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ダイアリー
2024-1-17
「のんきな姉さん」が初公開された日、
つまり僕の劇場デビューは20年前の今日だったよなと思い。
日記を書こうと、調べてみたら2004年の1月10日でした。
もう1週間も過ぎていた。

まあ、そんなもんでしょ。
今年もどうぞよろしくお願いします。
2023-12-19
日記が流行っているという話を聞いた。
たぶん、読むのも軽く流せるし、書くにも容易いからだろう。

それなのにこの記は、前回から7か月以上が空き、もう年末である。
容易いはずなのに、なぜなのかな。
いや、けっこう書くのがしんどくて間が空いてしまった記憶が強い。
書くことが不得手なのもあるが、何事も肩に力が入ってしまうのが理由だろう。
力を入れたって、大したものは書けないのに。

今年は辛い年だった。
夏前あたりから、後半がとくにキツかった。
精神的なことが大きく、それは今もなので過去形ではない。
でも、そのことを書くのはやめよう。
マジな心情吐露日記など、このご時世(いや以前からか)誰も読みたくないだろう。
流行っている日記というのは、そういうものではないだろうというのは想像できる。

日記のページを持ち始めてすでに、なんと20年?!

居眠り日記なのだから、その前は、のんき日記だったのだし。
のほほんと書いてみるかな。
そうすれば、もっと書けるかな。
2023-4-30
堂々めぐりと空回り。
そんな人生を送ってきたなと、改めて思う。

若いうちに何も出来なかったに等しい。
チャンスがなかったわけでもなく、それを生かせず惜しいことをしてきた。
頑張らなかったのでもないので、おそらく、何かがズレていた。
世の中への理解が足りなかったのだろう。

四十歳を過ぎてから、新人のようなつもりで一念発起し、やってきたつもりだが。
それも中途半端だったのか、実績と言えるまでのことにはならなかった。

かろうじて、今は取り組むことがあるが。
それも、いつまで続くのやら。
五十代の半ばを回り、限界を感じること多々あり。

世の中の変化も凄まじい。
それに合わせて、付いていこうと自分を変えるのも気が引ける。
どうしたものだろうか?

母の銀座での個展(たぶん最後の…?)が、昨日で終わり。
付き添って実家まで戻り、今、栄町のスタバでボーっとしている。
2023-3-31
この一年、懐かしい人々との邂逅が多くあった。
それは、こちらから意を決してというのもあり、
思いがけず連絡が来て、ということもあった。
つい最近も、浪人時代につるんでいた友人から突然メールをもらい、
35年ぶりに会って、吞んだのだが、
店に入るなり目が合い、笑い出すくらい。
あまりに近しく感じ、びっくりした。

それは、長く音信不通で、
人を介してまで電話番号を調べねばならなかった、
大学時代の親友もそうだった。
夏に、福岡へ行く用事に際して、アポを取り。
彼は、わざわざ佐賀から博多まで会いに来てくれたのだが、
駐車場に停めた車から降りる姿を見た瞬間、時間が30年巻き戻された。
その日は、彼が時間なく、豚骨ラーメンを一緒に啜っただけで別れたが、
冬に再び、私の上映会のために泊りがけで会いに来てくれた晩は、
夜通し酔いつぶれるまで呑んだ。
お互い相応に老けはしたが、声も表情も、ほとんどあの頃のままで。
なんだか学生時分にタイムスリップしたように、盛り上がった。
何だろう、この地続き感。

学生時代の親友と言えば、新宿の飲み屋でばったり会った、
もう一人とも、そうだった。
そのときはちょうど、新作現場のただ中だったので、
落ち着いたらゆっくり、と約束して、数か月後。
新宿で待ち合わせ、彼の案内で大久保のエスニック料理屋へ歩く間に、
時間は学生時分に巻き戻され、店の席に着くころには、
最近の関心領域について話し込んでいた。
たぶん20年以上話してなかったはずなのに、近況報告もせず。
先週の続きを話すように、すんなり入ってしまう不思議。

他にも、いくつか、そんなことが続いている。
この連続に、どんな意味があるかと考えても、詮無きことだが。
去年から多くの訃報が重なっていることを思い、悪い想像もしてしまうのだが。
まあ、とりあえず、検査の結果が甚大でなかったことに、
今はホッとしている。
2023-2-22
デジャビュのようだ。
映像ファイルを書き出す間に、飯を食いに駅前へ行く。
寒い2月、毎年この時期、ギリギリ間に合うか、
あと何時間あるか、何をどの順番でこなせばいいか。
と考えながら、PCの映像ソフトと格闘している。

「サロメの娘」の頃は、Final Cut Pro 7だった。
あれは、完成された、良いソフトだった。
十年選手(買ったのは『ホッテントット』を作った2005年ごろ)の一番安い、
デスクトップのiMacがひーひー言いながら、
私の込み入った編集、何重もの画の重なりを計算してくれている間に、
あと何分というタイムを確認して、
駅の立ち食いへ、小走り。
ソバをかき込んで、家に戻り、編集を続ける。
そんな冬、春先の繰り返しが、四十代後半だった。
そのうちに五十を越えた。

何か変わったろうか?
今はMacBook Proだから、カフェでコーヒーをすすりながら、編集することもある。
家にいるよりその方が暖かいし。
えげつないサブスクのPremia Pro CCは、レンダリングの待ちはない。
でも、書き出しは違う。
ものすごい負荷が、小さいスペックのマシンを痛めつけながら、数時間の計算を続けている。
画落ちする場合もある。
見直し、確認して、また書き出す。
その待ち時間に、飯を食い、コーヒーを飲んでいる今。
大した違いはない。

こんな繰り返しを、これからも続けるのだろうか。
いつまで、続けられるだろう?
経済的にも体もしんどい。
いつのまにか、もう55歳だ。

いや、まず目の前のことだ。
間に合うだろうか。
明日の朝には、車で出発。
京都での上演は週末。
無事、出来るだろうか、、、
2023-1-2
正月早々、いやな夢を見た。
自分が死んでしまう夢だった。

普段は目覚めると同時に、きれいさっぱり夢は忘れてしまうのだが、
しばらくぼんやりと夢を反芻するように、起き上がれずにいた。
というか、醒めたと気づかずにいた。

どのように死んだかは覚えていない。
ただ、その後も延々と、死んで幽霊になったのだろう、
自分の死後の状況を傍観しているのだ。
その顛末は、わりと細かく、しかも淡々と続いていた。

私が死ぬ前に、別の映画監督も亡くなり、
その監督と比べて、どうも自分は顧みられていないなと。
そのことを、つくづく認識する状況だった。

自分では一生懸命やっていたことも、
世間とはあまり関係なかったし。
まあ、大して重要な仕事ではない、
そう思われていたと、客観的に知らされる状況。

周囲にずいぶん迷惑をかけたし。
自分がいなくなることで、
彼、彼女は、ちょっと楽になったんだなと。
悲しさとホッとするのを天秤にかければ、
そんなもんだろうなと。
しみじみ認識する夢だった。
ちょっと、梅崎春生の小説のようだった。
2022-12-23
いつの間にか、師走も暮れである。

今年は年初から、久々に組を組んでの映画制作があり。
毎夜毎夜の変則スケジュールで、中空きもあっての、ロケ二か月間。
春を迎えて仕上げもしながら、『眠り姫』の15周年上映を東京と大阪と。
大津で、吉増さん檜垣さんとのプロジェクトのワークインプログレス。
並行して『背』の公開準備が始まり、夏を迎え、石巻へも再訪した。

秋は、怒涛の上映ラッシュ。
まずは9/17、宿年の8㎜上映企画で鷲見くんの『宵醒飛行』と井川さん追悼上映。
これで早々に燃え尽き、体調不良でポルトガルに行けず。
『背』を10/8に公開し、村上春樹ライブラリーで昨年撮ったイメージ映像も併映。
年初にロケした『ピアニストを待ちながら』を、10/12に早稲田でお披露目。
さらにアテネで10/14、一年がかりの作業だったレストア版『のんきな姉さん』『夢で逢えたら』の完成披露。
これら三つの晴れの舞台が、ほぼ1週間の超過密日程で行われ、フラフラになっていたら。
げっそりした私の顔を見た、知人の女性から、
「誰がスケジュール管理してるんですか?」
と、当たり前の心配をしてもらい。
全くだよなと思いつつも仕方なく、組まれた予定を何とかこなす日々。

10月を乗り切り、11月には地方行脚に突入し。
その合間に、原稿仕事を久し振りに。
ゴダール追悼特集のユリイカにエッセイを書いた。
というか、なんとか書けた。
400字で十枚ほどが、こんなに大変だったなんて。
普段から文章を書いていないツケだと反省。

この日記も、すでに1年以上ぶり。
いかんいかん。
2021-12-12
訃報を知らせてくれた北岡さんが私の声を聞くなり、わあっと電話の向こうで声を上げ、
「ごめんなさい。七里さんの連絡先が分からなくなってて。倒れたときすぐに知らせられず。間に合わなかった」と言ったのだが。
不思議と悲しい気持ちにならなかった。
信じられないという思いとともに、ある意味、もう知ってた、分かっていたという諦念に、心は支配されていた。
なんでだろう。

あれから半月近く経つが、一度も涙がこみ上げない。
去年、成田さんが亡くなったときは、その日一日、何も手につかないほどの情動に揺さぶられた。
それなのに。
もっともっと、比べるのもなんだが、この数年の間に逝かれてしまった方々の中では、比べられないほど近しい人だった。
私に最も影響を与えた彼が、逝ってしまったというのに。

この半月間に、二度ほど不思議なことがあり、数回泥酔した。
それ以上のことは、まだ書けない。

だから、もう15年近く前に、彼の久々の新作を含む上映会「プロジェクトINAZUMA」のパンフレットへの寄稿文を載せます。
なんでだろう。
15年前なのに、これ、もう追悼文のようだ。


「それでも平気で生きている」 七里圭

 そう言えば、長く伸び過ぎた髪が眼前に落ちてくるのが鬱陶しくて、両手で押さえつけるように掻き上げては、その仕草のまま、よく人と話していたような気がします。「寝耳に水は気持ちいい。それは泳いだ後に水が抜けていく、あの感じ…」と劇中で長島は言いますが、僕にとって『寝耳に水』の感触は、虚実曖昧模糊とした懐かしさを伴うものでした。
 井川耕一郎という稀有なる才能に初めて出会ったのは、もう二十年近く前。入学した大学の映画サークルの新入生勧誘上映会で、『ついのすみか』と『せなせなな』を見たときのことでした。上映後の飲み会で、話しかけることもなく遠巻きに、あれがあの映画を作った人かと眺めていたら、突然すくっとその人は立ち上がり、一人飲み屋を飛び出していきました。妙なことに、先輩方はその異変を気にもせず飲み続けている。僕はなおさら好奇心をあおられ後を追いました。深夜の高田馬場の坂をまっしぐらに駆け下りた男は、駅前に停めてあった誰の物とも知れぬ自転車に飛び乗ると、スタンドを立てたまま、猛烈なスピードでペダルを空漕ぎ始めたのです。精魂尽き果てるまでやめようとしない無為の持続。その異様さは、東京に出てきたばかりの僕に、都会の片隅で孤高の求道者を目撃したような高揚した気分を与え、井川耕一郎という存在を深く印象付けました。
 つきあいが始まったのはそれから2、3年が過ぎてからのこと。その頃ちょうど井川さんは、鎮西監督の(幻の企画になってしまった)『光線過敏症の女』という脚本を書いていて、僕はときどき呼び出され、感想を求められたり、粗筋を見取り図化する作業(他者の頭を通過させることで、自分で気付かぬ躓きを発見できるらしい。この時、彼がいかに論理的かを思い知った)を手伝ったりしたのです。それが映画に使われた、あの部屋でした。物が少なく生活感の薄い部屋は、一人で住むには広すぎる間取りでしたが、不思議と開放感はなく、逆にどこか張り詰めたような印象がありました。だからなのか、密室劇であるこの映画の狭く切り取られたショットの積み重ねは、妙に当時の記憶を呼び起こします。
 その後も僕はあの部屋に通う機会を持ちました。それは自分の手書きの原稿を清書するためにワープロを借りていたからなのですが、井川さんは僕が書いている時、一人にしてくれたのはありがたいが、その間に当時の僕の彼女を連れ出し焼き肉などを食べて、さも楽しそうに帰ってくる。悔しいから冷蔵庫の中の物をいろいろ頂戴したら、なせかカマンベールチーズのことだけ、いまだに恨み言を言われます。
 『ついのすみか』を経て『浴槽の花嫁』という封印された作品の後、映画監督井川耕一郎は沈黙し、やはり監督を休止した高橋洋の後を追うように、脚本家としてのキャリアを開始しました。僕が知るこの時期の井川さんは、何かを目指しているのにどこにも行けない苦しみと闘っていたような気がします。Vシネマの枠組みにため息し、ハルシオンや伝言ダイヤルを取材して小説の構想を練ったこともあったはず。カラオケで絶叫して飛び跳ねたり、いつ終わるとも知れぬ長電話をかけてきたりするたび、一心不乱にペダルを空漕ぎするあの時の姿が重なりました。
 いきなり断言しますが、井川耕一郎は天才でも狂人でもありません。たぶん、地道な努力の人なのだと思う。狂っているとはどういうことなのか、幽霊のように生きているってどんな感じか、真摯に愚直に追求し続けるその様が稀有であり、実に崇高なのです。
 僕が井川さんの影響下にあったのは二十代の半ばまでで、その後は仕事上でつきあう人々も変わり、次第に疎遠になっていきました。やがて美学校という場所が出来てそこで講師を始めたらしいと知り、久し振りに会いに行ったのは、『のんきな姉さん』の脚本を書いていた頃。ホンの直しをお願いしに行ったら、「今、監督作の準備をしているから」と断られました。その時、スタッフの学生らが現れて僕の顔を見るなり、「ああ、なるほど」とか「よく分かりました」などと訳の分からぬことを言う。聞けば、キャスティングで「七里みたいなヤツを探してくれ」と井川さんに指示されたとのこと。へえと興味を覚えましたが、実際にその『寝耳に水』を見たのは、完成して上映も終わって何年も経ったつい最近です。
 初めて見たとき、冒頭の水音からすでに背中がゾクゾクしてしまいました。自問不答のモノローグ。昔、親しんだ、あの感じです。回想の中で回想される光景は、いったい誰の思念なのか? 複雑に錯綜する時制と語りについて、批評の言葉に稚拙な僕は気の利いたことを言う術を持ちません。しかし愚鈍にも、映画の良し悪しは、いかに見る者の知性を刺激し、情動を喚起するかに尽きると固く信じているので、そういう意味で、僕にとってこの映画の白眉は、後輩の自殺を幻視した直後に出る、字幕でした。
 「それでも平気で私は生きた」。ああ、そうだ。そうなんだ。どんな痛切な思いをしても、平気で生きていくしかないし、平気でなんかいられないから、心は幽離し、分裂し、不明になるのだ。その有様が、時制と語りの混沌なのでしょう。だから、物語の最後で、大島弓子の『ダリアの帯』のごとく意識が老境の懐古に転じたり、抱きしめた妻をストーブの口火と錯誤するのは、ちょっと悲しすぎるとも思います。そんな抑えがきかぬ亡びへの欲望を諫めるように、寝床で夫を受け入れる妻のとろんとした微笑みは、美しい。ああいう美しさをさり気なく捉える視線に、長い長いトンネルをくぐり抜けた作家の成熟を感じました。
2020-10-21
体調が少し良くなったので、数日振りに一人でふらりと吸い込まれてしまった。
打合せの帰りに、長年のよしみで、慣例だし。
が、一緒に呑むつもりだった彼は、まだ別件ありとのことで、仕方なく。
つどつど立ち寄る、もつ焼き屋へ。
というのは、言い訳に過ぎないが。

隣で呑んでる、常連らしきオヤジ(と言う自分もオヤジだが)の赤ら顔。
なんとなく哀愁漂い、愛らしく、しみじみ。
自分もこのくらいの歳まで、赤ちょうちんに引っ掛かるだけの体力や、余力があるだろか。
感情移入しながらも、しかし、不愛想に本を読みつつ。
ため息つく。

先週は、本当に具合が悪く。
特集上映を前に、つい、堀のことなど思い出したりしてしまったが。
そう書くこと自体、もう一人の亡くなった友人に、雲の上から蹴られるだろう。
酔っ払いの文章は、とんでもない。

先週に、日記を書くつもりだった。
のんきTwitterで伝言もしてもらっていたが、先々週だったかに観た、四半世紀前に脚本を書き、チーフ助監督をしたピンク映画のことを。

書かねばならないと思った。
この週末から上映してもらう劇場デビュー作よりも、もっと遥か前。
確かにいた、もっとうぶで、初期衝動をさらけ出した(と思うのは自分だけだが)無防備な自分を見つけてしまったから。

ところが、「つもり」通りにはいかないのが人生だ。
とにかく文章を書くのが苦手で、時間がかかる。
『ぬる燗』のことを書いたときもそうだったが、あれこれ思い出したりメモしたりするので、結局、一週間はかかりきりになってしまう。
「日」記では収まらない。
と、分かっているので、及び腰。

うだうだと腰重く、目を逸らしていたら、体調を崩してしまい。
おまけに、Web掲載のインタビュー記事の元原稿が送られてきて、びっくり。
うーん、これは、手を入れざるを得ない。
寝たり起きたりしながら、ちまちま言葉をいじるのに、足りない脳みそを持って行かれてしまった。

まあ、それが20年以上ぶりに観た『三十路秘書太股ご接待』について、まだ書きはじめれない言い訳だ。
1995年公開時のタイトルが、『人妻秘書肉体ご接待』だったのは覚えていたが。
(詳細なストーリー紹介とともに、その指摘をすぐにしてくれたブログもあった)
シナリオタイトルは、「平行四辺形」だった。
と、思い出させてくれたのは、つい数日前。
サード助監督として一緒に奮闘してくれた、黒川監督に教えられてだった。

山岡さんのデビュー作となってしまった、あの映画のいきさつについては、書いておくべきかもしれない。
阪神大震災とオウムのサリン事件に挟まれた、ほんのひと月余りに、怒涛のように様々なことが起きた。
往々にして映画製作とはそうなのだが、映画以上に、映画的な日々だった。

そして、あの作品を頑張ったために、結果的に僕は、ピンク映画の監督になることをあきらめざるを得なくなった。
青春の蹉跌だ。

当時は僕は、映画監督になろうとか、なれるとか、本当に全然思っていなかった。
けれど、ピンク映画は撮りたいと思っていたし、いつかピンクを撮るんだろうなと、漠然とだが心構えしながら、助監督をしていた。
が、叶わなくなったのだった。

あのあと、更に延々と、助監督を続ける人生となり。
僕の二十代は終わった。
2020-9-12
成田さんが亡くなったと。
先ほど、知らされた。
昨夜だったそうだ。

突然知らされたわけではなかった。
7月末に、たまたま、というか当然なのだが、
ある連絡先を聞きがてら、それを尋ねる理由たる上映の
報告のために電話して。
「お元気ですか?」と不用意な開口一番、苦笑された。
「元気って、そういう状態とは真逆だな」と
あの深い声で。

沖島さんのときのことがあったので、初めての動揺ではなかった。
そして、結末が近く来ることも分かってしまった。
それゆえ、動揺は著しかった。

僕は結局、成田さんとは、たいそう呑ませてもらっただけで
関係は終わってしまうのだ。
学生のときから知ってる、
厄介な助監督の頃のことも知られている、
ぽつぽつとだが、30年になる、
一方的にだが、最も親しいプロデューサー。

監督デビューのきっかけを作ってくれた人、
でも、プロデュースには至らなかった、
10年後にもそんなことあった、
それも、もう10年前のこと。

成田さんにとっては、不遜で面倒で、僕は

言葉にならない。
自分が死者にとって、どういう存在だったかを考えても仕方ない。
ただ、悲しくてやりきれない。

混乱してるな。
7月末に動揺したから、亡くなったと聞いても、それほどでもない。
と、書こうとしたのだが。
2020-7-27
先日、久々に上映イベントに参加しました。
映画館で映画を観ることは、もう、とっくに始めていたのですが、
イベント・スペースでの上映会に足を運ぶのは、何か月ぶりでした。

短編映像、それも美術系の作家?と言ったらいいいのか。
全く知らない若い人たちの作品や、
もう若くはない知り合いの未見の作品もちらほらあり。
どれも興味深く、面白い体験で。
しかも、アフター・トークのゲストが飴屋さんで、
終わった後、久々、一緒に呑みました。

コロナで自粛になってから、飴屋さんは映画ばかり観ているそうで。
「みんなたくさん映画観てるのに、映画の人たちは嬉しくないんだね」
と言われました。
それは、SAVE the CINEMAの運動やらのことを指してるんだろうなと思い、
スクリーンで観る映画体験と、配信の違いのことや、
配信で観られているのは定額無料の大手の映画ばかりで、
有料配信の僕の映画なんかはほとんど顧みられないことや、
インディペンデントの無料配信が自分で自分の首を絞めることに、
なるだろうという悲観的私見など、通りいっぺんの説明を、
ぽつぽつしながら、ふと。
でも、この、「嬉しくないの?」という問いは、重いなと思い。

だから、どうなんだというのはまだ、全然わからないのですが。
その後もずーっと、引っ掛かっているのでした。
2020-7-9
つづきです。

昨夜は、『ぬるぬる燗燗』を一日早く、西山監督やラピュタのスタッフたちと、プリント・チェックで見せていただいた。
まさに、青春との邂逅だった。
懐かしく、すがすがしい。
おそらくビデオが出たとき以来だから、二十数年振りに観たのだが、こんな映画だったんだと驚くくらい、すっぽり記憶から抜け落ちていたこと多く。
いろいろ思い出されるのも、面白かった。

まずは、当たり前だが、こんなに藤田さんの映画だったんだ、ということ。
例えば、トラックの幌のすき間から、夢殿ぬる燗の秘密をのぞき込む、あのポーズ。
差し入れる手のひらを、こうかな、こっちかなと、散々こだわっておられたのを、カットが変わるたび微妙に角度を変えているのを見て、思い出した。
どっちが良い?と聞かれた私は、どっちだってさして変わりなし。
助監督の本音を言えば、一刻も早くシュート(撮影)して欲しい状況なので、おざなりに相槌を打ってしまったが、思えばそれが、藤田敏八だったのだ。

トレードマークの甚平も、衣装部だったかマネージャーに、いくつか持って来させてどれにするかと。
西山さんは、割とあっさり「こっちっス」と言うのだが、藤田さんが納得しなければ、決まらなかった。
だから、電柱の陰から偵察するときの子供用マスクも、藤田さんのアイデアだったと思う。

松本コンチータと二人芝居のシーンでは、無人の神社のありきたりな境内というロケ場所を、妙に気に入って下さり。
どう撮るかを西山さんが考えている傍らで、コンチに、自分がこう動いたらこうしてくれと細かく指示され、それを私が西山さんや芦澤さんに伝えるという、まるで演出・藤田敏八のようになっていた。

ワカメ酒のストリップ。
あれは、神代さんの『美加マドカ 指を濡らす女』をビデオで見せて、コンチと一緒に考えた踊りだ。
ワカメ酒だから陰毛は緑色だと、前張りにモシャモシャつけ毛をして、バレ隠しにしたり。
演出部の悪ノリが過ぎて、なんとも微笑ましい。

すっかり忘れていたが、ワカメ酒のシーンを撮った和室と、物部屋の娘(葉月蛍)の二階の部屋は、同じ一軒家のロケセットだ。
つまり、物部屋は、三か所の組み合わせだった。
早稲田の店が店内で、階段から上が、一軒家セットの二階。
ラストシーンで屋根伝いに逃げた蛍さんが、はしごで降りると、中野の縄のれんの店にツナガるわけだ。
苦労して探した(小津さんの)路地が、蛍さんとコンチが鉢合わせするワンカットのパンでしか生かされないのは、当時から悔しかった。
というか、あの鉢合わせも、西山さんの最初のカット割りでは、狭いフレームでたたみ重ねるモンタージュになっていて。
私が直訴して、照明部にも無理を言い、パンしてワンカットで見せる割りにしてもらった。
ような気がする。
いやはや、若気の至り。
監督、みなさま、ご迷惑おかけしました。

それから意外だったのは、こんなに多摩川河川敷のシーンが多かったのかと。
城野みささんのドラム缶風呂や、裸にどてらでコンチが抱き着く場面とか、よくもあんなに見晴らしのいい場所で、大っぴらにやったものだ。
あの頃は、公然わいせつスレスレの撮影を毎度こなしていたから、百戦錬磨。
若いし、へっちゃらだったのだろうが、今見ると冷や冷やしてしまう。
あのロケーションは確か、映画『無能の人』に出てくる河原が良いなと睨み、美術部に教えてもらったのだと思う。

『ぬる燗』は、通常のピンクよりは若干予算があったので、知り合いのメイクに安いギャラでついてもらったり。
(通常、ピンクにメイクはいない)
車両運転や制作進行として、カラオケ映像を一緒にやったADを呼んだり。
知恵を絞って精一杯、豪華な現場をしつらえた。
中でも、美術装飾で協力してもらった、大光寺さんら京映アーツのみなさん、そして今や照明の巨匠・長田達也さんには本当にお世話になった。

夢殿ジプシー酒場の、夜間撮影。
デジタルカメラの現在と違って、フィルム撮影の時代、ナイターは照明次第だった。
当然、ピンクの予算で、電源車やキロワットのライトを借りることはできない。
で、とにかくたくさん、強く、火を炊いたのだ。
焚火の炎が危ないくらい、いたるところでボーボー燃え上がっているのは、そんな酒場があったら面白かろうというだけでなく、照明としての理由もあった。

照明機材も借りれないが、エキストラに払う金もない。
なので、シネ研の後輩・先輩、出演者の知り合いをかき集めた。
暮れの真冬、吹きっさらしの河原である。
どんなに焚火が燃え盛っても、凍える寒さ。
その中で、夜通しロケにつき合ってもらわねばならない。
暖を取るのと御礼を兼ねて、本物の燗酒をふるまった。
だから、夢殿シーンの客たちの、半ばヤケクソな酔いっぷりは、演技だけではなかったのだ。

車椅子の男が、ぬる燗の効験あらたか、立ち上がり、しまいには走り出すというバカバカしいエピソード。
あれは、本当は、脚本と音楽の島田元さんがやるはずだった。
ところが、出番を待っているうちに、酔い潰れてしまった。
で、代わりに井川耕一郎さんが、ふざけた役を演じてくれたのだが、井川さんも相当酔っていた。
無茶苦茶に駆け回り、映画ではカットされたが、焚火を蹴散らし、大騒ぎになった。
実は、悪い方の片足をパンパンに腫らしての大熱演だったことが、後から分かり。
心打たれた護さんと、井川さんのその後の関係は、この一夜が生んだのだと思う。

一方、物部屋のエキストラは、オールスターだった。
とりわけ、速水典子さんが来てくれたのには、色めきだってしまい。
エキストラの配置で、ついつい目立つところにエコヒイキした。
そして、藤田敏八、渡辺護の御両人だけでなく、カウンター席には万田邦敏さんも、植岡喜晴さんも、監督だらけ。
お二人ともまだお若く、四十手前くらいだったろうか。
今の私よりも、はるかに年下とは、、、

思い出すこと、書き出したらキリが無い。
今日はこの辺りでやめておく。
明日は、西山さんの監督トークがある。
昨夜、試写の後でやはり一軒、寄ってしまい。
やはり、ぬるめの燗で、久々に二人で呑んだ。
沖島さんが亡くなって、以来だと思う。
昔、沖島さんに「僕は助監督を長くやった人は信用することにしてるんです」と、会ったばかりのときに言われたのを思い出し。
昨夜は、『ぬる燗』の助監督を頑張って本当に良かったと、しみじみ噛み締める酒だった。

もしかしたら、またいつか、つづきを書くかもしれません。
2020-7-8
前の続きで、『ぬるぬる燗燗』について書きます。

『ぬる燗』は、もともと関西テレビの異色の深夜ドラマ「DORAMADAS」の一篇として制作された。
それを、同じ西山監督・藤田敏八さん主演で成人映画にリメイクするという企画であり、私はその映画版からの参加だった。
TV版との違いとして、まず挙げられるのは、ジプシー酒場「夢殿」の主人役。
すでに大和屋竺さんが亡くなられていたので、大和屋さんとも縁深い、ピンク映画の巨匠・渡辺護さんが演ずることになった。
これは、大きな違いだった。
護さんと大和屋さんの風貌、キャラクターの醸し出すものの違いもあるが、それだけでなく(「夢殿」と「物部屋」の)ライバルの意味合いが変わると。

大和屋さんは、若松プロでホンを書いたり監督もしているから、ピンクのイメージが強いかもしれないが、本当はそうではない。
そもそもは日活の助監督出身であるし鈴木清順グループの要なのだから、アウトローとはいえ、やはり撮影所出身である。
一方、護さんははじめから撮影所外の巷で映画を撮ってきた、いわば根っからの「マチバ(町場)」の人だ。
私が助監督を始めた頃にもまだ、この「マチバ」という言い方は、撮影所に対する屈折した感情を含んで若干残っていた。
おそらく、護さんには、反骨精神とともに相当強くあったはず。
この思いをすくい取るべきではないかと考えた。
そこで、物部屋(藤田さん)側の俳優陣と、夢殿(護さん)側の俳優陣は別々に「ホン読み」をして、現場まで芝居を合わせないことを提案し、監督も乗ってくれた。
西山さんは、無口で自ら仕切ったりはしない人だったが、周囲からの意見に対して「イイっす」「ダメっす」の選択を、決して間違えない監督という印象が、私にはある。
実際、この作戦は護さんを大いに刺激したようで、現場が終わってからも何度か思い出し誉められたから、演出としても良い効果があったのではないかと思う。

もう一つ、地味だが重要な変更があった。
それは、物部屋のロケ先だ。
確かプロデューサーは、「TV版と同じ店で良い」と言い、監督もはじめはそのつもりだったはずだ。
しかし、私はTV版を見て予測していたが、実際に下見をしてみて、その店はメインセットにするには「狭い」と思った。
カウンター席しか無い、バーのような細長い空間では、芝居がカウンター越しのやり取りにしかならない。
テレビドラマなら小芝居の切り返しでも成り立つが、スクリーンに掛ける映画版を作るのに、それでいいのだろうか。
コの字型の囲みやL字型カウンターの、少し広めの店を狭く見せる方が、照明の逃げ場もあるしカメラ・ポジションも自由が利くだろう。
藤田さんもTVと同じ店をあてがわれたら、意気が揚がらないのでは?と主張した。

けれども、それは自分で自分の首を絞める行為である。
良き間取りで雰囲気があって、協力的にピンク映画に貸してくれる呑み屋なんて、そうそうあるものじゃない。
しかもピンク体制だから、制作部がいない。
ロケハンしてロケ交渉するのも、自分。
今のようにグルナビとかストリートビューどころか、インターネットすら無い時代だ。
まずは京王線と南武線を、各駅停車で一軒一軒、しらみつぶしに見て回った。
京王線か南武線だったのは、登戸を物語の舞台に設定したから。
「夢殿」のテント酒場を設営する良きポイントが、多摩川河川敷にあったということ。
そして、再開発前の当時の登戸駅周辺は、昭和のにおいが色濃く残る土地だった。

けれども、借りれる店は、登戸の近くでは見つからなかった。
ここだ!と思って持ち掛けても、(当たり前ではあるが)けんもほろろに追い出されたこと、両手に余る。
心が折れそうになった…とでも今風に言って、同情を買いたいところだが、そうでもなかったのが不思議だ。
とにかく、がむしゃらだったのだろう。
現場(クランクイン)から逆算するに、ロケハンは一週間で目途を付けねばならず、方針を切り替えた。

実は、目ぼしい店を、登戸から遠く離れた早稲田で見つけてあったのだ。
しかし、その店は、「オモテ」つまり周囲に風情が無かった。
店内の間取りはもちろん、藤田さんが縄のれんを仕舞ったりする情景も、イイ感じで撮れる場所が理想だったのだ。
西山さんも私も、同じ大学出身。
その手を使って、まずは早稲田の店の主を拝み倒した。
約束を取り付けてから、オモテは別で探し始めた。
「マッチング」と言うのだが、中と外を切り離して撮ることの難易度が高いのは、映画製作をしたことがある人は分かると思う。
監督だけでなく、撮影部や照明部にも「つながらない」と言わせない、良き場所を見つけねばならない。
今度は西武線と東西線、中央線を同様に、ひと駅ひと駅歩き回り、ついに見つけたのだ。

中野の丸井の、裏辺りだったと思う。
その路地に一歩踏み込むなりピンと来て、ここしかないと思った。
早稲田の店と「つながる」、味のある縄のれんの店もすぐに見つかり、お願いをした。
意外にも、すんなり了解が取れた。
それにはわけがあった。
店の主は、確か二代目だと言っていたが、先代の頃に「小津さんもこの路地で撮ったんですよ」と言われたのだ。

もう、深夜。
このあたりで、「つづく」にしようと思います。
2020-7-5
ラピュタ阿佐ヶ谷は、たぶん最もよく行く映画館。
電車で数駅という近さもあるが、とにかくフィルムで映画が観れるのが嬉しい。
遠い記憶の映画を再見したり、未見の作品を私的に発見したり。
映画の勉強と愉悦で、いつもお世話になっているが、そのラピュタで今週、『ぬるぬる燗燗』が掛かる。

『ぬる燗』は、助監督時代の思い出の一本だ。
十年やった助監督を通じて、特に腕を振るった作品と自信をもって言える。
あれは1995年だから、年初から阪神大震災やオウムの騒動があった年の暮れ。
師走のほぼひと月で、準備から現場のクランクアップまでを成し遂げた。
とにかく大変だったが、西山監督のために頑張った。

私が西山洋一(当時は市ではなかった)さんと初めて会ったのは、大学一年の時だから、1988年の冬だったと思う。
サークルOBが16㎜の自主映画を作るから手伝うかと誘われ、有無を言わさず連れていかれたのが、高橋洋脚本、西山監督の『エルヴィスの娘』という作品だった。
そのときの思い出の方が、牧歌的な面白話がいくつもあるのだが、今回は主題でないので割愛する。
要は、学生時代から慕っていた先輩だったので、プロの現場で働くようになっても、私にとって西山さんは特別な監督だったのだ。

大変だったのは、ピンク映画だからということもあった。
ピンクは、当時はまだ35㎜フィルムで撮影していた。
しかし、最低限の予算しかないので、ピンク体制と呼ばれる小規模スタッフで、4日程度で撮り上げる。
音はオール・アフレコだから、録音部は無し。
撮影・照明の技術パート以外は、すべて演出部が兼ねないといけない。
これが、助監督にとって、特殊で厄介な仕事の所以だった。

ところで、助監督というと監督の小間使いのように思われている節もあるが、そんなことは断じてない。
映画製作現場の要であり、むしろ監督ですら、助監督の引いたレールの上でしか現場は動かせない。
製作現場の土台作りをする大切なポジションなのだ。
ちなみに演出部とは、チーフ、セカンド、サード…と3~4人で組まれる助監督チーム。
普通はそれぞれ担当部署があり、脚本や演出意図にもとづき、監督の代わりに差配して各パートに仕事をさせる。
言わば、中間管理職のような役割である。

が、ピンク体制では、管理するパートにスタッフがいない。
だから、自らやるしかない。
同様に監督も、演出に専念するわけにはいかず、現場を成立させるための差配を随所ですることになる。
それには現場経験が十分に必要となり、よって、ピンクの監督はピンク専門で助監督をしてきた出身が多い。
ところが、西山さんは初めてのピンク映画であるうえ、助監督経験もほぼない監督だった。
さらに、当時は今以上に無口で、自分から話し出すことは皆無。
何か聞いても返ってくる言葉は、「イイっす(OK)」「ダメっす(NG)」「そうっすねえ…(保留)」の大体三つしかない。
この三つの言葉から監督の意図を理解し、翻訳してスタッフ・キャストに伝え、現場を動かし、成立させる使命が、私に課せられたというわけだ。
この大変さを想像していただけるだろうか?

私は、ピンク出身とはとても言えない程の場数であったが、3年ほどフィルムキッズという、ピンク映画も受ける制作会社でよく仕事をしていたので、ピンクの現場も多少は経験していたし、すでにチーフも一本務めていた。
歳は27,8で、キャリアもまだ四,五年だったが、いいタイミングだった。
その年の夏には、カメラマンとしてはまだ駆け出しだった、今や世界の芦澤明子さんとも、これまた大変な現場を御一緒して信頼を得ていた。
ここはひとつ、西山監督に思う存分、演出してもらい、是が非でも傑作を撮らせてみせようと、意欲と覚悟でパンパンに張り詰めて、『ぬる燗』の現場に合流したのだった。

つづく(つもりです)
2020-5-14
またまた、夜中に書いている。
感染させない(感染したくない)の空気に囲まれて、
なぜか、ふと、神代(辰巳)さんのことを思い出す。
ご自宅で、座卓を囲んでいて、奥さんが娘さんを連れて外出して。
二人きりになった途端に、「一本くれ」と煙草を指した。

すでに、人工呼吸器を付けた状態だった。
当然断った。
「勘弁してください」と。
そう口走ったのは、神代さんの体の心配よりも、小さな保身。
煙草を吸って咳き込んで、救急車で運ばれるようなことになったら、
というイメージが脳裏をかすめ。
自分が責められるという小心が、先に来たのだ。

神代さんには、当然、見透かされた。
私の常識的でつまらない反応に、苦々しく呟いた。
「おめえの良いところは吸ってる煙草だけなのに、それさえ、俺に渡せねえのか」と。
吐き捨てるように。
私が吸っていたのは、ショート・ホープだった。

つまらない世の中だ。
つまらない世の中は、つまらない人間が作るものだ。
昭和一桁世代の神代さんは、例に漏れず、大正ロマンに憧憬があった。
スペイン風邪が猛威を振るうなか、「宵待草」は流行した。
コロナと、ずいぶん違うもんだ。


2020-4-23
いまさらだが、インターネットが怖い。
と、ネットの日記に書き込んでいる、馬鹿らしさ、よ。
なにもかもが、オンライン化への流れ、だ。
オンラインって何?

