ダイアリー






2012年12月17日


気がつけば、師走も半分が過ぎ、今年もいよいよ終わりですね。
お祭りのようだった特集上映が終了して、早ひと月余り。
余韻に浸る間もなく、いつものように、ひたすら雑事をこなしながら、ぼんやり過ごしております。
ぼんやり、とは言え、日々いろいろなことがあるわけで。
昨日の選挙結果には、絶望的な気持ちになりました。
お先真っ暗、困ったものです。
でも、まあ腹を据えて、表現と向き合っていこうじゃないか、とも思います。

特集が終わってまず観に行ったのが、ブレッソンの 『白夜』。
恥ずかしながら、初めて観まして。
ああ、これだったのね、と。
カラックスをはじめ、今まで虜にされてきたある種の映画――
それは、孤独な魂をめぐる映画とでも言いましょうか、
その原点が、あれなんですね。
何なんでしょう、あのグサッとくる感じ。
震えが止まりませんでした。

他にもいろいろ、いいものを観まして。
生西康典氏の 「燃える人影」 には、実にシンパシーを感じたし、
牧野くんの 「+」 上映会では、葉山嶺さんの 『EMBLEM』 に夢見心地になったし。
福間さんの 『あるいは佐々木ユキ』 や、ミランダ・ジュライの 『ザ・フューチャー』 も良かった!
で、先日。
原稿明けの休息に、近所の映画館でアルドリッチ三昧楽しもうと (あ、二本ですが)、
『合衆国最後の日』 と 『カリフォルニアドールズ』 を観まして。
すっかりいい気分で、ドールズ・コールを頭に鳴り響かせていたら、不意に着信。
訃報に絶句。
耳を疑いました。
ついこないだスクリーンに、彼女の可憐な演技を観たばかりだったから。

『のんき』 で弟のガールフレンド、華子役を演じてくれた梓さん。
初公開のとき以来、10年近くお会いすることはなかったけれど、
知人の映画で目にするたびに、ああ頑張っているのだなと嬉しく思っていたのに。
36歳。
若過ぎるよ。
自分の死期を悟ったとき、どれほど無念だったろうか。
うーん、堪え切れず、駆けつけ一杯。
安酒をあおっているうち、現場の当時の記憶がよみがえってきました。
『のんき』 に出演してもらったのは、助監督だった西川美和さんが、
是枝組で良い女優さんがいたと、紹介してくれたのがきっかけ。
一目で、カンのいい子だなと思い、信頼しました。
リハーサルでは、弟役の塩田くんとの天才的なやり取りが、見てるだけで楽しくて。

彼女が演じた華子という役は、原作には無い、僕が加えた登場人物。
最初に書いた脚本では、もっともっと様々なエピソードが連なる、
思い入れ深い役どころでした。
だから、華子があの作品世界からいなくなる最後の場面、
姉の妊娠について、切ない告白をされる芝居の長廻しは、
台本にある演技が終わっても、カットがかけられず。
そんな心情を察してか、撮影のたむらさんは、
去っていく弟をカメラで追わずに、立ち上がれない華子に戻して撮り続けた。
そのままじっと見つめていると、彼女はしばらくして、何かを決意したように、
ふっと、落とした目線を上げ、そこでフィルムが落ちた。
印象的な表情でした。
あれが、梓さんの、僕の映画の最後だったのだなあ…
フィルムが落ちる寸前に焼きつけられた、
あの表情は、永遠です。
合掌。




2012年11月19日


Ksシネマでの特集上映と、アップリンク 「闇」 イベント、盛況のうちに無事終了しました。
ご高覧いただいたみなさま、誠にありがとうございました!
怒涛のような一週間と一日。
こんなにたくさんの方々に御来場いただけるなんて、本当に思ってもみませんでした。
新作短編という看板はあれど、
僕なんかが昔の作品をかき集めて、これまでの軌跡を披露するのは、
あまりに大それたことだし。
「ま、生前葬ですから」 と、自虐的な軽口で、不安を紛らわしていたのですが、
いや、感無量。
懐かしく、 恥ずかしく、 誇らしく、 痛ましく…。

