祥寺はオープンに際して、全館に、
田口音響特注の平面スピーカーを設備したそうなので、
どのような聞こえ方をするか、私も楽しみです。

さて。
震災を挟んで、私は 『DUBHOUSE』 という、
フィルムでしか実現不能な短編映画を、建築家の鈴木了二氏と作るのですが、
その劇場公開時のイベントで、久々に 「闇の中の眠り姫」 を催して、
空気の変化に、唖然とします。
詳しくは省きますが、端的に言えば、
震災以降、悪い予感(閉塞感)は不可逆の現実となってしまった。
今さら憂いてもしょうがない、
もう無理やりにでも、拡げていかねばならないと強く感じたのです。
その衝動と、デジタル問題への関心が両輪となり、
始まったのが 「音から作る映画」 プロジェクトでした。
具体的には、映画を「再び」空間へ開放するライブ、
『映画としての音楽』 やアクースモニウム上映、
つまり、白い1枚のスクリーンへの信仰の放棄でした。
このプロジェクトは、並行して、
「映画以内、映画以後、映画辺境」 という
私の勉強のための連続講座も催しながら進行しました。

私は、1990年代に10年ほど、
商業映画の助監督をすることからキャリアを始め、
映画についてはアカデミックな教育を受けることもなく、
闇雲と言っていいほど、ただたくさん見ただけです。
なので、シュールレアリスムの時代の映画も、
エクスパンデッドシネマも、構造映画も、
観れる機会にいろいろ見ましたが、
よく分からないというのが、正直なところです。
でも、映画という表現形式が、とてもとても好きだから、
映画が映画に閉じてしまうことを、いかがなものかと思っています。




2018年12月05日


岡山映画祭のついでに、県内いろいろ行った、
と書きましたが。
倉敷も訪れました。
秋の、行楽日和の日曜日だったので、
美観地区とか、すごい人出で。
吉備路が奈良なら、こちらは京都。
いやあ、修学旅行みたい、観光だなあと
ぞろぞろ人波とともに歩いたのですが、
主目的は他にあり。
危口統之さんのお墓参りをすることでした。

危口さんとはアフター・トークで話して、その後、呑んだきり。
数日後には、実家に戻って療養に専念すると知らされて。
いや、呑み始めて、はっきりと、ガンなんだなと気づいたのですが。
思い返せば、トークの発言にすでに覚悟をにじませていたのに、
全然、察することできず、うかつだった。
それから、わずか三か月。
人前に顔を見せた最後、横浜の日も、撮影で行くこと叶わず。
訃報が届いたのは、『remix』 公開の前夜だった。
だから、飴屋さんは足を引きずり、
倉敷での葬儀から直接、K’s cinemaのトークにいらした。
ずいぶん経って、『危口統之 一〇〇〇』 の日記を読んでいて、
『眠り姫』のアフター・トークは、病の重篤を分かっていたのに、
断りそびれて来てくれたのだと知った。
優しい人だったな。

教えてもらって行ったお墓は、お寺の境内とかではなく、
ファミレスの裏にあり、向かいには団地が建っていて。
らしいなと思いました。
きれいなお花と缶コーヒーのBOSSがすでにお供えしてあって、
僕は、コンビニで買ったカップ酒を置いて、手を合わせてきました。




2018年11月23日


岡山を初めて訪れました。
映画祭に呼んでいただき、『眠り姫』と 『あなたはわたしじゃない』を上映したのですが、
せっかくなので延泊して、発つギリギリまで観光も楽しみました。
吉備路をレンタサイクルで一人、ゆるゆる古墳巡りなどして。
天気も良かったし、いやあ、爽快だった。

最初は海の方、犬島へでも行こうかと思ったのですが、全く無計画で。
時刻表を調べたら、公共交通機関でたどり着くには、出発するのが遅すぎ。
で、手頃な選択として、思いつきで総社行きの単線に乗ったのですが。
実は、導かれていたのではないかという気がしてきまして。
というのは、自転車を漕ぎながら思い出したのです。
あれ? 沖島さんは幼少期に、岡山へ疎開していたのではなかったっけ。
ここは桃太郎のモデルともいわれる、吉備津命の伝説の土地。
もちろん、沖島さんの疎開先は平野ではなく、もっと山間部の方ではあるのだけれど。
「まんが日本昔ばなし」を生んだ沖島勲の原風景を、
今、旅していると思い始めたら、盛り上がることこの上なく。
あ、しかも今日、Who is that man ? Tシャツを着ているぞ!と。
これは沖島さんのお導きだと確信したら、
見上げた空、前方の雲の裂け目から日の光が差し……。
きわめつけは、トイレを借りようと入った小さな郷土資料館で、
地元の名士の版画コレクション展が催されてたのですが。
ピカソやブラック、嗣二やシャガールと来て、
現れたのはビアズリーの『サロメ』。

沖島さん、ちょいとやり過ぎじゃないですか?
冗談言ったあと、ニタっと見せる人懐っこい笑顔が思い出され。
なんともおセンチな秋の夕暮れを迎え、夜はしこたま呑んでしまいました。





2018年10月31日


いつの間にか50歳になって、それから一年以上が経ちました。
日記も40代最後のままで、止まっていて。
更新しないつもりは決してなかったのですが、昨年の10月から半年くらいは、いやはや我ながらよく切り抜けたと思うほどの仕事量で、日々を振り返る余裕など全くなく。
その後は、それなりに忙しないながらも、このページを再開するタイミングが計れないまま、あれよあれよと一年が過ぎてしまったわけです。
しばらく書かないと、久しぶりに書く内容がこれでいいのかとか、やはり躊躇もあり。
今、まさに綴っているような、内容の無いことではマズイかもと憚っていたのですが、結局こんな徒然で、UPすることにしました。

今日はハロウィン、なのですね。
何にも気にせず、用事もあり、渋谷なんぞに出てしまい。
日暮れどきにハチ公前を通り、つくづく違和を感じました。
この、ぺらっぺらで張りぼてのようなコスプレ?に興ずる若者たちが、やがて歳を取り、いや今もすでに形成している社会のうすら寒さ。
それは、私の世代が興じたバブルの頃の、一気飲みしてゲロ吐く輩たち、あるいは、お立ち台やらでセンスを振っていたお嬢たちが、今こうしてオジサン、オバハンになって家族を持ったり、人の上でふんぞり返ったり、あるいは底辺を支えていることと、地続きなのだろうなと。
もちろん、一部の人たちをトピックに、社会全体を考えるような大掴みは、おっちょこちょいのやることなのだけれど。
ヘイトも、非モテも、ミートゥーも、尖端として表れる現象に恐怖、戦慄を覚えるたびに、一体いつから、何故こんなことになってきたのだろうかと、因果関係を掘り下げないではいられません。

楽しけりゃいい、盛り上がればいい、儲かればいい。
で、いいのですかね、本当に?












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