打合せを mtg と略されるのさえ、戸惑う僕が、
PCの画面の小窓に並ぶ、動く顔の画像と話している。
ここにはいない人を、そこにいると思い込む。
それが当たり前になる、共通認識になる社会の、薄気味悪さ。
でも、それも、じきに慣れていくのだろう。

そんなに簡単に置き換えていって、いいのかな。
「場」がすり替えられ、「関係」が変質し、「生」も侵食される。
「性」も、か。

フィルム映画が、デジタルシネマに置き換えられたときに似ている。
扱いやすく便利になって、経済的で何が悪いのかと。
デジタルもフィルムも、映画に違いはなし。
そして、昔から映画は変わり続けてきた、そういうものだと。
いつの間にか当たり前になり、違和感さえ抱かなくなる。

会議も、授業も、おしゃべりもオンライン。
安全だし、効率的だし、何か悪い?
仕方ないでしょ、今は会えない。
そうやって、距離を作り、
ネットを介して関係を結ぶようになり。
人間も変わっていってしまうのだろう。
2020-4-4
また夜中に書いている。

この一週間で空気の圧が一段と強まったように思う。
抑圧という形で、世の中が変化するのが日本の不健康なところだろう。
そこには、理がない。
そういうものだという同調だけが、どこからともなく求められる。
だから流され、うやむやになる。

傷つくことを必要以上に恐れる者たちは、
相手を、誰かを傷つけることに、とても敏感である。
それは自己防御なのだろう。
「自粛」を「要請」される理不尽に、抗せず、スルーできるのは、
そういうメンタリティも多分に反映しているのかもしれない。

この、妙に静かで不穏な春には、覚えがある。
既視感のある人は少なくないはずだ。
しかし、何かが違う。
今回の方が不健全に感じるのは、なぜだろう?
2020-3-28
27日の深夜に書いています。

こんな晩だからこそ(というのは言い訳ですが)、
知っている呑み屋に入った。
ずいぶん前から、若者たちばかりで賑わうようになっていて、
あろうことか(とあえて言っておこう)今夜もいっぱいだったので、
肩身を狭くして、空いていた座敷の一席に座り、チビチビ飲みながら、
両隣の会話を、聞こえてくるままに聞いていた。

片側は、ライブの反省会で。
しばらくして、芸人とその親しい者たちの打上げだと分かった。
ピンなのかチームなのかは知らねど、その彼女らしき女の子が、めっちゃディスっていた。
けっこう、シビアな瞬間もあった。

もう片側は、はじめはカップルだったが、やがて年上女性が相席して。
しばらくしてから、女の子の母親なのだと会話から理解。
仲良し友達のような母娘。
娘の彼氏を肴に、また彼氏の方もいい感じで母親を持ち上げながら、盛り上がっている。
のろ気ているというべきか。

うん、両側とも、とてもいい感じだ。
若者たちが、こんなに大らかに呑んでいることを、僕は好ましいと思う。
こんな状況の夜だからこそ、普段通りで良いと思う。
でも、と。

一時間ほどしかいなかったが、どちら側からも、社会状況への抗議はおろか、心配がひと言も漏れなかった。
お会計を待つ間、カウンター席からもそんな話題は聞き取れなかった。

それでいいのだろうかと。
そういうことなのだなと。

世間は分断されている。
SNSは無力だと。
あらゆる抵抗手段が、脱臼されているのだろうと思う。
2019-12-22
UPLINK吉祥寺での新作短編&日替わり特集上映、
先日、盛況のうちに終わることができました。
ご来場いただいたお客さま、並びに関係者のみなさまに、
改めて感謝を申し上げます。
ありがとうございました、お疲れさまでした。

最終日は『Necktie』上映後に、一人で挨拶に立ち。
次が『眠り姫』だったので、
この13年間の上映のこと、振り返ってみようとしたのですが。
あんまり、うまく話せなかったな。

ぼんやりした「いやな感じ」が、
制作した動機のひとつだったという、
今までもよく話してきたことは、言えたのですが。
13年の間に、ずいぶん映画の置かれる環境も変わり、
例えば、ネットで映画を観ることが、こんなに当たり前になるなんて、
初公開の当時は、当然ですが、想像もつかなかったということ。
その変化と、『眠り姫』について考えようかと、
話してみようと思ったのでした。

映画とは、スクリーンに投影されて、
それを、じっと暗闇に身を沈めて眺めるもの…
そういう前提が、意識さえされぬほどに、
まだ当然の認識だったころに、作られた映画だったから。
もちろん、レンタル・ビデオやセル・ビデオは、
今とは考えられないくらい、隆盛で繁盛していて。
だからこそ、天邪鬼としては、ソフト化――
つまりDVD、そしてBDにすることに、
ひたすら抵抗して、上映を続けた時期もあり。
それゆえに上映が続いた、とも言える、頃もあった。

だが、それもひと昔前のこと。
今や映画は、ちまたに膨大にあふれる映像の一種。
動画と呼ばれて、データ・ファイルでやり取りされるもの。
そんな時代に、『眠り姫』は、姿をほぼ変えず、生き延びてしまった。
しかも、おそろしくナイーブな作品であることを、
あの晩、久々にスクリーンで眺めながら、改めて思った。

体験が、極めて近似に、イメージとなっている。
冬場の斜光の、乾いた夕暮れの季節、
ふと空を見上げたとき、あるいは淡い陽だまりに、同じ光景を見る。
そんな状況や記憶へ、観る人を誘導する様々な趣向は、
映画館という装置がなくても、はたして成立するのだろうか?
配信された『眠り姫』が、携帯タブレットで見られる様子を思い浮かべて、
ぞっとしてしまったのでした。

けれど、一昨年、
ニューヨークで初めての海外上映があったことも思い起こされ。
その場に立ち会うことは出来なかったので、
実際には分からないのですが。
声の映画が字幕で鑑賞されることで、
伝わり方は、かなり違ったはずだし、
何か大切なことが決定的に伝わらなかったと思う。
しかし、紹介してもらい、良かった。

作品の受け取られ方が変質してしまうのを、ある程度覚悟しないと、
これからの時代に、映画は残っていかないかもしれないなと。
そんなことも思った、楽日の上映でした。
2019-12-13
今春のことですが。
急に声が出なくなってしまい。
3ヶ月近く治らず、苦労しました。
今も疲れると、ちょいと嗄れ声になったり。
完治したとは言えないかもですが、まあ、もう大丈夫。
でも、全く声が出なかった一時期は、本当に大変だったな。
笑えるほど。

ある映画のアフター・トークに、ささやき声で登壇して。
みなさん、耳をそばだて聞いてくれる上に、
なに話しても、声だけで笑いがとれて。
四月だったので、大学での初めての講師業も始まり。
最初の授業の第一声が、マイクを口につけて絞り出すように、
「せんせいは、こえ、が、で、ま、せ、ん、、、」。
学生たちには、チョー受けました。

咽頭炎と診断されたのですが、原因はよく分かりません。
ちょうど 『Necktie』 の現場が終わった直後だったので、
たぶん、過労&呑み過ぎ、かな。

名古屋での決定版「サロメの娘/アクースモニウム」公演も
『Necktie』 クランクイン直前にあって、制作準備が丸ダブり。
毎日、往復2時間半以上かけて、横浜中華街のスタッフルーム通い。
ロケハンして、交渉して、四方山の打合せ。
合間に本読み、リハーサルしながら、
手作りの映画製作なので、美術制作から衣装探しまで。
呑んで夜遅くに帰宅してから、朝まで「サロメの娘」の映像編集。
まあ、よく身体が持ったというか、持たなかったというか。

持たなかったのは、懐の方もかなりなもんでして。
もともと与えられた予算が少なすぎて、持ち出しが倍近くになり。
ロケが全撮了して、現場終わりの打上げで、チビチビだらだら朝まで呑んで。
ああ、明日からどうやって生活していこうかしら、、、
と、ぼんやり思い悩んでいたのもあったのかな。
翌日、起きたら、声が出なくなっていたのでした。

まあ、そんな大変な状況でしたが、現場は楽しかったな。
久しぶりに、台詞や状況説明(ト書き)が書いてある――
つまり、シナリオがあって。
登場人物はどう思ってるんだろう、何するの?
ってなことを考える、演出するのが、やはり僕のホーム・グランドだと。
そこ育ちなんだよなあ、本当は…と、つくづく思いました。

しかし、その後も夏の終わりに、とんでもない舞台公演があったり、
並行して、今も、とある怪物と関わっていたり。
他流試合、アウェーな戦いは、来年も続きそうで。
でも、求められているうちが、花。
しぼんで、枯れる日はいつか来るのだろうから、
それまで精一杯、頑張ろうと思うのでした。
2019-11-20
昨夜は、久々にうろたえた。
いやはや、学びの場だった。

デジタル技術に乗っ取られたシネマは、もう(かつての)映画の形ではいられないのでは?
そんな問題意識から始まり、ここ数年はことあるごとに、
映画は一万年前からあったのではないか、
イメージを操る表現、見世物は、もっと野蛮でヤバいものだったはずだ、
そう繰り返し、鬼の首を取ったように発言してきたが。
実際に目の前で、それをやすやすと実現したイメージ、
表現が生成する場を見せつけられて、言葉が出なかった。

「現前するイメージ」、「生きている映画」、、、
苦し紛れに絞り出し、応じる感想は拙く、
事態の深度に、自らの認識にすらおよばない。
そして、追い打ちをかけるように、彼から問い返される。
「こういう映画はどうですかね?」

この数年の思考と実践を、経てきた後のはずなのに。
はたと、考え込んでしまう。
果たして、これを、映画、だと、簡単に言えるのだろうか?
優れた映画表現とは、おしなべて、現前性批判だったではないか。

例えば、ブレッソンのモデル論、ゴダールのソニマージュのように。
自意識から限りなく遠く離れて、突き抜けて、
しかしそこに在るとしか言いようがなく、心ふるえる
美しさ、静けさ、凶暴さ、軽快さ、切実さ。
思えば、「清掃する女」の達成だって、
現前する者たちの、エゴとの壮絶な戦いだったではないか。

またしても、手に負えそうにない難問を、突き付けられた感がある。
あえて、「吉増剛造問題」 と呼ぶことにした。
させていただきます。
いや、困ったな。
やっと肩の荷が下りたかと思ったのに。
普通の映画に戻りたいな。

2019-11-4
原稿料代わりに送られてきた「映画芸術」。
パラパラと、まず依頼の「私はこれで決めました」特集を。
知己の方々がどんなことを書いているかを読み、自分のを読み返して。
つくづく、生真面目だなと恥じ入った。
安藤尋さんは、さすが上手い。
読ませる文章だなあと感心、恐れ入ったし。
神代さんのも、なるほどなと。
勝手な発見ではあるが、収穫あった。
沖島さんのは、前にもどこかで読んだか聞いたかした話だからか。
いつものニヤリとさせられる読後感は足りなかったが、さすが沖島調の語りにゆるぎはない。
他にも、いろいろ。
そんな先達、先輩に比するのもおこがましいが。
私の駄文は、何とも肩に力が入り過ぎているというか、愚直過ぎるというか。
省みもしつつ、しかし、仕方ないとも思う。
必死にやるしかないのだ、いつものことだが。
これは書かないと、と思ったし。
「わたしのこと書くな!」と天上から、メールは来ないが飛び蹴りくらいは食らうかも。
2019-9-30
昨日はキノコヤ、聖蹟桜ヶ丘からの帰りの電車で
具合の悪さが限界に達してしまい。
わざわざ観に来てくれた均さんが、車中でずーっと話しかけてくるのを、
我慢しきれず、遮ってしまった。
とにかく、耳元で言葉が聞こえるだけでも耐えられないくらいだった。
一晩寝て復調してきたが、体力の減退が著しい。
酒にめっぽう弱くなってきた。
昨日も、生ビール3、4杯しか飲んでいない。
数年前ではありえない。
うーん。

3週間ほど前、公演のバラシで運搬に使ったレンタカーの窓ガラスに、
やつれたオジサンの顔が映っているのが、自分だと気づいて驚いた。
命を削って、制作、創作をしている実感はあるが、
実際、この5年ほどで相当老けた。
怒涛の作品制作に命を吸い取られた。
40代の、歳の割には若々しかった頃には、もう戻れないな。
加齢のさみしさを感じる。
2019-9-24
公演が終わっても、全く休めない。
やらねばならないことが山積みで、次々と。
そのうち三つが今週に。
一つは、今朝ようやく片付いた。
書き終えた、ボランティアの原稿。
依頼のプライスで、労力の差はつけられない。
これは、書かねばならないと思った。
から、しょうがない。
で、次もある。
来週末までに、また原稿。
何とかしないと。
その前に、公演の会計報告。
さらに、明後日は、二年前の公演の会計調査だ。
いじめかよ。
2019-8-26
とにかくつらい。
でも、頑張るしかない。
明日は小屋入り前日。
もう時間がない。
いや、時間はあるのだ。
ギリギリまで、頑張る。
それだけだ。
2019-8-18
必死とは必ず死ぬと書くのだな、と。
必死だと書こうとして、今更ながら認識。
それにしても、毎度、切迫した状況から逃れられない。
こうやって、追い立てられ、追い詰められることを繰り返し、
時が過ぎ、気がついたら老いているのだろうし、必ず死ぬのだなと。
ああ、もう、小屋入り十日前だ。
ヤバい。
2019-8-17
いつも気遅れてしまう。
いい歳の、オッサンのくせに、恥ずかしい。
人と目が合うと、緊張する。
物怖じしない人が、羨ましい。
時々、だが、
意を決して、相手と目を合わせる
見つめ直す。
たいていは、呑んで、酔っ払って、
やり過ごしてるだけの体たらく、なのですが。
2019-8-16
小さな傷をいくつか負い始めました。
すでにふらふらです。
気をつけないと。
2018-12-13
いよいよ、吉祥寺で 『眠り姫』 です。
僕は今も、ぎりぎり徒歩圏内に住んでいるのですが、
東京で一人暮らしを始めてから30年以上、
この街を離れることは、なぜか、ありませんでした。

『眠り姫』 は、ある冬の、吉祥寺の光を捉えた映画です。
今から15年前、最小限の制作体制で映画を作ろうと決意したとき、
自分が住んでいる、住んできた場所で撮影を始めたのは、
当然であり、最良の選択でした。

僕は、吉祥寺が好きでした。
(今は、ちょっと、分かりません)
吉祥寺での上映は、今回が初めてではなく。
ムーブオーバー(続映)当初、2008年の正月明けにも、
今は無きバウスシアターで上映されたのですが、
そのときは、「ご当地映画」 だなんて、言いませんでした。
この街が好きだったから、ロケしたのをことさら喧伝しようとは、
むしろ思えませんでした。
なんか、浅ましい、というか。

今回は、なぜだろう、公言しようと思いました。
映画館のオープンという、お祭りに参加できる喜びかもしれません。
でも、浮かれたりせず、ひっそりと感慨に浸りたい。
上映が12年も続いてきて、
再びこの地に戻って、『眠り姫』 が上映されること。
とても楽しみです。

今回、アフター・トークで登壇いただく、あるゲストの方から、
「あんな(人の姿をほとんど見せない)映画を作ったのはなぜか」、
「それが今のあなたの活動(「音から作る映画」)とどう結びついているのか」、
と、至極真っ当な質問をメールされて、答えた返信が、
わりとしっかり書けたので、
ちょいと長いですが、以下に記します。

『眠り姫』 を制作したのは、
2003~2005年ですから、もう15年近く前のことですが、
動機の一つは、「嫌な予感」でした。
たぶん、あの頃もし病院にかかったとしたら、
「鬱ですね」 と簡単に診断されて、それで終わってしまったかもしれません。
しかし、その予感はある種真っ当な感覚で、
ゼロ年代に入った頃から急速に強まったのですが、
もの凄い閉塞感、
これから世の中はどんどん悪くなっていくだろうという、暗い感じでした。
それを、山本直樹さんの原作と、その原作の内田百閒「山高帽子」、
さらにその元となった芥川龍之介の自殺というエピソードに託して、
ああいう表現にしてみたのです。

作品が完成し、劇場公開される頃(2007年)には、
ますます世の中は、サービス過剰で分かりやすさばかりを求める、
不寛容な社会へ突き進んでいったかと思います。
そこで、当時「美しい風景映画」 というような評判で、
アンコールを繰り返していた自作に対して、自虐的な実験をします。
それが 「闇の中の眠り姫」 (初上演2010年)でした。
この上演で使用したスピーカーが、
その頃 UPLINKでは、もっぱらライブ・イベント用に使われていた
田口音響のスピーカーでした。
UPLINK吉祥寺はオープンに際して、全館に、
田口音響特注の平面スピーカーを設備したそうなので、
どのような聞こえ方をするか、私も楽しみです。

さて。
震災を挟んで、私は 『DUBHOUSE』 という、
フィルムでしか実現不能な短編映画を、建築家の鈴木了二氏と作るのですが、
その劇場公開時のイベントで、久々に 「闇の中の眠り姫」 を催して、
空気の変化に、唖然とします。
詳しくは省きますが、端的に言えば、
震災以降、悪い予感(閉塞感)は不可逆の現実となってしまった。
今さら憂いてもしょうがない、
もう無理やりにでも、拡げていかねばならないと強く感じたのです。
その衝動と、デジタル問題への関心が両輪となり、
始まったのが 「音から作る映画」 プロジェクトでした。
具体的には、映画を「再び」空間へ開放するライブ、
『映画としての音楽』 やアクースモニウム上映、
つまり、白い1枚のスクリーンへの信仰の放棄でした。
このプロジェクトは、並行して、
「映画以内、映画以後、映画辺境」 という
私の勉強のための連続講座も催しながら進行しました。

私は、1990年代に10年ほど、
商業映画の助監督をすることからキャリアを始め、
映画についてはアカデミックな教育を受けることもなく、
闇雲と言っていいほど、ただたくさん見ただけです。
なので、シュールレアリスムの時代の映画も、
エクスパンデッドシネマも、構造映画も、
観れる機会にいろいろ見ましたが、
よく分からないというのが、正直なところです。
でも、映画という表現形式が、とてもとても好きだから、
映画が映画に閉じてしまうことを、いかがなものかと思っています。
2018-12-5
岡山映画祭のついでに、県内いろいろ行った、
と書きましたが。
倉敷も訪れました。
秋の、行楽日和の日曜日だったので、
美観地区とか、すごい人出で。
吉備路が奈良なら、こちらは京都。
いやあ、修学旅行みたい、観光だなあと
ぞろぞろ人波とともに歩いたのですが、
主目的は他にあり。
危口統之さんのお墓参りをすることでした。

危口さんとはアフター・トークで話して、その後、呑んだきり。
数日後には、実家に戻って療養に専念すると知らされて。
いや、呑み始めて、はっきりと、ガンなんだなと気づいたのですが。
思い返せば、トークの発言にすでに覚悟をにじませていたのに、
全然、察することできず、うかつだった。
それから、わずか三か月。
人前に顔を見せた最後、横浜の日も、撮影で行くこと叶わず。
訃報が届いたのは、『remix』 公開の前夜だった。
だから、飴屋さんは足を引きずり、
倉敷での葬儀から直接、K’s cinemaのトークにいらした。
ずいぶん経って、『危口統之 一〇〇〇』 の日記を読んでいて、
『眠り姫』のアフター・トークは、病の重篤を分かっていたのに、
断りそびれて来てくれたのだと知った。
優しい人だったな。

教えてもらって行ったお墓は、お寺の境内とかではなく、
ファミレスの裏にあり、向かいには団地が建っていて。
らしいなと思いました。
きれいなお花と缶コーヒーのBOSSがすでにお供えしてあって、
僕は、コンビニで買ったカップ酒を置いて、手を合わせてきました。
2018-11-23
岡山を初めて訪れました。
映画祭に呼んでいただき、『眠り姫』と 『あなたはわたしじゃない』を上映したのですが、
せっかくなので延泊して、発つギリギリまで観光も楽しみました。
吉備路をレンタサイクルで一人、ゆるゆる古墳巡りなどして。
天気も良かったし、いやあ、爽快だった。

最初は海の方、犬島へでも行こうかと思ったのですが、全く無計画で。
時刻表を調べたら、公共交通機関でたどり着くには、出発するのが遅すぎ。
で、手頃な選択として、思いつきで総社行きの単線に乗ったのですが。
実は、導かれていたのではないかという気がしてきまして。
というのは、自転車を漕ぎながら思い出したのです。
あれ? 沖島さんは幼少期に、岡山へ疎開していたのではなかったっけ。
ここは桃太郎のモデルともいわれる、吉備津命の伝説の土地。
もちろん、沖島さんの疎開先は平野ではなく、もっと山間部の方ではあるのだけれど。
「まんが日本昔ばなし」を生んだ沖島勲の原風景を、
今、旅していると思い始めたら、盛り上がることこの上なく。
あ、しかも今日、Who is that man ? Tシャツを着ているぞ!と。
これは沖島さんのお導きだと確信したら、
見上げた空、前方の雲の裂け目から日の光が差し……。
きわめつけは、トイレを借りようと入った小さな郷土資料館で、
地元の名士の版画コレクション展が催されてたのですが。
ピカソやブラック、嗣二やシャガールと来て、
現れたのはビアズリーの『サロメ』。

沖島さん、ちょいとやり過ぎじゃないですか?
冗談言ったあと、ニタっと見せる人懐っこい笑顔が思い出され。
なんともおセンチな秋の夕暮れを迎え、夜はしこたま呑んでしまいました。

2018-10-31
いつの間にか50歳になって、それから一年以上が経ちました。
日記も40代最後のままで、止まっていて。
更新しないつもりは決してなかったのですが、昨年の10月から半年くらいは、いやはや我ながらよく切り抜けたと思うほどの仕事量で、日々を振り返る余裕など全くなく。
その後は、それなりに忙しないながらも、このページを再開するタイミングが計れないまま、あれよあれよと一年が過ぎてしまったわけです。
しばらく書かないと、久しぶりに書く内容がこれでいいのかとか、やはり躊躇もあり。
今、まさに綴っているような、内容の無いことではマズイかもと憚っていたのですが、結局こんな徒然で、UPすることにしました。

今日はハロウィン、なのですね。
何にも気にせず、用事もあり、渋谷なんぞに出てしまい。
日暮れどきにハチ公前を通り、つくづく違和を感じました。
この、ぺらっぺらで張りぼてのようなコスプレ?に興ずる若者たちが、やがて歳を取り、いや今もすでに形成している社会のうすら寒さ。
それは、私の世代が興じたバブルの頃の、一気飲みしてゲロ吐く輩たち、あるいは、お立ち台やらでセンスを振っていたお嬢たちが、今こうしてオジサン、オバハンになって家族を持ったり、人の上でふんぞり返ったり、あるいは底辺を支えていることと、地続きなのだろうなと。
もちろん、一部の人たちをトピックに、社会全体を考えるような大掴みは、おっちょこちょいのやることなのだけれど。
ヘイトも、非モテも、ミートゥーも、尖端として表れる現象に恐怖、戦慄を覚えるたびに、一体いつから、何故こんなことになってきたのだろうかと、因果関係を掘り下げないではいられません。

楽しけりゃいい、盛り上がればいい、儲かればいい。
で、いいのですかね、本当に?
2017-10-2
20代で死ぬだろうと思っていました。
それぐらいノーフューチャーだったし、安酒をかっ食らう量半端なかったし、煙草もショッポをきっちり一日二箱喫ってた。
でも、結局、普通に30代を迎えて、煙草はいつの間にか喫わなくなり、酒は一度にそんなに呑めなくなった。
で、40過ぎてもあんまり生活変わらず落ち着けず、ずるずる生きているうちに、今月とうとう50になります。
半世紀も人間やってきて、いったい何やってたんだという感じ。
気持ちはぐらぐら、ため息つくしかない状況から一向に抜け出せないのだけど、
なんとなく忙しなく、目前のやらねばならない作業に追われることで、日々をやり過ごしている。
なんだかなあと思う。
そんな状態だからなのか、ああこれは見に行こう、行き忘れないようにしないとと、初日に写美へ行きました。

20代のある時期、長島有里枝さんは、僕のアイドルでした。
urbanart#2 展での家族写真の衝撃。
ヌードだからというのと同じくらい、あの家族の表情、カメラを見る穏やかさが異様で。
目に焼きついて、頭から離れなくなった。
それ以前から、写真は人並みに好きで、まあまあ見ていました。
ラリー・クラーク、ナン・ゴールディン、ダイアン・アーバス、牛腸茂雄。
簡単には表れない、触れられない、人の一瞬。
それが永遠に静止してしまうという、写真の摩訶不思議。
ガールズフォトの走りのように言われているけど、長島有里枝は登場から、女の子とか女性とか、そういうフィルターへの違和感を全身で表現していた。
自分との距離、周りの世界との距離、親密と疎外と。
90年代前半、20代半ばまでの僕は、ピンク映画の周辺で助監督をしていたから、エロ業界も近いところにあり、性の資本主義というか、男性に消費される裸という価値観に疲弊していた。
だから、名前をローマ字で冠した写真集の最後の一枚、
深夜の住宅街で自転車にまたがり、キッと振り返る裸の遠景ショットは、『インディアン・ランナー』 で走り去る少年のように、胸がすく思いだった。
でも、とどのつまり、アイドルだったわけで。
一時ものすごく好きになって、遠くから見つめていたけれど、丹念にその後も追いかけたわけでもなく。
『not six』 も本屋で立ち読みだった(はず?だ)し、最近は、ああ小説も書いたのかと知っても読んではいなかった。
まあ、その程度。

で、「ひとつまみの皮肉と、愛を少々」。
タイトルも気に入って、夜の用事の前に恵比寿に立ち寄ったのでした。
写真展で見せられるプロジェクションに、感心したことあまりないのだけれど、この展示のはとても良かった。
変わった趣向があるわけでもない。
ただシンプルに、スライドのように、等間隔で無機質に切り替わり、投影され続ける写真。
デビューから10年、20年を超える(のかな?)作品群が、順番に。
見覚えのある初期の作品、不愉快や情愛や空疎な気持ちが漂いだすようなセルフ・ヌードから、友人たち、愛する男、妊娠、家族関係、息子とのスナップ、最近の生活日常へ。
だんだん齢を重ねていく彼女の顔が、裸が時を刻み、人生の流れ、歳月を感じさせて。
30分くらいだったろうか、立ち尽くした。
月並みな言葉で恥ずかしいのですが、感動しました。
2017-9-24
とてつもない、プレッシャーです。
何がって、山形の審査員を務めることになってしまったのです。
依頼を受けたときは、正直、きょとんでした。
は?という感じ。
そもそもは、『アナザサイド サロメの娘 remix』 を上映したいという連絡から。
それだって、え?と思ったのですが、まあ、映画にジャンルという垣根は無用と自負する者としては、望むところ。
光栄ですとお受けしたのですが、その後で、「実は…」 と審査員のオファーを切り出されたときは、さすがに 「ちょっと考えさせてもらえませんか」 と保留するしかなかった。
ビビってしまいました。

何と言っても、山形のインターナショナル・コンペティションです。
これまで、ペドロもワン・ビンもアピチャポンもここから日本に紹介されたのだし、ワイズマンやグスマンが常連の、誰もが認める日本で最も国際的に知られた映画祭のメイン部門。
それを、僕のようなチンピラが審査していいわけない!
先日の記者会見でも話したように、当初は 「身に余る」 と思い、お断りした方がいいのではないか悩みました。
が、僕の現在の映画観、作品に向き合う姿勢は、この映画祭で話題になった数々の秀作に刺激を受けて、また、山形ゆかりの歴史的な傑作群を観ることで育まれたのは間違いない。
こんなありえない、貴重な機会に背を向けたら、逆に失礼。
恩知らずになるだろうと考え直し、受けて立つことにしました。

でも、大変。
考えるだけで吐きそうになります。
だって、ロバート・フラハティ賞を選ぶんですよ。
ドキュメンタリーの父の名を冠する賞を。
どれだけ僕は、ドキュメンタリーについて考えてきたのだろう。
いい歳して、全く薄っぺらで、半端なままの自分を悔やむとともに、
この道を突き進んだ先達、偉大な映画作家たちの横顔が頭をよぎります。
その中には当然、佐藤真さんもいるわけで。
もちろん、縁もゆかりも言葉を交わしたことすらないけれど、まさに映画に供した彼の人生を考えないわけにはいかない。
佐藤さんが映画を撮り始める前に必ず観直したという、フラハティの 『北極のナヌーク』。
温かい友人がDVDをプレゼントしてくれたので、襟を正して観直しました。
四十代も、もう末のオヤジになってしまいましたが、山形に滞在する一週間、僕は一介の映画青年に戻ろうと思います。
何も知らない、わからない。
こんな大役、身に余る、足らず者ですが、でも、全力で向き合います。
毎日へとへとになって、夜は香味庵で呑んだくれているでしょう。
山形に訪れる方、もし見かけたら声をかけて下さい。
重圧に押し潰されそうだけど、がんばります。
どうか応援して下さい!
2017-9-5
『戦場のメリークリスマス』 を、5巻目だけ観る機会がありました。
巻というのは、フィルム映写の場合、映画は15~20分程度で巻分けされていて。
その巻を2台の映写機で切り替え、掛け替えながら上映するのです。
そう言えばデジタルシネマになって以来、画面の右上に出るパンチ(切り替えの合図)を見る機会もなくなりましたね。
さて、なんでそんな特殊な上映があったかというと、それがフィルム保存協会やラボなどフィルム関連各社が共同開催しているワークショップだったからです。
ワークショップにはいろんなコースがあり、その一つに、傷の入ったフィルム作品をデジタルリマスターで修復(パラ消し)するのを体験しよう!というのがあって。
その素材が、なんと 『戦メリ』!!
というわけで、受講生に向けての参考試写があったのです。
ではその5巻目とは、どんな場面だったかというと。
ビートたけしのあの有名な 「メリークリスマス、ミスターローレンス」 を酔って言うシーンから、デヴィッド・ボーイが坂本龍一を抱擁して頬にキスするクライマックスまで。
まさに作品の顔といえる重要なシーンが詰まった巻を、傷だらけの褪色したプリントで上映して、その後に、美しくリマスターされたデジタル版をDCPで見比べたのですが。
いやあ、素晴らしかった!
何がって、フィルム上映の 『戦メリ』 です。
まだ若いたけしの、狡猾そうだが憎めない何とも言えない独特な表情、ボーイの気品、思い詰めた坂本龍一の狂気。
収容所のグラウンドに全員集合させられる捕虜たちを、これぞ移動ショットという流麗さでとらえるカメラワーク。
どのカット一つとってもスキがなく。
ああ、これが映画だ、映画だよという感動に満ち溢れていて。
色あせてるとか傷が目立つとか、そんなの全く関係ない。
映画が迫ってくる圧にたじろぎ、胸をわしづかみにされました。
フィルムと見比べると、悲しいかなデジタルの薄っぺらさは、うーん否定できない。
「何なんでしょうね、この違いは」
と、ラボの方々からも打上げの酒席で本音が漏れました。
世に喧伝されている、デジタルリマスターで甦った云々の旧作名作たち。
あれは、すり替えられた偽物かもしれない。
イミテーションに置き換え、与えられて、本物のすごさを奪われていく過程なのかも。
僕がそのワークショップに参加したのは、「フィルムレコーディングの実例に、1分程度のデジタル映像を素材提供しませんか」と誘っていただき。
そんなありがたい機会をいただけるなら超短編を新作しますと、まだ発表していなかった 『To the light』 シリーズのために撮影した映像を、編集して。
デジタルから35㎜フィルムのネガを作り、プリントを焼いていただいたのです。
で、そのプリントが 『戦メリ』 と一緒に上映されたのも、個人的に感慨深く。
『戦メリ』 を観た高校生の時分、僕の8㎜を褒めてくれたのが大島渚監督でした。
あれが間違いの始まりで、今こんな人生を送っているのですが、
いつかもう一度、自分の作った映画を観てもらいたいとひそかに思っていた。
それは叶わぬままでしたが、ワークショップの試写とは言え、
偶然にも同じスクリーンに作品をかけていただいたのは、ちょいとグッときた。

その催しから帰宅したら、ポストに本が届いていた。
松本圭二という、知る人ぞ知る、才気爆発の詩人がおりまして。
彼の初めての選集に挟まる栞に、寄稿させてもらったのです。
それは、僕がいかに松本圭二のファンであるかということを、ただ書きなぐっただけの駄文なのですが、
でも、自分としてはこの夏の大仕事だったわけで。
製本されて送られてきた本を手にする実感、感無量。
フィルムとデジタルの違いも、やっぱりこういうことなのかも。
松本さんは詩人なのですが、九州にあるF市総合図書館というフィルムの収集をしている施設で、アーキビストとしても孤軍奮闘されていて。
昨年の夏、沖島さんの残した作品群をどこに管理していただくかという会合で、初めてお目にかかったのでした。
その沖島監督 『一万年後…。』 が、フィルムセンターの夏恒例 「逝ける映画人たち」 特集で上映されたのは、本が届いた翌日でした。
本当は35㎜プリントにフィルムレコーディングしてもらいたかったけど、DCPとはいえ国立の機関が収蔵に動いてくれたのはあっぱれ。
これで、沖島さんのジョーク 「いずれ、小津、溝口、沖島の時代が来る」 が、実現へまた一歩近づいた 笑
宇波氏や春日氏らと祝杯を上げ、献杯しました。
で、吞んでしまって少し遅刻したのですが、『月夜の釜合戦』 を試写で観ました。
大阪・釜ヶ崎で16㎜撮影を敢行した力作。
数年前から苦労して製作している状況は、風の便りに耳にしていた。
完成おめでとう、応援しますね。
夏の終わり、フィルムにまつわる出来事が、いろいろ重なった数日間でした。

2017-8-17
もう先月のことですが、海へ行きました。
泳ぎに行ったとかではなく、ただ夏の海辺に触れたくて。
三浦の方へ、日帰りで。
とてもとても暑い日だった。
最初は、サンダル脱いで、波に足さらしたりもしたのだけど、
すぐに虚しくなって、日陰へ。
海の家のベンチに座り、ぬるくなった缶ビール片手に、
水着の若者たちを眺めていました。
この子たちの年頃、僕はほとんどこんな真っ当な夏の過ごし方をしなかった。
あの頃はそういう楽しみに、むしろ積極的に背を向けてしまっていたけれど、
今思えば、なんと、もったいない。
若いうちは若者同士、はしゃいだり、当たり前に季節を楽しむもんだよなと、
つくづく思いながら、酔いました。
そのとき、頭をもたげていたことが、もう一つありました。
終わりについて。
突然、終わってしまうこと。
まだ続く、むしろこれからだと思っていたものが、強制終了する、される。
昏々と眠りにつく男のことを思いながら、考えていました。
海に行きたくなったのも、その男が撮ったある映画を見て、
夏の水着の娘たちを無性に見たくなって。
僕は彼とは特に親しいわけではなかったけれど、折々の思い出がないわけでもなく、
倒れた前々日も、劇場で立ち話をして、じゃあと別れた。
あれが最後になるなんて。
でも、どんなにセンチメンタルであろうが、生者とは勝手なもので、
酔いながら、ビキニのお尻や、ブラのすきまの白い肌を目で追っている。
そうやって生きて、老いて、あるいは老いずに、死んでいく。
ああ、あの映画もそういう映画だったなと、
光眩しいビーチを見ながら思いました。
まだそのとき、彼の心臓は動いてた。
亡くなったと連絡を受けたのは、海から帰った翌朝でした。

それから僕は、やさしさについて考え始めました。
やさしさって何だろう。
命の問題を抱えた友人が、もう一人いて。
それを知らされ、ほっとくわけにはいかず。
会って、長いこと呑みながら話した。
でも話してるうちに、僕が彼女に伝えようとしたことが、いかに余計なことであるか、
いかに何も分かっていなかったかを思い知らされ、メタメタになってしまった。
で、彼の映画の話になって。
彼のすべての映画に通じて感じることは、やさしさだと。
彼女が教えてくれた。
自分に足りないものは、それだと思った。
そう思い始めたら、また酒が止まらなくなり。
過去を振り返り、どうにも堪らなくなり。
やさしくない、やさしさが分からない、本当にダメだった。
潰れるまで吞むしかなく。
弱い。
弱さに耽溺していけば、いつか反転できるとでも思ったのか。

しかし、いい通夜でした。
遺影が底抜けに明るく、白い歯まで見せて、まるで喜劇映画のようで。
ハートの形の花輪に囲まれていて。
参列者も本当にたくさんいて、人徳を感じました。
終わっても、何十人もが去りがたく、駐車場にたむろって。
酒席に移れば、にぎやかで歯に衣着せぬ。
彼がけっこうな酒乱だったとか、亡くなってから知ることも多く。
関係ない恋バナまで飛び交い、夜更けまで。
そして、翌日も告別式が終わってから吞み続けた。
いや、みんなよく呑むよ、こんなんじゃ身が持たない。
とか言いながら、翌々日も、その翌日も、連日。
葬儀が終わっても彼のことを話す、聞く機会は続き。
これも供養だと思いつつ、一方で、別の人のことも考えていた。

肯定することなのだ。
そう気づいた。
他者にできることは、それくらいなのかも。
でも、頭で分かっても、それをさらりと、
普段からできるのは、途方もないことだろう。
初日に観たあの映画を、楽日にもう一度観に行きました。
本当に、いい映画だった。
最初に観たときは、ちゃんと観れていなかった。
だから、打上げの席で彼に伝えた感想は、全然当たってなかった。
なんか変だなあと思い、
今までのような最善な選択、最良の仕事に徹することを止めたんだなと。
お前、変わろうとしているんだなと。
そんなことを言ってしまって、彼をがっかりさせたかもしれない。
二度観てようやく、カットの連なりが頭に入ってきて、
全てとは言わないが、ほとんどの音が聞こえた。
これはすごいよ、完璧、かもしれない。
夏の死と生、性によりそい、運命を描いたんだ。
あついよ。
胸に刺さった。
最高傑作を残して、彼は逝ってしまったんだな。

「泳ぎにでも行くか」。
浮かない顔の僕に、助監督時代の元上司が理由も聞かずに、そう言ってくれた。
そんなわけで、この夏二度目の海へ、数日前に行ってきました。
やはり、三浦の方。
知る人ぞ知る、穴場の浜辺があると教えられ、連れられて。
ガラガラの海水浴場を想像してたんだけど、さすがに盆休みの真最中。
子供連れのファミリーでけっこう賑わっていて。
それでも気分はぐんぐん盛り上がり、
海パンに着替えて、波打ち際へ駆けていった。
海で泳ぐなんて、何年ぶりだろう。
遠浅の岩場で水中に顔をつけると、
ジオラマのような海底に、小魚がけっこう群れていて。
東京近郊で、こんな透明度の高い海もあるんだなあと。
素直に感動したのですが、一番気持ちよかったのは、
海水が自然と体を浮かせてくれること。
仰向けになって、空を見上げて、プカプカとただ浮かんでいた。
漂い、流されていくことの自由さよ。
目の前をゆったり通過していく雲に、心奪われ、ぼんやりしてたら、
いつのまにか、沖の方まで流されていて。
ちょっと怖かったけど、泳いで戻って、また仰向けに浮かんで。
またぼんやりと、空を眺めることを続けた。
漂う僕は、漂う雲と近づき、離れていく。
こうやって、生きている限り流されていき、いつかは別れる。
あのときは帰ってこない。
もう会えないかもしれない。
でも、それでいいんじゃないか。
相手の自由を尊重すること。
自由であることの素晴らしさ、せつなさ、きびしさ。

ほんのひととき、すがすがしい気持ちになれた。
ありがとう、夏の思い出です。
で、その夜うれしくて元上司と深酒してしまったのだけれど。
すぐに、つらい日常が始まったのだけれど。
Life is run !
2017-7-3
昨日は沖島監督の命日でした。
昼日中の一番暑い時分に、去年と同じく、宇波拓氏とお墓参りへ行きました。
お花とタバコをお供えして、手を合わせて、ずいぶん長いこと目をつぶっていたのは、
この何年か、沖島さんにまつわる様々な出来事が、
記憶を手繰り寄せる目印のように、自分の大切な思い出と結びついてしまったから。

去年の命日から始まった、ポレポレ東中野での回顧上映。
1日1作、奇しくも全7作を一週間で観直して、沖島勲という人生を振り返ったあの頃。
10年目の『眠り姫』をサラウンドリマスターで公開する準備と、さらにその先、今年2月VACANT上演に向けてのスタートを切り、慌ただしさに麻痺してしまい一番大切なことを見失い始めていた。
その前年の7月2日、心肺停止の寸前に間に合って、
宇波氏や山川宗則氏と立ち尽くした。
ちょうどその頃、ラピュタ阿佐ヶ谷で1週1作の全作上映が続いていて、
3週前に『出張』のアフタートークがあり、登壇前に電話で話したのが最後だった。
もつ焼き屋で一杯やり、ほろ酔いで電話してしまった。
その前年2014年の夏は、沖島さんが癌だという重苦しさ、せつなさと過ごした。
あの夏の前後、春に『映画としての音楽』のライブを上演し、秋にその映画版を上映し。
「音から作る映画」、『サロメの娘』というヤバい企てを、加速させていこうと決意を胸に秘めていた。
でも、準備段階はもっと前から始まっていて、2013年の秋。
講座の0回を催したし、『DUBHOUSE』という分水嶺になる作品が、クロアチアの映画祭でグランプリをもらい、一つの区切りを迎えていた。
賞をもらって帰国したら、真っ先に電話をいただいたのも沖島さんだった。
「おめでとう、七里もこれで、安泰だな」と、独特のユーモアで笑わせてくれた。
『Who is that man?』が公開したのはそれから間もなくで、その秋はイベントなどでよく御一緒し、よく深酒して、深夜のタクシーを同乗した。
そのロケがあったのは、前年2012年の秋。
宇波氏から連絡があり、全国酒飲み音頭「酒が飲めるぞ♪」を歌えるようにしてきてくれと言われ、喜び勇んで、現場に行った。
あの現場の翌月に、僕の初めての特集上映が新宿ケイズシネマであったのだ…。

もう、この辺りでやめとこう。
200日どころか、4年、5年も遡ってしまった。
僕はこのところ、大切なものを失い続けている。
失くしたものは、もう戻らない。
映画ヤメトケ。
沖島さんの教えに背いて、まだ映画を続けている。
2017-6-7
いつのまにか、200日が過ぎていた。
別に特別な日からではない。
去年の11月中頃、八王子まで中央線に乗ったある日のこと。
車窓から差し込む秋の光が流れていくさまがとても美しくて、
こんな光景を『眠り姫』のときも撮ったなあと思い出しながら、
ふと、こういう経験をしながら自分はあと何日生きるのだろうと考えてしまったのだ。
何年とか、何歳までというと大雑把で漠然としているが、何日だとけっこう具体的。
日記という行為が定着したのも、だからかなと納得しつつ、
試しに1000日まで、その日から数えてみようかと思い立ったのである。
で、あっというまに200日が経った。
あっという間だったが、振り返る間もないほど、次から次へいろいろあった。
あまりに日々が強烈で、一時はすっかり数えているのを忘れていた。
ようやく思い出して、再び数え始め、間もなくのこと、
演出家の危口さんが亡くなった。
『眠り姫』のアフタートークに来ていただき、初めてじっくり話したのが、
ちょうど、数え始めたあの日の翌々日。
その数日後にステージ4と告知されたと知らされ、それから100日と少しだった。

200日もあれば、いろいろなことが起きる。
すでに多くを忘れ始めている。
特に、そのときどう思い、感じたかなど、もう遠い。
うず高く積み重なる地層の奥底に埋もれてしまっていることを、
掘り起こせるうちに書き留めておこうと思う。
わざわざ公にすることでもないけれど、このページをおざなりにしてきたのにも、
いささかの口惜しさあり。
まあ、いつまで続くか、どれだけ書けるか分からないけれど。

最近、20年来の友人と呑んだ。
ときどき会う仲だが、最近ちょっと、彼は考え方が変わったような気がして。
そのことを指摘したら、逆に、「変わったのは七里さんの方じゃないですか?」と言われた。
追い詰められているかもしれないけど、状況をネガティブに解釈し過ぎだと。
でも昔から、僕はポジティブではなかったし、そんなにネガティブ思考が進んだとも思えないが、
確かに、苦難をストレートに吐露するだけでなく、自虐ネタにするくらいの余裕はあったような気もする。
やっぱり、彼の方が変わったように思える。
が、忠告は素直に受け止めることにしよう。
翌日、彼からメールが来た。
10年ほど前、写真家の中野正貴さんに
「四十代がんばらないと、五十代はないよ」と発破をかけられたことがある。
その後それが、僕の座右の銘になったという話をしたのを、彼は覚えていて、
「七里さんほど頑張っていて、五十代なかったら、嘘ですよ」
とメールに書いてくれた。
そうだよな、本当にがんばってきた。
だから、自信をもって、しゃんと生きないと。
2016-7-12
参院選の結果は、予想してなかったわけでもないですが、
いざそうなってみると、なかなかヘビーなものですね。
前にも書いたかもしれませんし、
あちらこちらで言ったり、作品の中でも触れていることですが、
私たちは近い将来、国が亡ぶことに直面するかもしれません。
その可能性をぼんやりと感じる人は、少なくないのではと思います。

京都から実家経由で東京に戻ってすぐだった、沖島特集。
連夜連酔、有意義に送った一週間から間も無くの、
新潟での貴重な、貴重な上映イベント。
それらのことに、全く触れないままに、
時計の針をけっこう巻き戻して、6月。
いや5月だったかもしれぬ、ある出来事を備忘録します。

それは、ある晴れた何でもない午後。
いつものように、いつもの駅前を、
ああ、いつも騒がしいなあと、
携帯電話の加入勧誘や、誰々ちゃんの治療費募金活動や、
政治やら宗教の街頭演説をスルーしながら、ぼやぼや歩いていたら、
突然、自分の名を連呼されたような気がして。
え?と振り返ったら、そこにメガホンを口にする知人がノボリを持って、
選挙に行こう!戦争反対!の示威行動をしていたのでした。
彼は奇才なアニメーション作家で、とある美大の講師でもあり。
そうした大学職員たちも立ち上がってるぞという団体活動だったように、
ぱっと見て把握しました。
「署名して!署名して!」 という名指しの連呼をされ、苦笑いしかできず。
選挙に行こうのフライヤーを受け取っただけで、立ち去ってしまったのでした。
背中には 「署名してってよ~!」 の怒声を浴びながら…

もちろん僕は、参政権を持ってから今まで選挙に行かなかったことはありませんし、
九条のなしくずし法案には怒り、呆れ果てております。
が、どうして、ああいう苦笑いのチャシュネコ行為をしてしまったんだろう。
あの時、署名しなかった私に、知人はどんなに失望したかと思うと、
その後もずいぶん引きずりました。
頑張ってね!と、なんで笑顔で署名できなかったんだろう。
でも、どうも最近の風潮、政治参加の新しい流れに乗ることができず。
非常に複雑な思いがあります。
うーん。

参院選のこういう結果が明らかになった今、
なお一層の重い気持ちが、
私を押し潰そうとしております。
2016-6-24
今、京都におります。
明日からこちらの立誠シネマで、拙作 『サロメの娘 アナザサイド(in progress)』 の、関西初公開でして。
そんなわけで、いくつかイベントを組んでいただき、前乗りしておるわけです。

で、空梅雨気味の京都・大坂での、この三日間の怒涛について書く前に。
先々週の東京再上映を、振り返っておこうかなと。
本当は上映後すぐに書くべきところを、やっぱり滞ってしまい。
スローペースでノリ悪く、すいません。

楽日前の大詰めに、アフタートークに来てくれたのが、中原昌也さん。
中原さんとは、けっこう古くからの因縁?があり。
暴力温泉芸者前から、一方的に見知っていたのですが。
まあ、その話は長くなるので省きます。
とにかくお話するのは、ずいぶん久しぶりで。
上映前から呑んでしまい、また上映中 (中原さんは鑑賞中) も僕は居たたまれず呑んでおり。
当然、トークも呑みながらだったのですが。
中原さんから開口一番言われたのは、
「何ですかねー、この気持ちよさは、ずっと見ていたいような感じ」。
で、プラネタリウムに似ている、と思ったそうで。
すかさず、「昔、渋谷に五島プラネタリウムってありましたよね」 と答えたら。
「そうそう、そういうやつ。あれ良かったよね」 と相槌を打たれ。
そのままトントンと話を深めていけたかというと、プラネタリウム話に脱線してしまったり。
実際けっこう呑んでいたので (その後も朝まで呑んでしまい)
何を話したかほとんど覚えていないのです。