さまざまな喜びもありました。
例えば、「のんき」 の再映に高揚していた梶原さんや塩田君。
編集の宮島さんは、僕らの最初の作品 「七瀬」 を見せるために、助手さんを大勢ひきつれて来てくれました。
満席だった、鈴木了二先生とのスペシャル対談。
山本直樹先生とも久しぶりにお会いできたし、
親しいみんなや初めての方々と、毎晩の酒盛りだったし。
そして、この特集上映で改めて教えられたのは、
映画は、古いも新しいもなく、
今この時に観られることで、更新されていくものなんだ ということ。
やって良かったなと、つくづく思いました。

てなことで、昨日はぐったり疲れが出て、すっかり眠りオヤジだったのですが、
「DUBHOUSE」 の影の仕掛け人でもある友人の催すライブがあったので、
重い足を引きずり、夜の渋谷へ。
「肉体と肉声」、凄かった!
いやあ、参りました。
灰野敬二は、彼自身が唯一無二の ?研ぎ澄まされた? 楽器ですね。
22日に心斎橋の教会でもやるようなので、関西方面の方は、ぜひ。




2012年11月05日


先日、上映チェックのために、『のんき』 と 『夢で』 を久し振りに劇場で観ました。
拙作で恥ずかしながら、でも、フィルムの状態はすごくよく、
いやあ、ホント、美しかった!
陽だまりの部屋、風そよぐ夕暮の残光…
フィルムを透過して投影される、あの温もりある光、輝きには、
どんなにデータ量が増したプロジェクターでも、
決して敵わないと思います。
何で、フィルム無くなっちゃうんだろ。
今回35?が上映できる喜びと、せつなさが相余って、
支配人と しこたま呑んでしまいました。

そんなこんなで、上映準備の何やかや、
最近はKsシネマに通っておるのですが、ある日暮れどき、劇場を出たところでバッタリ、
昔からお世話になっている 某プロデューサーに鉢合わせました。
まあ、新宿に事務所を構えている方なので、駅への通り道、ありえないことではないのですが、
それにしてもタイミング良過ぎるなと思いつつ、
特集上映の宣伝しなきゃとベラベラまくし立てていたら、ぽろっと某氏、
「お前、○○知ってるか?」
それは、ある女性編集技師の名でした。
「はい。 助監督の頃、編集室で二、三度 口きいたくらいですが」
「死んだよ」
「え…」
48歳の若過ぎる死。
酒が、過ぎたからな…と某氏は呟きましたが、
うーん、時代の痛みを感じました。

かつて映画の編集室は、
パソコンに向き合う 今どきのあれとは違って、
何と言ったらいいんだろ、現場とはまた異なる緊張と憩いが伴う、
独特の空気の 聖域だったような気がします。
重厚なスタインベックをガチャガチャ駆動させたり、手回しのビューワーをコロコロと転がして画を見る技師と、
フィルムの束を整理する助手の、絶妙なコンビネーション。
そんな情景を、現場の悔恨入り混じりながら見つめることで、
僕は映画を学んでいったんだと思います。
ある技師に、フィルムとは切ったら血が出るものだと教えられたこともありました。
昔堅気の編集ウーマンにとって、デジタルの津波が押し寄せたこの十年は、
映画人生が根こそぎなぎ倒されていく 災厄だったのかもしれません。
フィルムが失われるということは、ただ他の代替物にとって代わるだけでなく、
(データだから物じゃないか)
人がいなくなる、ともし火が消える ということなんだな、と。
哀悼深く、胸に重しをのせられたような気持ちです。




2012年10月26日


ここ数日、「レッド」 と 「堀田」 を読み返していまして。
やはり、凄い!! ですね。
それぞれに、山本直樹作品の行き着いた極みを感じ、
悶々としてしまうのですが、
この2作品、全く別の世界を描いているようで、
実は、同じ地平で繋がっているように思えてならないのは、
僕だけでしょうか?
山本作品の、あの、淡々と進んでいく、妙なリアル感。
永遠に続いていくような一瞬を、すくい取ったようなコマ割り。
狂気とか 幻想って、ああいう平静な?間?に、
滑り込んでくるものなのだろうと思います。
あの独特な間に、相当 僕は影響を受けているんだなあと、
つくづく再認識した次第で。
まあ、ファンなんですけど。
山本先生の作品は、森山塔や塔山森名義を含めて、
ほぼ全て、読んでないものはないのですが、
それだけなら、そんな人はたくさんいると思うので、
ちょいと自慢すると、僕にとっては(勝手に)恩人のような存在でして。