でも、後から、あのとき何を言おうとしてくれてたのかなあと考えてみて、
さすが中原さん、すごく本質的なことを言い当てていたのではないかと思い。
それは、“音から作る映画” とか、実験的制作とか、可能性の追求とか、
斬新さや奇をてらったことをやっているようでいて、
僕は実は、古き良き映画がたまらなく好きで、
どうしたってそういう 「感じ」 がにじみ出ているのかなと。

なんだかわけの分らないことをやっているように、
「音から作る映画」 のことは思われてもいるけれど、
世間の普通とされている映画より、よっぽど当たり前のことをしているという自負は、
実際あるのです。
中原さんのように、真っ当に見識のある方には、いろいろ見えてしまうのだろうかなと。
思った次第です。

と、日記を打っているうちに、空梅雨と書いた空がすっかり曇り、
行きかう人が傘を差し始めました。
京都では基本、僕はどこへも歩いていくことにしているので、困ったな。
続きは、またいずれ書くことにします。
滞在中に、こちらでのこと、書けるかな…
2016-6-8
上映後のトークが、ショーであることに、
もっと意識的にならねば、語らねばと思ってみたものの。
その後のトークですぐに、劇的に、私がしゃべれるようになるわけもなく。
うーん、難しいもんですなあ。
でも、ゲストの方々から発せられる言葉は、それぞれに印象深く。
その場では、突っ込んだり切り返しきれず、口惜しさつのるのですが、
だから、ちょいとメモっておくことにします。

月曜に登壇された美術家の小林耕平さんが、
「感情ってイフェクトなのかなと思った」 と仰ったのには、
思わず 「なるほど!」 と相槌を打ってしまったのですが。
実際どういうことなんだろう? 実は、よく分っておらず。
小林さんからは、前にも呑んでいるときに、
「映像に物語があると、その物が見えにくくなる」 という、興味深い言葉をいただいて。
あのときのあれってどういうことですかね? と、トークの場で尋ねてもみたのですが、
そんなこと言いましたっけ? とはぐらかされて、残念。

けれど、翌日のゲストの黒川幸則さんから、
「七里さんって、映像作家とか言われたりもするけど、やっぱり物語作家ですよね」 と。
言われたことは、なんだか小林さんの話とも繋がっているような気がして。
「その場合の物語って、神話とかのこと? それとも近代以降のストーリー?」
と聞き返したら、逆に悩ませてしまい。
でも、人間の物語をするには、動物が重要、必要だということに繋げてくれたのは、
さすが黒川さん、いい線行ってるな。

淀みないトークなんて、たぶんきっと、私には無理なんだろうけど、
詰まりながらも、実のあるトークを続けたいなと。
そうすれば、お客さんもショーとして納得してくれるのではと、思った次第。
これからも精進していきます。
2016-6-5
光陰矢のごとし、と申しますが。
気づけば前の日記から、3ヶ月近くが過ぎてしまい。
前回書いた頃に初公開しました 『アナザサイド(in progress)』 が、
昨日から1週間アップリンクで再上映されております。
みなさま、どうぞ宜しくお願いいたします。

にしても、再上映までの3ヶ月間、
日記を一度も更新できなかったという事実には、我ながら呆れるばかり。
いや、でも、ただサボっていたわけではなく、とにかく目まぐるしく、慌ただしく…
と、言い訳すら前回を繰り返しそうなほど、切れ目なく、何やかや続いておりまして。

とは言っても、この世の中に私より忙しい御方は五万といるはずで。
初日だった昨日は、その一人である佐々木敦さんとのアフター・トーク。
いやあ、さすがでした。
これまであんまり公言していなかった、「音から作る映画」 のコンセプト? について。
するするするっと、いつの間にか言わされていて。

いや、大したことではないんです。
コンセプトなんて大袈裟なものではなく、ぼんやり意識している程度のことなのですが。
でもそれは、必ずしもお客さんに分らなくていいことだと考えていまして。
むしろ分らずとも、見せる/魅せるものにならなくてはいけないのだ、
だから、言うのは野暮と、ぶっきら棒にしていたのですが。
そうでもないんでしょうね。

もちろん、敦さんにはおそらくお見通しで。
“リミックス”、“定型はむしろ不自然”、“アンパッキングして再構築” と、
僕がぽろっと漏らしてしまった言葉たちは、見事に掬い取られていき…。
うーんさすが、トークを ショーにしていくというのは、こういうことだなあ、
言い淀んでいるだけじゃなく、少しは前進すべきだなあ、と。
今さらながら、反省したのでありました。

でも、できるかなあ…
2016-3-9
お久しぶり、でございます。
日記をサボってどれくらい経つかと数えてみれば、なんと半年。
これまでで最長のブランクが空いてしまいました。
すいません…。

サボって、と書きましたが、
ただ怠惰だった、わけではなく。
この半年間、とにかく目まぐるしく、慌ただしく。
書きとめたい、なければならないことが次々と、
書きとめる余裕もなく、続いていたわけです。

オランダにも 新潟にも行ったし、横浜での珍しい上映にも参加した。
連続講座という名の赤裸々な見世物を、数回にわたって催したし、
京都でアクスモや 6面マルチの上映パフォーマンスもした。
そうしたイベントの間に、録音を聴いて、準備して、撮影して、編集して。
悪戦苦闘の末に生まれた最新作が、先週末から上映、
一週間だけですが公開しております。

短い期間なので、アフタートークの無い日も、毎日顔を出しているのですが。
嬉しいことに、見知らぬお客さんに交じり、顔なじみの方も大勢おいで下さり。
中には、僕が何かを試みる、発表すると、それが東京であれ京都であれ、
必ず客席に身をうずめて、見届けてくれる人も、何人かいて。
その一人から、先日の上映後に感想をもらいました。
「このシリーズは今まで詩しかなかったけれど、今回初めて散文が入ったな」 と。

そうなんですよね。
詩としての映像、散文としての映画、と一概に分けることは出来ないけれど、
どちらかだけでは記述できない地平に、ようやく一歩。
歩を進めることができたのかもしれません。
彼はその後、ペドロの新作に対してある高名な批評家が送ったコメントについて、
そっくりそのままお前にも当てはまると思う、とまで言ってくれたのですが。
まあ、それはさておき。

高名な方々には観られなくとも、僕には、
いつも真剣に作品を見極めてくれる、大切な観客がいる。
だから、いつも、絶対に手が抜けない。
タイトルには (in progress) とありますが、
作りかけ、ということではありません。
へとへとになりながら、これしかない!という現時点での最大の熱量を、
しかし、慎ましく差し出したものです。
そしてそれが、見世物を作る者の節度だと思っています。
2015-9-20
何でこんなことがまかり通ってしまうのか、不可解でしょうがありません。
誰が、なぜ、それを欲しているのか?
欲望や理由をつき詰めて行った先には、もしかしたら誰もいないのかもしれない。
と、不穏な想像をしてしまい、恐怖です。
歴史は繰り返すと言いますが、本当に僕らは戦争に巻き込まれてしまうのかも。
国が亡ぶのを目の当たりにして、荒廃する世に死滅する可能性が高まっているのか。
分りません。
だが、それは嫌だと思います。

もうひと月前のことですが、二年ぶりに海外へ行ってきました。
初めてのフランス。
と言っても、パリではなく、ガイドブックにも載っていないような小さな町クレ。
そこで、毎夏開催されている老舗の電子音楽祭FUTURAで、
今春、両国門天ホールで発表した 『サロメの娘』 アクースモニウム上映を、
披露するため、勇んで乗り込んだのですが、いやあ大変でした。
着いたその日が仕込みで、翌々日に上演という強行軍。
羽田を夜出て、時間を巻き戻しながらCDR空港に早朝着。
始発のTGVに乗って、ローカル線を乗り継いで、クレへ。
で、会場入りしてから翌朝4時まで頑張ったのですが、トラブル続きで作業は終わらず。
翌日も、他のプログラムが終わるのを待って、深夜から朝方までセッティング。
いやはやギリギリでしたが、なんとか漕ぎつけて。
上演が始まったときには、もう放心状態で、気がついたら終わっていました。

終わって、呼ばれて、前に出てお辞儀をして。
拍手をもらったのですが、どんよりした空気が流れていて。
うーんダメだったかなと、そそくさ後片付けを始めようとしていたら、
席を立つ観客が、最後のフレーズを楽しそうに口ずさんでいたり。
変な感じだなと思っていると、ロビーから檜垣さんが飛んできて、
「すごい評判になっていますよ」 と。
なんか、絶賛だったみたい。
現地のシャイな電子音楽オタクたちと、仏語のできない日本人の間に、
取り立てて会話は無かったけれど、マインドは通じ合えたかも。
行ってよかったな。
ほとんど全てを取り仕切ってくれた檜垣さんに、改めて敬服。
同行して随所でアシストしてくれた池田さん、お疲れさま。
柔和なFUTURAのみなさん、ありがとうございました。

とまあ、ささやかな喜びをいただいて帰国したのですが、
旅から戻ったホームに感じる、この違和は何だろう?
漠然とした言い方ですが、人が人を見てないな、というか。
街を歩いていても、電車に乗っても、お店に入っても。
人と話している時さえ、人を見ていないような。
知らず知らずに、人を見ないようにしてる。
そう言う自分もそうしている、なっていく。
これが原因だとまでは言いませんが、
国会という問題の場に噴出していること、欲情がねじれた殺人事件、
天のしわざである川の氾濫が甚大な被害をもたらしたことまでも、
なんだかそれが、背後にあるような気がして…。

明日は 「映画以内、映画以後、映画辺境」 の再開初回。
連続講座も、おかげさまで第三期です。
クリス・マルケルは、どんなふうに人を見ていたんだろう。
そう思いながら僕は、たぶんきっと、あんまり人を見れないのだと。
2015-7-13
沖島さんが亡くなったという気がしません。
まだ、どこかで生きているような。
1万年後…とか。
って、そんなふうに思っているのは、僕だけではないんじゃないかな。
だから、でも、不思議と悲しい気持ちになれないんです。

今になって言うのもなんですが、
僕が、どん底まで落ち込んだのは、ちょうど去年の今ごろ。
沖島さんが末期ガンだと知らされた、初夏でした。
あの夏から秋にかけては、本当にヤバかった。
知らされて、その日のうちにお見舞いに駆けつけたら、
沖島さんはベッドで半身を起こして、夕御飯を食べていて。
「どうしたの?」 って、きょとんとした顔で迎えられ。
案外元気そうで、奥さんからも 「ガンに見える?」 って首かしげながら質問されて。
でも、「まだ誰にも言わんでくれ」 と御本人から頼まれて、誰にも言えず。
一人で抱え込んでいるうちに、
沖島さんがこの世からいなくなっちゃうんだ…
という不安が、じわじわと心を蝕んでいって。
酒量が増えて、頻繁に泥酔したり、記憶を無くしたり。
伊藤猛さんが亡くなったと聞いた晩、酔い潰れて泣きじゃくったのも、
もしかしたら、どこかで沖島さんのこと考えていたのかも。
猛さん、ごめんなさい…。

何でそんなに、沖島監督が? と解せない方もおられるかもしれませんが、
僕は、自分の進んでいる道に先人がいるとしたら、
それは、沖島勲しかいない。
と勝手に信じていて。
何年か前に大阪でお会いして、懇意にしていただくようになってから。
『怒る西行』 を撮られる、ちょいと前くらいのことですが、
沖島勲がいる、ということが心の支えになったと言いますか。
全く独りよがりな思いではあるのですが。
だから、昨年、治療でガンが寛解したとお電話いただいたときは、
「おめでとうございます」 と言うところを、
思わず、「ありがとうございます」 と言ってしまい。
それなのに、その後も大して会いに行くことできず。
もっといろいろ、聞きたいことあったのに。

最後にお会いしたのは、四月。
ゴールデン・ウィーク前にお見舞いに行ったとき。
「もうすぐ特集上映ですね」 って言ったら、それまで生きてないよと返されて。
なに冗談言ってるんすか、と軽く流したのに。
六月に入って、肺炎になって、体調思わしくないということで、
沖島さんと一緒に登壇できなくなって、トークの前に電話して。
「 『出張』 と 『性の放浪』 (沖島さんの脚本一作目、若松好二監督) は、話が似てますよね」 と言ったら、
「それは前から指摘されてる、君が来てくれた宇波(彰)さんとの対談のとき、新聞記者だという男も質問したよね」 と即答されて。
ああ、すごい明晰。自分の方がボケてる、
と、たじたじになっていたら、
「でも、まあその線で話してくれたら、いいんじゃないの」 と。
「よろしくお願いします」 と言われて。
「今度ご報告に上がります」 と言ったのに、行けずじまいで。
あれが最後の会話になっちゃった。

7月2日のお昼過ぎ、沖島さんが危ないと、西山さんが知らせてくれて。
夕方前に用事を済ませて向かうとき、人身事故かなんかでダイヤが乱れてて。
駅から病院へ、とにかく早足で、
病室に飛び込んだときには、もう心肺停止の直前で。
山川君と宇波(拓)君が、ベッドのわきで直立していて。
僕は、最後に一つ、沖島さんが咳したのに間に合った、
だけだった。
御臨終を初めて見た。
死亡したと診断されてから、お顔を間近で覗きこんだら、
薄目を開けていて、まぶたの下の目が、角度によっては光っていて。
あれ、沖島さん、死んでない、と思った。
しばらく、そのまま覗いていた。

前にも、お見舞いに行ったとき、
沖島さんは眠っていて、
僕がそばで、静かに考えごととかしてたら、
いつの間にか目覚めていて、
僕がいることを当然のように、話し始めた。
だからまた、ぼそりと面白いこと、言ってくれるんじゃないかと。
じっと見ていた。

沖島勲は死んでません。
きっとどこかで生きている。
でも、もう、今は会えないんだよね。
2015-5-15
頻繁に日記を…
と書いたにもかかわらず、すでに10日以上空いてしまいまして。
まあ、せいぜいこんなものです、お恥ずかしい。

そろそろ京都で、イメージフォーラム・フェスティバルの巡回上映がありますが、
今年は、最終審査員とやらを任されまして。
公募作品から受賞作を選ぶという、気の重ーい責務を果たすため、
GWは足繁く、東京会場に通い詰めておりました。
というのも、「どの作品も二回ずつスクリーンで見よう、そうしないと分らない」
なんて、愚直な決意をしてしまった上に、
「公募以外のプログラムも全部見よう、そうすれば分かる、かも」
とか、馬鹿なことまで思いついてしまい。
おかげで同時期、しかも、同じ新宿のケイズシネマで、
拙作 『DUBHOUSE』 と 『映画としての音楽』 をかけてもらっているのに、
そちらへは、ほとんど顔を出せず。
(ケイズさん、すいませんでした…)

で、その甲斐あって、すんなり選べたかというと、全くそんなことはなく。
初めに面白かった作品が、次にはけっこう粗が目に付いたり。
逆に一度目は印象薄かったものが、二度観たら魅力的に感じたり。
迷いに迷って、私の推薦作はなかなか決まらず。
こんなことなら、ファースト・インプレッションだけで選べばよかった…
と後悔したり。
うーん、相変わらず、要領良くできない自分の性質がうらめしく。
フェスティバルの最終日、選考会を迎えたのでした。

で、選考会は、混迷やら紛糾やらしたかと言えば、全くそうではなく。
三人の審査員の選出は、意外と重なっていて、
充実したディスカッションを経て、異議なく総意で、受賞作が決まったのでした。
それは、斉藤綾子先生がしっかりした考えをお持ちだったことに加え、
オランダから来日した ヨースト・レクフェルトさんが、実に、実に明晰だったからで。
英字幕も付いていない日本語の映画を、あれだけはっきり分析、評価できるのは、
よほど強い視点と、柔軟な思考を持ち合わせているからなんだろう。
いやあ、凄いことだと本当に感心しまして。
今回の選考については、下馬評の大賞候補や、それに準ずる問題作が、
選外で無冠の結果となったわけですが、だからそれは、
好き嫌いなんかで決まったわけでは全然なく、明解な理由があったのです。
授賞式で、私が代表して読み上げた総評が、IFF2015の公式サイトに掲載されておりますので、
ご興味あれば読んでみて、その含意を汲んでいただければありがたいです。

それにしても、10日近くの間、朝から晩まで苦行のように、
全プログラムを踏破して、思うことはやはり、イメージの変容。
いや、イメージとそれを作る者、受け取る者の、
切り結び方の変容、とでも言ったらいいのでしょうか?
昨年から連続講座なんてものを始めて、つらつら勉強し続けておりますが、
続けるのは大変だけれど、一歩一歩、この問題の核心へとにじり寄っていきたいなあと。
決意を新たにしたのであります、
いやはや。
2015-5-2
いろいろと、悩んでいます。
久々に書く日記を、こんな書き出しで恐縮ですが、
けっこう困っていることもあり。
今書く以上、そうしたいろいろを思わずには記せなくて。
すいません…。
で、何をそんなに困っているかというと、
端的には●●が無いという、身も蓋もないことが大元なので。
もう少し、いろいろ。

細かいことから挙げれば、まず、この日記のあり方について。
今までは、近況報告をたまに、徒然に記すだけだったのですが、
もう少し意識的に、いやもっとラフにでも、
現在進行形のしていることについて、考えていることを示すべき。
かも、と思い始めていて。

このソーシャル時代に何寝ぼけたことをと、お思いの方もいるでしょうが、
しかし、僕はどうも、今していることをその最中に、公にすることが大変苦手で。
というのも、何かに結実するまで、言わぬが花というか、
そういう、ひっそりと思い詰める時間を経ないで、大した物はできないだろうと。
強く信じてはいるのですが、一方で、今していることは、ワーク・イン・プログレス。
真逆の制作方法に取り組んでおるわけで。
そりゃもっと、ちゃんと発信していかないといけない、
もったいないと、もっともな助言もいただき。
うーん、分かっちゃおるけど、どうしたもんだろう?

という感じで、これから少しずつではありますが、以前よりは頻繁に、
現在をノートしていこうと思っております。
できるかな…
2015-2-3
お久しぶりです。
なんと昨年11月から更新せぬまま、年も越し、早もう2月。
今さらですが、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

というか、年明けから重い、不穏な事ばかりが続き。
めでたいなどと決して言えない時勢、この先どうなってしまうのでしょうか。
人は、同じ世の中に生きていても、それぞれに分断され、
自分のことばかりで、手いっぱいで。
それが年々、加速度的にそうなっていくこと。
IT。
何かを上っ面で知ったような気になるだけで、何も分っていないことさえ気づかなくなる。
分らないから、慮る。
かつては、そういうものだったのではなかったのかな?
おもんぱかるとは、思慮と書くのでしたね。
人間は、全地球的に思慮浅くなっていっているのではないか。
危ないです。

かく言う私も、つるつるの脳みそが嘆かわしく。
心も荒みそうだし、体調も相変わらず、不調だし。
それでも、山積みのタスクに急き立てられる毎日。
が、かなり前にこの日記にも書きましたが、
今まさにやっていることを公に、どうも出来ない性分で。
かと言って、調子のいい適当を連ねる手練手管、筆力はほとんどなく。
まあ、日記を更新できなかった言い訳なのですが。

というわけで、なんとかやり果せたことで言いますと、
今月のユリイカ、高倉健特集号に拙文を寄稿しました。
昨年末クリスマスごろから、正月松の内が明けるギリギリまで、
あれこれDVDを見返しながら、健さんのことを考えておりました。
健さんを通して、日本映画の演技の移り変わりについて、
ある着眼点を見つけたところで、力及ばず、失速したのでしたが…。
でも面白かったのは、併載されている高橋洋氏の文章が、
どうやら違う切り口で、同じ問題を扱っているようだったこと。
もちろん、高橋さんの文章の方が、圧倒的に切れ味が良いのですが。
そして、その文章の中で 『鋳剣』 という具流八郎名義で大和屋さんが書いた、
鈴木清順の未映画化企画に触れていて。
その、黒い男という登場人物が、健さんをイメージしていたそうでして。
もう20年近く前になりますが、高橋さんの編纂で、大和屋さんの遺稿集を出したとき、
実は、『鋳剣』 については、僕が解説文など書かせてもらっていて。
そのときの、黒い男についての記述、ありったけの力を込めて書いた拙文が、かすかにフラッシュ・バックして…。
確かあのときも、あの書きっぷりを面白がってくれたんだよなあ、と。
普段つき合いがあるわけでもないのですが、若い頃の先輩後輩の繋がりというのは、
どこかで滲み出るものなのかもしれません。

感慨深い仕事をさせてもらいました。
これからも、精進します。
2014-11-13
10月もいろいろ大変でした…
って、もう、11月も半ばですよね。
先月と同じ言い訳になっておりますが、ひと月遅れの月記を記します。

札幌に行きました。
二、三日ですが、6年ぶりのことで。
久々の街を訪れるというのは、それだけで気持ちが盛り上がるものですが、
今回は、その6年前の上映で 『眠り姫』 を観た(かつての)高校生が、
どうしてももう一度観たくて、仲間たちと開いたという上映会で。
いやあ、それだけでもう感激!
東京では16度目のアンコールだし、今年は京都や名古屋でも再映あったし。
まったくあの作品は、物語とは裏腹に、実に幸せな映画ですなあ。
ちょうど札幌は紅葉の季節で、赤や黄色に街路樹が色づき、とても美しく。
うきうきと、犬のようにあちこち歩き回りました。
ああ、楽しかった。

10月は私、誕生日の月で。
まあ、この歳にもなると嬉しいというよりは、大体ため息なのですが、
でも偶然、その日に書きとめておきたいことがありました。
お名前は伏せますが、敬愛するある映画監督の方が治らないガンになったと
ちょうど夏前ぐらいのことですが、知らされまして。
御歳や普段のありようからして、然もありなんとは思えども、
うーん、それでもやっぱり落ち込んでしまって。
直前にたまたま観劇した、飴屋さんの 『教室』 が何度も何度も思い返されたり。
あれ、あの、お父さんの遺灰を骨壺からザッと机の上に移して、
フライドチキンにかぶりついて、チキンの骨を放り出し、
どうして、この骨はゴミ箱に捨てて、人間の骨はお墓に入れるのか、わからない、
僕にはどうしてもわからないんです、と声を荒げるところ。
いや、そこだけではもちろんないですが、凄い劇だったなあ、
生と死と、性と詩と。
いろいろ綯い交ぜになりながら、夏から秋へとへヴィに過ごしました。

と、誕生日の朝、電話が鳴りまして。
どうやら抗ガン剤治療が功を奏し、癌は緩解したと。
監督ご本人からそう聞いて、ぱあっと心が晴れて、思わずこう言ってしまったのでした。
「ありがとうございます、夏からずっと憂鬱でした」 と。
電話を切ってから、ハタと間違いに気づきまして。
言葉が違うでしょ、それ言うなら、
「おめでとうございます、ずっと心配しておりました」 でしょ。
心の底から出た言葉だから、なおのこと、つくづく思ったのです。
自分ってやつは、どこまでも自己中心的に考えるものだなと。
そして、そんなにまでもそのことが、他人事になんか思うことできず、心に影を差していたんだなと。
で、思い出したのは、最近とある映画のアフター・トークで、柴田元幸先生から、
「本当に正直な人なんですね(=嘘がつけないんですね)」 と、まじまじと言われたこと。
ふー。
いくつになったら、大人になれるんでしょ?
2014-10-2
怠けていたわけではないのですが、
9月の日記を更新せぬまま10月になってしまいまして。
いやはや面目ない…。
言い訳ですが、やらねばならないことが山積みで。
しかも、全く稼ぎにならないというのは、困ったもので。
どうしたものやら、頭が痛いです。

とかなんとか言いながら、一昨夜も久々に会う親友と呑んでいたのですが。
その彼が、この夏からブログを始めたようなので。
どれどれ続いているかな?と、待つ間にぱらぱらめくってみたら、
なんと、ほぼ毎日のように長文をUPしているじゃないですか!
いぶし銀のクラリネット吹きで、ニューオリンズに一時住んでいた彼なので、
その辺りの話題はとくに深く、詳しく、充実していて。
これほどルーツ・ミュージックの事情に精通して、
自分の考え、思いを書き込んでいる日本人のサイトって他にあるのかしら?
中村とうよう氏の自死を悼む文章なんて、当時も彼と話し合っていたからでしょうが、
読んでて泣きそうになっちゃって。

で、感心して彼にそんな感想を話したら、いやあ、参った。
毎日一時間と決めて、集中してブログを書いているのだそうですよ。
うーん、僕なんかこの日記、実はひとつ書くのに二日も三日もかかっているのです。
アホですよね。
でも、月に一度ぐらいの頻度だと、その間にあったことの何を書こうかとか、
どう書くべきかとか、余計に悩んでしまうのです。
まあ、それも言い訳ですが…。

9月も振り返ると、なんてことない日々ではあれ、そこそこいろいろあるわけで。
俳優の伊藤猛さんが、52歳で亡くなったと聞いて号泣したことは、やはり書いておくべきかな。
何かホント、最近、酒と涙腺が弱くなってきたのか、
確かにその話を聞いたとき、けっこう酔ってはいたのですが、
夜中というのに方々に電話かけまくって、しまいにゃ泣きじゃくったらしいのですよ。
(つまり、あんまり記憶がないのです…)
御迷惑をかけた皆さま、大変申し訳ありませんでした。
おまけに、告別式には寝坊して行けなかったのだから、呆れたもんです。
でも、正直、堪えたのですよ、無念だったろうなあと思い。
鬱々としてたら、川瀬陽太が 「俺たちには映画が残る」 とメールくれたのは救われたなあ。
そうなんだよ、その通りだよ。
伊藤さんとは、実際、そんなにつきあいがあったわけではないのですが、
ピンクの助監督を始めた頃に知り合っているので、けっこう古い知人ではあった。
というか、その頃、ある映画で共演もしたのだった。
うーん…。

で、告別式だった日は何の因果か、
廣木組の兄弟子でもある安藤尋監督の、『海を感じる時』 の初日でもあり。
起きたら昼過ぎだった僕は、「葬儀の後、呑んでるよ」 という伝言ももらっていたのですが、
今さら恥ずかしく、ふがいなくて、なんとも顔向けできず。
安藤さんの何年ぶりかの長編監督作 (あ、ケイタイ刑事ザ・ムービーとかはありましたが…)、
それも難産の末の晴れの舞台挨拶を、祝いに行くことに切り替えたのです。
いやあ、映画も良かったが、とにかく大盛況で。
立ち見数十人の大入りはすごい、めでたい、素晴らしい。
安藤さん、自虐ネタを繰り返しながらも御満悦の様子で、微笑ましく。
ほんと、良かったなあ。
で、初日立ち見をした後輩にやはり嬉しかったのか、呑んでけ、もう一軒行こう、もう一杯…
と、たどり着いた店で、まあよく考えてみれば、狭い業界、当然必然なのですが、
伊藤さんの葬儀からの流れ、しめやかに呑んでいる一行と鉢合わせてしまったわけです。
その時にはすでに、安藤さんはすっかり出来上がってしまっていて。
(あの酒ぐせを御存知の方は、容易に想像できると思いますが…)
まあ、いくらはしゃいでいるとはいえ、めでたい当人を腐すわけにもいかんだろうし。
式に出て来ず別で呑んでた僕に、とばっちりが来るのは、まあ仕方あるまい。
しかし、いやだなあと感じたのは、わりと親しく思っていた、ある古い知人の監督から、
「お前のやってるのはアート映画で、あんなの誰でもできるわ」と、
なぜ今そんな話になるのか分らないようなことを言われたこと。
どうして、映画を分けるのだろう?
悲しくなるなあ。

ところで。
広島の土砂災害の傷も癒えぬうちに、御嶽山の噴火の凄まじい惨事。
まだ記憶に新しい震災被害へのつれない対応といい、原発事故へのシラの切りようといい、
この国の土地がどういう性質にあるかを、為政者たちは本当に理解しようとしているのかな?
亡国へアクセルを踏んでいるのは、どこぞの新聞社ではありませんよね。
どうなることやら、暗澹たる気持ちです。

うーん、やっぱりこの日記も数日かかってしまった…
2014-8-30
若干すずしくなったと思ったら、もう八月も末。
そろそろ夏も終わるのですね。
今年の夏もとくに何するでなく、いたずらに過ごしてしまいました。

思い出すトピックスと言えば、丸々した青唐辛子とピーマンを取り違えたこと、とか。
半分に切って種を掻き出しているうちに、ピリピリ指先や鼻の頭が沁みてきて、
これはいかんと、手と顔を水で洗ってしまったものだから、あとの祭り。
目にまで刺激分がしみ込んでしまい、もう痛いのなんのって…。
(みなさん気をつけて下さい、オリーブオイルで緩和させるそうですよ)

あとは、稲田堤の多摩川沿いにある、天国のような呑み屋で昼日中から酒を楽しんだこととか。
連れて行ってくれたのは、名古屋での上映会とイベントを世話してくれた方で、
よく、こんな穴場を知ってるなあと感心したり。
彼だけでなく、シネマテーブルの皆さんには大変お世話になりまして、ありがとうございました!
シネ研後輩の三宅君に乗せられて、べらべら恥じらいなく話したのも、すでに七月のことでしたね。

最近は、中村登の特集にちょこちょこ、財布と相談しながら通っていまして。
学生の時分に観たときは、退屈という印象しかなかった 『古都』 さえも、今見直すと全く素晴らしい。
鮮やかな演出の、手際の良さ、見事さはもしかしたら、吉村公三郎を上回るのではないか?
武満徹を最も巧く映画に生かしたのは、中村登かもしれない。
いやはや、決して叶うことなきかつての(日本)映画の奥深さに、感嘆する日々。
うーん、こうしてあれよあれよという間に、人生も終焉を迎えるのでしょうか。

先日、井川耕一郎さんの新作の試写会に行きました。
井川さんは、前記した映画サークルの先輩で…と、型通りに書くのもおこがましいほどに、
20代前半の僕に夜毎の長電話を、2時間、3時間と掛けてきた人であり、
タテ乗りのカラオケ絶叫を一緒に繰り返した人であり、
彼の好物のカマンベール・チーズを勝手に頂戴したのを事あるごとに恨めしく言われる関係であり。
で、その新作というのは、ピンク映画の歴史的巨人、故・渡辺護監督の追悼作で、
渡辺護さんも、『ぬるぬる燗々』 というふざけた題名の酒呑み西部劇?に出演いただいて以来、
何度かコタツを囲んで鍋を御馳走になったり、私的映画史の講釈を受けたりという御縁で。
でも、そういう90年代末頃から僕は、井川さんをはじめそれまで付き合い深かった方々と、
微妙に別の道を歩み始めたというか、ちょいと距離を置くようになり…。
まあ、そんなこと思い出しながら、何となく神妙な気持ちで観たのでもありました。

で、映画の感想はさておき。(いずれ別の機会に)
試写後に、井川さんを囲んで呑んだ面子が、また濃厚で。
ほたるさんやアニメーション作家の新谷さんら、作品の関係者はもとより、
久々に会った鎮西さんや佐野(和宏)さん、映画館でちょくちょく遭遇する今泉(浩一)くん、
そして(佐藤)寿保さんまで同席して、しかも隣に座ってしまったから、もう大変。
かつて、寿保監督が武闘派で鳴らした時代に助監督で付いた身としては、
いくらニコニコ笑顔で酒を酌み交わしていても、いつパンチが飛んでくるかヒヤヒヤの緊張感。
実際、思い出すだに、寿保組は寝られなかった。
移動含めてとは言え、三日ぶっ通しで現場が続いたこともありました。
もっとも、その三日目には芝居を撮り切ったら、監督もカメラマンも倒れてしまい、
仕方なく、撮影助手と僕とで、機材返却ギリギリまで小物撮りをする羽目に嵌ったり。
うーん、まだ20代だったし、体力あったなあ…。
それにしても、立ち位置としては当時の両極端にいた寿保さんと鎮西さんが、
(まあ、先鋭的なピンク出身監督とでも括れば、同世代だし、近いところにいた御二人ですが)
同じテーブルで呑んでいるのを見たのは、僕は初めてで。
というか、両方の助監督に付けたってのは、考えてみたらけっこう貴重なことだろうなあと思い。
それどころか、実はここにいる濃厚な面子全員と、自分は現場を共にしていると気づいたら、
なんとも眩暈がしそうになり、余計に紹興酒をかっ食らってしまったのでした。
2014-7-17
のんべんだらりと映画を観続けて、すでに30年。
僕は実は、映画を撮った後に(と言っても8?ですが) 映画を努めて観るようになったので、
とくに若いころは、観なくちゃという焦りが勝って、数ばかり重ねていた時期もあり。
本当に観たと言えるのか心許ないなあと、今になって思うのです。
というのも、昔観た映画を観直したときに、観えてくるものの違いに驚くこと多く。
それは歳の功なのか、たくさん観たからなのか、それなりに考えてきたからか。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、ここのところ、心に刺さっているのは、神代辰巳でして。
久しく観ていなかったのが、たまたま、阿佐ヶ谷ラピュタの芹明香特集で、
『濡れた欲情 特出し21人』 を観て、たまげてしまい。
これで映画になってしまう凄みというか、あれはいったい何でしょう?
沸騰した脳天を酒で冷やしても冷めやらず、本棚の奥からシナリオ集を引っ張り出し、
ぱらぱら拾い読むうちに、このとき神代さんは、今の自分と同い年だったのかと気づき。
何と言うか、胸がざわざわし始めて。
1974年、公開作 6本。
ゴダールより三つ年上の遅咲きの新人が、一度は干された挙句再び巡ってきたチャンスに、
何を思い、息せき切ったように撮り続けたのか。
そんなことは分らないし、分ったからどうだということでもないですが、
でも、しかし。
『しのび肌』、『抜けられます』、そしてあの強烈な 『開けチューリップ』 と、
芹明香の薄い胸の向こうに、演出家のまなざしを感じ取ろうとしていたら、
なぜか神代さんのお宅で、あれは炬燵に入りながらだったかなあ、
田辺製薬のナンパオのCMをビデオで見せながら、
「俺が今やってる仕事はこれだ」、「映画監督なんて、持って十年だ」 と腐してた、
不機嫌で淋しげな横顔を思い出し。
で、『特出し21人』 をもう一度観て、『快楽学園』 に呆れて。
ラピュタ神代シーズンの最後に 『恋人たちは濡れた』 を観たのですが、
うーん、やっぱりこれなんだろうなあと思いつつも、だから納得できるわけもなく。
シナリオの冒頭にある重要な前振りが、削られていることによる寄る辺なさ。
刺されて海に沈む男が、波間にぽっこり頭を出したコマで止め画になるしまりなさ。
張りつめることに恥じらい、しど気ない素振りでうそぶいて、宙ぶらりんな泣き笑い。
神代映画の前衛性について、もう少し考えないと。
2014-7-2
京都から帰ってきました。
と言っても、もう先々週のことですが。
いやあ、たーのしかったなあー
同志社・寒梅館での鈴木了二氏とのイベントから、
引き続いて木屋町の立誠シネマが組んでくれた、特集上映の最終日まで。
せっかくなんだし、10日以上も滞在していまして。
幸い、梅雨入り直後にかかわらず、そんなに降られず。
毎日てくてく方々を漫ろ歩き、京都ライフを堪能しました。
もちろん酒は欠かさず、でも呑んだくれていたばかりでもなく。
いろいろ収穫、発見もありまして。

まずは何と言っても、初日に催したアクスモ上映。
とくに、我々の作品と恐れ多くも併映した、JLG 『ソシアリズム』 が凄まじく。
アクスモで増幅されたサウンドトラックは、音の洪水? 乱気流?
どんな形容をしようが、あの体験にかなう言葉はないと言い切れるほどのもので。
ううーん、2010年公開時には正直分らなかった、
デジタル・ゴダールの予見の深度を、まざまざと見せつけ、聞かせつけられたというか。
とにかく、爆音とか単なる多チャンネルのサラウンドとかと、
アクースモニウム(アクースマティック)は全く違うものでして、
いまだ、それをうまく簡略に説明することが出来ず。
でもこうやって、音の設計が露わにされ、解像度を上げながら、
響きが空間へ拡張されていく場に立ち合ってしまうと、
なんとラジカルで強力な武器を見出したのかと、ただただ戦慄するばかりで。
まあそれも、檜垣氏という繊細に解釈を施す、凄腕の演奏家あってのことなのですが。

思えば始まりは、去年の同じ六月、やはり寒梅館。
映画をアクスモで演奏するという前代未聞の試みを、『眠り姫』 で敢行した後の打ち上げで、
「次は 『DUBHOUSE』 がやりたいですね!」 と盛り上がったのではありましたが。
でも35?フィルムだし、そうなると映写機のある 800人収容の大ホールになるのだし…。
大それるにもほどがあるよなと、半分諦めかけていたところのまさかのウルトラC!
なんと長短4作品、計3時間にも及ぶアクスモ×フィルム上映が実現したのでした。
まさに快挙、あらためて、御尽力いただいたみなさまに感謝を申し上げます。
そして、この一年 2月川崎を含め、こうした試みを重ねてきたことで、
檜垣氏にはある程度、映画のアクスモ演奏への方法論が確立したのではないかとも思いました。
今後の広がりに可能性を感じる、充実したプログラムでした。

で。
そんな初日を皮切りに、その後も。
岡崎乾二郎×浅田彰の講演を聞きに行ったり、鞍馬山に登ったり。
神戸映画資料館へ足を延ばした帰りに、ヌーヴォに顔出し九条で呑み明かしたり。
アビチャッポンの展示も良かったし、京大・吉田寮にはゾクゾクしたし。
いろんな方とお会いして、お世話になり、まあ何やかや慌ただしく、トピックスも多く。
あっという間とも言える10日間でした。

その最後の上映イベントだったのが、「闇の中の眠り姫」 in 立誠シネマ。
立誠シネマは、閉校した小学校の教室内にすっぽり収まる仮設シアターで、
学校内映画館で 『時を駆ける症状』 を観るという企ても、なかなかウィットに富んでいたのですが、
プログラムの白眉は、この 「闇」 上映。
周囲天井を暗幕で囲まれたテント空間の薄ぼんやりした闇の中で、
とつとつとした西島さんの語りや、呟くようなつぐみさんの声、
近づいてくる足音、遠く聞こえる夜明けの電車に耳を澄ます心地よさ!
暗がりで光を受けないスクリーンを眺めていると、うっすら何かが見えているようで、
お客さんも後から感想を聞かせてくれましたが、優しい闇に包まれる快感でした。

実は、この?ぼんやり″闇上映を試みた最初は、この春 4月バウスシアターでのこと。
それは、映写室の灯りが消せないとか、全ての開口を完璧に封鎖することは出来ないといった、
不可抗力からそうしたことだったのですが、それが案外、いいと気づかされまして。
今は無きバウス1の高い天井の下、暗がりに身を沈めて、
どこからするとも知れぬ声、物音を聞いていると、
それが、あの空間から染み出してくる響きのようにも思えたのです。
もともとの 「闇」 上映は、映画から一切の光を奪うというコンセプトのもとに、
アップリンクの閉鎖的な施設特性を利用して、完全暗転を徹底する試みでした。
けれど、その完璧なる闇、視覚を奪う暴力性といったことが、
なんだか震災以後の時代に、なじまないもののように思えて。
一時はもう、このイベントは封印しようと考え、
それが新しい試行、アクスモの導入へと連なったのですが。
しかし今回、立誠シネマで確信しました。
あれは、映画を聞くとともに、その場所の闇を見つめる体験になる。
だから、劇場ごとに別の?闇の中の眠り姫″が立ち現れるのかもしれません。
『眠り姫』 をアクスモで何度も演奏し、サウンドトラックを分析しているはずの檜垣さんが、
立誠の闇上映で、「知らない音を聞いた」 と仰っていましたし。
今後もまた、どこか魅力的な空間でやってみたいな。
御提案お待ちしております。

と、
実り多き京都滞在を終え、帰りに途中下車して、実家に顔など出しておりましたら、
東京から思いがけない訃報が舞い込み、愕然。
それは、舞踏のプロデューサーで、土方巽の時代を知る重鎮で。
でも僕は、この10年ほど、とある呑んべの会で年に何度かは必ず会って話す、
なんと言うか、小うるさい爺さんと生意気な若造という関係に過ぎず。
知り合ったときにはすでにガン患者で、でも平気な顔して酒を食らって議論をして、
昨秋もプロデュース公演を拝見して、感想を言ったら、
呑んでじっくり話したいと言われたのに、この半年バタバタしていて約束果たせず、
だからなのかなあ、帰京してすぐの告別式で、お棺の中の目を瞑った顔も拝んだのに、
次の呑み会ではまた会えるような、
あぐらをかいて、背筋をぴんと伸ばして酒を食らっているような。
弔辞を聞いて初めて、貧困問題や社会運動から舞踏の世界に入った人だと知った。
何にも知らずに、ただ話していただけだったなあ。

と、
切なさを抱えておりましたら、今度は、
この20年ほど毎朝のように、行きつけの喫茶店でお顔拝見していた斎藤晴彦さんが、
亡くなったとニュースで知りました。
一度も話すことはなかったけれど、いつも定席と新聞を取り合っておりました。
失礼のしっ放しで、ごめんなさい。

今に始まったことではありませんが、
何か、ぼろぼろと歯が抜け落ちるように、
人が去り、世間から良心が失われていきますね。
テイノーな為政者どもよ、恥を知れ。

鬱々としてきました。
観た映画のことや、他にも書こうと思っていたことありましたが、この辺りで。
では、また。
2014-6-2
今日やっと、髪を切りまして。
ああ、すっきりした。
半年以上もめんどくさくて切っておらず、伸び放題で。
ロン毛っぽいのもまあいいかと思っていたのですが、
さすがにここ数日、暑くて蒸して、耐えられず。
これで少しは、京都行きも涼風に過ごせそうです。

ところで、この日記。
日記というものを、今後どのように続けていこうかなどと、
最近、ときおり考えます。
実はもう、最初に 「のんき日記」 をアップし始めてからは、10年が過ぎておりまして。
それは、『のんきな姉さん』 の公開に向けて、今は無き作品公式HPに、宣伝のために掲載せよと、
宣伝会社の方から指令があって、始めたものだったのですが。
それが、『眠り姫』 の自主制作発表をした2005年の生演奏上映会用のHPに、
「居眠り日記」 の名称で引き継がれ。
さらに、2007年の劇場公開時にリニューアルした、このHPに継続して今に至るというわけで。
私、何かをやるまで腰はたいそう重いのですが、一度始めたことはけっこう続ける方でして。
つらつらと、気づけば10年が過ぎてしまったのです。

この間には、日記をブログにせよとの親身な助言も何度かあったのですが、
私のつまらない日常や勝手な感想に、コメントやら反応などいただくまでもありませんと、
一切、つながりを断ってきまして。
それでも、2012年の特集上映に際して、告知のため差し迫った必要から、
のんきツイッターを、配給のパートナーが始めて下さり。
また、昨年の映画祭デビュー?を機に、恥ずかしながら個人の公式HPを開設しまして、
それに連動する形で、フェイスブックを立ち上げて下さる方も現れたのですが。
しかし未だ、いわゆるソーシャル化というものに抵抗感があり。
情報の渦にただ押し流されるだけでない、在り方はないものかと。
日記ごときに、悶々とするわけです。

とはいえ、代わり映えもなく、取るに足らない感想など。
昨日、結局、会期末に滑り込んだ、近美の 「映画をめぐる美術」 展。
結局などと書いてしまったのは、展示映像というものを目の前にして、
どうにも困ってしまうことがよくありまして。
美術、アートとして映像を読む(視る)ことと、映画を観る(読む)ことを切り替えるのが難しい。
いや、切り替えなくたっていいんじゃないの?
と思ってしまうわけで。
なので、こんな挑発的な展覧会名を付けられると、最近、似たようなタイトルで、
形式やジャンルを超えて映画を表現することに挑戦した者としては、
うーん、気にはなるが、二の足を踏んでしまっていたわけです。