そもそも 『のんきな姉さん』 映画化は、
撮影にまで入りながら、一度頓挫していまして。
これを立て直すのが、尋常じゃない苦労で。
そのとき、現場を切り盛りしてくれていた、映画美術デザイナーとして名高い某氏から、
仕切り直すにあたって、全く違う脚本を書けと指令が出まして。
それで、原作を掘り下げていくことで、別の脚本を書いたのですが、
新たに製作に入ってくれた、その頃、旺盛に野心的な映画を作っていた、
S社の Sプロデューサーから、とんでもない注文があったのです。
「俺は、新人をプロデュースするときはオリジナルと決めている。
この脚本は、原作から逸脱してオリジナルと言ってもいい出来上がりだ。
だから、原作者名を外して欲しい。それが引き受ける条件だ」。
そんなこと できるわけないでしょう!
と、すかさず拒否が道義ですが、
S氏を引き入れることで、なんとか映画を仕切り直そうとしてくれている、
某氏の立場を考えると、無下に拒むことも出来ず。
僕は、えいや! という気持ちで、山本先生にお願いに伺ったのです。
そして、たぶん苦しげな表情で、正直に簡潔に事情を打ち明けたところ、
先生は、こう仰ったのです。
「僕は、七里さんが映画を撮れることが大事だと思うから、どうしてくれてもいいですよぉ」。
うわあぁぁぁあ、と思いました。
あのとき、あるファミレスだったのですが、テーブルを挟んでお話したその光景は、
一生、忘れないだろうなあ。
僕は、そのとき、絶対映画を作り上げ、原作者名も絶対外さない! と心に誓ったのでした。
というわけで、闘争心を胸に秘め、原作問題は棚上げにしたまま、
「のんき」 は、「ゆめび」 という仮タイトルで、
スタッフ・キャストも総入れ替えとなって、2度目の現場に突入しました。
そして、撮影と編集が終わり、音の作業を始める頃、
棚上げにしていたことで、さあ、すったもんだが始まると思いきや、
なんと S社は、以前からささやかれていた資金繰りの問題で傾き、
S氏も解任されてしまったのです。
で、すんなりとタイトルは 『のんきな姉さん』 に戻り、原作問題も解決したのですが、
お金の出所を失って、映画は、それから2年近くお蔵になってしまったのでした。
ふー。

いやはや、山本先生には、その後もお世話になりっぱなしで。
『眠り姫』 を原作にいただいたときも、感謝、感謝でしたし、
苦労した完成披露の生演奏上映にも 駆けつけてくれて。
「まじ、良かったっす」 と言われたとき、
もう、泣きそうでした!!




2012年10月16日


一昨日の TAIKUH JIKANG のライブ、凄い大入りでした。
良かったですねー。
チラシの折り込みもさせてもらい、ありがとうございました。
昨年から、このユニットに極私的注目なのは、さとうじゅんこさんが参加しているからでして、
リーダーの川村亘平斎氏も凄い才人だと思うのですが、メンツがまた凄い。
最近親しくしてもらっている徳久ウィリアムさんをはじめ、あのバイオリンの方、ヤバいですね。
才気あふれる音楽家たちに、くらくらでした。

伝統音楽及び芸能の表現に、魅力を感じるようになって、もうずいぶん経ちます。
ワヤンを初めて観たのは、たぶん十年くらい前、沼袋のお寺でした。
偶然ですが、それからほどなく仕事で、無形遺産について書くことになり。
以前から好きだった文楽とともに、ワヤンの担当になって、調べてハマったり。
で、『眠り姫』 劇場初公開時には、写真展のギャラリーで、
ガムランと舞踊のイベントを開いたこともありました。
あれも素晴らしい体験だったなあ…。

思い出ついでに、話題を飛ばして。
今回の特集上映で、クラムボンのPVを上映させてもらいますが、
実は、僕が撮ったPVは、もう一本ありまして。
それは、やはり十年以上前の90年代末、
「おどるように うたうように」 という、パレードのメジャー・デビュー曲でした。
パレードは、ラブ・タンバリンズでベースを弾いていた平見文生氏の、
いなせなスリーピース・バンド。
ボーカルの木戸氏の歌は、やるせなく、実に色気があって。
今日一日、「Robbie」 というアルバムを久々に聞き返していたのですが、
いやあ、本当にいい曲ばかりだなあ〜
でも、あんまり売れなかったみたいで…。

パレード平見氏との繋がりは、学生時代の友人の紹介。
まだ監督なりたての、アーリーな時分の僕は、意気揚々とやっちゃったわけです。
早朝、だんだん日が昇っていく首都高速を、ひたすら走る車の窓景と、
そのスクリーン・プロセスの前で歌う三人組が、亡霊のように重なっていく、
とってもシュールなPV。
入魂の一作だったのですが、あんまりプロモーションのお役に立てず、申し訳ない。
おまけに、若気の至りで、マスターテープのコピーとか、全くしておらず。
あれ、もう観れないのかなあ。
まあ、滅多に自作を見返すなんてしないのですが、こういう機会があると、惜しい。
あとの祭り、ですな。




2012年10月11日


世間の言う、住みたい街No.1とやらに、僕は住んでいるのですが。
その街が、注目度と反比例するように、どんどん住みにくい街に変わっていくのが、
この数年の悩みです。
実に、四半世紀も ここに居ついた理由の一つは、
日がな一日(毎日?)ぼんやり過ごすための、
マイ・コースみたいなものが 出来上がっていたからでして。
そのコースには、居心地のいい喫茶店が、must の条件で。
ところが、そうした店が、
再開発のあおりか、時代にそぐわなくなってきたのか、
次々と消えていくのが、ああ 無情です。
今週も、駅前にある安くて美味しいコーヒー店の老舗が、消えゆく運命にありまして。
けっこう流行っているんですけど、なぜでしょう?
十年一日のごとく、シャンソンの名曲がエンドレスで流れていて。
朗らかで、物悲しいアコーディオンの調べをBGMに、窓際のカウンターで街ゆく人をぼーっと眺めるのが、
考え事に煮詰まったときの定番だったのに。
ああ、これからどうしたらいいんだろう…。

昨晩、Ksシネマでの特集上映の宣伝試写がありまして。
新作短編 「DUBHOUSE」 の先行上映をしました。
この作品、我ながら、一線を越えてしまったという感がありまして。
やっちまったかなあ、と。
それ、どういうことかと言うと、
試写後にロビーで、観て下さった束芋さんから、
「これって、映画としてやるんですか?」 と聞かれたのが象徴的で。
現代アートの日本代表作家にそう言われると、さすがにたじろいでしまいますが、
でも、僕はこれを、いつものように映画として作ったのです。
いつものように、というのは つまり、
ショットとショットのモンタージュに、うんうんうなりながら、ということで。
まあ、その苦悶が尋常でなかったのも確かなことで。
いつもより多めに、珈琲を飲みに行っていたかもしれません。

そんなわけで、一線を踏み越えたかもしれないけれど、
これは、映画以外の何ものでもないと思うのです。

ぜひ、みなさま、ご覧になってお確かめ下さい。




2012年09月27日


気がつけば、テレビが見れなくなって、一年以上が経っていて。
今のところ、ほとんど不便はないな、というのが実感です。
もともと、バラエティとかあんまり好きではなかったし、
ドラマにハマったなんてのも、思春期を過ぎてからは、とんと。
でも、そう言えば、去年の夏前までは、
家に帰れば、習慣として、まずテレビをつけて、
ダラッと深夜帯の番組を眺めたり、小耳にはさんだりしてたのだから、不思議なものです。
今は、TVの代わりにPCなのですが、
メディアが変わることで、思考や生理に少なからぬ影響は受けるのでしょうなあ。
ヤバい。