で、結局、やはり困ってしまったのかと言えば、そうでもなく。
おそらく、多くの方がこの会の白眉に上げるだろう、アナ・トーフ 「偽った嘘について」 は、
映画が切断された瞬間の連続であることを、改めて思い起こさせてくれる、
『裁かるるジャンヌ』 への美しいオマージュなのですが、
でも、そんなこと思い起こさなくたって、
スライドの画が切り替わる音が凛として、鮮烈な作品でした。
でも、個人的にグッときたのは、アンリ・サラの 「インテルビスタ」。
映像とサウンドトラックのかい離を巡るエピソードの含蓄の深さは、
正直、拙作のこないだの上演なんかより、うわ手だなあと感心しまして。
あれ、アルバニアの母の記憶を巡る出来事であるということが、実に素晴らしいのですよね。
一つの声を強要された時代、耳の聞こえない人にしか分らない記憶の声…。
台詞や状況の一つ一つが詩的でした。
それから、ピエール・ユイグの 「第三の記憶」 を観て思い出したこと。
『のんきな姉さん』 で、故佐藤允さんがライフルを抱えて乗り込んでくるシーン。
あれって、『狼たちの午後』 へのちょっとしたオマージュでして。
だから、プレゼントの包みからライフルを取り出したり、
佐藤さんがオネエな役どころだったりしたのですが、
誰にも指摘されなかったなあ…

近美へ行くと、収蔵品展の方も楽しみで。
ここ数年、とくにリニューアルしてからの展示の工夫が、毎度面白く。
常設作品に加えマイナーチェンジしていく作品選定や、テーマの立て方に世代の若返りを感じます。
2Fギャラリーで観た Chim↑Pomの 「Black of Death 2013」。
あれ、国会議事堂前での旧作のときより、完成度が格段に上がっていて。
あのまがまがしさの凄さは、映画とか美術とか区別なく、
ちょいと、いいんじゃないかい↑ と思いました。
2014-5-18
すっかり、ご無沙汰してしまいまして。
三ヶ月も更新せずに、大変失礼いたしました。
どうも昔から、何かに取り組んでいるときに、それについて言葉にすることが、とても苦手で。
まあ、やり終えた後も、なかなか言葉に出来ず毎度苦労しているのですが。
そんなわけで、遅ればせながら。
まずは、上演や講座に足を運んで下さった皆さま、誠にありがとうございました。
そして御協力いただいた諸兄に、深く感謝いたします。

てなわけで今回のように、自分が学び考える場を講座という形でさらし、発言しながら、
それを進行中の制作にフィードバックして、何かを作るという試みは、
実際、精神的に辛い、苦行を極めまして。
ちょいと発狂しそうな瞬間、というと大袈裟ですが、
なんちゅうことを始めてしまったのだ、と自らを恨めしく思う日々でもあり。
こんな心境で、今どき普通にみなさんがおやりになっているように、
ツイートとか、フェイスブックで繋がり続けるなんて、
俺にはやっぱり無理だわと、つくづく再認識した良い機会でもありました。

とはいえ、ソーシャル化やデジタル化は、もう不可逆な趨勢であるようで。
そんな世界に、ささやかな抵抗と順応を試みようというのも、
今回の一連のプロジェクトの目論みなわけで。
だからというか、ナウでもなく後追いでつぶやきますと、
2月、3月、あの時期イベント準備や制作の合間に通い、胸躍らせていたのは、
阿佐ヶ谷ラピュタのATG特集でした。

勅使河原宏 『穴』 の音楽(武満徹/一柳慧/高橋悠治)の、あの強烈な金属音の打楽は、
確実に 「映画としての音楽」 のある場面に伝心していたでしょうし、
学生の頃に観て以来の吉田喜重 『煉獄エロイカ』 の、
映画の基本が血肉化しているからこそ、できるアヴァンギャルドは、
もう圧倒的で、逆にある種の諦めの契機、勇気となりました。
『竜馬暗殺』 の石橋蓮司、なんて清冽な表情をする役者だったのだろうとか、
『青春の殺人者』 の若さ、勢いで押し切っていく演出には、やっぱり感嘆してしまい、
終映後、ゴダイゴのテーマ曲を口ずさみながら帰路につきました。

他にもつらつら、感想をあげればキリありませんが。
60年代から70年代にかけて、模索する映画に何故かそそられる、今日この頃。
最近も、久々に観た神代さんの 『濡れた欲情 特出し21人』 は、本当に凄かった。
昔観た映画を、改めて見直すのは大事なことですね。
若い頃なんて、映画観ても何にも見えていなかったとつくづく思います。

話は跳びますが、近年、かつての前衛への回顧、検証の機会、展覧会などが、
頻繁にあるような気がしますが、すりゃまた何故なのでしょう?
ちょいと時代は上りますが50年代、実験工房の回顧展が各地であった昨年。
日本の電子音楽の黎明期にスポットが当てられた時期に、
意図したわけではありませんが、アクースモニウム上映なる企てを始めたのは、
我ながら妙にシンクロしているなあと。
今年も、工藤哲巳や、ハイレッドセンター。
要は、社会が不安におののいているってことなんでしょうが。
それにしても、「放射能による養殖」 (工藤哲巳)ってあれ、預言書のようでしたね。
あの衝撃冷めやらぬうちにまとめたのが、飴屋さんに読んでもらったモノローグでした。
え、どこが? とツッコまれそうですが。

でも、その一方で。
こんな今この世の中にも、ちまたに詩情があふれていることを、
見事に写し撮った8? 映画に、心震えました。
『雲とか虫とかテツジョウモウ』。
今年のイメージフォーラム・フェスティバルで 2回見て、2回とも。
もう、泣きそうでした。 (いや、今も思い出すだけで目頭が…)
「中途半端な自分がヤになった」 と呟いた直後の、あの湧き立つ雲。
あんなエモーショナルなコマ撮り、見たことない。
日記映画の歴史的な傑作じゃなかろうか!
偶然とはいえ、拙作が同じプログラムでマジ嬉しいです。
次は、京都で23日。
みなさま、ぜひ。

そんなこんなで、京都。
6月にやらかします。
なんと 『DUBHOUSE』 をアクースモニウム上映。
しかもカップリングは、ゴダール 『ソシアリズム』。
私的には、『夢で逢えたら』 の繊細な音群をアクスモで聞けるのも、楽しみで。
同志社・寒梅館で 5日。
さらに翌々日から、立誠シネマが特集上映までしてくれます。
てなことで、6月上旬は京都におります。
関西のみなさま、呑みましょう。
2014-2-22
呑まずにはいられない日々が続きます。
って、まあ、言い訳というか口実なのですが。
で、呑んだって眠れるわけもなく、疲れは抜けず体調は、うー。
いかんですな。

世の中、明るい話題が無いですね。
強いて言えば、落合が中日に復帰したことぐらいかな。私にとっては。
落合GM・谷繁捕手兼監督・森ヘッドのいぶし銀トリオが、(あ、達川もコーチにいたな…)
現有戦力でどこまで巨人に対抗しうるか。
その戦いぶりを心の糧に、日々耐えていこうと思っています。

ところで、遅ればせながら。
先日は 「以内、以後、辺境」 第一回にお越しいただき、誠にありがとうございました。
おかげざまで盛況な船出となりましたが、みなさまの評価は、どうだったでしょう?
吉田広明という碩学の批評家を相手に、ヘボな舵取り、全くお恥ずかしく。
会場をハラハラさせたかもしれませんし、話そうとしたテーマの半分にも届きませんでしたが、
私としては、少しは手ごたえも感じております。

そもそも自分が学びたくて始めた、この講座。
もちろん、映画の現在、昨今の変質も動機の一つではありますが、
最初に8? を撮った高校生のときから、気がつけば三十年も映画の周辺をうろちょろしていて、
もうここらで正面切って考え始めないと、人生終わるなあと思ったわけです。
ああ大変だ、まいったな。

心境の影響か、映画を観ていて、やたら疲れる。
最近試写で見せていただいた話題作、『アデル、ブルーは熱い色』 も 『アクト・オブ・キリング』 も、
映画の記憶をたどれば、ねちっこい描写のあんな女性映画も、人間の業の深さへのそんな挑戦も、
確かにあったがフィルムの時代にはあり得なかった(そうはならなかった)表現ではないかと。
デジタルカメラが生み出す映画の世界では、現実を侵食する映画が、人の目を奪うのかも。
以前、アテネで聞いた平倉圭氏の 『ゴダール映画史』 のヤバいほど凄い講演が、
『アクト・オブ・キリング』 を観ている最中、脳の深層にフィードバックし続けました。

一方で、ふと再見した村上龍 『トパーズ』 に、意外なほど心を動かされてしまったり。
当時見たときは、正直、なんじゃらほいという感じだったのですが、
改めて観て、とにかく二階堂ミホが常軌を逸していて、尋常じゃなく素晴らしい!
そこには、いつの頃からか失われていった、映画的体験? や特権的瞬間?
のようなものがある、気がする。
コマに定着される光の像と フレーム単位で記録されるデータ、
あるいはフィルムの投影と デジタル・プロジェクションの違いって、何なんでしょう?

さて、いよいよ今月末の28日。
まだSD時代のデジタルビデオで撮った 『眠り姫』 が、
電子音楽の立体音響システム、アクースモニウムでライブ上映されます。
スピーカー群の配置について、演奏の檜垣さんからの図面での提案は、
これまた意外、ほう!と私は驚きました。
その構想を、劇場で実現するのが今から楽しみです。
会場は新百合ヶ丘の川崎アートセンター、あいにく平日金曜19時からの催しですが、
御都合付けばみなさまも、ぜひ。

さらにその翌日、3月1日からは 『DUBHOUSE』 の再上映が、新宿ケイズシネマで。
こちらは、フィルム上映でしか原理的に実現できない、闇の表現をお見せします。
しかも、今回は前代未聞、同じネガからプリントした FUJI版 と Kodak版 の同時上映!
って、そんなマニアックなこと誰が喜ぶのでしょう…
初日は、鈴木了二氏とのトークもあります。
「物質試行」 の建築家に、映画の物質性について、たずねてみようと思っています。
こちらも、乞うご期待!!
2014-2-1
何度観たか知れない 『甘い汗』 を、久々にまた観まして。
いいものは何度観てもいいですね。
京マチ子の凄みが極まった一本。
水木洋子の描き出す人間の浅ましさ、愚かさと愛らしさ。
岡崎宏三の見事な撮影、というか光の設計。
あれは、日本映画のすでに失われた技術でしょう。
Experimental とかなんとか言われようと、私の目指しているものの一つが、
この映画の中にあるのは、ゆるぎないなと。
改めて確認したわけで。

それにしても、もう節分。 今年も早ひと月が終わったのですね。
何をしているというほどのこともないのに、やたら慌ただしく、
ただ日々が過ぎていきます。
こうやって徒に時を浪費しているうちに、ドカンと地震でも来て、あ〜あというか。
何も出来ないままに人生を終えるのではないか。
妙な不安に囚われもし、いやな感じです。

いかん、いかん。
後ろ向きになりがちな自分を奮い立たせるためにも、
いそいそ何かを見たり、聞いたりしに行く。
先日は横浜まで、タンゴを歌うさとうじゅんこさんを聞きに。
いやあ、ブラボー! ただただ、感動しまして。
やはり彼女は何を歌っても、凄い。 まさにディーヴァですね。
フランスから来た哲学者のようなバンドネオン奏者と、超絶技巧のバイオリン弾きと、滋味深いベーシストと。
実に素敵なライブで、帰路ふわふわしてしまいました。

会期終わりにぎりぎり飛び込んだ、ジョセフ・クーデルカ展も良かった。
ジプシーズも、プラハ侵攻も、壁一面の巨大なパノラマ写真も、
初めて見るオリジナル・プリントの迫力は、写真集とは桁違いで圧倒されまくりました。
中でも印象に残ったのは、工科大の学生時分に発表したという初期の作品群。
ショットの力というのでしょうか、すでにもう構図も表現力も非凡で、超カッコいい!
ああ、優れた表現者は最初から、何か違うのだなあとつくづく思い。

ジャームッシュも処女作 『パーマネント・バケーション』 が大好きで。
あの調子っぱずれの 「虹を越えて」 と落ちこぼれ少年のイメージが強過ぎて、
最近知ってびっくりしたのですが、もはや還暦も過ぎてるのですね。
〈廣木さんも還暦迎えたしなあ…)
でも、まあ、初めから老境の域にいた作家というか、歳や時を超えた作風だったと言えなくもなく。
新作 『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』 を観て、ふと思ったのですが。
あれ? この感じ、感触を誰か(の映画)に覚えたことがあるような…。
以前から、沖島勲監督について、唯一無二の作風と評してはばからずにおりましたが、
いたわ、似た人。
沖島さんの映画をオシャレにすると、ジャームッシュになる。
ジャームッシュの映画から、こだわりのセンスを抜いて(あるいは入れ替えて)、
世界へ相対する懐疑の姿勢を眺めると、極めて沖島映画に近い。
いかがでしょう?
あんまり賛同者、いないか。
御二人に怒られるかな…

と、まあ適当なことを言う輩ですが、連続講座は真剣です。
いよいよ明日、よろしくお願いいたします。
2014-1-4
みなさま、明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。

毎年、新年が始まると、今年はどんな年になるのだろうか、
あれやこれや考えたり、計画したりするのですが、
必ず予期せぬ展開の一年になってしまうもので。
今年もきっと、予想を裏切る、意外な一年になるんだろうなと思うのであります。
少なくとも自分において、は。

というのは、昨年末に、ちょいと驚いたことがありまして。
それは、今年早々に計画している、ある企ての準備のため、
一昨年に催した、拙作の特集上映のチラシを引っ張り出したところ、
そこにすでに、今年やろうとしていることを暗示するような文章が載っていまして…。
まるで予言のようで、びっくり!
それは、映画批評家の吉田広明さんが、私について書いてくれたものなのですが、
実は読み返すまで、すっかりその内容について忘れていまして。
忘れていたから、さも紆余曲折あり一念発起して、これを始めるに至ったと自分では思っていたのですが、
他人の目からは、まあ想定内のことになるのかなと。
灯台下暗しと言いますか、自分の未来が見えてないのは自分だけなのかもしれませんね。

似たようなことは、『DUBHOUSE』 のときにもありまして。
作り終え上映した後に、誰だったかに指摘されたのですが、
あれでやったことのアイデアになるようなものは、
なんと2004年に、ペドロの 『ヴァンダの部屋』 について書いた文章に記していたのです。
いやあ、完全に忘却の彼方でした…。

先が見えないだけでなく、記憶も覚束なく。
未来も過去も頼りない不束者ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2013-11-29
暮れが近づいてきました。
毎年この時期になると、『眠り姫』 を撮っていて、
朝な夕なに空を見上げていたときのことを思い出します。
ちょうど10年前の今ごろ、ふと思い立ち、あんなことを始めていなければ、
僕はどうなっていたんだろうなあ。

十年経って、十、歳を重ねて。
なあんにも変わってないなあとも思うし、
それなりに10年分の経験を通して見えてきた、見えてしまったこともあるから、
あの頃とは決定的に変わってしまったところもあるのだろう。

それは、周りの人々もそうなのであって、
同じような顔をしていても、その人なりに10年間の人生があったのだから、
昔と、ちょっと違うことになっていても不思議ではない。
そういうのって、案外、自分では気づけないものなのかも。

人間って煩わしいなあ。
と、人のいない夜明けを眺めていたときのことを思い出してしまいます。

でも、あのときもそうだったのですが、
落とし前もつけられないような人間には、なりたくない。
それだけは、全く変わらないのですよ。
のんきなんですけどね。
2013-10-29
ふがいない、と自ら切り出すことが、
意外に免罪符となり、自分を甘やかすことに繋がりかねない、
とはいえ、やはり、
私としては、その言葉で振り返らざるを得ない、先日のイベント。
ご来場、ご清聴いただいたみなさまに、
まずは深く感謝を申し上げます。

実際、直前までどう話すか、どこまで話すか、
悩んで、結論の出ないままに、
酒の勢いで、カオスをぶつけるしかなかったそのわけは、
二部構成の後半で取り上げた、ある無名にあらざる男の死が、
頭をもたげたということに尽きるのです。

私はかつて、辺境の一例として挙げた、
まだ均質な情報が世界を覆う以前の、大学の映画サークルで、
チーフという役職を担わされ、毎週ある曜日の夜に、
ミーティングと称して、勝手に占拠した教室で、
勝手な8?上映会や、映画にまつわる青臭い独演会を開いておりました。
それは、バブルの時代のシラケた雰囲気の中にも、
なんとなく、純や熱がにじんでしまう、今思えば赤面な会でして、
その中に、飛んでしまったあの男も、つまらなそうな顔して、確かに座っていた。
あれから20年以上が経ち、何もかも変わってしまったし、何も変わらないままだけど、
このどうしようもない状況で、私は映画に向き合っていく。
と言うほど、格好良くはいかないけれど。
でもそれしか、あいつが置いていった“残尿感”に、応える術がない。

だから、こないだ話し損ねた、イベントの本題についても、
いずれ必ず、リベンジいたします。
みなさま、どうぞよろしく。
2013-10-12
ご無沙汰しておりました。
2カ月以上のブランクは、ひょっとしたら、この日記を始めて最長かもしれません。
日記って、書くほどのことが無ければ書く気になりませんが、
逆に、目まぐるしく様々なことが起き過ぎても、
記す機会を失うものですね。
って、ただの筆不精の言い訳に過ぎませんが。

つい先日、引っ越しまして。
と言っても、隣町へほんの1〜2?移動しただけなのですが。
それでも、最寄り駅が変わると、こんなに気分一新するものなんですね。
僕は、上京してから四半世紀以上、とある駅の周りに住んでいまして。
ここ15年くらいは、同じ丁目内の移動しかしてなかったので、
なんか、年甲斐もなくワクワクしてしまいまして。
移動を終えた日、晴天に恵まれた爽やかな空の下、
用もなく、ぐるぐる自転車を転がして、
「あ、良さげな居酒屋だ」 「こんなとこに、立ち呑み屋が」
「う、ここはサッポロラガーがあるな」 と。
まあ、呑み屋の物色ばかりですが、とっても楽しいひと時を過ごしまして。

いやあ、それにしても、大変な引っ越しでした。
取り壊しによる立ち退きで。
もちろん、ずいぶん前から通達はあったのですが、
その期限の時期は、いろいろな事情で無理だから延ばしてくれと、
不動産屋には、ちゃんと伝えていたはずでして。
その事情の一つである、映画祭参加のための渡航の10日ほど前になって、
突然、大家から、もうすぐ解体業者が入るがいつ出てくれるのだと、
いきなり言われ…。
渡航直前の時間のない中、まあ、決断しまして。
長年住み慣れた町ではあるのですが、昨今の変容ぶりは、あまり好ましく思っておらず、
この際、いい機会だと思って、距離を置くことにしたのです。
で、帰国早々、荷物をまとめて出はしたのですが、最後まで大騒動。
引越しの当日に、びっくりですが、解体業者を入れられて。
荷物の運び出しと、建物の囲い込みが並行作業。
いやあ、荒っぽいことする大家さんです。
まあ、諸悪の根源は、仲介業務を怠った不動産屋の無責任ですが、
うーん、何というか、世の中ささくれ立ってきている表れの一端でしょうか?
昔はもっと、人情味のある町だったような気がするのですが。

年々歳々、町も、人の心も移り変わるなあと、
そんなことを思った出来事が、もう一つ。

これまた、つい先日。
とある新作映画の、初日打ち上げに参加しまして。
酒席のことではあるのですが、ある先輩監督にからまれました。
まあ、昔から彼の酒癖は、良い方ではなかったのですが、
なんか言っていることが無茶苦茶で。
僕は、「表現から逃げている」 のだそうです。

彼が言うには、
「劇映画」 とは、顔を撮ってドラマを描くものであり、
顔を映さない映画など、表現からの逃避に過ぎない、と。
そこで、こう言い返しました。
確かに僕は、あなたが言う意味での 「劇映画」 だけを作る作家ではないのだろう。
けれども、表現から逃げて作品を作ったことは一度もない。
なぜなら、もっと広い意味での映画と格闘しているのだから、と。

すると、彼は、
どうしてお前は、そんなに頑ななのだ、
お前のやっていることは表現から逃げているだけだ!
と、何度も何度も頭ごなしに言うのでした。
それは、もう、パワハラか?と思うほど。
まあ、作家の信条は、どんなものであれ自由ですが、
それを押し付けられたら、たまったものじゃない。
だから、頭に来て、問いました。
ならばあなたは、あなたが考えている 「劇映画」 以外の映画、
例えば、ドキュメンタリーとか、実験映画とか、アニメーションとかは、
表現からの逃げに過ぎないと思っているのか、と。
そうしたら、彼は、
実験映画とかドキュメンタリーのことはよく知らない。
でも、「劇映画」 の方が、表現として上だと思っている。
と、堂々と言い切ったのでした。

僕は、耳を疑いました。
そして悲しくなって、何も言い返せなくなってしまいました。
実際、もう、涙が出そうでした。(我慢したけど)
かつては僕は、彼を敬愛し、その映画作りを支えた一員でした。
(もう15年以上前のことですが)
酔っているとはいえ、そんな偏狭なことを言うような人になっていたなんて、
いったいどういうことなんでしょう?
表現が強くあるには、作家の強い信念が必要です。
しかし、信念を言葉にするのは非常に難しい。
それは、強く言えばいいというものでは、断じてないのです。
もしかして、今彼は、どこか追い詰められている心境なのだろうかと、
後からふと思い、心配になりもしました。
その場で、一部始終を黙って聞いていた、
打ち上げの主役である老監督は、最後にひとこと言いました。
「もう、帰ろう」 。

で。
顔の映らない映画 『眠り姫』 は、
本日12(土)から18(金)まで一週間、@渋谷アップリンクで、
おかげさまで14度目のアンコール上映を迎えます。
今回は、顔は映るが声のない 『ホッテントットエプロン‐スケッチ』 も、
制作途上の新作 『To the light (in progress)』 とともに再映されます。
僕らが本当に、表現から逃げているかどうか、とくと御覧あれ。

それから。
顔も声も無い、人類滅亡後の世界を描いた映画 『DUBHOUSE』 が、
今、ヨーロッパで最も先鋭的と評されている25FPS国際映画祭で、
グランプリと審査員特別賞をダブル受賞しました。
謹んで御報告いたします。
2013-7-31
この日記の表題は、なんてことない日々をつづる、などとのたまっていますが、
それにしても、書くほどのこともない日々が、延々と続いて。
で、気がつけば、7月も今日で終わり。
町を歩けば、子供連れの親たちがそこかしこに。
そうか、夏休みなんだなあ。

こちとら、夏休みの自由研究を、いつまでも出せないままに、
四十も半ばまでやり過ごしてしまったような人生で。
いい歳して、何やってんだろ、俺。
今さら、自分探しもないだろうとか思いつつも、
なんかそんな心境で、
うだる蒸す夏にまいってます。
あ〜あ。
2013-6-25
最近は、観る映画にとても恵まれています。
昨日も、『We can’t go home again』 を。
あんなに実験的な手法を取りながら、こんなに心震わせ泣かせる映画って、あったでしょうか?
アナログなマルチ・プロジェクションの端々に、ニックの魂が刻印されていて、もう圧倒的で。
観終わってから、何度も、何度もタイトルを口走り、
「僕らに帰る場所は、もうないんだあ〜」 と、朝まで呑み続けてしまいました。

そう言えば、爆音でやっていたチミノの 『ディアハンター』 も凄かった。
若い頃に観たときは、有名なロシアン・ルーレットのシーンばかりが強烈で、
デニーロがクリストファー・ウォーケンを探しに、陥落寸前のサイゴンへ戻る、
あの喪失感は、本当のところ分っていなかった。
再見してまず度肝を抜かれたのは、前半延々と一時間近く続く結婚パーティのシーン。
多幸感あふれる圧巻の演出があればこそ、彼らロシア移民にとってのベトナム戦争が、
深く切なく突き刺さってくるのだよなあ。
田舎町のカワイ子ちゃんを演じたメリル・ストリープの、
鈍い色気が、身悶えするほど素敵でした。

大阪では、中村登にびっくりして。
京都に行ったついでに、挨拶がてら寄ったシネヌーヴォで、特集上映が組まれていたのですが、
こんな異様な作品を撮る人だったとは知らなんだ。
『二十一歳の父』 で不気味に響く夜のヘリコプター、『ボロ屋の春秋』 の狂気のスラップスティック。
『古都』 とか 『紀ノ川』 とか、文芸物の監督だというくらいの印象しかなかったのは、
つまり、若い頃って映画観たって、ホント何も見えてないものですね

他にも、ヴェーラで再見した 『やくざ絶唱』 とか。
昔観たときに、素晴らしい!と感激したものでさえ、
齢を重ねて見直すと、感心する度合いや箇所が新たに深まると言いますか。
これだから、映画を観ることはたぶん死ぬまで、
僕の人生から外せないだろうと、つくづく思います。

まあ、そんな発見の日々の中で、とりわけ興味深く、意義深かったのが、
手前味噌で恐縮ですが、京都での、拙作のアクースモニウム上映でしょうか。
映画をアクースマティック化して演奏してもらい、上映するという構想は、
実は去年から、密かに温めていた企画でして。
それが先日ついに実現したのは、同志社寒梅館のプログラマー、多朱さんの卓見。
しかし何と言っても、日本で唯一のプロフェッショナルなアクースモニウムの演奏家、
檜垣智也さんの繊細に繰り出される音の空間配置の技は、もはや名人芸!
それは、軽々しく立体音響などと言える簡単なものではなく、
サウンドトラックにすでにある、声、物音、音楽の一音一音がブラッシュ・アップされ、
さまざまな表情を帯びて、空間を飛び交う魔術!!
満員御礼、立ち見まで出たホールの片隅で、高揚しながらじっと耳を澄まし、
全くもって、しびれっ放しでした。

電子音楽研究の川崎弘二さんからも、貴重な話をいろいろ聞けたし、
やはり、打ち上げは一軒目では終われず。
深酒をして朝方、友人が定宿にしているという三条のサウナで仮眠をして。
目覚めて表に出れば、小雨振る梅雨空。
台風の影響という大風に時おりあおられながら、京都の町をとぼとぼ歩き、思いました。
昨今、どんどん大味になっていく世間の傾向、趣向に反するような、
こういうナイーブなイベントをやれて、本当に良かったなあ、と。

2013-5-27
書かないままにずるずると、気づけばもう、五月も終わり。
あわてて筆を執った次第です。
最近は、別に取り立てて忙しいわけではありません。
慌ただしかった時期も過ぎ、
また平々凡々、とくに何ということもなく日々を送っております。
一昨日の沖島さんの新作試写後の呑みの席で、鎮西さんが
「陰々滅々とした日々」 とのたまっておられましたが、
まあ、私の方もそんな感じ。
というか、そうして過ごしている方は、けっこう多いのではないでしょうか。
新作 「Who is that man ?」 はまさにそんな時代状況を活写した、悩み多き映画でした。
居酒屋のトイレで連れションになり、思わずぼそり、
「ゆるぎない思想家だと思っていた沖島さんに、今回初めて、混乱を見ました」
と話しかけるでもなく呟くと、沖島さんは手を洗いながら、
「そーなんだよね」 と、はにかむように笑いました。
あの男は誰だ? それは私(たち)の分身だ。
ポレポレ東中野で今秋公開、みなさま、座してお待ちください。

ああ、それにしても、もうひと月が経つのだなあ。
ドイツのビールは安くて美味かった。
言葉が通じる日本に戻ってきて、しばらく深く感じ続けた妙なガッカリ感。
あれは、ビールの味というわけでは、なかったはずです。
2013-4-19
なんともはや、慌ただしい日々を送っております。
『眠り姫』 のアンコール楽日の翌日から、特集上映のために名古屋へ行き。
そうこうしているうちに、以前、『ホッテントット』 を上映してくれた、
ヨーロピアン・メディアアート・フェスティバル(EMAF)から、『DUB』 を上映したいとの連絡が舞い込み。
苦手な英語のやり取りを、友人に助けてもらいながら、ひーひー続けて。
いよいよ来週、初めてのドイツ、ガイドブックにも載っていない町、オスナブリュックへ行って参ります。
日本からの参加はまったく一人、通訳もガイドもいないし、ああ、冒険です。

そんなこんなで、このひと月余り、ろくに映画も観れていないのですが、
それでもなんとか時間を作って観た作品が、とても心に残るものばかりだったのは、幸い。
まずは、なんと言っても、牧野くんの上映会。
自分の名前に映画祭と付けてしまうあたりの不敵さが、相変わらずで、微笑ましく。
でも、それだけの気概を見せつけるのが、彼の凄いところですね。
新作PVの、薄い皮膜のかかったような水面のヴィジョンは、
この世のものではないような美しさを湛えていました。

それから、『食卓の肖像』。
実に、真摯な映画でした。
公害という問題はすべからく永年の問題として、生涯、代々、人々を苦しめていくという重いテーマを、
飾らず、ひたむきに、一人一人と向き合いながら、記録し続けてきたその誠実さが、
随所ににじみ出ていて、心打たれました。
それは、金子サトシ監督が、映画と人生に、いかに真摯に向き合っているかの
表れだろうと思います。
そんふうにグッときてしまっていたからか、上映後のトークが残念でした。
金子さんがあんなに真摯に、ゲストの方の質問に答えているのに、
司会の方のあの不埒な態度は、ちょっと、いかんなあー。
ちょいと不愉快になってしまいました。
まあ、人前に出て呑んだくれている私には、何も言えないですが。

2013-3-30
はや3月も末、更新しないまま、ひと月も経ってしまいました。
年々歳々、いやあ、ほんとに月日の過ぎるスピードが速すぎて…
と、言い訳にもなりませんね。
相変わらずの筆不精、あわせる顔もございません。(ネットですが)

このひと月以上を振り返ると、実にいろいろなことがありまして。
大阪上映に立ち会った数日間なんて、めっちゃ楽しくて!
調子に乗って、京都まで足を延ばし、
寝ている時間以外はほとんど、アルコールを口にしているという始末。
付き合って下さった友人知人、劇場スタッフのみなさま、
本当にありがとうございました!
もちろん、映画を観に来て下さった方々に、一番の感謝を申し上げます。
その上映とオーヴァーラップするように、
ヒカリエイガなるものにも、関わることになったりして、只今鋭意奮闘中でもあり。
映画や芝居やライブもいろいろ、刺激を受け、
日記に書くべきことは、あまたあったにもかかわらず、
うーん、どうにも筆を執ることができず、いや書こうとはしていたものの、
どうにもなんとも進まなかったのは、ある訃報が原因なのかも。
「亡くなった」と聞くより、「亡くなっていた」と知ることの方が、
動揺が静かに、深く沁みてくるものなのですね。
椅子の上に立つのも、ヒューヒュー騒いでたヤツが、7階に住むんじゃねえよ!
学生時代から借りっぱなしの回転イス、もう返せなくなっちゃったじゃねえか。
六畳一間で、暑い暑いと団扇をあおいでた夏のころ、
ぶかぶかのトランクスからはみ出していたお前の横金が、不意に思い出されて、
忘れられない。
酔い醒め飛行、バッドテイスト。

本日より、『眠り姫』13回めのアンコール上映、よろしくお願いいたします。
2013-2-18
新宿Ksシネマでの アンコールレイトショー、おかげさまで好評のうちに終了しました。
ご来場のみなさま、関係者の御協力、誠にありがとうございました!
個人的には、帰国直後の時差ボケの中で始まった上映期間、
ちょいちょい劇場に顔出しながらも、観たい映画やイベントにあちこち参加して、
実に楽しく、有意義に過ごさせていただきました。

中でも、アテネで連チャンだった各氏の講演は、どれも刺激的で。
リュック・ムレ 『ビリー・ザ・キッドの冒険』 は、脳内スパークするほど凄い映画だったし。
ノワール特集の大盛況は、こんなアテネ、十年振り!というぐらいの立ち見で、仰天したし。
とりわけ鮮烈だったのは、ゴダール『映画史』 「1A・1B論」 の平倉圭氏。
もうすでに、演台にPCをセッティングしているときから、ただ者ではないオーラを発していて。
おそらく絵画の図像分析を援用した、フレーム単位の画面分析で、
難解な 『映画史』 を鮮やかに解読していくさまは、実に独創的。
顔面カットが爆発的に連鎖していくタイムラインを、
狂気にとり憑かれた男の連想、そして妄想 と喝破する平倉氏の、
ときおり見せる不敵な笑顔が、まさに狂っていて、チャーミングで、しびれました。

しびれたと言えば、ベン・リヴァース 『湖畔の二年間』。
あそこまで作り込んでいながら、飄々と適当を装う 品の良さに、
自ずと 「映画以後」 という言葉が浮かび、
「映画以内」 で勝負を挑む人々との立ち位置の違いに、つくづく感心させられたなー。
恵比寿映像祭では他に、〈アニメーションと日記〉 プログラムで観た
『キープ・ミー・アップライト』 の 少女の痛ましさが天才的で、これはもう、生理的にツボ。
で、『ホーリー・モータース』 は、何と言っても ドニ・ラヴァンが圧巻。
やはり、怪物ですね。
唯一無二な あの存在が、カラックスという作家を生み出したのかも。
すみだトリフォニーホールでは、鈴木治行氏の 「句読点」 シリーズ全曲演奏会。
?脱臼す、る時間?と副題にあるからか、ふと、
モンティ・パイソンが現代音楽だったらこうなるのではと、何故か思い。
一方 ここ数日は、筒美京平の歌謡曲選集を、昔ダビングしまくったMDで聞きまくり…。

いやはや、支離滅裂で、落ち着きなく。
いい歳して、学生みたいですね。
書いてしまった後で何ですが、全くお恥ずかしい限りです。
2013-2-5
この年齢にして、初めての海外旅行。
オランダから帰ってきました。
いやあ、本当に楽しかった!
言葉が分からないって、すごく自由になれるんだなあ、と。
逆説的ですが、そんな気分です。
英語が話せないから、知ってる単語を並べるしかないんですが、
もうそれは、スリルとサスペンスの連続。
意図が伝わった時の興奮と喜びは、日本語の会話では味わえない、何というか素朴な感動があって。
同じく映画祭に参加していた牧野君には、
「日に日に、若返っていきますねえ」 と、冷やかされたり。
いやはや、どこから誰が見ても、映画祭を楽しみまくっている人、丸出しでした。
それもこれも、ロッテルダムにたどり着いた初日に、事務所の入口が分からず うろうろしてたところを、
声掛けてくれた、香港生まれでブリスベン在住のオードレイのおかげ。
何を話しかけられたかも分からず、必死に言葉を返したことで、吹っ切れて。
以後は、どこかで顔合わせれば言葉を交わすようになり、
そんな相手が、少しばかしですが増えていき…。
でも、正直に告白すれば、ヒアリングがダメだから、何言ってんだか全く分からなかったんですけどね。
エイガとエイゴに浸る一週間余りでした。
ああ、英語しゃべれるようになりたいなあ。

というわけで、帰国して。
早々に、おかげさまで、新宿Ksシネマでのアンコール・レイトショー始まりました!
海外では Experimental Film maker (実験映画作家)として認められちゃった
私の初めての実験?映画 『DUBHOUSE』
どうぞ御高覧下さいー。

2013-1-20
寒中見舞い申し上げます。
こないだの雪、久々にすごかったですね。
あの日以来、風邪で寝込んでおりまして。
そう言えば、年末は、ひどく虫歯に痛めつけられ。
折しも、アルコールなしではいられぬ時節柄、
神経抜いては酒を呑み、抗生物質を出されてはまた呑んで、もうボロボロ。
いやはや、この風邪も、大雪の日に出歩いたからというより、長年の不摂生がたたってのことなのか。
まあ、ようやく床を抜け出せたので、何とか大丈夫ですが。
遅ればせながら、みなさま、本年もよろしくお願いいたします。
今年こそは、養生に努めたいと思います。
とかなんとか、書いてみたりして。

そんなこんなで、日記をサボっていたひと月余り。
何やかやで、映画はあまり観れなかったのですが、
それでも、ファスビンダーの三本は、完走しまして。
若い時分はよく分からなかったのですが、四十五にして観るに、
これだけの人間観炸裂したドラマを、三十代で連発した早熟に、改めて畏れおののいたというか。
とくに 『ローラ』 の、えげつなく辛辣で透徹した社会認識は、簡潔かつ圧倒的でした。
で、早熟と言えば、ミア・ハンセン・ラブの新作。
まだ3作目だというのに、この堂に入った名作っぷりはなんでしょう?
前作 『あの夏の子供たち』 も、観た後で二十代の作家と知り、びっくりしましたが、
今作にも通底する、懐かしさと新しさが入り混じるこの感じ、
活きのいい完成された彼女の作風には、
80年代に、ホウ・シャオシェンを初めて観たときのような、興奮と感動を覚えました。
素晴らしい!