米国コダック社の破産に続いて、FUJIも、映画用フィルムを製造中止するのだとか。
ついに来たな、という感じです。
あの、ペラペラで光を透過するフィルムという物質(身体)を失うことで、
映画は、やっぱり 情報になるのですね。
いや、もうすでになっているのかな。

この夏も相変わらず、いろいろな事物を見聞きしていたのですが。
特に印象に残ったのは、お盆前、何の気なしに行った、
しばてつさん(ピアノ)のミニコンサート、「近況」 vol.42 でした。
四人(組)の音楽家がそれぞれ演奏する、その演目の?題?が、実に秀逸。
まず一組目が、環境音とピアノの共演で 「音楽以内」。
次の森下雄介さんは、ピアノ即興をPCに取り込んで、i-phoneを仕込んだボックスティッシュを振ってコントロールしながら、ラジオで受信して流すという 「音楽辺境」。
さらに池田拓実に至っては、もはや楽器すらなく、電極を差したビーカーに繋いだ電球を、ひたすら灯したり消したりしているだけという 「音楽以後」。
そして最後に、しばてつさんのピアノ演奏で 「音楽以内」 に戻るという、美しいプログラム。
そうか、「以内」 と 「以後」 なんだなと。
で、「辺境」 があるんだあ…と思ったら、目眩がするほど震えまして。
森下さんが、ボックスティッシュを求道者のように振り続ける様が、脳裏に焼きつきました。

ところで。
そろそろチラシが出回り始めるはずですが、
11月に、拙作の特集上映が 新宿Ksシネマであります。
最新作短編 「DUBHOUSE:物質試行52」 まで含む、ほぼ全作12本がスクリーンにかかっちゃいます。
うへー。
その特集タイトルを、学生時代からの付き合いの後輩が見て、一言。
「恥ずかしいですね」。
いや、まったく、お恥ずかしい限りです!




2012年07月07日


巷には、呆れかえることばかり。
政治はもちろん、私の身の周りでも、です。
人が人を、こんなに簡単に ないがしろにできるようになったら、
社会は、もう終わりですね。
早晩、人類は滅びるだろう、少なくとも この文明は行き詰まる、
と 実感を伴って思います。

嫌な感じを紛らわしながら、生きる日々ですが、
そんな折々に触れた表現について。

うちの近所に 100円で入れる美術館があって。
貧乏暮しのひまつぶしに重宝しているのですが、
そのうえ展示も、なかなか良くて。
この前も、一原有徳の追悼展に、瞠目。
恥ずかしながら、全く知らなかった美術家で、
?99999999 ヒラケゴマ? という奇怪なキャッチコピーに、
魅かれて見たら、もうこれがすごくて!
物質の宇宙を念写するような モノタイプ版画は、荒々しいまでに美しく、
まさに抽象表現の極北。
「KIH(b)」 とか 「An(A)1」 とか 「WP3」 とか、作品タイトルもわけ分からんし、
自由律俳句でも活躍した人だそうですが、
金属を腐食させたり、電気ドリル振り回して、
100歳まで創作を続けた おじいちゃんがいたということに、
めまいがするほど感動しました。

最近、木村栄文の特集上映に通って、
そのドキュメンタリーが取り上げた人々にも圧倒されたのですが。
かつて ( ITが蔓延する前?) は、
人生や表現とは、もっと濃厚なものだったのではないでしょうか。

それに比べたら、というか比べるのも変ですが、
同じ頃に見た、某美術館での人気写真家の展示は、
期待して行っただけに、ぺらっぺらに薄くて、浅くて、がっかりで。
流通して持てはやされることの危うさを、つくづく感じました。
同行した友人の写真家が、
「これが いい写真だと思う若い人は 可哀そうだね」 とぼやいていましたが、
それは、写真に限らず 全くその通りです。
希望は 過去にしか無い、
のでしょうか?

先日、日帰りで 静岡の野外劇場に行ってきました。
黒田育世さんが、「死ぬ準備です」 とのたまっていた、新作の初演があるので、
こりゃ観とかねばならんだろう、と思いまして。
「おたる鳥を呼ぶ準備」。
三時間に及ぶ、激走!
突きつけられたことに、うーん、まだ言葉が返せません。
剥きだしの踊り、身体を剥ぎ取っていくような 熱に対して、
これは、山や川や土に育たなかった世代の舞踏だろうか、
などとも思いましたが、まだ遥かに言葉は遠く…。
僕は 20代の終わりの 90年代に、一時期、
指輪ホテルという 羊屋白玉の芝居に関わっていたのですが、
あれは、消費文化へ反逆する女の子たちの生や性が、
無防備に服を脱ぎ、食べ物を食べ散らかす生々しさの中に、
垣間見える手法の面白さだったわけで。
BATIK のダンサーたちの訓練された肉体が、
叫びわめきながら、これでもかこれでもかと 極限まで踊り駆け回る壮絶さは、
女の子たちの生や性でも、掘り下げていく深度がはなはだしく、
表れる様は 全く別次元の達成なのですが、
でも問いかけの根源に、どこか近いものがあるような気もして…。
まあとにかく、ただただ 「BATIKって凄いなあ」 と嘆じ、
帰りたくない重い気分を、缶ビールで誤魔化しながら帰路に着きました。

その数日後。
指輪の頃からの親友の、クラリネットを聞きに 北浦和へ。
何年もニューオリンズに行っていた彼が、
帰国後に、トラディショナルなジャズを吹くのを聞いたのは、
そう言えば、これが初めてでして。
ぼんやりとした印象ですが、米国行きの前に 西荻で聞いた時より、
ぐっと味わいが深まったような気がして。
デュオのピアノ弾きも、真摯な演奏だったし。
とってもいい気分で、酔っ払ってしまいました。

で、昨日。
久し振りに、『仁義の墓場』 を観たのですが。
あれは確かに、やくざ映画の歴史的傑作ですな。
神波史男について、僕は何を知っているわけでもありませんが、
はぐれ者の美学を 胸に刻みました。




2012年05月08日


ゴールデンウイークも、あっという間でしたね。
何をしてるというわけでもないのに、日々は過ぎゆき、
そのスピードに、年々歳々アクセルがかかってるようで、切ないです。

会期終わりに、なんとか滑り込めた、「ジャクソン・ポロック展」。
初めて観た実物の印象は、なんか、異様に小さいな、と。
?門外不出の大作!?とか謳っている今回の目玉の、「インディアンレッドの地の壁画」 ですら、そうでして。
大きい、と感じられないのは、息苦しいまでの緻密さ、ゆえでしょうか。
誤解を恐れず言えば、例えば、岡本太郎の絵のような野放図な大きさとは、真逆にある切迫感、
あの緻密さをオールオーバーに維持するには、精一杯、もうギリギリという感じが、
大作の壁画ですら、大きく感じさせないのかも。
極北であらんと、つきつめる様が凄まじく。
ああ、こりゃ、死ぬな、と。
思った、次第で。

で、昨日は、奇しくも同じく生誕100年の、
ジョン・ケージを聴きに、門仲天井ホールへ。
友人が企てた催しだったのですが、遅刻してしまい、
実に官能的だったという、「in a landscape」 を聴き逃し。
でも、震えんばかりに精密で厳格な、ドゥルーリーさんのピアノタッチに、
ケージって、思想なんだな、とつくづく思い。
ぼんやりホールの天井を見上げながら、ここ閉館しちゃったら痛手だよなあ、とも思い。
また、終曲の譜面が、見開きでワンセクションだからなのか、
縦長で異様にデカいなあ、とも思ったり。
不真面目ながら、久々のコンサートを優雅に満喫して、
現代音楽っていいなあと、終わって明るくなった会場で感じ入っていたら、
前に座っていた美恵さんが、「やっぱり、あたし現代音楽って合わないわ」と、
あっけらかんと言い残して、さーっと立ち去ったのが、可笑しくて。
ちょいと一杯、下町の酒場で呑み帰りました。

ところで。
ビースティボーイズのMCAが、亡くなりました。
新しいスタイルのポップ・ミュージックの登場は、彼らが実は最後だったのではないでしょうか?
革新的なアーティストは、先鋭的な映像作家でもありました。
MCAの作ったビデオクリップ、びりびりキタなあ。
アーメン!
(あ、ブッディストだった…)