ところで、この一カ月の間には、
またしても、縁ある方の悲報があり、沈みました。
『のんき』 でお世話になった、佐藤允さん。
実は、梓さんと同じ頃に亡くなっていたと知った時は、しばし言葉を失くしましたが、
それから程なく伝わった、大島渚監督の訃報にも、言葉にならないショックを受けました。
その動揺は、ちょっと不思議な感じで、特別なものでした。
動揺の大きさに、動揺したというか…。
大島渚はずっと、テレビの向こうに見る、あるいは活字で知る存在だったし。
もちろん、主要な作品は全て観ていますが、
誤解を恐れず言えば、特に影響を受けたというわけでもないし。
しかし、十六歳の僕を、初めて世に送り出してくれたのは、
紛れもなく、大島監督だったわけで。
もし、あの8?映画を 彼が選ばなかったら、僕は、違う道を歩んだかもしれない。
そして、あのときの少年が、その後(ずいぶん経ってから)映画界の片隅で助監督をやり始め、
さらに時を経て、細々と作品を発表し出したということを、ついぞ知らせる(知られる)ことはなく、
その機会は、永遠に失われたのだなあ、と。
あえて説明すれば、そんなことなのかもしれませんが、うーん、分からない。
大きくて、遠い、喪失感。
風邪で寝床に伏せながら、不思議な動揺を胸に抱く日々でした。

さてさて。
新宿Ksシネマさんが、『DUBHOUSE』 のアンコール上映をやってくれることになりました!!
2月2(土)から連日21時、2週間のレイトショー。
(併映は、『夢で逢えたら』 と 『Aspen』。日曜と水曜は、『のんきな姉さん』 を上映します)
というのは、もうご存知の方も多いでしょうが、
『DUB』 が、今週開催のロッテルダム国際映画祭で上映されることになりまして。
てなわけで、オランダ、
行ってきます〜
2012-12-17
気がつけば、師走も半分が過ぎ、今年もいよいよ終わりですね。
お祭りのようだった特集上映が終了して、早ひと月余り。
余韻に浸る間もなく、いつものように、ひたすら雑事をこなしながら、ぼんやり過ごしております。
ぼんやり、とは言え、日々いろいろなことがあるわけで。
昨日の選挙結果には、絶望的な気持ちになりました。
お先真っ暗、困ったものです。
でも、まあ腹を据えて、表現と向き合っていこうじゃないか、とも思います。

特集が終わってまず観に行ったのが、ブレッソンの 『白夜』。
恥ずかしながら、初めて観まして。
ああ、これだったのね、と。
カラックスをはじめ、今まで虜にされてきたある種の映画――
それは、孤独な魂をめぐる映画とでも言いましょうか、
その原点が、あれなんですね。
何なんでしょう、あのグサッとくる感じ。
震えが止まりませんでした。

他にもいろいろ、いいものを観まして。
生西康典氏の 「燃える人影」 には、実にシンパシーを感じたし、
牧野くんの 「+」 上映会では、葉山嶺さんの 『EMBLEM』 に夢見心地になったし。
福間さんの 『あるいは佐々木ユキ』 や、ミランダ・ジュライの 『ザ・フューチャー』 も良かった!
で、先日。
原稿明けの休息に、近所の映画館でアルドリッチ三昧楽しもうと (あ、二本ですが)、
『合衆国最後の日』 と 『カリフォルニアドールズ』 を観まして。
すっかりいい気分で、ドールズ・コールを頭に鳴り響かせていたら、不意に着信。
訃報に絶句。
耳を疑いました。
ついこないだスクリーンに、彼女の可憐な演技を観たばかりだったから。

『のんき』 で弟のガールフレンド、華子役を演じてくれた梓さん。
初公開のとき以来、10年近くお会いすることはなかったけれど、
知人の映画で目にするたびに、ああ頑張っているのだなと嬉しく思っていたのに。
36歳。
若過ぎるよ。
自分の死期を悟ったとき、どれほど無念だったろうか。
うーん、堪え切れず、駆けつけ一杯。
安酒をあおっているうち、現場の当時の記憶がよみがえってきました。
『のんき』 に出演してもらったのは、助監督だった西川美和さんが、
是枝組で良い女優さんがいたと、紹介してくれたのがきっかけ。
一目で、カンのいい子だなと思い、信頼しました。
リハーサルでは、弟役の塩田くんとの天才的なやり取りが、見てるだけで楽しくて。

彼女が演じた華子という役は、原作には無い、僕が加えた登場人物。
最初に書いた脚本では、もっともっと様々なエピソードが連なる、
思い入れ深い役どころでした。
だから、華子があの作品世界からいなくなる最後の場面、
姉の妊娠について、切ない告白をされる芝居の長廻しは、
台本にある演技が終わっても、カットがかけられず。
そんな心情を察してか、撮影のたむらさんは、
去っていく弟をカメラで追わずに、立ち上がれない華子に戻して撮り続けた。
そのままじっと見つめていると、彼女はしばらくして、何かを決意したように、
ふっと、落とした目線を上げ、そこでフィルムが落ちた。
印象的な表情でした。
あれが、梓さんの、僕の映画の最後だったのだなあ…
フィルムが落ちる寸前に焼きつけられた、
あの表情は、永遠です。
合掌。
2012-11-19
Ksシネマでの特集上映と、アップリンク 「闇」 イベント、盛況のうちに無事終了しました。
ご高覧いただいたみなさま、誠にありがとうございました!
怒涛のような一週間と一日。
こんなにたくさんの方々に御来場いただけるなんて、本当に思ってもみませんでした。
新作短編という看板はあれど、
僕なんかが昔の作品をかき集めて、これまでの軌跡を披露するのは、
あまりに大それたことだし。
「ま、生前葬ですから」 と、自虐的な軽口で、不安を紛らわしていたのですが、
いや、感無量。
懐かしく、 恥ずかしく、 誇らしく、 痛ましく…。

さまざまな喜びもありました。
例えば、「のんき」 の再映に高揚していた梶原さんや塩田君。
編集の宮島さんは、僕らの最初の作品 「七瀬」 を見せるために、助手さんを大勢ひきつれて来てくれました。
満席だった、鈴木了二先生とのスペシャル対談。
山本直樹先生とも久しぶりにお会いできたし、
親しいみんなや初めての方々と、毎晩の酒盛りだったし。
そして、この特集上映で改めて教えられたのは、
映画は、古いも新しいもなく、
今この時に観られることで、更新されていくものなんだ ということ。
やって良かったなと、つくづく思いました。

てなことで、昨日はぐったり疲れが出て、すっかり眠りオヤジだったのですが、
「DUBHOUSE」 の影の仕掛け人でもある友人の催すライブがあったので、
重い足を引きずり、夜の渋谷へ。
「肉体と肉声」、凄かった!
いやあ、参りました。
灰野敬二は、彼自身が唯一無二の ?研ぎ澄まされた? 楽器ですね。
22日に心斎橋の教会でもやるようなので、関西方面の方は、ぜひ。
2012-11-5
先日、上映チェックのために、『のんき』 と 『夢で』 を久し振りに劇場で観ました。
拙作で恥ずかしながら、でも、フィルムの状態はすごくよく、
いやあ、ホント、美しかった!
陽だまりの部屋、風そよぐ夕暮の残光…
フィルムを透過して投影される、あの温もりある光、輝きには、
どんなにデータ量が増したプロジェクターでも、
決して敵わないと思います。
何で、フィルム無くなっちゃうんだろ。
今回35?が上映できる喜びと、せつなさが相余って、
支配人と しこたま呑んでしまいました。

そんなこんなで、上映準備の何やかや、
最近はKsシネマに通っておるのですが、ある日暮れどき、劇場を出たところでバッタリ、
昔からお世話になっている 某プロデューサーに鉢合わせました。
まあ、新宿に事務所を構えている方なので、駅への通り道、ありえないことではないのですが、
それにしてもタイミング良過ぎるなと思いつつ、
特集上映の宣伝しなきゃとベラベラまくし立てていたら、ぽろっと某氏、
「お前、○○知ってるか?」
それは、ある女性編集技師の名でした。
「はい。 助監督の頃、編集室で二、三度 口きいたくらいですが」
「死んだよ」
「え…」
48歳の若過ぎる死。
酒が、過ぎたからな…と某氏は呟きましたが、
うーん、時代の痛みを感じました。

かつて映画の編集室は、
パソコンに向き合う 今どきのあれとは違って、
何と言ったらいいんだろ、現場とはまた異なる緊張と憩いが伴う、
独特の空気の 聖域だったような気がします。
重厚なスタインベックをガチャガチャ駆動させたり、手回しのビューワーをコロコロと転がして画を見る技師と、
フィルムの束を整理する助手の、絶妙なコンビネーション。
そんな情景を、現場の悔恨入り混じりながら見つめることで、
僕は映画を学んでいったんだと思います。
ある技師に、フィルムとは切ったら血が出るものだと教えられたこともありました。
昔堅気の編集ウーマンにとって、デジタルの津波が押し寄せたこの十年は、
映画人生が根こそぎなぎ倒されていく 災厄だったのかもしれません。
フィルムが失われるということは、ただ他の代替物にとって代わるだけでなく、
(データだから物じゃないか)
人がいなくなる、ともし火が消える ということなんだな、と。
哀悼深く、胸に重しをのせられたような気持ちです。
2012-10-26
ここ数日、「レッド」 と 「堀田」 を読み返していまして。
やはり、凄い!! ですね。
それぞれに、山本直樹作品の行き着いた極みを感じ、
悶々としてしまうのですが、
この2作品、全く別の世界を描いているようで、
実は、同じ地平で繋がっているように思えてならないのは、
僕だけでしょうか?
山本作品の、あの、淡々と進んでいく、妙なリアル感。
永遠に続いていくような一瞬を、すくい取ったようなコマ割り。
狂気とか 幻想って、ああいう平静な?間?に、
滑り込んでくるものなのだろうと思います。
あの独特な間に、相当 僕は影響を受けているんだなあと、
つくづく再認識した次第で。
まあ、ファンなんですけど。
山本先生の作品は、森山塔や塔山森名義を含めて、
ほぼ全て、読んでないものはないのですが、
それだけなら、そんな人はたくさんいると思うので、
ちょいと自慢すると、僕にとっては(勝手に)恩人のような存在でして。

そもそも 『のんきな姉さん』 映画化は、
撮影にまで入りながら、一度頓挫していまして。
これを立て直すのが、尋常じゃない苦労で。
そのとき、現場を切り盛りしてくれていた、映画美術デザイナーとして名高い某氏から、
仕切り直すにあたって、全く違う脚本を書けと指令が出まして。
それで、原作を掘り下げていくことで、別の脚本を書いたのですが、
新たに製作に入ってくれた、その頃、旺盛に野心的な映画を作っていた、
S社の Sプロデューサーから、とんでもない注文があったのです。
「俺は、新人をプロデュースするときはオリジナルと決めている。
この脚本は、原作から逸脱してオリジナルと言ってもいい出来上がりだ。
だから、原作者名を外して欲しい。それが引き受ける条件だ」。
そんなこと できるわけないでしょう!
と、すかさず拒否が道義ですが、
S氏を引き入れることで、なんとか映画を仕切り直そうとしてくれている、
某氏の立場を考えると、無下に拒むことも出来ず。
僕は、えいや! という気持ちで、山本先生にお願いに伺ったのです。
そして、たぶん苦しげな表情で、正直に簡潔に事情を打ち明けたところ、
先生は、こう仰ったのです。
「僕は、七里さんが映画を撮れることが大事だと思うから、どうしてくれてもいいですよぉ」。
うわあぁぁぁあ、と思いました。
あのとき、あるファミレスだったのですが、テーブルを挟んでお話したその光景は、
一生、忘れないだろうなあ。
僕は、そのとき、絶対映画を作り上げ、原作者名も絶対外さない! と心に誓ったのでした。
というわけで、闘争心を胸に秘め、原作問題は棚上げにしたまま、
「のんき」 は、「ゆめび」 という仮タイトルで、
スタッフ・キャストも総入れ替えとなって、2度目の現場に突入しました。
そして、撮影と編集が終わり、音の作業を始める頃、
棚上げにしていたことで、さあ、すったもんだが始まると思いきや、
なんと S社は、以前からささやかれていた資金繰りの問題で傾き、
S氏も解任されてしまったのです。
で、すんなりとタイトルは 『のんきな姉さん』 に戻り、原作問題も解決したのですが、
お金の出所を失って、映画は、それから2年近くお蔵になってしまったのでした。
ふー。

いやはや、山本先生には、その後もお世話になりっぱなしで。
『眠り姫』 を原作にいただいたときも、感謝、感謝でしたし、
苦労した完成披露の生演奏上映にも 駆けつけてくれて。
「まじ、良かったっす」 と言われたとき、
もう、泣きそうでした!!
2012-10-16
一昨日の TAIKUH JIKANG のライブ、凄い大入りでした。
良かったですねー。
チラシの折り込みもさせてもらい、ありがとうございました。
昨年から、このユニットに極私的注目なのは、さとうじゅんこさんが参加しているからでして、
リーダーの川村亘平斎氏も凄い才人だと思うのですが、メンツがまた凄い。
最近親しくしてもらっている徳久ウィリアムさんをはじめ、あのバイオリンの方、ヤバいですね。
才気あふれる音楽家たちに、くらくらでした。

伝統音楽及び芸能の表現に、魅力を感じるようになって、もうずいぶん経ちます。
ワヤンを初めて観たのは、たぶん十年くらい前、沼袋のお寺でした。
偶然ですが、それからほどなく仕事で、無形遺産について書くことになり。
以前から好きだった文楽とともに、ワヤンの担当になって、調べてハマったり。
で、『眠り姫』 劇場初公開時には、写真展のギャラリーで、
ガムランと舞踊のイベントを開いたこともありました。
あれも素晴らしい体験だったなあ…。

思い出ついでに、話題を飛ばして。
今回の特集上映で、クラムボンのPVを上映させてもらいますが、
実は、僕が撮ったPVは、もう一本ありまして。
それは、やはり十年以上前の90年代末、
「おどるように うたうように」 という、パレードのメジャー・デビュー曲でした。
パレードは、ラブ・タンバリンズでベースを弾いていた平見文生氏の、
いなせなスリーピース・バンド。
ボーカルの木戸氏の歌は、やるせなく、実に色気があって。
今日一日、「Robbie」 というアルバムを久々に聞き返していたのですが、
いやあ、本当にいい曲ばかりだなあ〜
でも、あんまり売れなかったみたいで…。

パレード平見氏との繋がりは、学生時代の友人の紹介。
まだ監督なりたての、アーリーな時分の僕は、意気揚々とやっちゃったわけです。
早朝、だんだん日が昇っていく首都高速を、ひたすら走る車の窓景と、
そのスクリーン・プロセスの前で歌う三人組が、亡霊のように重なっていく、
とってもシュールなPV。
入魂の一作だったのですが、あんまりプロモーションのお役に立てず、申し訳ない。
おまけに、若気の至りで、マスターテープのコピーとか、全くしておらず。
あれ、もう観れないのかなあ。
まあ、滅多に自作を見返すなんてしないのですが、こういう機会があると、惜しい。
あとの祭り、ですな。
2012-10-11
世間の言う、住みたい街No.1とやらに、僕は住んでいるのですが。
その街が、注目度と反比例するように、どんどん住みにくい街に変わっていくのが、
この数年の悩みです。
実に、四半世紀も ここに居ついた理由の一つは、
日がな一日(毎日?)ぼんやり過ごすための、
マイ・コースみたいなものが 出来上がっていたからでして。
そのコースには、居心地のいい喫茶店が、must の条件で。
ところが、そうした店が、
再開発のあおりか、時代にそぐわなくなってきたのか、
次々と消えていくのが、ああ 無情です。
今週も、駅前にある安くて美味しいコーヒー店の老舗が、消えゆく運命にありまして。
けっこう流行っているんですけど、なぜでしょう?
十年一日のごとく、シャンソンの名曲がエンドレスで流れていて。
朗らかで、物悲しいアコーディオンの調べをBGMに、窓際のカウンターで街ゆく人をぼーっと眺めるのが、
考え事に煮詰まったときの定番だったのに。
ああ、これからどうしたらいいんだろう…。

昨晩、Ksシネマでの特集上映の宣伝試写がありまして。
新作短編 「DUBHOUSE」 の先行上映をしました。
この作品、我ながら、一線を越えてしまったという感がありまして。
やっちまったかなあ、と。
それ、どういうことかと言うと、
試写後にロビーで、観て下さった束芋さんから、
「これって、映画としてやるんですか?」 と聞かれたのが象徴的で。
現代アートの日本代表作家にそう言われると、さすがにたじろいでしまいますが、
でも、僕はこれを、いつものように映画として作ったのです。
いつものように、というのは つまり、
ショットとショットのモンタージュに、うんうんうなりながら、ということで。
まあ、その苦悶が尋常でなかったのも確かなことで。
いつもより多めに、珈琲を飲みに行っていたかもしれません。

そんなわけで、一線を踏み越えたかもしれないけれど、
これは、映画以外の何ものでもないと思うのです。

ぜひ、みなさま、ご覧になってお確かめ下さい。
2012-9-27
気がつけば、テレビが見れなくなって、一年以上が経っていて。
今のところ、ほとんど不便はないな、というのが実感です。
もともと、バラエティとかあんまり好きではなかったし、
ドラマにハマったなんてのも、思春期を過ぎてからは、とんと。
でも、そう言えば、去年の夏前までは、
家に帰れば、習慣として、まずテレビをつけて、
ダラッと深夜帯の番組を眺めたり、小耳にはさんだりしてたのだから、不思議なものです。
今は、TVの代わりにPCなのですが、
メディアが変わることで、思考や生理に少なからぬ影響は受けるのでしょうなあ。
ヤバい。

米国コダック社の破産に続いて、FUJIも、映画用フィルムを製造中止するのだとか。
ついに来たな、という感じです。
あの、ペラペラで光を透過するフィルムという物質(身体)を失うことで、
映画は、やっぱり 情報になるのですね。
いや、もうすでになっているのかな。

この夏も相変わらず、いろいろな事物を見聞きしていたのですが。
特に印象に残ったのは、お盆前、何の気なしに行った、
しばてつさん(ピアノ)のミニコンサート、「近況」 vol.42 でした。
四人(組)の音楽家がそれぞれ演奏する、その演目の?題?が、実に秀逸。
まず一組目が、環境音とピアノの共演で 「音楽以内」。
次の森下雄介さんは、ピアノ即興をPCに取り込んで、i-phoneを仕込んだボックスティッシュを振ってコントロールしながら、ラジオで受信して流すという 「音楽辺境」。
さらに池田拓実に至っては、もはや楽器すらなく、電極を差したビーカーに繋いだ電球を、ひたすら灯したり消したりしているだけという 「音楽以後」。
そして最後に、しばてつさんのピアノ演奏で 「音楽以内」 に戻るという、美しいプログラム。
そうか、「以内」 と 「以後」 なんだなと。
で、「辺境」 があるんだあ…と思ったら、目眩がするほど震えまして。
森下さんが、ボックスティッシュを求道者のように振り続ける様が、脳裏に焼きつきました。

ところで。
そろそろチラシが出回り始めるはずですが、
11月に、拙作の特集上映が 新宿Ksシネマであります。
最新作短編 「DUBHOUSE:物質試行52」 まで含む、ほぼ全作12本がスクリーンにかかっちゃいます。
うへー。
その特集タイトルを、学生時代からの付き合いの後輩が見て、一言。
「恥ずかしいですね」。
いや、まったく、お恥ずかしい限りです!
2012-7-7
巷には、呆れかえることばかり。
政治はもちろん、私の身の周りでも、です。
人が人を、こんなに簡単に ないがしろにできるようになったら、
社会は、もう終わりですね。
早晩、人類は滅びるだろう、少なくとも この文明は行き詰まる、
と 実感を伴って思います。

嫌な感じを紛らわしながら、生きる日々ですが、
そんな折々に触れた表現について。

うちの近所に 100円で入れる美術館があって。
貧乏暮しのひまつぶしに重宝しているのですが、
そのうえ展示も、なかなか良くて。
この前も、一原有徳の追悼展に、瞠目。
恥ずかしながら、全く知らなかった美術家で、
?99999999 ヒラケゴマ? という奇怪なキャッチコピーに、
魅かれて見たら、もうこれがすごくて!
物質の宇宙を念写するような モノタイプ版画は、荒々しいまでに美しく、
まさに抽象表現の極北。
「KIH(b)」 とか 「An(A)1」 とか 「WP3」 とか、作品タイトルもわけ分からんし、
自由律俳句でも活躍した人だそうですが、
金属を腐食させたり、電気ドリル振り回して、
100歳まで創作を続けた おじいちゃんがいたということに、
めまいがするほど感動しました。

最近、木村栄文の特集上映に通って、
そのドキュメンタリーが取り上げた人々にも圧倒されたのですが。
かつて ( ITが蔓延する前?) は、
人生や表現とは、もっと濃厚なものだったのではないでしょうか。

それに比べたら、というか比べるのも変ですが、
同じ頃に見た、某美術館での人気写真家の展示は、
期待して行っただけに、ぺらっぺらに薄くて、浅くて、がっかりで。
流通して持てはやされることの危うさを、つくづく感じました。
同行した友人の写真家が、
「これが いい写真だと思う若い人は 可哀そうだね」 とぼやいていましたが、
それは、写真に限らず 全くその通りです。
希望は 過去にしか無い、
のでしょうか?

先日、日帰りで 静岡の野外劇場に行ってきました。
黒田育世さんが、「死ぬ準備です」 とのたまっていた、新作の初演があるので、
こりゃ観とかねばならんだろう、と思いまして。
「おたる鳥を呼ぶ準備」。
三時間に及ぶ、激走!
突きつけられたことに、うーん、まだ言葉が返せません。
剥きだしの踊り、身体を剥ぎ取っていくような 熱に対して、
これは、山や川や土に育たなかった世代の舞踏だろうか、
などとも思いましたが、まだ遥かに言葉は遠く…。
僕は 20代の終わりの 90年代に、一時期、
指輪ホテルという 羊屋白玉の芝居に関わっていたのですが、
あれは、消費文化へ反逆する女の子たちの生や性が、
無防備に服を脱ぎ、食べ物を食べ散らかす生々しさの中に、
垣間見える手法の面白さだったわけで。
BATIK のダンサーたちの訓練された肉体が、
叫びわめきながら、これでもかこれでもかと 極限まで踊り駆け回る壮絶さは、
女の子たちの生や性でも、掘り下げていく深度がはなはだしく、
表れる様は 全く別次元の達成なのですが、
でも問いかけの根源に、どこか近いものがあるような気もして…。
まあとにかく、ただただ 「BATIKって凄いなあ」 と嘆じ、
帰りたくない重い気分を、缶ビールで誤魔化しながら帰路に着きました。

その数日後。
指輪の頃からの親友の、クラリネットを聞きに 北浦和へ。
何年もニューオリンズに行っていた彼が、
帰国後に、トラディショナルなジャズを吹くのを聞いたのは、
そう言えば、これが初めてでして。
ぼんやりとした印象ですが、米国行きの前に 西荻で聞いた時より、
ぐっと味わいが深まったような気がして。
デュオのピアノ弾きも、真摯な演奏だったし。
とってもいい気分で、酔っ払ってしまいました。

で、昨日。
久し振りに、『仁義の墓場』 を観たのですが。
あれは確かに、やくざ映画の歴史的傑作ですな。
神波史男について、僕は何を知っているわけでもありませんが、
はぐれ者の美学を 胸に刻みました。
2012-5-8
ゴールデンウイークも、あっという間でしたね。
何をしてるというわけでもないのに、日々は過ぎゆき、
そのスピードに、年々歳々アクセルがかかってるようで、切ないです。

会期終わりに、なんとか滑り込めた、「ジャクソン・ポロック展」。
初めて観た実物の印象は、なんか、異様に小さいな、と。
?門外不出の大作!?とか謳っている今回の目玉の、「インディアンレッドの地の壁画」 ですら、そうでして。
大きい、と感じられないのは、息苦しいまでの緻密さ、ゆえでしょうか。
誤解を恐れず言えば、例えば、岡本太郎の絵のような野放図な大きさとは、真逆にある切迫感、
あの緻密さをオールオーバーに維持するには、精一杯、もうギリギリという感じが、
大作の壁画ですら、大きく感じさせないのかも。
極北であらんと、つきつめる様が凄まじく。
ああ、こりゃ、死ぬな、と。
思った、次第で。

で、昨日は、奇しくも同じく生誕100年の、
ジョン・ケージを聴きに、門仲天井ホールへ。
友人が企てた催しだったのですが、遅刻してしまい、
実に官能的だったという、「in a landscape」 を聴き逃し。
でも、震えんばかりに精密で厳格な、ドゥルーリーさんのピアノタッチに、
ケージって、思想なんだな、とつくづく思い。
ぼんやりホールの天井を見上げながら、ここ閉館しちゃったら痛手だよなあ、とも思い。
また、終曲の譜面が、見開きでワンセクションだからなのか、
縦長で異様にデカいなあ、とも思ったり。
不真面目ながら、久々のコンサートを優雅に満喫して、
現代音楽っていいなあと、終わって明るくなった会場で感じ入っていたら、
前に座っていた美恵さんが、「やっぱり、あたし現代音楽って合わないわ」と、
あっけらかんと言い残して、さーっと立ち去ったのが、可笑しくて。
ちょいと一杯、下町の酒場で呑み帰りました。

ところで。
ビースティボーイズのMCAが、亡くなりました。
新しいスタイルのポップ・ミュージックの登場は、彼らが実は最後だったのではないでしょうか?
革新的なアーティストは、先鋭的な映像作家でもありました。
MCAの作ったビデオクリップ、びりびりキタなあ。
アーメン!
(あ、ブッディストだった…)
2012-4-26
この日記の表題には、なんてことない日々をつづるなどと書いてありますが、
そんなのんきなこと言ってる場合かと焦るほど、危機的な社会。
が、そんな状況に対して、どんな発言をしていいやら、考えるだけで鬱々となる日々です。
日々、つぶやいたりつながったりしている人々の営為が、
うらやましくも、すさまじくも感じられます。

ま、そんな心中でも映画は観るわけで。
こないだは、ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団時代の 『ありきたりの映画』。
実際観てみると、言われているほど、?五月革命?に共闘してるように感じられないのは、何故だろう?
「すべては、美学と経済学に尽きる」 とまとめた後に、
トリコロールが左右に揺れる、ラスト・カットが可笑しかったな。

映画館で久々に会った友人とお茶して、勧められた安冨歩。
痛快ですね!

2012-3-31
今日から 『眠り姫』、11回目の再映。
ついに、十回を超えてしまいました!?
これはもう、嬉しいとか、驚きとか、分からないとか、
ほざいてる場合じゃないですね。
ずいぶん前から、
「観てくれる人が一人もいなくなるまで、上映し続ける」
と宣言してましたが、言うは易し。
実際、それを貫徹してみようじゃないかと、新たに意思を固めた所存です。
それにしても、ユーロでの初公開から 5年、生演奏上映から 7年、作っていたのは 9年も前になります。
まさか、これが、自分の代名詞のような作品になるなんて。
あの頃は思いもよらなかったなあ…。
ただただ、衝動に突き動かされるまま、無欲に奮闘し続けた軌跡なのですが、
それが、こういう結果に繋がったということなんでしょうか。
感慨深い。

で、ちょいと告知。
早稲田の学生さんが編集発行している 「MIRAGE」 という映画批評誌があります。
今出ている第4号は、上野昴志さんや、ポレポレの小原治さん、アップリンク浅井隆さんなどともに、
恥ずかしながら、僕のインタビューも掲載してくれました。
『眠り姫』 どころか、大学生の頃まで遡る、長くたわいもない経験談。
ひまつぶしにどうぞ。
インターネット購入以外に、模索舎やアップリンクでも買えるそうです。
2012-3-17
いよいよ春が、近づいてきたようですね。
風に吹かれて、ふと思い出します。
去年のあの日の後、無謀にもよく出歩いていました。
『ヒアアフター』 を観るついでに寄った、閑散とした歌舞伎町。
アップリンク帰りの、渋谷ハチ公前の夜の暗さ。
ミネラル・ウォーターが売り切れて、コンビニをはしごしたとき、
春の風が、時に強く、不気味にそよそよ吹いていました。
あれから1年、いつの間にか経つのですね。

最近、つとに思います。
終わりなき日常を生きる、のでは もうすでになく、
この日常の終わりまで生きる、ということなんだろうなあと。

この間、トークに呼んでくれた 牧野貴くんの新作上映会。
祝! ロッテルダム・短編最高賞の 『GENERATOR』 は、紛れもない傑作なんだけれど、
あの東京の空撮に夥しいフィルム粒子が舞い散り、猛烈な水流に変わっていく様に、
僕は、どうしてもあることを連想せずにはいられず、
圧倒的な迫力と 攻撃的なまでの美しさに、酔いしれ 胸を締め付けられました。
で、また人前に出てるというのに、生ビール3杯くらってしまったわけです。
まあ、言い訳ですが。
製作順の前後は分からないけど、『光の絵巻』 の方が、安らかに堪能できたなあ。

光と言えば。
もうひと月くらい前になりますが、『DUBHOUSE 物質試行52』 の初上映、
大変盛況でございました、ありがとうございました。
直前まで制作に追われていたということもあり、あまり告知できなかったにもかかわらず、
だからなのか、建築系の識者が多いアウェーな状況で、登壇もあり、びりびり緊張でした。
そんななかで、写真家の安斎重男さんが見事に、あの闇に焼き込んだ「事」を見抜いてくれたのは、
我が意を得たり、苦労した甲斐あったなあ…。
が、その一方。
地下階に展示された 『53』 の中に入れてもらったとき、
うーん、あのどこまでも冷たい LEDの光に支配された、陰影の消えた世界に覚えた戦慄!
ああ、恐ろしい、あんなもの撮れと言われなくてよかった、俺には無理だ…。
しかし、今我々が生かされているのは、こういう世界なのだとも痛感したのでありました。
あちゃー、参ったね。

そして、吉本隆明。
最初に読んだのは、「言語にとって美とはなにか」。
高校生だったし、理解できたとは全く言えないけれど、
美しい書物だな…と、なんとなく感じたことを覚えています。
巨人がまた、逝きました。
合掌。
2012-2-16
ずいぶん、映画を観ることができないでいて。
久しぶりに観たのが、アキ・カウリスマキの新作だったのですが。
『ル・アーブルの靴みがき』。
いやあ、折り目正しい 素敵な映画だったなあ。
久々でかつ アタリってのは、気分がいいものです。

そして、いよいよ明日からは アテネで、デュラスの特集ですな。
ああ、通いたい。
なんと言っても、楽しみなのは、 『ヴェネチア時代の彼女の名前』。
ひょっとして、15年振りくらい? いやそれ以上かな?
とにかく、 『眠り姫』 の発想の源泉ですから、もう ドキドキ。
あの、誰もいない廃墟から聞こえる声、物語りは、
思い出すだけでも、美しさの極致。
これぞ、亡霊映画。
でも、今観直したら、どう思うんだろう?
うーん、ドキドキ。
みなさんも、ぜひ。

で、ぜひと言えば、鈴木了二氏との共作短編。
『DUBHOUSE 物質試行52』。
今日、できました!
明日上映。
間に合いましたー!!

2012-1-25
あ、 アンゲロプロスが…
2012-1-20
相変わらずの筆不精。
今年もとっくに始まりまして、寒中見舞い申し上げます。

2012年は、マヤの暦で終わりの年。
だからなのでしょうか、正月早々、不穏なニュースを耳にしました。
南インドに来年、5万人が居住できる日本人街を造ると、経産省が発表した あれ。
本当ならば、いよいよ棄民ということなのでしょうか。
金持ちの子息だけが生き残り、声のでかいヤツばかり のしていく世の中が、
ますます進んでいくのでしょうなあ…
ああ、やだやだ。

ちょいと前になりますが。
府中まで足を延ばして、「石子順造的世界」 展に行きました。
?ハイ・レッド・センター? 高松次郎の 「カーテンを開けた女の影」 が、奇跡のように美しかった…。
埋め込まれた鏡で、館内照明の反射が床に ふわっと映っていて。
それに気づいているのが、周りに誰もいないのをいいことに、
ヴィーナスの光を そっと足で踏みつけました。
高度成長期のアンデパンダンの空気を、僕は幼いころに吸ってしまっていて。
こういう展示には、えもいわれぬ懐かしさを感じてしまいます。
中村宏は、やはりカッコよかった!

さて、今日は雪の日でしたね。
雪国から帰京したばかりだというのに、極寒の朝。
恨めしく思いながらも、そわそわ。
いそいそ、駅とは反対方向に向かいました。
というのも、今日、我が町にあの喫茶店 「三番地」 が帰ってきたのです!!
一番乗りを目指したのですが、着いたらもう先客がいて。
でも、それがまた嬉しくて。
マスターは にっこり迎え入れてくれたし、
年代物のスピーカーから流れる音は、昔のままのぬくもりだし。
しばらくぼんやり珈琲をすすりながら、窓越しに降る雪を眺めました。
ああ、至福。

さてさて。
短編ですが、五年振りの新作が いよいよ出来上がります。
一昨年の夏から取り組んできた、建築家・鈴木了二氏との共作、『DUBHOUSE 物質試行52』。
いやあ、我ながら言うのも恐縮ですが、またしても とてつもないものになりそうです。
なんせ、イーストマン・コダックが破産した折も折、
35?フィルム作品として仕上げているのですから、なんともはや天の邪鬼。
二月、写真美術館の恵比寿映像祭を、乞うご期待!
…って、まだラボでの作業が続いていて、間に合うかどうか シビレるとこなんですが。


2011-12-23
あらら。
いつの間にか、師走も大詰め。
こんな大変なことがあった年でも、年末はやって来るのだなと、
なんか不思議で、ちょいと違和感。
でも、感慨深くしてる暇もなく、日々が過ぎていきます。

初めて行った神戸では、とある奇特な方から身に余る歓待を受け、
びっくり仰天したのですが、そんな出来事すら押しやられるほどの、この師走の忙しなさよ…
うーん、でもそうやって流される生き方には、なんとか楔を打たねばなりません。
まあ、そんなことと関係あるかどうか。
昨日の新聞で高橋源一郎が引用していた、農文協のブックレットの言葉。
「 (震災復興事業と、TPPという) 二つの津波には共通点がある。どちらも、小さなもの、多様なもの、ヒューマンな共同体を破壊し、何もかも一様なものにしてしまうのだ…」
これって、まんま、DCPやVPFといった映画のデジタル化問題にも当てはまるよな、と思いました。

さて。
すでに公開が始まっているのですが、
映画 『瞳は静かに』( 原題 『アンドレスはシエスタ(昼寝)なんてしたくない』 )
のパンフレットに寄稿しました。
アルゼンチンが軍事独裁政権下にあった、1970年代が舞台の物語なのですが、
これって、今の日本にも言えるんでないかい? と思ったのでありました。
ぜひ、ご高覧を!
2011-11-23
TPPも大変ですが、今、映画界を揺るがす大問題はDCP…
という話はいずれするとして、それと全く関係ないわけでもない、
念願のイベントを、今週の27日曜に催します。
題して、『眠り姫』 @ 「夏への扉」。

「夏への扉」 とは、猫のピートが活躍する、ハインラインの名作青春SFですが、
その名を店名にした、素敵な喫茶店が青梅にあるのです。
実は、『眠り姫』 で印象的に登場する喫茶店が、この店。
つまり、映画をロケした場所で、その映画を上映しちゃおうという試みです。
昨年は、真っ暗やみで、映画の音だけを聴かせる
「闇の中の眠り姫」 というけったいな上映?会を企てましたが、
これと同じくらい、以前からやりたかったのが、このロケ地上映会。
日没の窓や、木のテーブル、壁の絵など、撮影したものに囲まれながら、
撮影された映像を流したら、どんなふうに見えるんだろう?
と、思いまして。
昨日、実際の時間帯にお店でテスト上映をしてきたのですが、
いやあ、思った以上に格別な体験でした。
だんだん暮れなずむ室内で、ときおり表の気配を感じながら、
あの薄明や夕景の映像を眺めるのは、凄く不思議でキモチいい…。
当日も天気に恵まれるといいなあ。
おひまでしたら、ぜひ。
あ、予約制ですので、詳しくは、このHPの新着情報か劇場のページをご覧下さい。

そして、さらに告知。
12月9金、10土、11日に、神戸アートビレッジで、
『ホッテントット』 が、神戸初上映されます。
しかも、東京ではまだ未公開の、サウンドリミックス版!
この五年間のライブ上映で、進化した演奏を新たに加えた、
出来立てほやほやの、音のリニューアル版です。
乞うご期待!!

とか何とか書いていたら、談志師匠の訃報が飛び込んできました。
うーん、なんともはや。
寂しい限りです。
2011-11-1
珍しく、早々に更新します。
というのも、前回記した “長い間続けること” について、まだ書くことがあるからです。
まあ、『眠り姫』 についてなのですが。

おかげさまで、10回目の再映がはじまりまして。
客足もまずますのようで、本当にありがとうございます。
嬉しい限りではあるのですが、こんな風に 回数を声高に謳うのは、
少々、気恥ずかしくもあります。
誇らしいというよりは、信じられないというか。
誤解を恐れず申せば、再映は、続けようとして頑張っているのだけれど、
続いてしまっているというのも、正直な実感でして。
何故だろう?
と、よく考えます。

虚勢を張って 喧伝するには、あまりにささやかな映画だし。
そもそも、この作品は当初は、劇場公開するつもりさえなかったのです。
ただ、「納得いくまで やり遂げたい」 と自分のエゴで広げてしまった風呂敷――製作行為に、
きちんとオトシマエをつけることだけは しようと。
そのために、無理に無理を重ねて催した、北沢タウンホールでの生演奏上映会。
あの二日間で、 『眠り姫』 は終わるつもりでした。

それが、2年後にユーロスペースで公開することになり、
さらに 5年経った今も、再映が続いているというのは、
もう僕の意思など越えて、多くの人の 大小さまざまな思いが、そうさせているとしか考えられない。
その思いの一つ一つに、改めて 深く敬服いたします。

もちろん、思いだけでなく、苦労をともなう具体的な努力もありまして。
例えば、『眠り姫』 の上映にプロデューサーとして関わっている、棚沢努さん。
彼が、熱心に劇場公開を勧めてくれなかったら、
映画館に自主配給するなんて、怖れ多くて踏み出せなかったと思います。
そして、僕のような ふつつか者が、負担の多い上映活動を なんとか続けてこれたのも、
彼が二人三脚で 携わってくれているからなのです。

この5年間、コンスタントにアンコールを繰り返してきましたが、
決して 順風満帆などではありませんでした。
最初に、定期的な再上映を申し出てくれた、下北沢のシネマアートン。
あそこが、親会社の不祥事で、突然、閉館したときには、天を仰ぎました。
本当に、いい映画館だった!
あのとき、悲嘆にくれて泣きそうだった 劇場スタッフの表情が、目に焼き付いています。
実際、僕らとしても、かなりの痛手で。
宣伝費も回収できぬまま、うーん、終わるしかないのかなあと苦汁を飲んでいた、
そんなところに、手を差し伸べてくれたのが、
アップリンクの、当時 支配人だった鎌田くんでした。
「うちでやりましょう」 と。
まさかそれから三年以上、実に7回も再映を繰り返すことになろうとは、
彼自身もさすがに、あのときは思ってなかったはず。
けれど、『眠り姫』 をカルト映画に育て上げたのは、
紛れもなく、鎌田くんをはじめとする、アップリンクの誠実なスタッフたち。
彼らの愛情こもった応援であったのは まちがいありません。

そして、みなさん御存知の 『眠り姫』 のチラシ。
あれをデザインして下さった、渡辺純さんにも 触れておきたい。
最初にお目にかかったのは、もうずいぶん前、
『のんき』 を配給してくれた某会社に、彼がまだ間借りして仕事をされていた頃。
戦場のような宣伝業務の 殺伐とした空気の中でも、いつも泰然自若として、
ニット帽に煙草をくゆらせている姿が、不思議な人だなあと 印象的でした。
その渡辺さんが、『眠り姫』 を観てくれたのは、
来年いよいよ自主配給に乗り出す 不安でいっぱいだった、2006年暮れの晦日。
確かあのとき、試写に使わせてもらったのも、シネマアートンでした。
階段のところで、観終わった渡辺さんに、もじもじ、自信なくご挨拶したら、
一言、「今年最後に観た映画が、この映画で本当に良かったよ」。
いやあ、僕の方こそ、本当に勇気づけられました。
とはいえ、チラシでは、もうお世話になりっぱなしで。
表のデザインが決まるまでも、数え切れぬほど案を出してもらい、
そして、再映するたびに、文字面を改定してもらって…。
恐縮至極。
ですし、あのチラシあっての 『眠り姫』 だとつくづく思います。

まだまだたくさん、書くべきこと、人はいるのですが、
まあ、この辺で。
とにかく、長い間 続けてくると、噛みしめること、いろいろです。
去っていった者もいますし、嫌な目にも遭いました。
しかし、そんな全ての出来事に、僕が、
頼りなくも 責任を取り、恥ずかしながら 感謝を示すのは、
作品を眠らせない努力を 続けることなのかなあと、
ぼんやり考えております。
2011-10-28
わりと、めんどくさがりで。
自分で何かを始めるのが、苦手なのですが。
でも、一度始めたことは、なんとなくでも続けるのが信条でして。
この日記も (ほとんど月記ですが)、前身の 「のんき日記」 から数えれば、
早九年目になるのですね、いやはや。
まあ、やめるのも面倒だから、だらだら続けてるとも言えますが。

昨日は、『ホッテントット』 のライブ上映でした。
これも初演は、2006年秋ですから、もう五年も経つわけです。
回数は少なく、地方を入れてまだ7回ですが、
ここ一年は、多摩美、新潟と、半年おきに上演する機会が持てたこともあってか、
昨夜のプレイは、演奏者それぞれがお互いに、そして映画とせめぎ合い、
刺激的で、本当に素晴らしいものでした。
場内が明るくなっても、しばし客席から誰も立つ人がいなかったことに、
手応えを感じ、ちょいとドヤ顔になってしまいました。
ふー。

しかも、昨日は特別で。
ニューオリンズ帰りのクラリネット吹きに加えて、
久しく沖縄に行ってしまっていた、女性スタッフも顔を出してくれまして。
彼女は、『ホッテントット』 の過酷な現場、緊張の初演はもちろん、
2005年春の 『眠り姫』 生演奏上映のときから手伝ってくれていた人で。
人間嫌いが激しかった、あの頃の僕にとっては、彼女ののほほんとした感じが、
なんとも言えず心安らぐ、貴重で大切な存在でした。
あの頃、二十歳だった女の子は、すっかり20代後半の大人の女性になって…
というほどでもなく、相変わらずのキャラだったのも、とても嬉しく。
みんなの努力の結晶である作品を、
長く、見せ続ける意味を噛み締めたのでありました。
2011-10-10
ありえたかもしれない自分を、生き直すこと。
そのための引っ越しが、藤田映画の深層に迫る重要な鍵である…

という、西山洋市監督の 実に秀逸な藤田敏八論を、
サポートできた喜び、余韻に、浸っている間もなく。
怒涛のごとく 構成仕事に忙殺されて、スイスアルプスへ 脳内トリップ。
「ユングフラウ アレッチュ氷河」 の回は、10月16日放映です。
とは言っても、僕はそのオンエア、見れないんですけどね。
うーん、いろんな意味で、テレビの世界とは乖離していきます。
しんどいなあ…
でも、まあ、愉しみもちらほら。

今月27(木)に、西麻布の音楽実験室新世界という、
コアなライブハウスで、『ホッテントット』 の生演奏上映があります。
今回は、長くニューオリンズに行ってしまっていた クラリネット吹きも帰国して、
オリジナルメンバー・白波五人衆が、初演以来の そろい踏み!
しかも、ピアノが加わったり、電子演奏が無かったり。
ミュージシャンそれぞれが、微妙に楽器を変えて臨む、
まさに ?音楽実験室? な装い。
乞うご期待!! であります。
そして、22(土)からは、『眠り姫』 がついに 10 回目!!!
の再上映を、お馴染みアップリンクXで。
いやあ、これまたワンダフルでございます。

とまあ、大事な告知ですが、それはそれとして。
こないだようやく、念願の鎌倉へ。
5年ほど前、うちの近所から移転してしまった、
東京一おいしい珈琲を出す、ある喫茶店を訪ねたのです。
で、せっかく鎌倉に来たのだからと、寄り道してしまい、
とくに、夕暮れ時の大仏の荘厳な姿には 思わず足が釘付けになって。
見惚れているうちに、辺りは真っ暗。
ヤバっ!と、慌てて早足。
見知らぬ住宅地を迷い歩き、なんとか辿り着きました。
「かうひいや三番地」。

店構えは変わっても、あの落ち着いた雰囲気、品の良さはそのまま。
こみ上げてくる懐かしさを押しとどめて、しらっと席に着くと、
水を運んできたマスターが、にっこり笑って言いました。
「久しぶりだね」。
あ、あ、あ、あ、あ。覚えててくれてたんだあ…
ちなみに、マスターとしゃべったこと、以前もほとんどなかったんですよ。
毎日通ったわけでもなかったし。
ただ必ず、仕事終わりや煮詰まったときに、あの珈琲が欲しくなって。
一人でぼんやりしにいく、大切な場所だったんです。
だから、年がいもなく感動してしまいました。
ふー。
おまけに帰り際、マスターがある内緒話をしてくれて…
朗報です!
2011-9-25
お互いのために、 距離をおくことにしました  

とは、豆腐や白滝と、牛肉を 
別鍋で煮込むことにした、吉野家の広告文でしたが。
不意に目に入った広告に、ニヤッとしたり、ほほうとなることが
たまにあります。
その昔、

一人でいる、さびしさか
二人でいる、わずらわしさか

というキャッチコピーに、白黒写真の藤田敏八監督がたたずむ、
酒か煙草の 広告ポスターがありまして。
あまりにかっこよくて、見惚れて
その場を離れられなかったことがあります。
まさかその数年後に、現場でご一緒するとは思いもよりませんでしたが…

今週水曜の28日、アテネで、
藤田監督の2時間ドラマ 『予期せぬ出来事』(89) を上映して、
藤田論を語る 西山洋市監督の、お相手をします。
で、最近はもっぱら、DVDやらで 敏八三昧、悦楽の日々です。

西山さんと同席するのも、うきうきで。
というのも、僕が初めてとっぷり手伝った自主映画が
西山さんの 『エルビスの娘』 (脚本・高橋洋!) という作品でして。
まだ大学に入ったばかりの 小僧だった僕は、
大学を出ても何してるわけでもない 西山さんの後ろにくっついて、
80年代末、冬の高田馬場を、寡黙にうろうろ歩き回っていたのでした。

まあ、あれが現場で働きだすきっかけ、元凶?とも言えるわけで。
その後、十年に及ぶ助監督生活の間には、当然、西山組も何本かありまして。
洋一時代の西山さんは、ほとんど 「そうっす」 以外なにも言わない、動物のような人だったので、
僕はいつも、助監督というか、現場通訳のような役割で。
藤田さんとご一緒したのも、そんな現場でした。

暮れも押し迫った時期に、夜の河原でひと晩中 撮影するような、
寒い寒いロケを、なんとか無事に仕切りきった 御ほうびだったのかな。
藤田さんに 呑みに連れていってもらったことがあるのですが、
あのときも、生意気な若造は煩わしいんだけど、
一人でいるのもなんだか寂しいので、二軒目、三軒目といつまでも帰れない…
そんな藤田さんに魅了された一夜でした。

ところで。
落合監督が、中日からクビを言い渡されました。
あれだけの、輝かしい成績を残しながら…。
落合ファンとして応援してきた中日とは、これでオサラバです。

最後にもう一花、逆転優勝、日本シリーズ制覇。
ありうると思います。
長嶋巨人のメイク・ドラマ、ミラクルの本当の立役者、
フィールドの指揮官は誰だったのか。
いつも憎まれ役に徹した、いぶし銀のような選手、
落合がいたから、なんだよ、ね。
2011-9-2
あれ、九月。
もう夏も終わりですな。
今年は地味だが、平穏な夏でした。
平和を取りもどしたと言うか…。
こんな、なんてことない日々が、僕には幸せなのかも。
けっこう泳げたし。

先日、突然、親友が結婚しました。
相手の親が、余命いくばくもないと知り、すぐ決意して、
三週間で、彼女の地元で式をあげるまで成し遂げたという、快挙!
「いやあ、疲れましたよー、ははは」 と笑い、
なんてことない顔してる彼と、ささやかな祝杯をあげました。
あっ晴れ。
おめでとー。

昨日は、博覧強記の映画マスター・均さんに、久しぶりに会いました。
一年前、松本圭二氏の詩集をひと袋貸してくれたまま、
東京からいなくなってしまったときは、ちょいと心配になりましたが、
なんのなんの。
驚異の記憶力と、鋭い指摘は衰えることなく、
同席した映画批評の吉田さんも、「いやあ、さすがだなあ」 と感心しきり。
今回の上京も、国会図書館等で調べものがあってのことらしく、
なんとなく肌つやもいいし、安心しました。
かつて均さんが、僕の一作目の 『のんき』 を観て評した、
「お前の映画は、誰にも似てないっ」 という言葉を、
今も心の支えに生きています。

ところで。
今さらですが、Emmy The Great いいですね。
呑んだくれのオヤジですが、昔はオリーブ少年だったので、
こういうのには、やはり、そわそわしてしまいます。
2011-8-2
テレビが見れなくなって早々に、
夏風邪をこじらせてしまい、1週間ほど寝込んでいました。
熱と頭痛が引かず、ベッド上で一日をほぼ過ごす生活をしていると、
だらっと見ていられるものがないのは、不便なものですな。
ただ砂嵐を眺めていられるわけもなく、
昔、録画してずっと見ないままだった、膨大な量の教養番組などを、
ここぞとばかりに見始めたのですが、見たい内容だから、けっこう集中してしまうわけで、
熱が上がったり、頭痛がひどくなったり、あんまり良いことなく。
やはりテレビは、ただ点いてたり、ぼんやり眺めるものだなあと、つくづく思い。