2012年04月26日


この日記の表題には、なんてことない日々をつづるなどと書いてありますが、
そんなのんきなこと言ってる場合かと焦るほど、危機的な社会。
が、そんな状況に対して、どんな発言をしていいやら、考えるだけで鬱々となる日々です。
日々、つぶやいたりつながったりしている人々の営為が、
うらやましくも、すさまじくも感じられます。

ま、そんな心中でも映画は観るわけで。
こないだは、ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団時代の 『ありきたりの映画』。
実際観てみると、言われているほど、?五月革命?に共闘してるように感じられないのは、何故だろう?
「すべては、美学と経済学に尽きる」 とまとめた後に、
トリコロールが左右に揺れる、ラスト・カットが可笑しかったな。

映画館で久々に会った友人とお茶して、勧められた安冨歩。
痛快ですね!





2012年03月31日


今日から 『眠り姫』、11回目の再映。
ついに、十回を超えてしまいました!?
これはもう、嬉しいとか、驚きとか、分からないとか、
ほざいてる場合じゃないですね。
ずいぶん前から、
「観てくれる人が一人もいなくなるまで、上映し続ける」
と宣言してましたが、言うは易し。
実際、それを貫徹してみようじゃないかと、新たに意思を固めた所存です。
それにしても、ユーロでの初公開から 5年、生演奏上映から 7年、作っていたのは 9年も前になります。
まさか、これが、自分の代名詞のような作品になるなんて。
あの頃は思いもよらなかったなあ…。
ただただ、衝動に突き動かされるまま、無欲に奮闘し続けた軌跡なのですが、
それが、こういう結果に繋がったということなんでしょうか。
感慨深い。

で、ちょいと告知。
早稲田の学生さんが編集発行している 「MIRAGE」 という映画批評誌があります。
今出ている第4号は、上野昴志さんや、ポレポレの小原治さん、アップリンク浅井隆さんなどともに、
恥ずかしながら、僕のインタビューも掲載してくれました。
『眠り姫』 どころか、大学生の頃まで遡る、長くたわいもない経験談。
ひまつぶしにどうぞ。
インターネット購入以外に、模索舎やアップリンクでも買えるそうです。




2012年03月17日


いよいよ春が、近づいてきたようですね。
風に吹かれて、ふと思い出します。
去年のあの日の後、無謀にもよく出歩いていました。
『ヒアアフター』 を観るついでに寄った、閑散とした歌舞伎町。
アップリンク帰りの、渋谷ハチ公前の夜の暗さ。
ミネラル・ウォーターが売り切れて、コンビニをはしごしたとき、
春の風が、時に強く、不気味にそよそよ吹いていました。
あれから1年、いつの間にか経つのですね。

最近、つとに思います。
終わりなき日常を生きる、のでは もうすでになく、
この日常の終わりまで生きる、ということなんだろうなあと。

この間、トークに呼んでくれた 牧野貴くんの新作上映会。
祝! ロッテルダム・短編最高賞の 『GENERATOR』 は、紛れもない傑作なんだけれど、
あの東京の空撮に夥しいフィルム粒子が舞い散り、猛烈な水流に変わっていく様に、
僕は、どうしてもあることを連想せずにはいられず、
圧倒的な迫力と 攻撃的なまでの美しさに、酔いしれ 胸を締め付けられました。
で、また人前に出てるというのに、生ビール3杯くらってしまったわけです。
まあ、言い訳ですが。
製作順の前後は分からないけど、『光の絵巻』 の方が、安らかに堪能できたなあ。

光と言えば。
もうひと月くらい前になりますが、『DUBHOUSE 物質試行52』 の初上映、
大変盛況でございました、ありがとうございました。
直前まで制作に追われていたということもあり、あまり告知できなかったにもかかわらず、
だからなのか、建築系の識者が多いアウェーな状況で、登壇もあり、びりびり緊張でした。
そんななかで、写真家の安斎重男さんが見事に、あの闇に焼き込んだ「事」を見抜いてくれたのは、
我が意を得たり、苦労した甲斐あったなあ…。
が、その一方。
地下階に展示された 『53』 の中に入れてもらったとき、
うーん、あのどこまでも冷たい LEDの光に支配された、陰影の消えた世界に覚えた戦慄!
ああ、恐ろしい、あんなもの撮れと言われなくてよかった、俺には無理だ…。
しかし、今我々が生かされているのは、こういう世界なのだとも痛感したのでありました。
あちゃー、参ったね。