そんなわけで、映画もずいぶん観れなくて。
そうなると、最後に観た映画のことを、繰り返し思い返したりできるわけで、
これは、楽しいことですね。
風邪引く直前に観たのは、都内某所で覆面上映した 『加藤泰 映画を語る』 。
70年代から80年代初頭にかけて、『緋牡丹博徒』 の現場風景や、
幻の企画 『好色五人女』 のシナリオ作りを16ミリで撮ったスナップに、
朗々とインタビューに答える加藤泰の肉声が被さるという、
実に贅沢な、私家版ドキュメンタリーなのですが、
いやあ、観終わってもずっと顔がほころびっぱなしなほど、
全くもって至福の時間でした。
鈴木清順や工藤栄一らとともに、イタリアの映画祭に招かれた時の、草の上の昼食風景など、
本当に本当に貴重な貴重な映像記録の連続なのですが、
僕が、とてもとても印象に残ったのは、とある商店街のケーキ屋さんで、
家族へのお土産なのかな、を買ってる加藤泰を、店外から盗み撮りしたようなショットでした。
つまり加藤泰は、ケーキを選んでいても加藤泰なんだな、と。
見事な生きざまでした。

ところで、伊良部秀輝が亡くなりました。
ここ数年、有名無名を問わず、寿命を全うできなかった人々の無念に思い入れてしまいます。
伊良部はアメリカへ、父親を探しに渡ったのだと思います。
そして、とうとう会うことができなかった。
天国で願いが成就することを祈ります。
2011-7-21
地元の美術館でやってる 「古川タク展」 が、思いのほか楽しめたので、
というわけではないですが、松濤美術館の 「カレル・ゼマン展」 へも。

メリエスの後継者と、当時は言われたトリック映画の巨匠、古典的存在ですが、
そういう能書きがアホらしいほど、わくわく童心に帰っちゃいまして。
映画って、こんなに豊かな表現だったんだあ、想像力膨らむなあと。
逆に今の映画は、ジャンルに凝り固まって、どんどん狭く貧しくなっているよなと。
なんだかんだ思いながら、半日以上いて、
上映を二本も観たし、おなかいっぱい楽しみました。

その一方で、今月はヴェーラのATG特集へ、
原田芳雄出演を裏テーマに、観に行っていたのですが、
うーん、まさか胸騒ぎがしたわけではないが、こんなことになるのですね…。
ピーター・フォークも亡くなってしまったし。
映画世界からまた一人、濃厚な演者が消えてしまった。
ご冥福をお祈りします。合掌。

それにしても、女子サッカー。
あの子たち、本当にすごいよ!
ああ、テレビの最後に、いい思い出ができた。
ありがとうー
2011-7-13
汗のしたたる日々、切ない夏が続きます。
こんなときは、泳ぐに限ると、
例によって、せっせと市民プールに通っております。
去年の夏は、自堕落に過ごしてしまったので、
今年はいつものように、ストイックに送るつもりです。

さて。
次の日曜17日に、ようやく、「サハラ砂漠の4つの集落」が放映されます。
先月のバイカル湖、先々週の小笠原と、
なんだか仕事が続いているようにも見えますが、
あれ、放映順に作られるわけではなく。
けっこう前に書いたもの、だったりするんですよね。

そんなわけで、サハラを書いてたのは、実は3月。
しかも、初稿の締め切りは、震災後の週明けでした。
だからあの土日は、つけっ放しのテレビから、
刻々と伝えられる津波の災禍、原発の状況、水素爆発などを横目に、
1000年前の、砂漠の都市の暮らしなんかを考えてまして。
もちろん集中できるわけもなく、頭の中は、錯乱状態。
おまけに、突然、計画停電の発表!
パソコンが使えるうちに、なんとか書き上げ、メールしないとと、
完徹敢行、もう朦朧…。

でも、まあ、そんなこと、
番組の内容には、全く反映させてないはずですが。
今見ると、どうなんだろう?
そして、今書いてるエーゲ海の古代遺跡は、
なんと、来年オンエアという噂もありまして。
鬼に笑われても、世界が平穏であり続けてほしいと思います。

それにしても、もう数カ月が経つのですね。
あれから、いろいろありました。
あんまり、いいことなかったなあ…。
2011-6-30
生きていかねばならないので、食いつなぐ仕事をかろうじて続けていますが、
本当にめげてしまう出来事ばかり起きます。
辛いなあ…

こんなときは尚更、加藤泰の激情は胸を打ち、しみじみしてしまう。
例えば、『喧嘩辰』。
初めて観たのは、80年代末、
確か、東上線の朝霞辺りでやっていた、市民センターの16ミリ上映会だったはず。
会議室の備え付けの小さなスクリーンが、あんなに輝いて見えた興奮が忘れられません。
そこに、女と男の美しいあり方が結晶していると、僕は思います。
桜町弘子の白むく姿に、何度観ても涙してしまい、
やはり呑まずにはいられない。

久々に、以前通った●太郎で呑んで、
焼きそばを頼むと、オヤジさんが言います。
「麺が変わったからまだ試行中なんだけどね」
駅前の横丁に、地元の工場直売の竹田製麺という店がありまして。
とっても美味しくて安いので、自炊に重宝してたのですが、最近閉店してしまい…
そうか、ここも竹田を使ってたのか。
それにしても、悪貨は良貨を駆逐するというか、
せちがらいよなあと、またしみじみ思い。
2011-4-24
何か、嫌な感じのこと、多く。
うつうつと飲んでいます。

先週放映された、シリアのパルミラ遺跡の回。
たまたま家にいたので、珍しくオンエアを見まして。
滅亡した、オアシス都市の話。
あれ、書いたのは年末なのですが、
今この状況で見ると、実に意味深く。
文明が自然の前でいかに はかなく、人の野心が愚かなことか。
書いていたとき以上に、考えさせられ、
意外とは、まさに このことだなあと思いました。

一昨年末に読んだ、古井由吉の語り下ろし 「人生の色気」。
あれは、60年代までと70年代以降で、いかに日本の社会が変質したか。
つまり、団塊の世代の青春期ぐらいから、この国は、現在の荒んだ状況を指向していたということが、
その一つ上の世代である、古井によって、明晰に語られて、
すっきりと腑に落ちる名著でしたが。
最近読んだ、同じく新潮の語り下ろし、中原昌也 「死んでも何も残さない」 は、
同世代の実感、満載で。
すでに いびつだった80年代は、でもまだ息抜きがあったのに、
この二十年の間にどんどん息苦しくなって、今や…
という呪詛、悪態をベースに、自虐的に語られる半生が滅茶苦茶泣けるし、笑えるし。
ちょいちょい、挟まる名言にも感心。
あのクソ選挙の翌日の晩、あるトークで同席した後、朝まで飲んでいて、
今、大事な映画はという話になって、
「それは 『タワーリングインフェルノ』 の、火災を知らずに情事に耽ってた不倫カップル、あれですよ人間は、ね、ね、ね、ね!」
と力説した中原さんを思い出しながら、一気に読了しました。

それにしても、先日、20年振りに神保町シアターで観た 『魚影の群れ』。
もう、ちょっと凄過ぎて、とてつもなくて、言葉にできません。
数日たった今も、あの映画を想うだけで、胸がざわざわする。
どうやったら、あんな凄まじいシーンの応酬が、導き出せるのか。
素晴らしい。
本当に素晴らしいです、相米さん。
僕は、演出とか、監督とか、同じ肩書きを名乗ることが、恥ずかしい。

誠意をもって臨んでも、陳腐な事情で、
大切なことが、台無しになっていく 日々。
何もかも、やめてしまいたくなる気分です、
ね、ね、ね、ね!
2011-4-11
民意とは、無残なものですなあ…
2011-4-9
どうもこのところ、体調がよくなくて。
なんか体に力が入らず、食欲もなく。
精神的なもんかなあ、俺、弱っちいなあと思ってたのですが…。
どうやら持病の、新しい薬が体に合ってなかったようで。
薬止めたら、元に戻りました。
単純ですね。

とは言いつつ、相変わらず酒は飲んでます。
飲まずにはやってられんでしょう、この御時世、世界。
それと関係あるのかないのか、日々、いろいろあります。
最近も、旧友が職を求めて東京を離れることになったり、
お世話になった御夫婦が、離婚したと聞いたり。

で、先日は、育世さんが郁子さんの歌で踊るというので、
バーキンさんの、チャリティ・ライブに行ってきました。
ああ、驚いた。
開会のあいさつでステージに立ったときは、確かに齢を重ねた優しい風情だったのに、
歌いだしたとたん、そこには少女がいました。
可憐な少女はときおり、凛とした闘士にも見え、
最後に無伴奏で歌うと、災禍を鎮める地母神のようでもありました。
わずか40分ほどの短いライブでしたが、ジェーン・バーキンという人の、女の生きざまを見たようで。
ついつい、ふらふらバックステージへ。
いつのまにか、何もしてないのに、ボランティアスタッフに交じって記念撮影まで。
いやはや恐縮です。
それにしても、飴屋さんちのくるみちゃんは可愛かったな。
遊んでくれてありがとー。
2011-3-31
強度が試されるとき、なのだと思います。

この震災の前と後では、否応なく変わってしまうことが、社会経済にあります。
その影響は、文化や生活にも、きっと影を落とすのでしょう。

でも、以前から変わらないもの、変えられないことは、必ずある。
それが、この時勢の中でも、通用するのかどうか。
今まで以上に、強度が試されるとき、なのではないか、と。

漠然とした話ですいません。
このところ、度々強く思うのです。
チキンなもので…。
2011-3-23
「ののちゃん」 が好きです。
毎日、気に入った店で珈琲を飲みながら、朝日とニッカンを読むこと、
それが、僕の生活の基本です。
どんなに貧しくとも、忙しないときも、
このささやかな贅沢だけは、なんとか守り続けてきました。
新聞は、一面から順に、全て一応、目を通すのがくせです。
なんでけっこう、時間がかかります。
その日課のピリオドが、「ののちゃん」 なわけです。
まあ、テレビ欄もありますが、あれはおまけ。
クスッとしたり、はてなとなったり、
さらりと 「ののちゃん」 で締める。
締めて、現実に向かう。

3・11から、すでに十日以上経ちましたが、
この間、山田家の日常は、ほぼ微動だにしなかった。
その揺るぎなさに、信頼感を覚えます。

あの日、あの時、僕は移動中で、電車に閉じ込められて。
東京で働く労働者のご他聞にもれず、繋がらない携帯に焦りながら、
交通麻痺ゆえの、夜のピクニックをして帰りました。
で、帰宅してからが、スクランブル。
なんと、こんなときでさえ、待ってくれない締め切りに呆れ果て……。
津波の爪跡に驚愕し、方々に連絡を取りながら、
やまない余震に怯え、刻々と深刻になる原発事故に動揺する一方で、
?サハラ砂漠の古い集落? についての原稿を書いておりました。
そして週明け、なんとか書き上げた、徹夜明け。
出た街と仕事先の局で感じた、異様な、重い空気。
あの違和感に、未だに、うまく言葉が当てられません。

3月26(土)から、『眠り姫』 が一週間、
翌週には、『ホッテントット』 がまた、渋谷のアップリンクで上映されます。
余震が続き、低放射能の危険がのしかかる今、こんなときに、
映画を見に来て下さいなんて…ね。
でも僕は、自粛された 『ヒアアフター』 を、こんなときだから観に行ったし、
『ブンミおじさんの森』 もぶっ飛んでて、今観れてよかった。

生き抜いていくこと、死んでしまうこと。
つくづく考えております。
2011-2-23
すでに十日ほど経ちましたが。
アテネ、アナクロ会の上映イベント、お越しいただき大変ありがとうございました。
雪もちらつく中、しかもどうやら、会場の暖房がほとんど効いてなかったようで。
極寒を耐え、お付き合いいただき、大感謝と陳謝でございます。

が実は、温度のことなど、全然気づいてませんでした。
洋ビッチ大先輩の、お相手をすることに、必死で。
本当に、あのイベントは僕にとっては、今年最初の大仕事でした。

昨年末に、友人の吉田広明氏に依頼を受けてから、約一月半、
色川武大の諸作品を読み返し、森崎東の監督作のソフト化されてるものはほとんど見直し、
高橋さんに頼んで、上映するドラマの脚本を送ってもらい、幻の続編のホンまでお借りして、
山口剛さんにも前取材させてもらい、そのキラ星の如きプロデュース作品歴に眩暈して、
20年前の高田馬場界隈のことなど思い出して、なんとなく大和屋竺の脚本集まで読み返して…

まあ、ひとつの講演を準備するに際して、それくらい当たり前のことではあるのですが、
1990年の高橋洋 脚本デビューという事件を、リアルタイムで経験した若輩の後輩としては、
なんというか、その話をお聞きする役が自分に来たという感慨が、勝手に、ただ事ではなくて。
一人で興奮しまくって…。
まあ、何とかなったのですが、
正直に言えば、あの三倍は、話を聞き出す用意はあったぞ、と。
しかし、そんなことをしたら、きっと客席では、凍死者が出ただろうから、
きっかり、二時間以内で終えれてよかったかな、と。
ただ、惜しむらくは、当初から用意していた 結論、
「大和屋竺の薫陶を受け、『もう人間ではないんだ!』 と標榜していた 高橋洋は、
実は、デビュー作で、人間を描いていた!!」
を言うのを、すっかり忘れてしまっていた、ということです。
うー残念。

で、そんな感慨も つかの間、
翌日から、いつもの構成仕事に突入しまして。
年明けから、同時に準備はしていたのですが、アフリカは、マリ共和国のドゴン人。
地上500メートルの断崖絶壁で、精霊たちに仮面の踊りを捧げて暮らす民と、今、格闘しております。
と言っても、もう時間がない…
なんと、今週末27(日)放映なのです。

が、力技で滑り込ませるその放映を、
僕は見ることができません。
その日は、新潟の i-MEDIA専門学校が、『ホッテントット』 のライブ上映をしてくれるのです。
ありがとうございます!
構成を終えたら、向かいますのでよろしくです。

あ、あ、あ。
翌28(月)は、駒場アゴラ映画祭で、なにやら恐ろしい、討論会があるのでした。
こちらも、よろしく。
2011-2-7
すいません。
日記の更新を怠っていたのは、ただの筆不精です。
と言いたいところですが、どうも、書く気がおきなくて。

ネットと人間関係や社会活動が、ますます密着している現実が分かるほどに、
それに、背を向けたくなっていく、この天の邪鬼な性格。
いかんですなあ。

でも、できれば、村から外れたスナフキンでありたい、と思います。

実際は、私のしている仕事というか、活動は、
孤立などできない代物なので、ありまするが。

だから、本当に孤立することになると、そこには死が忍び寄ってくるわけで。
最近も、ちょいとへこんでしまう事件がありました。
まあ、詳しくは書きません。
ただ心から、合掌します。

おっと、気を取り直して、告知です。

今週末、2月12(土)午後3時から、アテネで、
高橋洋さんの脚本デヴュー作である、森崎東監督の2時間ドラマ、
色川武大原作 『離婚・恐婚・連婚』(1990)の上映&トークイベントをします。
不肖ながら私が、恐怖の大先輩・洋ビッチ先生の相手役を務めさせていただきます。
ああ、緊張。
とにかく大傑作ですし、めったに見れない作品なので、ぜひおいで下さい。

あと、私の 『マリッジリング』 も銀座のシネパトスで上映してくれるようです。
恥ずかしながら、こちらも、もしよろしければ。
2月10(水)〜13(日) よろしくです。
2010-11-30
もう、すでに一週間以上、経ってしまったんだあー。
楽しかった、なあ……。
と、先月末から続いていた、トーク大作戦のクライマックス、
新潟での、ペドロ・コスタ& 『眠り姫』 上映イベントも、おかげさまで盛況で。
シネウインドのみなさま、本当に本当に、ありがとうございました!
課題のトークも、お相手して下さった、タオさんのおかげで、いろいろ話せまして。
同い年って、いいもんすね。
映画体験で、馴染みになれるというか。
で、滞在中、飲んで、飲んで、飲みまくり。
だって、酒も、魚も、美味すぎ!!
糖尿病もすっかり棚上げして、日本酒にハマってしまいました。
阿呆やね。

でも、もっとアホなのは、
気がつけば、素寒貧。
まあ、この一年、ろくに働かず遊び呆けていたのですから、しょうがありません。
ありがたいことに、久しぶりに、構成仕事のお声がかかり。
渡りに舟で、なんとか年の瀬までの生存費は、確保できそう。
しかし、この先、どうすべ……。
いかんいかん、ボヤいてる暇はありません。
イエメン・ソコトラ諸島の回は、12月12日放映です。
うー、もう時間がない。

あ、その前に。
明後日、2(木)に、愛知芸術文化センターのアート・フィルム・フェスティバルで、
監督したPV 「Aspen」 が上映されます。
未公開の含め 2ヴァージョンやってくれるようなので、
お近くの方がいましたら、どうぞ足をお運び下さい。
よろぴく。
2010-11-17
先月頭から続いている、トーク十番勝負も、いよいよ大詰め。
(あ、数えてみたら、9回でしたが……)
先週は、阿佐ヶ谷ロフトで、映画一揆ナイトの座談会に呼ばれまして。
また、やらかしてしまいました。
酔っ払って、ああ、お恥ずかしい。
しかも、ユーストリームとやらで生中継されて、
会場以外でも、結構な人数が見ていたらしく。
穴があったら 入りたい心境でございます。

それにしても、酒を飲まねば 正論が吐けない、この気の小ささよ。
んー、せめてもの救いは、直接またはメールなどで、
よくぞ言ったと、励ましのお言葉を、けっこういただいたこと かな。
どうも ありがとうございました。
中でも、さすが!と感銘したのは、太陽肛門スパパーンの花咲政之輔氏。
私の捨て身の問題提起が、結局は、圧殺されて終わったことを、明晰に指摘され。
我が 忸怩を得たり。
ま、でも、井土としても、映画の宣伝イベントなのだから、しょうがないことなのでしょう。
宣伝の吉川くんの、ギリギリの攻めの姿勢に、エールを送ろうと思います。

そんなことがあったから、というわけでもありませんが、
この一週間は、独立系の邦画の傑作を 何本か観まして。
保坂大輔 『世界は彼女のためにある』 は、
セカイ系の大変な力作でありつつ、脱力系のギャグが炸裂してたし、
井土の 『百年の絶唱』 は、トンデモ映画になりかねない危うさを、
8ミリの見事な撮影と、若さゆえの勢いで、パワフルに見せ切っていたし。
そして、待望の柴田剛の新作 『堀川中立売』 は、
昨年のフィルメックス上映版から、格段に編集が良くなって、才気爆発な仕上がりになっていました。

さて。
そんなこんなで、トーク大作戦も、ついにオオトリ。
今週末20(土)は、新潟シネ・ウインドへ参ります。
開館25周年祭の、ペドロ・コスタ特集上映にゲストで招いていただいて。
しかも、『眠り姫』 は、コスタとオリヴェイラに挟まれての上映!!
身に余る光栄、いや、まいった。
どうしましょ?
2010-10-31
まさか、十月も末になって、
台風のあおりを喰らうとは、思いもよりませんでした。

昨日は、多摩美の学祭にて、『ホッテントット』 のライブ上映がありまして。
暴風雨の中、八王子キャンパスまで足を運んで下さったみなさま、
大変ありがとうございました。
上演中に、警報発令の校内放送が流れるなんて、御愛嬌もありましたが、
そんなハプニングも、ものともしない演奏の質の高さ!
この数年、回を重ねてきたライブ上映の中でも、ベスト・プレイと誇れる出来だったのではないでしょうか。

それにしても、ホッテントット演奏チームは、実にバラエティに富んだ経歴のメンツでして。
ハープの堀米綾さんは、菊池成孔ペペ・トルメント・アスカラールですし、
パーカッションは、サンガツの宿谷一郎 隊長だし、
元・方法マシンの池田拓実氏は、毎度キテレツな道具をコンピュータで動かし楽器にしてしまうし。
こんな、ある意味?ヤバい″音楽家たちを、涼しい顔で見事に統括するのが、盟友・侘美秀俊。
彼の力量には、今更ながら、つくづく感服します。
ああ、いい上映会だったなあ。
素晴らしい機会を作ってくれた、西嶋ゼミのみなさんに、大感謝です。
上演終了後、頑張ってくれた学生諸君と、橋本駅前の居酒屋で、
雨風が収まるまで、楽しいお酒を飲み交わしました。

さてさて、告知です。
先週末から始まりました 『眠り姫』 再映は、
おかげさまで、好評のうちに折り返しまして。
いよいよ今週水曜 文化の日は、
今注目のサイファーを主宰する、気鋭の詩人 佐藤雄一氏の登壇です。
で、『ホッテン』 初日の6(土)は、
新作 『堀川中立売』 が間もなく公開する、『おそいひと』 の柴田剛くんがやって来ます。
けっこう、ヤバいっすよ。
2010-10-18
いつの間にか、十月も半ばを過ぎ。
何をしてるわけでもなく、時は流れゆく、という実感であります。

とはいえ、今月の頭には、念願の前衛企画 「闇の中の眠り姫」 が、ついに実現し。
しかも、ありえないほど多くの方々が、駆けつけて下さり、感無量でした。
ありがとうございました!
かつて、パリの五月革命を予言した、ギー・ドゥボールは、
「(反)映画」 を標榜して、黒い画面を映写しましたが、
映写すらしない暴挙を、映画と呼んでいいのか?
小心者の精一杯の挑戦を、温かく見守って下さった皆さまに、
(あ、何も見えなかったのですが…) いや、ほんと、感謝多謝であります。
そして、この暴挙が、何かしらの問いかけに、
なったのであれば、もっと嬉しい。
あのイベントの数日後、とある飲み会で朝まで同席した、
シネ砦の安井豊氏に、闇上映の話をしたところ、
「お前、考えてるな……。でも、孤独だろ」 と、ぼそり。
いや、しびれました。

まあ、あちらこちらで、孤独に考えている人々が、
点在してるのが、現在なわけで。
だからなのか、そんなトークに引っ張り出され続けております。
でも、今更なんですが、人前で話すの、ほんと、苦手でして。
先日も、「エクス・ポ・ナイト」 に呼んでいただいたのですが、
壇上でビール飲みまくって無理やり酔って、ほとんど発言せず逃げおおしたという、無茶をしてしまい。
ま、古にゃんと松江くんという、芸達者な二人が相手だったので、甘えてしまったというわけで。
申し訳ない、失礼しました。

しかし、来月には、映画一揆の公開討議@阿佐ヶ谷ロフトがあるし。
その前には、いよいよまたまた、今週末からアップリンクで始まる、『眠り姫』 の再映で、
建築家の鈴木了二氏、詩人の佐藤雄一氏との対談もあるし。
新潟シネウインドは、ペドロ・コスタの特集上映に呼んで下さるし。
うーん、もう逃げるわけにはいかない……。

あ、そうそう。
明後日20(水)は、テアトル新宿で、いまおかさんの上映にお邪魔します。
監督と島田陽子さんと、登壇。
お手柔らかにお願いします。



2010-9-27
なんでしょう、この寒さは?
九月って、こんな気候だったとは思えないんですけど……。

とまあ、月並みに、天気の挨拶から入りましたが、
この一週間ほどは、INTROという映画サイトの、紹介文にも書きました通り、
毎日マメに、フィルムセンターへ通って、ポルトガル映画三昧。
そして夜は、会場で会った知り合いと、いつものように飲んだくれておりました。
至福。

それにしても、初めて見たモンテイロは、凄まじく。
あんな破廉恥なことばかりしでかしてるのに、何故そんなに格調高いのか?
オリヴェイラは相変わらず、素っ頓狂で。
『春の劇』 のラジカルさには、吹き出してしまいましたが、
映画批評の桑野さんと呑みながら、あれは、パゾリーニとか、ウェルズの 『審判』 とか、
『博士の異常な愛情』 とかの、同時代映画でもあるなあ、と。
それを言うなら、あの奇跡のような映像詩 『トラス・オス・モンテス』 は、
確かに、コスタの父的だが、エリセも、きっと影響受けてるだろうな、『エル・スール』 とか。
などなど、実に感じること多く、面白く。
まあ、そんな合間に、カネコーヒーを飲みに行ったついでに、
初めて観た、市川準 『東京兄妹』 にも驚いて。
繊細に作り込まれた、そこはかとない、光の演出が際立ち、感心しました。

光と言えば、ちょっと告知を。
「映画から、いっさいの光を取り去ったら、いったい何が現れるのだろう?」
と、尊大なキャッチ・コピーで、今週末に、念願のイベントを催します。
題して、 『闇の中の眠り姫』。
要は、 『眠り姫』 から映像を抜いて、真っ暗やみの中で、
サウンドトラックだけ、爆音で聞かせるという、過激な企てなわけですが、
これ、昔からずっと、やりたかったことなんですよねえ。
当日は、クラムボンPV 「ASPEN」 未公開ヴァージョンの特別上映や、
黒田育世さん、佐々木敦さんを招いての、スペシャル・トークもございます。
ぜひぜひ、この前代未聞の上映?会に、
みなさん、こわいもの見たさで、おいで下さーい!!
あ、10月2(土)の 19時開場です。
2010-9-13
踊り狂うとは、まさにこのことだな、と。
その殺人的な運動量、一時間強の爆発、疾走の持続、に恐れ入りまして。
驚異! 喝采! というよりは、無事終わったことに、安堵したというか……。
あ、何の話かと言いますと、
笠井叡振付でBATIKが踊った 「カルミナ・ブラーナ」 @吉祥寺シアター
が、昨日、楽日を迎えまして。
実は、六月頃から、ちょこちょこリハーサルを見学させていただいてたので、
まあ、感慨ひとしお、ビールを飲み過ぎたというか。
……しかし。
んー、昨春観た、同じ笠井+BATIK 「ボレロ」 のような、
得も言われぬ感動、震撼は、なかったんだよなあ。
何故だろう?

圧倒的な爆発、疾走と言えば、
土曜の9・11に SuperDeluxeであった 「音楽からとんでみる2」
サンガツを聴きに行ったのですが、
初めて見た、にせんねんもんだい にぶっ飛んだ!
あの猛烈なドラム、涼しいリフ、
かなり震えました。
で、サンガツの 「五日間」で、きゅんときたし。
大満足でした。
2010-9-1
あらら、もう九月ですな。
暑い暑い夏は、まだまだ終わりそうにありませんが。

それにしても、今年の夏は、お騒がせでした。
去年と一昨年は、ひたすら構成台本に追われて、
夏なんてあったのかしらん? でしたから、
ま、三年分の暑い季節を経験した、ということでしょうか。
いやはや、身が持たんわー。

あ、誤解されぬよう、申告しておきますが、
忙しなかったのは、不摂生ゆえ、だけではないのです。
実は、滅多にあり得ぬ、貴重で光栄な作品作りの機会をいただいたのでした。
竹橋の近代美術館で、八月頭まで開催されていた、
「建築はどこにあるの? 」 展。
ここで展示された、巨大なインスタレーション、「DUBHOUTH」 を、
建築家の鈴木了二氏ご本人の依頼で、映像作品として撮影したのでした。
しかも、またしても、16?で。
編集は、秋いっぱいかける予定ですが、
先日、ヤバいくらい美しいラッシュが上がりまして。
これも、高橋や牧野君ら、「Aspen」 と同じスタッフチームのおかげです。
ああ、頑張らなくっちゃ。

そんな八月の終わりの日に、
ロウ・イエの 『スプリング・フィーバー (春風沈酔の夜)』 を観ました。
いや、すんぱらしい!!!
マジで、しばらく震えが止まりませんでした。 
劇場公開は、今秋十一月頃らしいのですが、ぜひ覚えておいて下さい。
かなり、ヤバいですよ!
2010-8-22
先月の日記に、松本圭二のことを書いたおかげで、
博覧強記の映画マスター、山本均さんが、
松本さんの詩集、全本を貸して下さいまして。
毎日カバンに 「アストロノート」 を忍ばせ、楽しませてもらっています。

というわけで日記を書くのも、たまにはええなあと思いつつ。
しかし前回の、めまいの記述については、ちょっと軽率だったかな。
反省しております。
動揺を誤魔化すために、呑気を装い、あんな風に書いてしまったのですが。
その後、直接あるいは間接的に、さまざまな方から、親身な心遣いを受けまして。
中には、真剣なお叱りの手紙まで頂いてしまい。
いや、感動しました。 ありがとうございました。

で、みなみなさま。
ご心配おかけしました。
あれから、さらに精密検査を受け、今のところ、
アタマは悪いが、状態は問題なしと診断されました。
ヤッホー! 酒が呑める呑めるぞー。
って、また叱られてしまいますね。
2010-8-12
めまい、といいますか。
数日前から、ふわふわと、しっくりこない体調が続いてまして。
やだなあと思いながら、病院にも行かず。
まあ酒を飲むと、いくぶん紛れるので、やり過ごしていました。

というのも、4、5年前にも似たようなことが、夏にありまして。
真っすぐ歩けなくなったので、とある大学病院の外来で診てもらったら、
「暑いですからねえ」 と言われて。
さんざん調べた挙句に、原因不明のまま、肩こりのせいにされました。
シット!
で、まあ、半年後に糖尿病が発覚するのですが。

というわけで、嫌な感じはしながら、病院不信で、飲み明かしていたら、
ついに、昨日のトークショー中に、グラッときまして。
あ、こりゃまずいかなあと感じつつ。
何とか乗り切ったら、帰りの電車で、
呂律が回らくなるわ、手足はしびれるわ。
さすがにヤバいと認識したのですが、
一晩寝たら、すっきりしていて。

病院に行くつもりが、急に面倒くさくなってしまい。
図書館に方向転換して、歩いていたら、現場仲間とバッタリ。
やあやあ奇遇だね、メシでも食おうかと、店に入り。
めまいの話をしたら、ビール頼む寸でのところで止められまして。
七里さん、まじヤバいですよ、病院行きなさい、と。
「天使が現れたと思って、言う通りにして下さい」
と、天使にはおよそ見えない、ヒゲ面のクマのような男から、諭されまして。

で、CTスキャンの結果、ちょいと詰まってまして。
ノーコーソクが、ぽつりぽつりと。
そんなに深刻な状態でもないらしいので、ホッとしましたが。
まあ、ここんとこ、飲み過ぎだったしなあ。
どおりで、記憶が悪かったり、言葉が出てこなかったわけだ。
と、妙に納得したりして。
なんか、あんまし危機感が湧かないんですよね。
まあ、今後は、深酒がしにくくなるなと。
それだけが、少々、傷心の夏の日でした。
2010-7-23
あ、あついっす。
半端じゃない暑さ。
もう、溶けそうです。

溶ける前に、読んでおかねばと、
遅ればせながら、新潮三月号を図書館から借りてきて、
読んじゃいました。
松本圭二 「詩人調査」。
いや、天才!!
流れ落ちるダク汗も全く気にならぬほど、夢中で、一気に読み終えました。
二年前に抱腹絶倒した 「あるゴダール伝」 も、たまらず読み返してしまい、
(あ、2008年すばる四月号です)
ついでに、おそらく彼も読んでるだろう、ブコウスキー 「パルプ」 まで、また読みたくなっちゃったりして。
う〜ん、詩人恐るべし。
詩人と言えば、佐藤雄一君の批評にも、つくづく感心してます詩。
最近は、詩人にやられっ放しです。

で、 『ハロルドとモード』 。
強引ですが、あれも詩的で、いい映画だったなあー。
モードがハロルドに言い残す、あの感動的な台詞!!
いいっす。
泣けるっす。

こないだ、羽仁進 『午前中の時間割』 も観たのですが。
だめだめな映画なんだけど、妙に心に残るんですよね。
週末からは、佐々木昭一郎の特集上映もあるようですし、
世の中、詩情に傾きかけているのですかねえ。
でもそれは、80年代に蓮実重彦が、バッサリ切って捨てた、
松田政男が批評のスターだった時代の何かに、安易に回帰してるような気もするし。
天の邪鬼な私としては、「それって、どうよ」 と思ったりもしてしまいます。

昨夜、昨年までお世話になった世界遺産の Pや Dに、
生きてるかー食えてるかーと、軽口まじりで心配されまして。
日記で近況を報告しなさいと言われたので、書きまするが。
先週、学習院の授業に呼んでもらいました。
朝九時から、まさに、午前中の時間割。
二時間近く話して、一番ウケたのが、
監督では食えないから、転職したいくらいだ、というボヤきでして。
でも、四十過ぎたら、レジ打ちぐらいしかないんですよー、と言ったら、講師の方に、
「七里さんには、無理」 と、あっさり否定されてしまい。
教室内大爆笑で、トホホの巻、でございました。
2010-7-11
先日、雨の日の屋外プールはすいていることに気付きまして。
今日も、お、っと思い、泳ぎに行ってしまいました。

が、寒かったあ。風があって。
当たり前ですが、曇ってるわけですから、水温も上がらないわけで。
冷たい水に肌をつけ、うおーと思いながら泳ぎ始めると、
気温より低くても、水中の方が、すぐ体温と馴染むんですな。
これも当たり前かもしれませんが。

ああ、やはり生命は海から生まれたのだなあ、と大袈裟な快感にひたりながら、
イモ洗い状態の、屋内温水プールを横目に、
すいすい調子に乗って、ストイックに泳ぎまくっていたら、
足をつりかけまして。

ほうほうのていで帰宅して。
めんどくさいから、選挙は棄権してしまいました。

と、長い長い、いいわけでした。
あーくだらない。
2010-6-28
飲んで、朝帰りの電車で寝過して、
上りの満員電車に押し込まれることほど、
つらい、つらい、拷問はありません。
うー、酔っ払っちまって、ごめんなさい。
もう、ほどほどにしますから、助けてーと、悔むのですがね。

最近、迷いごと、多く。
愚かな自分を、恥じ入るばかり。
四十過ぎても、惑いっぱなし。

こんな日こそ、打って付けとばかりに、観てきました。
評判高い 『アウトレイジ』。
実に、色気のある映画だった!
エンドロールで、助監督 稲葉博文の名を見ながら、
素晴らしい、やったなと、静かに喝采を送りました。
2010-6-18
数ヶ月前から、背中がかゆくて。
ぼりぼり掻いていたら、なんか赤くなってしまって。
かゆみも止まらないし、うー、どうしたんだろ、ダニでも噛まれたかなと心配になり。
こないだ皮膚科に行ってみたら、診断即答。
「疲労とストレス性の蕁麻疹です」

ん?
疲労? ストレス?
まあ、酒疲れはしてるだろうが、
仕事もせずに、飲んで、映画など観てるだけで、
なぜストレスが溜まるのだろう? と不思議になり。
よくよく考えてみて、
もしや、仕事をしてないことが、ストレスになってるのではないか、
と思い至りまして。
医者には、「よく休んでください」 と言われたのですが、
このまま休んでいたら、もっと、蕁麻疹がひどくなるのではと、
悩んでしまったのでありました。
2010-6-3
まあ当然ではありますが、
まだまだノーチェックだった、偉大な映画作家はいるものだなあ、と。
ここ数日はアテネで、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスを観て、いたく感銘を受け。

そうは言いながらも、やれ爆音だ、水木洋子だと映画館をはしごして、
一日三本、四本と傑作を浴び続けていると、さすがに感動も薄れちゃうんだよなあと。
そんな話を、最近知り合ったナイスガイにしたら、
「そりゃあんた、シャブ中と同じやないですか」 と呆れられ、
全くその通りだなと思ったのでした。

そう言えば、今注目の映画観の女史が、
「あたしが映画館でしか映画を観ないのは、家でくらい映画から離れて過ごしたいから」
とのたまっていたのを思い出し。
こりゃどこかでけじめをつけて、シャブ抜きしないとアカンなと思いつつ、
今日も神保町の方へ、足を向けてしまうのでありました。
2010-5-9
四月は全く更新せぬまま、五月も早連休明けへ。
とくに忙しかったわけでもなく、ただ書くのを怠けていただけです。
ご免なさい。
「たまには、更新しなさいよ」 と言ってくれた方々に、感謝しつつ、
久々の近況報告です。

日記も書けぬほどではありませんが、このひと月以上、割と忙しく。
ちょっとした仕事をしました。
いや、ちょっとしたなんて言ったらバチが当たるような貴重な機会であり、
実は、たいそう気合を入れて、小品を作ったのでした。

クラムボンの新譜が、今月後半に出るのですが、
その中の、「Aspen」 という曲のミュージック・ビデオを頼まれまして。
それが、原田郁子さんのリクエストで、黒田育世さんのダンスを撮るという企画で。
ご存知のように、僕も、黒田さんについては、
彼女が、BATIKというカンパニーを率いる前からの大ファンだったので、
願ったりかなったりの仕事だったのです。
で、まあ、今までにも増して徹底的に、光と風を狙いまして。
木々と黒田育世の踊りを、6分14秒、渾身の長回しでフィルムに収めたわけです。
あ、つまり、ちょいと無理をして、16?で撮ったのです。
そのうえ、色調の調整に、映像作家の牧野貴くんにも協力していただき。
自画自賛するわけではないですが、なかなか素晴らしいものに仕上がったと思います。
ただ、これ、全く違うシチュエーションで、2ヴァージョン作ってまして。
今のところ、世に出回るのは片方だけで。
より先鋭的なヴァージョンは、お宝化かな?
少々、残念。

てな思いに沈んでる場合でないのは、
数日前から、ペドロ・コスタが来日中でして。
いよいよ、明日対談。
ああ、大変!

2010-3-26
いよいよ明日から、 『眠り姫』 七度目のアンコールです。
劇場公開を始めてから、もう三年。
制作に二年もかかった作品ですが、ついに上映期間の方が長くなってしまいました。
いやはや、感無量。
これまで応援し、支えて下さったみなさま、本当にありがとうございます!

と、感謝の言葉を、早く日記に書かねばと思いながら、
ついつい忙しなさにかまけて、更新遅くなり、毎度すいません。
まあ、飲んでばかりいたのですが。

先日も、緊張の 『三月のライオン』 トークショーに引き続き、
『ストロベリー』 の打ち上げにまで、朝まで参加してしまい、
早朝の松屋のカウンターに、一列ずらりと並んで、牛皿ビールで飲み続けて。
いやあ、楽しかったなあ。
思えば、25年前、『風たちの午後』 を観て、トラウマになるほど衝撃を受けた17歳の高校生が、
40過ぎのオヤジになったときに、その監督とこんな日を迎えることがあろうとは、
いくらなんでも、想像できませんでした。
トークショーでは、高揚のあまり、ファン歴告白タイムになってしまい。
幻の、最初の 『のんきな姉さん』 の脚本が、いかに 『三月』 の影響下にあったかを吐露。
後から支配人に、「セキララ過ぎ!」と、突っ込まれてしまいました。

その 『のんき』 のプロデューサーをしてくれた、美術の磯見さんとも、
こないだ、偶然、桃まつりで会いました。
数年ぶりに、とっぷりと飲んで、昔話に花開いたのですが、
「この十年で、お前のようなめんどくさい監督は、カラックスだけやった」
と言われたのは、めちゃめちゃ嬉しかったな。
ほめてんだか、けなしてんだか分りませんが、
あの鬼瓦のような形相で、ボロボロの歯むき出しに宣まったのですから、
まあ、本気で言ったことでしょう。
久々に戦闘心を掻き立てられました。

あ、そうそう。
映芸ダイアリーが、僕の上映活動のインタビュー記事を、UPしてくれました。
こちらも、バカ正直に答えてますので、ほくそ笑んでやって下さい。
2010-3-11
大阪に行ってきました。
と言っても、もう先週のことですが。

で、大阪初のライブ上映の前々日には、
井上郷子さんのピアノで、モートン・フェルドマンを聞くことができまして。
永遠に続くかのような美しい響きと、唐突な幕切れの余韻に、うち震えたりなんかしたものですから、
早朝東京を立ち、大阪着早々に、会場と練習室をタクシー移動しながら、
休む暇なくリハーサル、ゲネなし一発本番だった怒涛の、高揚感もひとしお。
ま、僕は別に、付き添ってただけなのですが。

今回は、東京から2名、侘美秀俊・池田拓実のタクミコンビが乗り込んで、
初顔合わせの在阪ミュージシャンと、ジャムるという、いかにも挑戦的な試み。
その、大阪サイドの演奏者が、実に、テクニシャンかつハートフルで。
ディジリドゥを片手に、打楽器をギミックに打ち鳴らしてくれた、渡邊崇氏は、
映画やCMで活躍する作曲家なのですが、そもそもバルトークで現代音楽に目覚めた、元パンクス。
紅一点の久保田裕美さんは、関西現代音楽シーンで精力的に活動されている、フルート奏者。
この、フルートという、今まで用いなかった楽器の音色が加わったことで、
映画の印象さえ変わるほど、新鮮な 『ホッテントット』 になりました。
対するタクミコンビも、移動の疲れをものともしない、タフで真摯な演奏ぶり。
オリジナル音源の、ハープやクラリネットなどの、リミックスを流しながら、
侘美氏は、十八番のピアニカを、
本来コンピュータ担当の池田氏は、ギターを爪弾いたり、
いやあ、思い出すだけでも興奮する、刺激的な生演奏上映だったなあ!
この成功は、裏で支えてくれた映画祭スタッフの方々、
特に、当日、僕らのアテンドを務めてくれた、笠松君の活躍のおかげ。
今一度、感謝します。

それにしても、こんなにポータブルに、贅沢な上演をしてしまって、
変な感慨ですが、ちょっと悔しくもあります。
いつか、もう一度、4年前の初演の時のように、フル生演奏を披露したい。
でもまあ、経済的に、かなり高嶺の花なのですよね。

ライブの次の日も、僕は、トーク・イベントがあったので、
そのまま、居残りまして。
朝から、松葉で串カツとビールの立ち飲み、
イベントの合間に抜け出して、たこ梅で関東煮と熱燗、
夜は打ち上げで、飲んで朝までと、全くアルコール漬けの楽園におりました。
今年は、審査にたずさわらず、ゲストだったという気軽さもあってか、
去年のように荒れることもなく、ほんと、大阪マイラブってな気分で、幸せだったなあ。
でも、波乱の審査結果の発表後の、大友良英さんの手紙は、感激した。
まさに、仰る通り。
身が引き締まる思いになりました。
ご興味ある方は、大友さんのHPに、全文が掲載されています。

帰京して、翌日には、原宿で、快々の芝居を。
「Y時のはなし」 の再演。
やっぱ、篠田女史は天才だ。
これは、掛け値なしの傑作だと思いました。

長くなってしまいましたが、重要な告知を。
すでに、ご存じかと思いますが、
『眠り姫』、ついに7度目のアンコール上映いたします!
今回は、『ホッテントット』 も、再映。
ライブもいいですが、オリジナル上映版の完成度の高さも、必聴です!

と、まあ、浮かれてしまう、今日この頃。
ある、重大なミッションも、ありまして。
矢崎仁司監督の、待望の新作、『スイート・リトル・ライズ』 (傑作!)が、
いよいよ、今週末から公開されるのですが、
その記念に、新宿ケイズシネマで、矢崎作品特集上映がありまして。
なんと、来週17(水)の 『三月のライオン』 上映時に、私、ゲストに呼ばれてしまいました!!
ああ、どうしましょ。


2010-2-20
1970年を境にして、日本社会は変質したという、
古井由吉の言説を読んで以来、気になっております。
だから、というわけでもないのですが、
今月は、すっかり、ヴェーラの70年代青春映画特集に、ハマってしまいました。

70年代の記憶というと、ないわけではないのですが、所詮、小学生だったわけで。
映画に映る風俗、流れる気分を、意識しながら観てみると、
改めて発見があり、古井が言わんとしたことが、なんとなく分かるわけです。
ああ、こんな映画とともに青春を送った若者たちが、親となり、バブルを担って、
ロスジェネと呼ばれる世代を育てたのだな、と。
久しぶりに観直した、敏八さんの映画群は、そんな考察の恰好の材でした。

まあ、それはそれとして、恥ずかしながら初めて観た、山根成之の作品は、実に良かった!
中でも、 『パーマネントブルー 真夏の恋』 !!
こんなに美しい、まだ知らぬ映画があったのかと、
場内が明るくなっても、しばし、席を立てませんでした。
ああ、いい映画だ……。

美しい、と言えば、
今、浅草橋のパラボリカ・ビスで開催中の、花代さんの写真展、
「物理的心霊現象のメカニズム」は、素晴らしかったなあ。
2枚の写真をオーバーラップするだけで、こんなに美しい世界を表現するなんて、
花代さんは、少女の天才性をいつまでも保持し続けてる、稀有なる存在だなあ。

偶然にも同じ場所で、『ホッテントット』 の里香人形を作ってくれた、
清水真理さんの人形展も開かれているのですが、
『ホッテン』 と言えば、大阪での初のライブ上映が、迫ってきてまして。
今回仕様のリミックスも仕上がり、さあ、いよいよです。
関西圏のみなさま、3月2日、CO2会場で、お待ちしております。
乞う、ご期待!
2010-2-8
あちこちで、劣化が始まっているのですね。
あ、世の中のことです。

こないだの、小沢不起訴の問題にしても、そもそも、
虚偽記載をしてまで隠し通そうとしたものの、正体の追求が本題ではないのかな?
本末転倒というか、罪を問うことの精神が低い。
水は低きに流れますから、
ほっとけば、さらに劣化は進むのでしょうなあ。
いやはや。

先日、恥ずかしながら、初めて観ました。
三国連太郎デビュー作である、木下恵介の 『善魔』 と、
山根成之の 『さらば、夏の光よ』 。
1951年と、1976年。
時代の違いはあれど、そこには、
“通俗”にも、気高い精神が貫かれていました。
どこへ行っちまったんでしょう、精神。

ところで。
今出ている映芸に、また、映画評を書きました。
松江君の 『ライブテープ』 と、沖島さんの 『怒る西行』 をお題に。
かなり真剣に書きましたよ!
2010-1-26
忙しない労働から離れて、そろそろ二ヶ月経つのですが、
なんやかやと用事が絶えず、なかなか創作に打ち込めません。
フトコロ具合にハラハラしながらも、さまざまなる興味と関心に引きづられ、
ふらふらあちこちに、出没しております。

昨夜は、地下大学へ、『哲学への権利』 を観に。
久々の高円寺は、なんだか、けばけばしく。
これも、キャピタリズムの猛威の、あおりか?
「脱構築」と、「戦争機械」は、なんか似ていると仰る白石嘉治に、
フランスでは、「映画」も、「啓蒙」も、リュミエール、
どちらも、闇を照らす光、と教えられ。
明晰で、賢明な人々の、立て板に水の術語の応酬を、
とても遠くに感じたのでありました。
2010-1-10
寝正月でした。
晦日から、熱が上がり、そのまま年越し。
で、三が日が過ぎ。
ま、こんなもんでしょ、私の人生。

寝込んでると、暇なので、昔録画したビデオの、滅多に観ないようなのを、
選りすぐって、私的特集上映したりしたのですが、
このプログラムが、ゆるゆるで、可笑しくて。
例えば、神代の 『宵待草』、ブロカの 『おかしなおかしな大冒険』、
邦題つながりで、ボグダノヴィッチ 『おかしなおかしな大追跡』、石器人まではやめときましたけど……。
てなことで、けっこう床内幸せな、お正月だったりして。
あ、あ、あ、もとい。
年末に書き上がらなかった、原稿の残りをどうまとめるか、考えてたんだっけ。

まあまあ、それも、無事仕上げまして、
松の内も過ぎましたが、遅ればせながら、みなさま、明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
早速の告知ですが、
今、沖島勲監督の新作 『怒る西行』 が、怪作 『一万年後…。』 とともに、東中野で上映中です。
みなさま、ぜひ!
僕も、16(土)に御邪魔することになってまして、
新年早々、沖島さんとお会いできるのが、とても楽しみなのであります。
2009-12-27
クリスマスに、市川春子 「虫と歌」 を買いました。
読んでみて、びっくり。
久々にマンガで、何何これ何! という衝撃。
いや、すんばらしい。

何何??の衝撃で言えば、ベン・リバース。
先週末に、三日連チャン忘年会 (内二日は朝帰り) の体調不良を、押して駆けつけ、大正解!
『ハウス』 の噂は聞いておりましたが、いや、唖然呆然のヘンテコさ。
イメージフォーラムの狭い教室が、満員になるのも分かります。
あの質感、16ミリフィルム自家現像の、なせる技なのでしょうか?
被写体のマテリアルの選択からして、徹底的に、初めて見る、懐かしい世界でした。

懐かしい衝撃で言えば、先月末に、古井由吉 「人生の色気」 を買い、読み耽りまして。
すっかり、古井熱が甦りました。
で、昔、学生時分に図書館で、全集からコピーした処女作 「木曜日に」 を読み返して、
ああ、もう、この興奮、どう言い表わせばよいのでしょう!
うち震え、打ちのめされ、
ん〜、最初に発表した小説がすでに、日本語表現の極北って、これどういうことっすか?
びっくりしたなあ、もう。
2009-12-14
練馬美術館で、日本画家の菅原健彦展を観ました。
キーファーを想わせる、重厚で陰影深い都市図、暗黒の桜。
大判のベニヤ板を連ねて、岩絵具や顔料が厚塗りされた、巨大な障壁画群に圧倒され。
この迫力と質感は、映像イメージのような実体のない表現では、なかなか表せないよなあ、と。
そう言えば、石田徹也の孤絶に打ちのめされたのも、去年の今頃、ここだったし、
その前の年は、中村宏の小品展があったし。
毎年一度は、気になる展覧会が、練馬であるなあと思いつつ。

気になると言えば、先日、『母なる証明』 を観ました。
師走ともなると、今年の映画は…なんて話題はつきものですが、これさえなければ、
「いやあ、今年は 『ボヴァリー夫人』 に度肝を抜かれたよお」 で決まりかと思っていたのですが、
年も押し迫って、こんな怪作が待ち受けていようとは!
脚本を書いた、パク・ウンギョさんは、二年前に 『TOKYO!』 のポン・ジュノ編で、
韓国側のメイキング担当として、一緒になったことがあったのですが、
そのとき、何か持ってそうだなと感じさせる女性だったんですよね。
実は僕は、ポンさんの作品は一作目が一番面白くて、その後はあまりしっくりこなかったのですが、
これは、パクさんが関わっているので、なんとなく気になっていたのです。

てなことで、シネマライズに行ったわけですが、
とてもとても嬉しかったのは、矢崎監督の新作の、美しいチラシとポスターがすでに配されていたこと。
『スイート・リトル・ライズ』
実は実は、すでに僕は、ゼロ号試写で拝見していまして。
いや、これが、本当に素晴らしい、凄い作品なのです。
来春公開、どうぞお楽しみに!
2009-11-29
京都の友人が、とてつもない催しを、繰り広げているようでして。
同志社大学の学生ホールを会場に、十月上旬から年明け一月半ばまで、計17回も続く、
21世紀の音楽をめぐる、ライブ+講演+上映の、野心的かつ壮大な企画。
名付けて、「アワー・ミュージック」。

プログラムを見ると、ライブには、ジム・オルークやアンサンブル・ノマドや大友良英ら、
シュトックハウゼンについてのドキュメンタリーやコンサート、
ロジエやタチや伊藤大輔、ジャン・ルーシュなどの映画、
フェラーリ夫人や茨木千尋氏らが登壇する、さまざまなレクチャー。
もう、テンコ盛り!
しかしきっと、かの夫妻は、超人的な行動力で、この大イベントを難なく、こなしているのだろうなあ。
僕は、彼らに敬意を表して、日本のストローブ=ユイレと呼んでおります。

で、来週末の12月5日の夕方には、満を持して、
精力的に現代音楽の日本初演をなさっている、ピアニストの井上郷子さんが登場し、
メシアンやシュトックハウゼン、ヴァレーズ、フェラーリを弾くそうで。
僕は、以前、二回だけコンサートを拝聴したことがあるのですが、
ルーマニアを代表する女性作曲家の作品を、実に優美で精緻に、
クリスチャン・ウォルフの前衛作品を、明晰かつ躍動的に演奏され、
その表現領域の広さ、深さに感服いたしました。

いやあ、5日、行きたい!
行きたいけど、行けない。
京都だから。
ということだけでなく、翌日の午後に、小金井市公民館での、
8ミリ・シンポジウムに参加することになってるのです。
ん〜、重なっちゃうものですなあ。
関西圏のみなさま、ぜひ、足をお運びください。
ちなみに、「アワー・ミュージック」 のプログラムは、
スタジオ・マラパルテのHPで、ご覧いただけます。
2009-11-26
先週から、連休もなく追われていた、いつもの構成仕事が、何とか終わりました。
今回は、ホッローケーというハンガリーの、人口36人の小さな農村について。
なんと牧歌的な、と思われるかもしれませんが、そんな題材とは裏腹に、実に憂鬱な仕事でして。
先日も、先月関わった回が放映されたのですが、オン・エアを観て、愕然。
なんとも、無残な仕上がりだったなあ。
スタッフは各自、各所で真っ当な仕事を心がけているはずなのですが、
局の方針というやつが、番組を歪めていくわけです。
どんな業界にもあることでしょうが、ストレス溜まるわー。
生活は、苦しくなるのだけれど、
もう、いい加減、潮時かなと、思ったりしています。

で、こんな時だからこそと、渦中を抜け出して、舞台を二つ観ました。
素晴らしかった!
一つは、黒田育世&BATIKの 「花は流れて時は固まる」。
五年前、初演を新宿パークタワーで観たときも、十分すぎるほど圧倒的だったのですが、
この再演は、言葉を失うとは、まさにこのことだと見せつける、凄まじさ。
あの痛々しさ、彼女たちの加速と暴走の過激さは、いったい何なのでしょう!
高所から落ち続けるクライマックスを、来ることが、もう分かっていても驚愕してしまうほど、
前半が、ハイテンションに、エスカレートしていて。
いや、既に知っているからこそ、本気で、この疾走のまま、
あの最後の大技までいくつもりなのか?
身体はもつのか? と、
ハラハラドキドキ、そして昇天!!
ああ、凄いものを見せていただきました。

一方、アゴラでの、パスカル・ランベールの演劇は、静かな一人語り。
だからこそ、演技者の存在感が、何もかも全てなのだという、厳しいスタイルで。
その点、ファスビンダーやアサイヤス、ガレルの作品にも出演している、ルー・カステルは、適役で。
実に、しみじみと、情けなく疲れ、ときに深淵に、
「演劇という芸術」を語り、演じたのでありました。
共演の小犬も、いい味出してたしね。
2009-11-12
「最近、飲んだくれてるそうですね」
と、ある人に、顔を見るなり、言われましたが、
全く、その通りでして。
先週だけで、朝帰りが三回、
それ以外の日も、きちんと毎日、飲み続けており、
まあ、体には、あんまり良くない生活を送っています。

でも、酒と睡眠の間に、いろいろ映画を観てまして、
その中には、ライアン・ラーキンのアニメーションや、
年明けに特集される、ジャック・ロジェの 『オルエットの方へ』 や、
葛生くんが差し入れてくれた、スコリモフスキーの 『キング、クイーン、そしてジャック』 など、
珠玉の作品も含まれていて、幸せこの上なし。
体調の不調なんて、全然気にならないのであります。

とりわけ、酩酊を加速させるのは、先週末から始まった、カネフスキー特集。
長年、もう一度観たくて、この日を待ち焦がれていた、『一人で生きる』。
ああ、『一人で生きる』 !
映画が始まった途端に、マジで泣き出しそうになってしまい、
「こんなに俺、この映画観たかったんだあ…」と、そのことに勝手に感動してしまうほどでして、
いやはや、いい歳して、キモいですよね。

で、でも、カムチャッカ行きの船上から、悲愴なまなざしを向ける、
少女ワーリャの、アップ・ショットの凄まじさ、素晴らしさ!!
改めて思いましたが、これに匹敵する表情は、古今東西映画史上、
成瀬の 『乱れる』 の、高峰秀子のラスト・カットぐらいしか、ないのではないでしょうか。
先日、トーチカ・トークでお会いした、廣瀬純さんの言葉を借りれば、
映ってる人々が、みな、デカイうんこをしてそうなぐらい、圧倒的!
って、これ、最上級の讃辞だということは、今後の廣瀬さんの批評をチェックしてもらうと、分かるかも。

と、まあ、酔いどれ人生、漂っておりますが、その流れで、
今週末からバウスで始まる、山岡君の 『ロスト・ガール』 の再映にも、御呼ばれしてしまいました。
恥をさらして懲りもせず、恐縮です。
みなさま、僕のトークじゃない日に、ぜひ、お足をお運び下さい。
2009-11-4
偶然、ばったり人と出くわすこと、ありますよね。
あれって、ほんとに、偶然なのかな。

先日も、映画館を出ようとしたところで、なぜか、トイレ行っとこかなと思い、
引き返したら、これ以上ないタイミングで、知人と鉢合わせ。
その数日前にも、駅前で似たようなことがあったのですが、
それも、その前に、なぜか反対方向に歩いて行ってしまった、時間のロスがあったから起きたこと。
割と頻度高く、そういうことが起きるのですが、
あれは、偶然のようで、無意識の予知がそうさせてるのでは、と思ったりしてしまいます。

というわけで、ということとは関係なく、
只今、トーク週間真っ最中でして。
相変わらず、人と話すことは、うまくはならず、
恥をさらして、照れ隠しで、うそぶいて。
ゲストの方に、申し訳なく、
観客の方々には、もっと申し訳なく、
ああ、俺のトークって、映画の余韻をぶち壊しているだけかなあと、
酒浸りの日々でございます。
2009-10-26
昨日の日記のはしゃぎっぷりに、読み返して、赤面。
これじゃ、小学生以下ですな。 白痴。 お恥ずかしい。
実際、昨春のコスタとの対話に比べると、
僕自身は、準備不足による、消化不良。
一夜明けて、猛烈に反省。
ただただ、スコリモフスキーの光背を間近で拝んだという次第です。
詳細は、近々、INTROというWEBサイトにUPされると思います。
みなさま、お手柔らかに。

最近、友人知人の講演、トークショーが重なり、
ちょうど一昨日も、『アンナと過ごした4日間』 を再見しがてら、
映画道の敬愛する先達・山本均氏と、中原昌也氏の対談を拝聴しました。
中原さんは同世代ですが、山本さんは10以上上だということもあり、
70年代初頭まで射程に入る、圧倒的な映画体験に裏打ちされた、スコリモフスキー伝来物語は、
温かみに溢れ、改めて尊敬。
なにせ、『早春』 をリアルタイムで (しかも二番館まで待って) 観てる人ですから。

二週間ほど前には、アテネで 「アナクロニズムの会」 の第二、三回もあり、
桑野さんと木全さんが、それぞれ、ドン・シーゲルと佐分利信について、
該博な知識をもとに分析を披露されました。
実に、勉強になりました。
僕もここ数年、人前で話さねばならない機会が増えてしまって、
毎度毎度、自分の至らなさに、家に帰ってから、自己嫌悪&自己喪失するのですが、
ホントに秀でた方の話を聞くと、ああああと言葉を失い、打ちのめされますね。
前後して、こないだ、高橋源一郎さんと川上弘美さんの公開講座へ、
明治学院大学の横浜キャンパスまで足を運んだのですが、
やはり文学者は、何気ない会話の中でも、さりげなく使う言葉の、的確さ、詩性が、まるで違う。
四十年も生きてきて、今や小学生以下の日記しか書けない者としては、まいりっ放しです。

先日、若きアニメーションの俊英・大山慶さんの上映会を観に行きまして。
大山さんの才気溢れる作品群に、ただならぬものを感じ、しばし想像界へ飛翔できたのですが、
上映後の、山村浩二さんとのトークも、聞き応えがあった!
教え子である大山さんへの、山村さんのコメントが実に真摯で。
僕は、山村さんの作品はとても好きで、その偉業ぶりに敬意を感じていたのですが、
初めて、生でお話を聞いて、
ああ、こういう論理的で実直な方だから、成し遂げられた仕事なのだなあと感じ入りました。
今週30(金)の 『眠り姫』 上映後トークには、山村さんをお招きして、
直にお話しさせてもらうので、楽しみであり、緊張です。

と、長くなりましたが、もう一つ告知を。
明後日29(木)21:00から、今年の夏を潰して書いた、コルビュジエの2時間番組が放映されます。
タイトルは、『20世紀建築の革命児』。
BS-TBSなので、もし見れたら、見てね。
ちなみに、僕は見れません。
トホホ。
2009-10-25
昨日は、『眠り姫』 再映の初日でしたが、
夜には雨が降り出すし、まあ再映も6回目だし、
ひょっとして観客 0人な〜んてこともあったりして…と、
超弱気で劇場に顔出したのですが、あにはからんや、席数半分以上を埋める快挙!
スタッフ一同大喜び、支配人ニコニコ顔で、僕も調子に乗って、予定外の挨拶なんかしちゃったりして。

こりゃもう飲むしかないでしょーと、祝杯をあげていたら、びっくら仰天の連絡アリ。
映画ライターのわたなべりんたろうさんから、「明日、スコリモフスキーのインタビュー行きませんか?」
えー!! マジすか? 行きます行きます是非とももちろん!

というわけで、今日、会ってきました、イエジー・スコリモフスキー。
ああ、こんな幸せ、味わっちゃっていいのでしょうか、光栄の至り。
目の前に、あの伝説の映画監督がいて、話をしていると思うだけで舞い上がり、
超緊張で、何言っていいやらわからん状態。
僕自身は、大した質問はできなかったのですが、わたなべさんが、さすがのグッド・ジョブで、
スコリモフスキー監督も、終始上機嫌。
いやあ、生きてれば、こんないい日もあるもんだねえと、
六本木ヒルズをあとにしたのでした。
2009-10-20
祖母の老衰が始まったようで……。
厄年ともなると、いろいろあるなあと思います。

相変わらずバタバタが続き、日記を更新できぬまま、すっかり十月も下旬ですが、
今週末から、『眠り姫』、ついに6度目のアンコール上映が始まります。
いやあ、よくぞここまで。
みなさま、本当にありがとうございます。
ユーロで公開してから、もう丸二年が経つのですねえ。
ああ、感慨深い。

という、ある原稿を頼まれて書いてるのですが、
大幅に締め切りを過ぎてしまって、すいません。
もう少し、お待ちください。
以上、業務連絡でした。
2009-9-27
体力の減退に、愕然。
久しぶりに、週末、シャバを出歩いていたら、もう、へとへとです。
やばい。 歳かなあ。

今日は、昼から代官山で、サンガツのライブ。
ドラム・カルテットが打ち鳴らす、荘厳な音の洪水に、ああ、ああああと感じ入り、
圧倒的な至福に酔いしれました。
そのあと歩いて、目黒まで。
庭園美術館で、「ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし」展に、
うう、ううううと畏れ入りながら、新宿へ移動したところで、グロッキー。
鎮西さんのピンクをもう一度、劇場で観るつもりだったのですが、喫茶店で爆睡。
その後の飲み会にも合流できずに、帰ってきてしまいました。
ごめんなさい。

それにしても、庭美の展示は、実に刺激的で、
僕は、刺繍のことなど、あまり知らないのですが、人の表現欲とは、ホントとめどないものですね。
手作業が醸しだす、妖気漂う作品群。
それに見入るアート系女子たちの、素敵さ可憐さにも、見惚れてしまったのですが。

昨日は、アテネで、「アナクロニズムの会」 第一回がありまして。
吉田さんが、アルドリッチの現代性について講演されたのですが、その中で評された、
「終わってしまったことへの、郷愁がもたらす悲劇」という言葉の含蓄に、いたく感銘。
さらに質疑応答では、聡明な女性の鋭い指摘と、フォローする千浦氏のヒューマンに感動しながら、
水道橋の坂を駆け下りて、渋谷タワレコへ。

柴田元幸×新元良一のトークイベントへ馳せ参じたら、
会場でばったり、当の柴田先生と。
「いや、そんな、来てもらうほどのことではありませんよ」と、ニコニコしながら、
その手には、ギターを握っておられるじゃあーりませんか!
いやあ、驚いた。
柴田元幸のビートルズの弾き語りが、聞けるなんて!!
しかも、堂に入った、弾きっぷり!!!
nowhere man, your mother should know, here comes the sun……
その造詣の深さは、文学性からフレーズ解説にまでおよび、
ジョージがパクッた、ロネッツやバーズの元曲を爪弾き、弾き比べる、まさに弾き語り。
いやあ、多才博識なんて程度じゃありません。
つくづく、すごい方だと、感激しました。
2009-9-21
やっと自由な時間ができるかと思いきや、
その後も、何かと不自由が多く、日々、摩耗しております。

早く、ここに記さねばと思ううちに、すでに、始まってしまいました。
鎮西尚一監督の、13年ぶりの新作映画 『熟女 淫らに乱れて』。
たぶん、新宿国際です。

僕は、先月末に初号試写で拝見したのですが、
いやあ、もう、吹き出しそうになるのを、堪えるのに必死でした。
とにかく、あの比類なき鎮西節が、十年以上経っても健在なことが、嬉しくて、嬉しくて。

もう20年以上前のことになりますが、
二十歳を過ぎたばかりの僕は、当時まだ30歳そこそこだった鎮西さんの、
素っ頓狂かつ爽やかな魅力に惹かれて、助監督を始めてしまい、今に至るわけであります。

この運命のハードボイルドというか、人生の可笑しさと哀しみに彩られたバラードを、
一気に笑い飛ばすに、十分な傑作であります。
みなさま、必見です!
2009-9-9
やっと、終わりました。
コルビュジエの、2時間番組の、構成。
昨夜、収録を終え、これで、少し、自由になります。

気づけば、もう、秋口なのですね。
確か去年の夏も、スペシャル編の原稿書きで、缶詰めにされてたから、
これで、2年連続、夏を喪失したわけだ。
はあ……。

というか、まあ、夏はともかく、こうして人生を流してしまうことに、
それでいいのだろうかと、痛切に感じる、執筆期間でありました。
コルビュジエのように、連戦連敗を不屈の精神で乗り越えて、
映画に挑み続けなければならないのではないか?
食い扶ちのためとはいえ、横道にそれてしまっている現状を、改めねばと思うのであります。

頑張りますよ、これから。
少しずつ、ですが。
2009-8-6
苦しい夏です。
カラッとしない天候のように、すっきりしない状態のまま、
過酷な原稿仕事に、拘束され続けている日々。
あ、でも、久しぶりにテーマは面白いんですけどね。
今は、近代建築について。
ル・コルビュジエの、二時間番組を書いてます。

思えば、夏前までは、アフリカの自然や野生動物とばかり、格闘してまして。
その頃に書いた、映画評が、今、発売中の映芸に掲載されています。
表紙がアニメ作品であることが、物議をかもしているようですね。
アニメの傑作を論ずることに、何の疾しいことはないはずですから、
問題は、売れりゃあいいってもんじゃないが、売れてくれたら嬉しいという、
現実、実情なのかな。
まあ、それは、自主映画が抱えている問題にも抵触してくるわけで、
そういう座談会が、奇しくも本誌に掲載されているのは、因果なことです。

偶然ですが、昨年末に参加した、これまた、映画のオルタナティブをめぐる座談会。
それを掲載した、「ecce」 という、新刊の批評誌が、今、本屋に並んでいるはずです。
メンツも、井土が重なってまして、こちらの方が、先に行われたことなので、
僕としては、言いたいことを、一生懸命、話したかな。
どちらも、手に取っていただければ、ありがたいです。
大事なことは、いかに、Soulを失わず、Fairであり続けられるか。
それに尽きると、僕は思ってます。

あ、全く、話は飛びますが、こないだ、
イーストウッドの 『愛のそよ風』 を観ました。
仕事を抜け出してまで行ったのは、どうしてもスクリーンで観ておきたかったのと、
田舎に戻った、大学時代の先輩が、上京してまで観に来ていてから。
映画が終わってから、久しぶりに飲んだのですが、楽しかったなあ。
傑作に高揚して、酒に酔う喜びを覚えて、もう二十年も経つのか。
二十年間、生活もたいして変わらず、歳だけとったことに、
反省した方がいいのか、開き直ればいいのか。
まあ、どっちでもいいやと、千鳥足で帰りました。
2009-7-27
昨日の 『ホッテン』 ライブ上映にお越しいただいたみなさま、
本当に、ありがとうございました。

怒涛の当日から、一夜明けて。
二日酔いの頭で朦朧としながら、終わった淋しさを一人、ほろほろと噛みしめておりました。

まあ、何であれ、そうなんですが、
その日に向かって、頑張って、やり遂げると、終わってしまうのですよね。
振り返れば、あっという間。
人生は、その繰り返しなんだなと。

それにしても、完成から数年経つのに、間は空いても、こうして繰り返し上映できて、
その度に、多くのお客さんに恵まれるとは、つくづく幸せな作品だなあと思います。
今回、会場で声をかけていただいた方で、
アキバでの初演から観続けて下さって、これで五度目だと仰る方がいました。
いやあ、本当に嬉しかった!

さまざまな苦難を乗り越え、形作った結晶を、
その価値を感じ取って、大切に受け止めてくれる人が、どこかにいる限り、生きていけるかもしれない。
大袈裟ですが、そんなふうに思ったのでありました。

2009-7-25
高校の先輩が、自著の出版イベントをするというので、秋葉原へ。
思えば、『ホッテントット』 を生演奏でお披露目したのは、できたばかりのUDXだったわけで。
三年ぶりにライブ上映する前日に、これも何かの巡り合わせだろうと、行ってきました、土曜のアキバ。

いやあ、濃い!
よく、この街で、僕みたいな古くさい人間が、作品を上映できたもんだなあ、と。
ある種、『ホッテン』 も、メイドとかアニオタとか、そういうアキバ的な色で、当時は見られていたのかあ? と、
今更ながら、思ったりして。 (そんなわけ、ないか)

濃厚なアキバの空気に、胸焼けしそうな気分を中和するため、
帰りに、羽仁進の 『不良少年』 を観ました。

逆上という言葉はあれど、逆ギレなんて稚拙な行為は、誰も認めてなかった時代、
不良ではあっても、真っ当な人間が、ここには映っているなあと、ある意味、ホッとしました。


2009-7-20
いよいよ、です。
「ホッテントット」のライブ上映まで、あと一週間。
先週は、リハーサルもあり、三年ぶりの再演に向けて、
否が応でも、気持ちは高ぶります。

再演とはいえ、コヤも違うし、同じことはやりません。
前回のアキバは、200席以上のホールでしたから、
どちらかと言えば、即興楽団のコンサート風だったのですが、
今回はアップリンクですし、まさに、ライブハウスでの、インプロビゼーション!
変則四人編成で、ここまでやるかあ〜という、濃厚な音響を披露いたします。

で、チラッと、雰囲気をお伝えしますと――、
今までは、足踏みオルガンだった侘美氏のパートは、
エレクトリックに、チューンナップされた、ピアニカ、に。
美しいグランド・ハープのメロディは、コンピュータが解体・再構築。
衝撃的に、感動的な音像で再生されます。
これに絡むが、僕の親友でニューオリンズに行ってしまった、クラリネット吹き。
今回は、彼が、一時帰国したので実現した、企画なのです。

そして密かに、すごーく期待しているのが、パーカッションの宿谷氏が操る、秘密兵器、シンギングボウル!
(提供して下さった、サンガツ、サンクス!!)
ネパールやチベット仏教で奏でる、高周波の共鳴音を出す、金属のお椀なのですが、
これがもう、一度聴いたら病みつきになるほど、ナチュラル・トランスなのです。

さあて、さてさて、最初で最後の、言わば、「ホッテントット2009」。
乞う、ご期待!!!
2009-7-11
気が重い状況の中で、仕事も重なり、うーうーウツな日々。
気がつけば、『ホッテン』ライブ上映まで、あと2週間しかない!
気を持ち直して、ここらで、内気な自分にムチ打ち、告知しまくっております。

自主宣伝配給って、大変だよなあと、今更ながら痛感。
そんな、まさに、渦中の折に、次号の映芸の、自主映画事情をめぐる座談会に参加し、
ああ、みなさん、同じ苦労と矛盾を抱えてるのねと、感じ入ったわけです。
大きな状況に対して、僕なんかは全く無力で、たいした発言はできなかったけれど、
でも、目の前の一つ一つを精いっぱい、誠意を込めて、やり抜いていくしかないわけで。
その先に、奇跡が起きたらいいね、と。

で、慌ただしい日々を、うんにゃと押して、
見聞きしに行った、いくつかの奇跡的な作品について。

まずは、矢内原美邦の『五人姉妹』。
圧倒的なスピードで繰り出される、言葉と振る舞いの応酬を、踊り切った、役者(ダンサー?)陣に、もう感服。
すごいよ!君たち!ブラボー!です。
暗転しながらの、最後の、普通のスピードで発せられた一言が、
あんなに、ゆるやかに、際立ち、耳に残るなんて。
その一言のために、この全ての舞台はあったのでは、と思えるほど、
速度に、感動させられたのは、初めての体験でした。

対して、この遅さはなんだ! と深い感銘に陥れられたのは、
音楽の複数次元2009という、足立智美氏主催シリーズの、コーネリアス・カーデューの「大学」。
儒教の「大学」の、エズラ・パウンドの英訳のうち、
たったの三行を、二時間近くもかけて、
約40名の混声が、そろりそろりとうごめきながら、合唱するのです。
前回の、クリスチャン・ウォルフのときは、即興音楽こそ芸の技量がものを言うと思い知らされたのですが、
今回は、いや、もうこれは、肉声の響きそのものに、どこまで純化できるかの、果てでしょう!
恐るべき。

2009-6-17
なんだかなあ、と。

腹が立つを通り越して、もう、がっかりしてしまうことが、あり。
かなり、鬱です。

本当は、何もかもやめてしまい、どこかへ行ってしまいたい気分なのですが。
そうなると逆に、無理して、気丈にがんばってしまう性質でして。
ポッキリ折れてしまう方が、楽なんだろなと、いつも思います。

それにしても、大変、困った事態なのです。
まだ渦中にあるので、はっきりとは書けませんが、
それでも、つい、こんな弱音を吐いてしまうほど、心中かきむしられております。

だが、やらねばならぬことは、山積み。
その大きな一つが、すでに告知を始めつつありますが、
来月の7月26(日)、『ホッテントット』を、なんと3年ぶりに、生演奏上映します!
(詳しくは、『ホッテン』 の HP の info をご覧ください)

ああ、これのことを考えると、楽しみで気が晴れます。
がんばるぞー!!
2009-5-21
いまさら何ですが、この日記のようなものも、
付け始めて、早七年目なのですね。
ありゃ、びっくり。

じゃあ、今まで何を書いてきたのかと、思い起こしてみれば、
あれをした何を観た、ってな報告と、
今度これやります的な、宣伝の類が、主な内容。
ん〜、なんとなく空しい、ですな。

と、書き始めてみたものも、とりたてて change ! もせずに進めますが、
昨日一昨日と連続で、原稿書きをサボって、二本のドキュメンタリー映画の試写に行ってまいりました。

ひとつめは、松江君の新作、『あんにょん由美香』。
問題作なのに、楽しく見れる、このテイストは、松江君独特なものだなあ、と。
由美香さんから、「まだまだね」と言われたのは、本編中盤で、平野勝之が、ボソッと凄む一言に、
全て帰結するのではないかな、と。
それすらも、展開のひとコマにできてしまう、自虐性というか、娯楽性が、彼の作家性なのだろう、と。
まあ、思ったわけです。
それにしても、由美香さんは、現場や飲みで一緒になったこともある人なので、
多くの方々と同じく、改めて見る彼女の表情に、つい、しみじみしてしまいました。

そして、これまた、ポレポレ東中野で公開される、『台湾人生』。
こちらも、古い知り合いの、しかも初作品でして。
もう何年も前から、台湾の日本語が話せる世代、つまり、戦争前の大日本帝国下で教育を受けた、おじいさんおばあさんを取材されているというのは、聞いていたのですが、
実に力作、立派な仕事を成し遂げていまして。
最近、食い扶ち稼ぎにかまけているだけの身としては、襟元を正されるというか、
この社会の有り様にまで、考えを促されたのであります。

やはり、
Soul と 知性が、足りないのだ、と。
2009-5-11
気がつけば、五月も半ば。
連休もなく、構成原稿の締め切りに追われ、
合間の時間に、酒を飲み、憂さ晴らし、
このまま、夏まで行くような気がします。

ちゅうことは、秋にもなるし、冬も来る。
あっという間に、2009年よ、さらば! です。

まずいまずい。
まずいことは分かっているのだが、働かないと生きていけない境遇、
仕事のあるありがたさに、まず感謝しなければ、と思いもする。
しかし、どんどん映画、作品の創作から遠ざかる方へ、背中を押されているままに歩いていて、
あんた、それでいいのかい? と引っ切り無しに、心の声が響きます。

響いてないときは、つまり、
締め切りがそれどこでなく、焦りまくってる、というわけなんですがね。
2009-4-22
快快・篠田さんの、「アントン、猫、クリ」を、アゴラで観劇。

見事な、断絶。
二人の演者のリズムが、絶妙に合えば合うほどに、
人と人は、個と個で、孤独だと痛切に感じる、痛快作!でした。
観ながら、新国誠一の具体詩を思い起こしたりしたからか、
篠田さんの表現って、“演劇詩”とでも呼びたいなあ、などと思ったりして。

が、惜しむらくは、というか願わくば、
あの先の、跳躍というか、カタストロフまで、連れて行って欲しかった。
昨年観た 「ジンジャー」のとき、
生きていくことは、瞬間が死んでいくことの連続なんだ! と興奮させてくれたように。

でも、きっと、回を重ねるごとに、彼女の舞台は進化していくのだろうから、
この後の上演が、もの凄いことになるんだろうなあ。
くそー!
2009-4-20
いつの間にか、四月も下旬。
もうすでに、今年も、三分の一が過ぎようとしているのですね。
ああ、なんてことだ。

最近は、構成の原稿書きが、途切れなく続いていまして。
仕事があることはありがたいのですが、常に、生活と脳内の大半が、
“言葉の労働” (言ってしまった!)に占拠されていて、ストレス過多。
そんな日々をやり過ごすには、スキマ時間に、鑑賞観劇。
ああ、それだけで、光陰矢のごとし。
じりじりと、死へ近づいていくのだなあと。

先日、アゴラで始まった企画公演 「キレなかった14才りたんーんず」で、
昨年 「リズム3兄妹」が素晴らしかった神里氏の、「グアラニー〜時間がいっぱい」に、感傷。
ノスタルジーとハイテンションを織り交ぜる、独特のグルーブ感に酔いしれました。
ほとばしる才気に、心地よい気持ちで仕事に直行。
すぐにまた、脳内掻き毟られ、ささくれ立った心を鎮めるため、フィルムセンターへ。

『無法松の一生』。
ああ、阪妻。
阪妻、阪妻、阪妻!
人のふるまい、まなざしが、こんなに感情を揺さぶり、心を包み込むものなのかと。
偉大な映画が、ちまたに、普通に、人の目に触れていた時代へ憧憬。
そして、昨今の白痴状況を憂い、憤るのであります。
2009-4-2
『眠り姫』、始まりました。
東京再映、なんと、五度目!
それなのに、多くの方が足を運んで下さって。
昨夜は、なんと、立ち見!!
アンビリーバブー!!!
というか、春の雨嵐のなか来て下さったみなさん、本当にありがとうございました。

そして今回もう一つ、とても嬉しいのは、大阪で再映できたこと。
しかも、七藝で昨年すでにレイトショーしてる作品を、
ロードショーで再映してくれたシネヌーヴォの、勇気と熱意に、感謝感激です。

個人的には、思い出もありまして。
ちょうど昨年の今頃、僕は広島で、ペドロ・コスタと対話し、
『ヴァンダの部屋』と、『眠り姫』を、同時上映するという、生涯忘れないだろう一夜があったのですが、
その前日に、コスタがトークショーをした映画館がシネ・ヌーヴォであり、
上映期間中だった『ヴァンダ』のフィルムを、夜中だけ貸し出してくれた寛大さが、
その名を心に刻んでいたのです。
実は、今回の大阪再映も、あの一夜を企画してくれたマラパルテの超人夫婦が(僕はひそかに、日本のストローブ=ユイレと呼んでいます)働きかけてくれた。
この場を借りて、心からの謝意を申します。

で、東京の話に戻りますが、みなさま。
突然ですが、本日の上映後に、映画作家の高橋洋さんが、御登壇してくださることが、急遽決まりました。
てなことで、今夜いらしていただくと、そんなサプライズ・イベントもございます。
よろしくです。

で、どうしても書き留めておきたいので、近況も書きます。
昨日まで、この2週間、いつもの構成原稿仕事が二本同時進行で、
マサイ族と野生動物、アボリジニと6億年前の巨石に、すっかり心も体も時空間も奪われていて。
実際、もう無理、物理的に間に合わなーい!
んじゃないかという驚愕スケジュールに、追い詰められていたのですが、
そんな渦中にあっても、これだけはどうしても見逃せないと思い、
行ってきました、世田谷パブリックシアター。
「another BATIK〜バビロンの丘へ行く」
笠井叡の振付で、黒田育世がボレロを踊る……
浮ついた言葉で評したくないので、こうして書きながらも混乱してしまうのですが、
瞬きもできぬくらい、釘付けになった約1時間半、
舞台上で倒れた黒田に、少女たちの巨大な影が、踏みつぶさんばかりに迫った幕切れまで、
観終わって、思いました。
ああ、本当に素晴らしいものって、この世にあるんだなあ、と。

心の底から感動しながら、
満員電車に揺られ、帰ったのでありました。
2009-3-17
忙しない日々。
ただ逃げ去るだけの時を、ぐっと引きとめてくれるような、
映画や芝居を、ぽつぽつ観ました。

まず、渡辺護監督・大和屋竺脚本の、『㊙湯の町 夜のひとで』。
再見でしたが、以前観た10年前には、大和屋さんの脚本ばかりに気がいって、
こんなに演出が素晴らしいとは、気づかなかったなあ。
温泉町へ流れ着いた、ピンク写真が生業の、男女の悲哀が実に際立ち、良いのです。

それから、束芋さんのご紹介で観た、京都の劇団ワンダリング・パーティの「饒舌な秘密」。
まるで神仏への祈祷のように、語られ始まる、その物語が、
ホリエモン事件と、ロスジェネ世代の鎮魂歌だったと分かる下りからは、圧巻。
失礼ながら、まったく存じ上げない劇団だったのですが、作・演あごうさとし、恐るべし、です。

で、タイの恐るべき子供、アピチャッポンの『世紀の光』。
繰り返されるシチュエーションと、輪廻を感じさせる、妙な長まわし。
やっぱ、この人、ヘンだよなあ。

『世紀の光』を観た晩に、花摘み会飲み会で一夜を過ごし、
ちょうど、WBCの中継が始まるころ、まだ暗い町を歩いて帰りました。

見上げると、だんだん色づいていく空。
ああ、久しぶりだなあ。
夜明けの光。
上っていく朝日を、しばし眺めました。

2009-3-13
5日と10日の日記に書いたこと。
意外なほど、反応ありまして。
何より驚いたのは、この日記って、けっこう読まれてるんだなあと。
いやはや。
みなさんにご心配かけない程度に、ぼちぼち、やっていきます。
どうも、お騒がせしました。

それにしても、人のふり見て我がふり直せ、と申しますが、
自分の10年、20年後が、どういう生き方、人生になっているかを、
痛切に感じ、考える、出来事では、ありました。
まあ、そこまで長生きしないかも、しれないけど、ね。

食うために、働く。
それは、僕のような庶民の出にとっては、逃れられない問題でして。
ここ数年は、自主製作をしたために、すっかり傾いてしまった生活を、
立て直すべく、あくせく、構成原稿仕事に、精を出しているわけです。

明後日15にも、先月書いた、イタリアの港町ジェノヴァの回が、放映されます。
16世紀から17世紀にかけて、資本主義という怪物が、生み出された時代に、
金融という名の錬金術を編み出した、貴族たちの豪邸――パラッツォ。
400年前に築いた財産を管理するだけで、今も悠々自適の生活を送る現役貴族が、
インタビューに、ちょこっと登場するのですが、
書いていて、複雑な気持ちになってしまいました。
あ〜あ。

いかん、いかん。
食うために働きながらも、人生をかけて、作品を創らねば。
と、自分に言い聞かせながらも、今月も、
アフリカと、オーストラリアの、ある世界遺産の勉強に、忙殺されているのです。
ん〜。
しかし、今年こそ、やるぞ!
2009-3-10
いつものように飲み明かしているうち、数日が経ってしまいました。
これは、5日の日記の続きです。
と言っても、ここから読んでも、別にかまいません。
いずれにせよ、もう、過去のことです。

今回、大阪に滞在したのは、審査員として参加した映画祭のためだったのですが。
僕の担った仕事――企画審査は、すでに半年前の夏に終わっていまして。
というのも、この映画祭の特徴は、
自主映画の企画を公募して、選んで、助成し、作らせるところにありまして。
その出来上がった映画を、また別の審査員が評価する、というコンペなのです。

てなわけで、僕の立場は、言ってみれば、
我が子らの入試の、結果発表に付き添う親みたいなもので。
審査される側ではないものの、
それなりにドキドキわくわく、結果を待っていたわけです。

で、最終日。
結果をいち早く知らされたとき、
僕の本命だった作品が、大賞を取ったのは、順当でしたが、
対抗だと思っていた作品に、部門賞の一つも与えられなかったのが、
ちと、解せないなと、思っておりました。

その受賞発表の時、ちょっとしたハプニングがありました。
審査員を代表し、講評する、某映画監督が、
べろんべろんに酔っ払って、壇上に登ったのです。
足元フラフラでの、歯に衣着せぬ、独演。
予定を20分近くオーバーする、ワンマンショーに、顔をしかめる人もいましたが、
僕は、まあそれも、分からんでもないなと思いました。
そもそも、審査という行為自体、おこがましいこと。
若者たちの苦労の作に、優劣を付けねばならないことに、ナイーブであれば、
酩酊状態にでもならなきゃ、結果発表なんてできないでしょう。

でも、それでもあくまで、厳正なる態度で臨まなければ、
ならなかったかもしれない。
十人十色。
みながみな、講評を真摯に受け止めるとは限らないのだから、
スキを見せれば、いらぬ誤解や詮索を呼んでしまうものです。
独断と偏見なんじゃないか、
テキトーなこと言ってるだけじゃないか、と。

彼の発言の中で、僕がハッとしたのは、繰り返し、強調していた、
「人の死を、映画にすることを、軽々しくしないで下さい」
という言葉でした。
それは、大賞を取った作品に向け、苦言しているようで、
実は、そうではないような、気がしたのです。