そして、吉本隆明。
最初に読んだのは、「言語にとって美とはなにか」。
高校生だったし、理解できたとは全く言えないけれど、
美しい書物だな…と、なんとなく感じたことを覚えています。
巨人がまた、逝きました。
合掌。




2012年02月16日


ずいぶん、映画を観ることができないでいて。
久しぶりに観たのが、アキ・カウリスマキの新作だったのですが。
『ル・アーブルの靴みがき』。
いやあ、折り目正しい 素敵な映画だったなあ。
久々でかつ アタリってのは、気分がいいものです。

そして、いよいよ明日からは アテネで、デュラスの特集ですな。
ああ、通いたい。
なんと言っても、楽しみなのは、 『ヴェネチア時代の彼女の名前』。
ひょっとして、15年振りくらい? いやそれ以上かな?
とにかく、 『眠り姫』 の発想の源泉ですから、もう ドキドキ。
あの、誰もいない廃墟から聞こえる声、物語りは、
思い出すだけでも、美しさの極致。
これぞ、亡霊映画。
でも、今観直したら、どう思うんだろう?
うーん、ドキドキ。
みなさんも、ぜひ。

で、ぜひと言えば、鈴木了二氏との共作短編。
『DUBHOUSE 物質試行52』。
今日、できました!
明日上映。
間に合いましたー!!





2012年01月25日


あ、 アンゲロプロスが…




2012年01月20日


相変わらずの筆不精。
今年もとっくに始まりまして、寒中見舞い申し上げます。

2012年は、マヤの暦で終わりの年。
だからなのでしょうか、正月早々、不穏なニュースを耳にしました。
南インドに来年、5万人が居住できる日本人街を造ると、経産省が発表した あれ。
本当ならば、いよいよ棄民ということなのでしょうか。
金持ちの子息だけが生き残り、声のでかいヤツばかり のしていく世の中が、
ますます進んでいくのでしょうなあ…
ああ、やだやだ。

ちょいと前になりますが。
府中まで足を延ばして、「石子順造的世界」 展に行きました。
?ハイ・レッド・センター? 高松次郎の 「カーテンを開けた女の影」 が、奇跡のように美しかった…。
埋め込まれた鏡で、館内照明の反射が床に ふわっと映っていて。
それに気づいているのが、周りに誰もいないのをいいことに、
ヴィーナスの光を そっと足で踏みつけました。
高度成長期のアンデパンダンの空気を、僕は幼いころに吸ってしまっていて。
こういう展示には、えもいわれぬ懐かしさを感じてしまいます。
中村宏は、やはりカッコよかった!

さて、今日は雪の日でしたね。
雪国から帰京したばかりだというのに、極寒の朝。
恨めしく思いながらも、そわそわ。
いそいそ、駅とは反対方向に向かいました。
というのも、今日、我が町にあの喫茶店 「三番地」 が帰ってきたのです!!
一番乗りを目指したのですが、着いたらもう先客がいて。
でも、それがまた嬉しくて。
マスターは にっこり迎え入れてくれたし、
年代物のスピーカーから流れる音は、昔のままのぬくもりだし。
しばらくぼんやり珈琲をすすりながら、窓越しに降る雪を眺めました。
ああ、至福。

さてさて。
短編ですが、五年振りの新作が いよいよ出来上がります。
一昨年の夏から取り組んできた、建築家・鈴木了二氏との共作、『DUBHOUSE 物質試行52』。
いやあ、我ながら言うのも恐縮ですが、またしても とてつもないものになりそうです。
なんせ、イーストマン・コダックが破産した折も折、
35?フィルム作品として仕上げているのですから、なんともはや天の邪鬼。
二月、写真美術館の恵比寿映像祭を、乞うご期待!
…って、まだラボでの作業が続いていて、間に合うかどうか シビレるとこなんですが。














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