該当する映画は、世間にあふれている。
最近、ちまたでヒットする、数々の泣かせる映画もそうでしょうし、
例えば、前日この会場で上映された、醜悪極まりない実演映画なんて、
その最たるものでした。
あの場に、彼はいなかったけれど、
飲みの席で、京都の友人が憤って、さんざん吹き込んだだろうから、
それが、どんなに卑しいものだったかは、十分知っていたはず。
もしや、そのことを念頭に、しゃべっているのでは?
そんな風に、意味深に思って聞いていました。

ところが、全く、分かっていなかったのは、
非難された、当の本人だったようで……

授賞式後の打ち上げの席。
僕は、一番後ろの壁ぎわで、賞を逃した無冠の才能と、
しみじみ、ちびちび、酒を酌み交わしておりました。
正面舞台では、引き続き、酔いどれ監督が、場を盛り上げていました。
と、どういう経緯か知りませんが、気づいたら、
あの、親の亡骸を見世物に、投げ銭をせびった破廉恥野郎が、
マイクを取って、演説を始めていたのです。

おおかた、泥酔してなお、弁舌流暢な某監督の独壇場に、
うずうずして、俺にも言わせろ的に、調子に乗ったのでしょう。
グランプリ受賞作家を、前に立たせて、延々と、
愚にもつかない感想を、エラそうに、のたまい出しました。

それは、聞くに堪えない、暴言のオンパレードでした。
あまりの酷さの一例を挙げると、
「君の映画は、分かりにくいね。亡くなった女の子の親族が、兄なのか、父なのか、はっきりしないとね」

親族役を演じた男優は、せいぜい40歳手前にしか見えず、
亡くなった役の女優も、20代半ば〜30歳。
誰が見ても、父親であろうはずがなく、(実際、兄妹だと、台詞でも分かります)
それが分からなかったのは、おそらく世界で、野郎ただ一人でしょう。

そして、兄か父かの区別なんて、そんな瑣末なことで、
作品が問うていることが、〈分かりやすくなる〉 はずもありません。
野郎は、いったい、映画の何を観ていたのでしょう?
ただ、相変わらず、ビデオとフィルムの違いがなんだ、フリッカーがどうしたと、
バカの一つ覚えのような、恥ずかしい屁理屈しか言えない。

しかも、そいつは、今回のコンペの、審査に関わったわけではありません。
ただ、映画祭に参加したゲストに過ぎない。
それなのに、受賞作家を立たせて、ナンクセを言うということは、
審査や、賞に、もっと言えば、CO2という映画祭に、
ケチをつけているに等しいのではないのか。

百歩譲って、たかが自主映画の、たかが賞とはいえ、
選ばれた者がいれば、選ばれなかった者もいるのです。
そこには、悲喜こもごもがある。
それを思えばこそ、僕らは、一生懸命に作品を観て、企画を読み、選んだわけだし、
賞を決めることにナーヴァスになり、酔っ払ってもしまうのです。

そういう重みの全くない、たわ言。
それが、五分やそこらで済むならまだしも、十分、二十分と終わる気配すらない。
前に立たされた大賞作家は、引っ込むわけにもいかず、困ってしまっているし、
隣にいる無冠の作家は、複雑な表情で、うつむいている。

運が悪いことに、映画祭のディレクターをはじめ、スタッフらは、
会場の後片付けで、まだ到着前でした。
いいかげん、誰か、あいつを黙らせろ!
そう思った時には、僕は、前へ、進み出ていました。
まあ、酒も入ってましたし。

マイクを奪い取り、「もう、いい加減やめましょう」と、睨んだ。
ところが、ああいう輩には、他者の真剣は伝わらないのですね。
さえぎられた話を、なおも続けようとする。
それで、僕は、こぶしを振り上げた……に到らなかったのは、なぜか。

野郎の背後にいる、酔っ払った某監督が目に入ったからです。
その目は、意外と、クールなものでした。
こいつは泥酔しているようで、案外、何もかも見えているのかもしれないな。
そう思ったら、一気に冷めた。
で、無言のまま、野郎を睨んで、元の席へ下がりました。

その後、某監督から、釈明を求められ、もう一度、前に出て、
精一杯の敬意を野郎に払いながら、ここに書いた通りのことを話した。
席に戻るとき、
某監督とすれ違いざま、一瞬、なぜか、抱擁された。

それで、終わりのはずでした。

終わらなかったのは、あの野郎が、
「もっと話そうよ」と、つきまとってきたからでした。
初めは無視していたのですが、どうにも、しつこく。
おまけに、後から合流した映画祭のディレクターが気を回して、
仲を取り持とうとしてくれたもんだから、再び、一触即発状態になった。

その時のことも、やはり、書いておこうと思う。

言い合いの最中に、発覚したのです。
先日の日記に書いた、帽子の中の万札が、
実は、若いカノジョに入れさせた、サクラの金だったと。
そのことを、野郎自ら、当然のように、さらっと言ってのけるので、
あさましい、と言ってやった。
すると、「貧乏なんだから、仕方ないだろ!」と、逆ギレされたのです。
おい、だったら、ヒモやってないで、働けよと。
親の年金、亡くなるまでせびって、何やってんだ、お前。
そう言ったら、野郎は、掴みかかってきました。
さすがに、もう、応戦しようかとしたとき、
止めに入ったディレクターが、「七里さん、やめときましょう。向こうの方が、ガタイがいいですよ」と言ったのを聞いた、あの野郎の勝ち誇ったような、笑み。
僕は、あんなに醜く、稚拙な感情が、映画を名乗っているかと思ったら、吐き気がした。

僕の大学の先輩で、レジ打ちをしながら、
今も、誠実に、映画や世界に向き合おうとしている人が、います。
そんな人も、かつて、あの野郎の映画を、憧れをもって観ていたかと思うと、
情けなくなりました。

白々と朝を迎えましたが、さらに、もう一軒。
すでに、映画祭スタッフと、大賞作家ら以外は、僕だけしかいなくて。
気が抜けたのか、正体無くなるまで、酔い潰れました。
そしたら、突然、泣き出してしまったのです。
驚きました。
こんなことは、初めてです。
涙が止まらないのです……。

昼前に、ふらふらでホテルへ戻り、チェックアウトして。
喫茶店で、コーヒー飲んで目を覚ますつもりが、仮眠となり。
夕方、阪急電車に揺られて、約束していた、京都の友人宅へ向かいました。
車中、ぼんやり、なんで泣いたんだろうと思いながら。

夜。
友人が、一日煮込んで作ってくれた、鳥スープをいただきながら、
ぼそりぼそりと、昨夜の出来事を話しました。
すると、彼は一言、
「そいつは、粗大ゴミだな」と言った。

ああ、そうか。
俺は、ゴミなんかに目くじらを立てた、
自分の愚かさに、泣いたのかな。
と、そのときは思いました。
しかし、それだけでもないような、気がして……。

ひと月ほど前、父親が亡くなったようでして。
まあ、事情は省きます。
僕は、父の顔も覚えていないし、所在も知らないんですが、
風の便りで、亡くなったらしいと、
二週間くらい経ってから、伝え聞きまして。
そんなことも、泣いた遠因にあったのかなあ、と。

でも今も、あの涙の理由が、分からないのであります。
2009-3-5
もう、数日前のことですが。
大阪滞在中に行こうと、楽しみにしていたのが、
国際美術館での、新国誠一展でした。
新国誠一は、具体詩の詩人。
具体詩ってなんや? 
絵と詩の接点。
声で聞く詩と言うけれど……。
と、いそいそ、中之島へ出かけたわけであります。

私、〈ニイクニ〉を〈シンコク〉と読み間違えてたくらい、無知だったのですが、
実は、『眠り姫』の職員室のシーン、青地と野口の会話のバックで、
「第一課/LESSON ONE」という音声詩の、マネのようなことをしてまして。
実際、その詩の本物が、リフレインされるのを会場で聞き、戦慄を覚えたり。

また、その日は館内で、足立智美氏のイベントもあり。
身振りにセンサーが反応し、声を変調するという変てこ楽器、「赤外線シャツ」。
初めて見た、噂のパフォーマンスに、大興奮!
おまけに出口では、合流した京都の友人と、藤井貞和氏を見かけたり。
藤井詩の「ついばめ、つばめ、とべ、とんび」を、脳内復唱しながら、
否が応でも高揚し、さあ次は!!と、
梅田の本拠地へ、映画祭のプログラムの、ある上映を観に戻ったのです。

ところが。

それは、8ミリ映写機を並べて3面マルチ上映をしながら、弾き語りを実演する、というものだったのですが、
(まあ、これで誰の映画か分かる方も、いるかと思いますが)
はっきり言って、醜悪の極みでした。

ベルグソンがどうした、ドゥルーズの「シネマ」がなんだという、
前口上からすでに、トンデモ的な臭いを、プンプン漂わせていましたが、
思い込みの強さと、羞恥心の無さで、60年近く生きてきたような、あの手の人々は、所詮そんなもの。
この際、見世物としての面白さを味わおう、と寛大でいられたのも、三部構成の二部までが限界。
第三部に到って、彼が、父親の葬式で、喪主を弟に任せきりで撮影した、親の亡骸を大映ししながら、
「〜父さんは、年金生活者になった晩年も〜貧乏な僕を不憫に思って〜少ない年金の中から千円札を、これだけしか上げられなくて、ごめんねと〜僕に小遣いくれた〜優しいお父さん、ありがとう〜そんな父さんのフィルムを、これからも上映していくためのカンパを、みなさんお願いします〜」
……とかなんとか、節を付けて歌う初老の男が、帽子を客席に回して、投げ銭をねだったのには、もう唖然。
あまりにも安い、安すぎる、お涙ちょうだい劇。
そんなものに、現代思想の金字塔を表題する、破廉恥。
そして、無批判無気力で、お金を出す若者たちに、絶句。
回ってきた帽子に、万札まで入っているのを見た時にゃあ、一瞬、
何かの間違いで、新興宗教のイベントに紛れこんでしまったかと、錯覚してしまうほどでした。
一緒に見た京都の友人は、憤りの余り、足早に会場を立ち去り、
別場所で飲んでいた、某映画監督&音楽家らに、この惨状をぶちまけに行った模様。

でも、まあ、しかし。
私は呆れかえりながらも、呑み込みました。
人は、何かを売って、生きていかねばならないのだから、
他人の売り物を、否定はできない。

にしても、死んでなお、遺体をさらし物にされる、彼の父親の無念さ、情けなさを思うと、
親不孝なまま、親を亡くす子は数多いけれど、彼のような大馬鹿者は、まったく言語道断だなと、
否定はしないが、軽蔑するよと、
映画祭の、その日の打ち上げで、上機嫌の御仁を、横目に見ておりました。

が、しかし。
後日、それだけでは済まないことになり、私は思わず行動に出たのでした。

そのことは、もう一日、考えて書くことにします。
2009-2-26
すでに、このHPのTHEATER欄でもお伝えしてますように、
またまたまたまたまたしても、「眠り姫」のアンコール上映が決まりました!
公開始まって、ついに2年目の快挙です。

東京は、渋谷アップリンクで、3月28日から一週間、
そして同じ日から、大阪でも、九条シネヌーヴォXで、こちらはなんと三週間!

ありがとう、大阪!!

てなことで、今日から始まるCO2で、だらっと滞在して参ります。
よろしゅうお願いします♪
2009-2-23
ここ数日、自主製作の映画を、集中的に観ていまして。
長い間、預かったまま、観る機会を逸していたDVDや、
今週後半から、大阪で開催されるCO2という映画祭の、審査のための準備だったのですが。
いやあ、考え込んでしまいました。
ずいぶん前から、分かっていたこととはいえ。

実に、見ごたえのある作品が多い。
それは、すでに劇場公開映画としての体を成している、と言い換えてもいいのですが。

かつては、自主製作映画と言えば、なーんとなく、
商業映画へのアンチテーゼだったり、あるいは、プロ予備軍だったり。
そんな匂いやら、区別があったような気がするのですが。
映画がパソコンで編集されるようになり、DVからHDへと、機材が進化し、普及して、
学生からハリウッドまで、同じフォーマットを使えるようになって、
自主映画が、インディーズから、オルタナティブへと、出世魚のように名を変えてみたりなんかしているうちに、
プロとかアマとか、そういう領域や、下積みやデビューやらの垣根は、もはや無くなってしまっているな、と。

まあ、アカデミー受賞に沸く夜に、こんなこと言うのもなんですが、邦画と呼ばれる映画の現状が、
日本映画の豊饒な歴史から、いつの間にか、ボディ・スナッチャーされて久しいわけですし、
相対的に、スーパー・フラットな地平が、映画の現在であると。
愕然としながらも、映画の未来が、ぼんやり見えてきたわけです。

なんだか、分かったような、わけ分からんことを書き殴りましたが、
猛烈に、刺激を受けておるのであります。
2009-2-14
二、三日前に、ようやく昨年から続いていた連続仕事に、一段落が着き。
いつもの構成仕事で、インドの石窟寺院、アルゼンチンの氷河、イタリアの港町ジェノヴァ、
と、何の脈絡もなく、世界の歴史や自然の不思議の知識をつけながら、
お正月教養特番?のために、藤沢周平と村上龍を読むという、
これまた、ベストセラー作家としか関連づけようもない取材に、頭をこんがらがせながら、
一方で、『TOKYO!』のポン・ジュノ組メインキングビデオの編集・仕上げが、完了しました!
3月末発売のDVDの、豪華てんこ盛り特典映像の一つとして収録されています。
特典映像とはいえ、手抜きできる器用さもない性ゆえ、非常に力入ってます!
音楽も、鈴木治行さんに、わざわざ作ってもらっちゃったし。

てなことで、羽を伸ばしつつあるのですが、最終試写に間に合った、
『THIS IS ENGLAND』って、イギリスのサッチャー政権時代のスキンヘッドもの?が、なかなか見ごたえあり。
旧ソ連のプロパガンダ・短編アニメ特集も、実にシュールでサイケで。
「秘仏開扉」というキャッチ・コピーにキャッチされて、サントリー美術館へ三井寺展も観に行ったのですが、
仏像がガラスケースに入れられ、陳列され、見世物になってるってことに、今さらながら、頭クラクラし。
ああ、エンターテインメントと資本主義ってやつは、と思ったのでありました。
2009-1-18
久しぶりに、浅草へ。
金色の雲?が目印の、アサヒ・アートスクエアで、ライブを聴きに。
足立智美さん主催の、クリスチャン・ウォルフの曲の特集演奏だったのですが、
これが、予想通りの楽しさで、大興奮!

井上郷子ピアノと、神田佳子パーカッションの、居合斬りのような即興合戦に始まって、
池田拓実が奏でる楽器は、石!だし、
総勢20人を超える即興オーケストラなんて、最後は、
チェロは振り回すわ、全身黒タイツが跳ねるわ、風船やら、シャボン玉やら、ラジコンヘリまで飛ぶわ……
なんだかこれ読んでるだけだと、どこが音楽なんだと思うかもしれませんが、
それはもう、ケージの流れをくむ、由緒正しいアメリカ実験音楽なのでして、
脳内刺激されまくりの3時間でした。

で、思うに、
即興演奏は、やはり、「芸」ですな。
クリスチャン・ウォルフの60年代までは、なんでも、非専門的な音楽家――
つまり、アマチュアのための即興実験音楽だったそうですが、
芸達者が揃うに、越したことないな。と、実感。
ああ、楽しかった。

そう言えば、先週の日曜も、渋谷のO-WESTに行ってまして。
その日は、相対性理論が、あまりの人気で入場制限。
最後の岸野雄一ワッツタワーだけしか見れず、やや欲求不満でした。
でも、毎週ライブに行ってるなんて、なんて幸せなんでしょ!
と、新年早々思うのでした。
2009-1-7
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
と、言うところですが、気分は、ようやく年末を迎えたような…。

いつもながらの構成仕事が、越年で、昨日ようやく一段落しまして。
正月も、ずっと原稿と向かい合ったまま、終わってしまいました。
とほほ。

でも、世間では、寝る場所を失ったり、戦火にさらされたりの、大変な人々や地域もあるわけですから、
こうして食い繋げているだけでも、幸せかな、と。

ああ、しかし、しかし。
それだけでは、いかんですよなあ。
今年は奮起するぞ! と。
宣言だけは、高らかにすることにします。

あ、そうそう。
矛盾するようですが、今年の抱負も、決めました。
「これで、いいのだ」 なのだ!

2008-12-17
年の瀬だというのに、というか、だからなのか、先立つものが乏しくて。
この窮状をなんとかせねば、と思っていた矢先に、渡りに舟。
いつもの構成仕事が、次々舞い込み、締め切りに追われる日々です。
ああ、うれしや、悲しや。

でも、こんな時だからこそ、映画を観なければ。
と、時間を見つけ、財布を覗いては、通っていたのが、山下耕作の特集上映。
私的裏テーマは、笠原和夫と野上龍雄が、それぞれ一人で書いた脚本を、
同じ監督の映画で見比べる、ということでして。
かつて新宿昭和館で観て以来の、『総長賭博』!という大傑作ゴールへ向けて、
恥ずかしながら初めて観る、『日本女侠伝』シリーズを中心に、せっせと足しげく。

で、ついにラス前。
この上なく素晴らしい映画に、出会ってしまったのです。
『女渡世人 おたの申します』!!!!!!
くぅー。
観ているうちに、不覚にも、スクリーンと自分との距離感が取れなくなるほど。
こんなに陶酔したのは、久しぶりでした。
藤純子がいい! 文太もいい! 島田正吾も三益愛子も。
暗闇にひっそり身を沈めて、絵物語と向き合う、映画という作法の奥深さに、改めて感じ入りました。

でも、まあ。
相変わらず興味は、絵画にもありまして。
イモ洗い状態を覚悟して、フェルメールも行ってきました。
と言っても一度は、都美術館の前まで来て、あの尋常でない列に恐れをなし、引き返したりもしたのですが、日を改めて意を決して。
で、感想はというと。
ファブリティウスが見れたのは、良かったかな。
それにしても、フェルメールって、写真だとわからないんですが、実物を見ると、なんであんなに時期によって筆遣いが違うんですかね。
「リュートを調弦する女」はグッときましたが、他はなんだか、マユツバに思えてしまいます。

な〜んてことを、こないだ、ある美術家と食事をする機会に、ポロッと言ったら、
「なんで、そんなにたくさん、いろいろ観に行くんですか?」と驚かれてしまいました。
その驚き方があまりに屈託なくて、僕は一瞬たじろいでしまったのですが。

だってそれは、問われること自体、不思議なぐらい当たり前のことで。
可能な限り、見て、聞いて、読んで。
目や耳や脳内を鍛えて、何が本当にいいものなのか、凄い、素晴らしい表現なのかを知ることは、己の至らなさを知ることであり、自らを成長させ、より高く飛ぼうとするために必要な、基本中の基本なのではないか。
だから、そんな質問なのか感想なのかを口にしてしまうことは、恥ずかしいことだ。
と気付かないことが、恥ずかしくなくなくない?

と思ったりもしたのですが、すぐに口に出たのは、
「いやあ〜、ただのオタクなんですよ。 はははっ」。
なんともかとも。
弱いというか、情けないというか。
ま、僕はそんなもんですわ。
2008-11-23
昨日、多摩映画祭での『眠り姫』上映が無事終わり、
これで今年の怒涛のような上映活動も、ようやく仕事納め。
長い間、みなさま本当にありがとうございました。
都内だけでも、『眠り姫』が4回、『ホッテン』が3回も再映されるなんて。
去年のちょうど今頃、公開が始まった時には、予想だにしませんでした。
しかも、アップリンクの『眠り姫』最終は、またしても立ち見だったそうで。
まったくもって、信じられない!
ひょっとしたら、来年さらに、上映機会が持てる可能性もチラリ、です。

昨日のトークは、春に大阪で会って以来の柴田剛くんと、なかなか巧くこなせたかな。
それもこれも、彼のミナギル個性と司会の伊藤さんのクレバーさのおかげでして、いやあ感謝です。
おかげで夜は飲み過ぎちゃって、今日は半日寝て過ごしました。
ふー。

ところで、先日ようやく西洋美術館で、ハンマースホイ展を観ました。
かなりグッときて、二周してしまったのですが、だからこそ副題の「静かなる詩情」に、?
子供のころ、ユトリロが好きだったのですが、あの物悲しさは“詩情”と言えると思うが、
ハンマースホイの深遠さは、なんというか、“詩性”かな。
そんな言葉、無いか。

で、その前々日くらいに、アレックス・コックスの新作も観ました。
年明けに公開する、『サーチャーズ2.0』。
インディペンデント街道まっしぐらの怪作!なのですが、同じく、男たちのさすらいモノでも、『スリー・ビジネスメン』のあっけらかんとしたひょうひょう感ほど、僕には楽しめず、それは映画の評価がどうのというより、製作の苦労が、せつなく垣間見えてしまったからなのでした。
うーん、コックスは苦戦を強いられているなあ。
コックスには、以前、エスクァイア・ムックの研究本で解説を書く際に、インタヴューをしたことがありまして。
この日の試写も、ティーチ・インがあるので、久しぶりに彼の顔を拝みに行ったのですが、
六年前より、深くなった笑いじわが印象に残りました。
あのシワの深さは、詩情だなあ。
2008-11-16
高崎映画祭の茂木正男さんが、ご逝去されました。

訃報をいただいて、絶句。

三月、癌を患った体を押して、深夜まで酒を酌み交わして下さった記憶が、
悲しく、かけがえなく、思い起こされます。
ああ、あれが最後だったなんて。

謹んで哀悼の意を表し、心から御冥福をお祈りいたします。
2008-11-5
トーク・ショーってのは、難しい。

先週は、中野正貴さんや、矢崎監督という巨星を迎えて、
なんとか、話し相手を務めさせていただく、必死のバトルだったわけですが、
今夜は、親しい間柄でもある、音楽の侘美くん。
無意識のうちに、リラックスしまくってたようで、トークもゆるゆる。
僕たちとしては、懐かし話もできて、楽しかったのですが、
終わってからスタッフに、ダメ出しされて、かなりへこみました。

そりゃ、そうですよね。
映画が終わって、監督と作曲家が登場して、さあ何を聞かせてくれるのだと、待ちかまえるお客さんの前で、
出身地の話とかで盛り上がったら、まずいよなあ。
ああ、反省。
今日、来て下さった皆様、すいません。

ということで、次回の予告。
7(金)にお呼びするのは、映画批評家の吉田広明氏。
つい最近、初著作にして渾身の力作「B級ノワール論」(作品社)を出された氏は、
その誠実な、映画へ向き合う姿勢に、僕が敬意を感じている方です。
改めて、襟を正し、臨みます。
乞うご期待!
2008-11-3
またしても、年若い人たちの、才気あふれる舞台を見ました。
今、アゴラで上演中の、岡崎芸術座の「リズム三兄妹」。
快々の発する、勢いにも圧倒されましたが、
「リズム三兄妹」の演出は、なんというか、不敵なほど。
実に、すんばらしく、すっかり引き込まれました。

世の中、動いていますね。
2008-10-27
一昨夜から、またまたまた始まりました、「眠り姫」。
都内では4度目のアンコール上映にもかかわらず、初日からほぼ満席スタート。
いやあ、どうもありがとうございました。
というのも、おそらく目玉の、辛酸なめ子さんトークショーのおかげかな。
僕は、今回初顔合わせだったのですが、噂にはお聞きしていたその、なめ子節さく裂に、たじたじ。
なんとも言えない、あの間とコメントに、にやりにやりの連続でした。

昨夜は、四谷のlatitudeというギャラリーで、「ホッテントット」を。
清水さんの人形展とともに、上映がありまして、これまた、たくさんの方々の前でお話しさせていただき、汗かき緊張の連夜でした。

でも。
昼間は自由な週末でして。
四谷前に、京橋フィルムセンターへ足を延ばして、「新版大岡政談」を観ようとしたのですが、
なんとなんと長蛇の列で、入場打ち止め。
ヒジョーに悔しい思いをしながら、同じく入れずがっかりしていた、知り合いとともに、お茶で濁しました。

でもでも。
一昨日の上映前には、いそいそ東大へ。
スチュワート・ダイベックの講演&朗読会に行きまして。
ああ、この人柄と深い思索から、「シカゴ育ち」や「マゼラン」は生まれたのだなあと、思いっきり感動し。
久しぶりに、柴田元幸先生の揺るぎなく素敵な朗読を堪能して。
震える心で襟元を正し、教室を出たのでありました。
2008-10-22
仮歯を入れたのですが、サイズが合ってなくてシーシー痛みます。
歯を入れたというのは、つまり歯を失ったわけで。
もう一月弱ほど前から往生しております。
でも、歯抜けのみっともない状況を、再映が始まる前に脱っせれたのは、不幸中の幸い。
これで、なんとか、人前に出る恥ずかしさも、若干薄まりました。

というわけで、今週末から「眠り姫」の4度目の再映が始まります。
昨秋、初劇場公開してから、丸一年。
こんなに上映が続けられるなんて、よもや思いもしませんでした。

前回、つまり春の三度目の再映の後には、呆然とする出来事もありました。
この映画を、とても応援してくれた劇場の一つ、下北沢アートンが閉館に追いやられてしまったのですから。
切ない、経験でした。
第一報を聞いた時、僕はちょうど京都の上映に立ち会っていて、
帰京してすぐに劇場に向かったのですが、もう時すでに遅く、
馴染みのスタッフの方々が、後片付けをされているところで。
彼女たちの、か細い声と、うるうるした目に、思わずもらい泣きしそうになったのを思い出します。

そんなこともあり、映画も上映館を失い、尻切れトンボで終わりそうなところを、今回の再映にこぎ着けたわけですから。
尽力してくれたスタッフと、引き受けてくれたアップリンク、そして応援して下さった、たくさんの方々に、改めて感謝いたします。
なんとまあ、ありがたいことです。

なんてことを書きながらも、歯が痛く。
紛らわそうと、ついつい飲み過ぎてしまう、今日この頃です。
2008-10-4
新宿サタデー・ナイト。

コマ劇を、閉館前に、一度は観ておきたいと思っていたのですが、
気がつけば、北島サブちゃん座長公演は終わってしまっていまして。
あ〜あと落胆してたら、なんと、渚ようこさんのステージがあると聞きつけ。
行ってきました、「新宿ゲバゲバリサイタル」。

コマって、凄いホールですね!
当日券で滑り込んだ、最後方の安い席だったのですが、全くストレス無く、むしろ壮観。
あんなに広くて観やすい、すり鉢型の劇場って、日本に他にあるのかなあ。
演歌・歌謡曲の殿堂は、さすが、庶民の味方ですね。
取り壊すのが、実にもったいなく思いました。 昭和の隠れた名建築?
さて、ステージの方はというと。
いやはや新宿の怨念と言いましょうか、かわなかのぶひろの映像で始まった後半、
若松孝ニや山谷初男が登場した辺りから異様なオーラを放ち始めまして、
圧巻は、三上寛。
たった一人の弾き語りが、あんなに大きく見えるなんて!
俄然、ボルテージが上がり始めたのですが、実は、最後までいず、
ようこさんが、阿久悠の遺作「どうせ天国へ行ったって」を歌い終わったところで、フェード・アウト。
横山剣を観れずに、コマを後にしたのでした。

というのも、そうなんです。
向かったのはピットイン。
今夜は、坂田明とジム・オルークの超絶ユニット、「恐山」のライブ!
うー、神をも恐れぬダブル・ブッキング?
いやあ、でも、素晴らしかった。
脳髄まで痺れた二時間。
ガガガガ、ググググ、言葉になりません!
この感動を胸に、
夕方五時から六時間に及ぶ、ライブのハシゴにぐったり疲れて、
土曜の新宿駅、構内の雑踏を分け進みました。

ここは静かな最前線。
2008-9-28
中国からインドへ。

アヴァンギャルド・チャイナ展ってのを観に行きまして。
張暁剛(ジャン・シャオガン)の絵は、実物はいっそう異様だなと思い。
死体派の作品は、本物の死体を使ったのは、当然展示されていず。
最近の若手のメディア・アートには、正直なんだかなあと呆れ。
でも、まあ、こんなもんだろうと納得しながら、千代田線に乗りました。

で、明治神宮前で乗り換えようとしたら、階段の壁にポスターが。
「ナマステ・インディア2008」?
ふらふらぁーっと代々木公園まで歩いていったら、そこはカオス!
ずらずらぁーっと屋台が並び、本場のカレー!!
ヨーグルトソースのかかったインドの炒飯・ビリヤニに舌を打ちまして。
うめぇ〜
と、野外ステージの方でなにやら、インドの民族楽器が鳴り始まりまして、
それがなんと、無形遺産のバウル音楽。
偶然、ショッタノンド・ダスの唄と演奏を聴いてしまったのでした。

帰宅してテレビをつけたら、F1がシンガポールの市街地を走ってまして。
ああ、アジア紀行(仮想)な日曜日でした。
2008-9-15
『野蛮な遊戯』。
ジャン・クロード・ブリソー監督の長編一作目を観ました。
非の打ち所のない、とはまさにこの映画に対する形容でしょう。
素晴らしいいいいい!

『白い婚礼』。
バネッサ・パラディの可憐さに涙した、その一本で、
僕にとっては決して忘れてはならない映画作家になったブリソー。
ああ、またしても、やられてしまいました。

少女が父の幻に向かって、虚空へ手を伸ばす、あのショット。
その崇高さを語ろうとしても、言葉を重ねるほどに空しさが増すことでしょう。
だから私は黙ります。
でも、もう一言。
素晴らしい!!
2008-9-14
なんとなく気になって、横浜トリエンナーレに、早々に行って参りました。
が、行ってみると、期待していたほどでもなく、
メインの3会場を一日で回ってしまい、閉館ごろに赤レンガ倉庫を後にし、
なんだかなあと、ビール片手に暮れなずむ新港橋をそぞろ歩き。
ふらふらと日本大通りに入っていったら、正面の、ぼやあっと明るい夜空の下が気になって。
そうです。横浜スタジアムがあるのです。
行ってみると、なんと中日戦じゃあ、あ〜りませんか。
いつのまにか、外野席へ吸い込まれてしまいました。

実は、今月に入って二度目の野球観戦。
前回、数年ぶりに神宮球場へ行って、大満足!
今日も、私、初・浜スタでして、外野スタンドの急傾斜と狭さに大興奮!!
入り口脇の喫煙スペースのオヤジ度といい、その随所に残る昭和の香りに酔いしれました。
森野も打ったし、中日勝ったしね。
なんだか球場通いが、やみつきになってしまいそうです。
2008-9-8
プールに行きました。
今年、初泳ぎです。
心地よい筋肉の疲れ。からだの火照り。
ああ、夏だなあ。って、もう九月ですが。

今年の夏は、とにかく構成仕事で、引きこもってまして。
ずーっと室内で、資料、メモ帳、PCとにらめっこ。
おかげで、すっかり持病が悪化したようで、
身体はだるいは、のどは渇くは、体調最悪。
こうして俺は、何事も成さず、衰弱して死んでいくのだなあと、くらーい気分に落ち込んでいました。

が、
単純ですね。
ひと泳ぎしたら、もう気分は最高!
夏の子供のように半袖半ズボンで、らんらん帰り道を歩きました。

夏の子供と言えば、小学生。
小学生と言えば、ポンツーン九月号。
ってかなり強引な展開ですが、幻冬舎の小冊子に短文を書きました。
“忘れられない贈り物”というリレー・エッセイなのですが、
小学生のときにもらった、野球の切り抜き帳の思い出について。
なぜ、筋金入りの巨人ファンだった私が、中日ファンへと変身したかのミステリーに迫る1000字!
なんのこっちゃ。
でも、とても楽しく書けた文章なので、どこかで見かけたら、ぜひ。
2008-8-31
ああ、仕事、仕事。
と、世界遺産。
スペシャル前後編二本で終わりかと思いきや、さらにもう一本書くことになりまして。
せっせと、スペインの歴史について勉強してるうち、気づけば、8月もすでに末日。
ああ今年の夏は来なかった、と肩を落としていたら、追い討ちをかけるように、ショックなことがありました。

駅前のデニーズが閉店してしまったのです!!

いや、これは、僕にとっては大事件でして。
国道沿いのジョナサンや、
かつて庵野氏がエヴァのコンテに筆を入れてるのをよく見かけたロイホに続いて、
ついにうちの近所から、落ち着いて夜中を過ごせるファミレスが、一軒も無くなってしまったわけなのです。
なんということだ!

この町に住んで20年。
おそらく、一番長く、深夜から夜明けにかけてを過ごしてきた、僕の大事なマイホーム=ファミレス。
だらだらと漫画を読んだり、ぼんやりと物思いに耽ったり、隣の席の男女の痴話喧嘩に耳をそばだてたり。
窓ガラスの向こうの空の色が、闇からだんだん、色づき始め、白っちゃけた朝を迎える虚脱感。
まさに、僕に、『眠り姫』の感覚を植え付けた、かけがえのない聖域が、すべて無くなってしまったなんて‥‥

『のんき』も『眠り姫』も、そのほか何もかも、
あの、とぼとぼとファミレスに向かう、そぞろ歩きが生み出したものなのです。

感慨深い。
そして困ったよー。
これから、どこで夜中、仕事すりゃあいいんかい?

てなことで、来週7日放映の世界遺産。
ローマの水道橋と、白雪姫のお城がある街セゴビアの回は、
かけがえのない私遺産・ファミレスで書いた最後のお話です。
全く出来とは関係ありませんが。

2008-8-13
いやあ、もう、ヒーヒーです。
何がって、世界遺産。
今週日曜17に放映される回を、まだ書いているのですから。
ああ、困った。
スペシャルだっつーのに、なんでこんなギリギリの進行なのだろう!
(ん?自業自得?)
おまけに、24の回なんて、まだ、な〜んにも手を付けれていないのですから。
うー、眠れない日々。

と言うわけで、今週来週2回に亘って放映される、「五大陸スペシャル」ってのを書いてます。
(このネーミングに卒倒!!)
一回目は、世界中の自然遺産を空撮で巡りながら、
はるか太古の超大陸パンゲアが分裂し、現在の大陸ができて、
人類が誕生するまでの、2億5千万年間(ひー!)を、
一気にたどる30分間。え!!!
で、まだ書いてない、来週の2回目は人類誕生から現在までを、
文化遺産を辿りながら、これまた30分で。(そんなアホなー)
おっかなびっくり、ぜひ御覧あれ。
ああ、それにしても文化‥書き終わるんだろか?

文化、と言えば、ユリイカ。
今出ている8月号のフェルメール特集に、寄稿しました。
「オランダの光」という数年前に公開された映画について。
これは、もう好き勝手に書かしていただき、恐縮至極です。

という、日々追い詰められてる今日この頃なのですが、
世間では、盆休みなんですね。
昨夜は、ちょっと息抜きで、馴染みの店に入ったら、超満員。
いつも平日は、けっこうすいてるのに‥。
飲んでるのかよ、おい!と、突っ込まれそうですが、
アメリカに帰る友人と、お別れの飲みだったのです。
彼は、とても僕には大切な友達で、若いのにその洞察力には、いつも敬服させられます。
きっとまた、来年には会えるだろうに、
別れの握手をした時、ちょっと、しんみりしてしまいました。
まあ、酔ってましたが。
2008-8-3
今夜は、ライブに行きました。
去年、ニューオリンズへ移り住んだミュージシャンの旧友が、今、来日(?)してまして。
昔やってたブルース・ブラザース風バンドで、久々のライブがあったのです。
彼は本職は、優れたクラリネット吹きなのですが、
このバンドでぶちかますサックスも、かなりかなり、カッコよくて。
めくるめくソウルの名曲オンパレードは、もう、ダイナマイト!

最高に、ココロ躍る、ひととき。
この楽しい気持ちを、追悼に捧げます。

赤塚不二夫さん、僕がシュールを知ったのは、天才バカボンでした。
ご冥福を心からお祈りします。
シェー、なのだ!
2008-7-24
暑い。っす。
こう暑いと、日記の更新もままなりません。
というわけで、書かないまま、ひと月近く経ってしまいました。いやはや。
その間にも、フィルムセンターでの上映があったりなんだりで、少しは世間との繋がりを持ってはいましたが、
なんというか、次第に引きこもりモードへと、突入しつつあります。
暑いしね。

でも、引きこもると言っても、僕の場合、店で喫茶しながら、ぼやーっとしとるわけですが、
これがまた困ったことに、冷房に非常に弱い体質なのです。
しかし、なんでまた、あんなに冷やすんですかね。
とくに、ファミレス&ファーストフード&安カフェ。
温暖化対策じゃないんすか。エコエコ。

おかげで夏でも長袖来て、街に出なきゃならんわけです。
うー、暑。

とまあ、なんてことない日々を綴ってみました。
2008-6-26
なんだか、引き戻されちゃいました。
あ、世界遺産です。
4月からの改編で、時間帯も体制も変わって、なんか僕には性に合わない番組になっちゃったなあと思っていたのですが。
だいたい、「THE」ってなんだよ!
が、まあ縁は切れないもので。
そして、もうずいぶん経済活動から遠ざかってまして。
火の車の家計を、生活を立て直すためにも。ぐだぐだ言ってる場合でもなく。

てなことで、今週末と来週との2回分を書きました。
29日は、クロアチアの世にも珍しく美しい湖、プリトヴィツェ。
で7月6日は、マヤ遺跡で、スターウォーズのロケ地にもなった、失われた都市ティカル。
あ、どうやら今度のインディジョーンズもマヤ遺跡関連みたい。ルーカスが、好きなんですかねえ。
だからと言うわけでは全くないのですが、どちらかと言うと、マヤ・ティカルの方が気合入った内容になっております。
森の中の都市文明は、なぜ亡んでしまったのか?
ちびまる子もいいけど、「THE」世界遺産もね。ってか。
2008-6-19
もう先週のことですが、アデューの公演「125日間彷徨」を観ました。
台詞の、はしばしに人生の機微を感じ、とても良かった。
主宰の笠木泉さんは、実は大学時代の遠い後輩なのですが、
この10年以上は、あちこちで互いの共通の知人が増えるばかりで、一向に直接会うに至らず。
今回ようやく、めぐり会えまして。芝居にも感心したし、ベストな再会だったなあと。
おまけに、打ち上げまでの時間に、松倉如子と高橋君と新宿彷徨までして、楽しい晩でした。

まあ、そんなこととは無関係に、先週終わりから体調を崩してまして。
それでも映画通いは、やめられず。
フィルムセンターで、衣笠貞之介と長谷川一夫です。
衣貞ではないのですが、前から気になっていた『振袖狂女』が素晴らしい!
あと二回ぐらいやるはずなので、御都合つく方は、ぜひ。

で、フィルムセンターと言えば、拙作もかかっちゃいます。
高校時代の8ミリが。ああ、恥ずかしい。
こないだ京都でも上映されたので、多少は心の準備は出来ておりますが。
でも、映画の殿堂で、あれがかかっちゃうんだからなあ。
21世紀って、ことですかね。
改めて、映画の世紀は終わったのだ、と、しみじみします。
あ、タイトルは、『時を駆ける症状』です。
2008-6-8
帰京しました。
数日、京都に滞在していたのです。

同志社でのイベントを企画してくれた方が、探してくれた宿がたいそう良くて。
素泊まり超格安の、町屋風ゲストハウス。
風呂も鍵もありませんが、どうせ飲んだくれて寝るだけの僕には、これで充分でして。
朝方、抜き足差し足、音立てぬように部屋へ戻るとき、
間仕切りを開けたとたんに、すーっと吹き抜けてゆく風の、心地よさ!
いやあ、最高でした。

イベントで対談した北野先生とは、妄想(脳内)映画が頻出する謎を巡って、刺激的な話をうかがえたし、
広島から拠点を移したマラパルテ宮岡氏の新居では、風味抜群の七味で、うどんをご馳走になったし、
みなみ会館での先行上映は、あいにくの雨にもかかわらず、大勢のお客さんに恵まれて、
造形大のシネフィルたちや、CO2のみなさんや、唐津君とか茶谷君、ヨーロッパ企画のスター達など、連夜の酒盛り。

そんななかでも、とりわけ嬉しかったのは、某寺の住職となった叔父さんが『眠り姫』を観に来てくれて、
30年ぶりの邂逅を果たせたことかな。
まだ十にも満たなかった僕は、その叔父さんが十代の頃に、自転車の後ろに乗っけてもらって海へ行き、
ボートで無人島へと、小さな冒険に出て、親たちの大目玉を食らったのでした。
ああ、懐かしや。
2008-6-2
だらだら引いていた風邪が、ようやく治ってきました。
ああ良かった。
もう十日ほど、熱が上がったり、咳や鼻水に苦しんだり。
まあ、その間も、映画館に通ったり、酒飲んでたわけですから、長引くのもしょうがなく。
それでも身体は回復に向かってくれるわけですから、感謝感謝。
明日から、京都です。

京都・神戸と『眠り姫』の公開が続くのに先立ち、同志社のホールでイベントを開いていただけるのです。
しかも、気鋭の映画研究・批評家の北野圭介さんと、お話しです。
ああ、緊張。どうなることやら。
ネットで公開されている「映像論序説」は、実に知的でスリリングで。
実際、頭のスローな僕がどこまで話についていけるかの危うさが、今回の見所かも。

ところで、先月から続けていた大映映画通いも、ようやく完遂しまして。
最後に観たのは、今井正の『不信のとき』だったのですが、これが意外に面白く。
意外に、と言ってしまったのは、この年になるまであまり観てこなかった監督って、けっこういまして。
今井正なんかもその一人で、『青い山脈』とか『ひめゆりの塔』とか、そして社会主義作家なんだよねーぐらいの知識しかなかったのが、本当にお恥ずかしい。
その面白さを例えると、また不見識なことを言うかもしれませんが、やはりこれまでなんとなくスルーしてしまっていたイタリア・ネオレアリスモの巨匠ピエトロ・ジェルミ。
数年前にその、『アルフレード、アルフレード』を深夜のテレビで偶然観て、いやあ面白いなあと思ったときの感触に、ちょっと似ていたのでありました。
2008-5-26
もう数日前になりますが、牧野貴特集を爆音で観まして。
牧野君は、『ホッテントット』が上映された昨年のイメフォフェスで寺山修司賞を取った、『No is E』があまりに素晴らしくて、声をかけてしまった方です(人見知りにとっては、けっこう勇気が要りました)。
その後も彼からは、上映会のたびにお知らせをいただいていたのですが、なかなか伺えず。
で、ようやく観れた新作旧作群。
なかでも、『Elements of Nothing』は、あまりに素晴らしく、振るえまくり。
コンビを組まれているジム・オルークの音も冴えまくっていて。
ロッテルダムでタイガー・アワードにノミネートされたのもうなずける傑作!でした。
上映後の飲みで同席した生西康典さんが、阿久根さんとお知り合いだったようで。
『ホッテン』撮入前に彼女が参照してくれた、マヤデレンのビデオは彼のものだったのですね。
いやあ、遠いところでお世話になりました。

てなことで、今日は、メイキングで参加した『TOKYO!』を観てきたのですが。
う〜ん、正直に言えば、なんだかなあ〜。
でも、それはその直前に、『古都憂愁 姉いもうと』を観てしまったからかも。
あまりに見事な職人技、深い洞察力。
学生の時分に観たときも、すごい映画だと思ったのですが、でも、今観直すと、もう、ただただ圧倒的で。
本当に良い映画ってのは、年を経て観るたびに、グッとくる凄みを備えているものですね。
このとき、脚本・依田義賢66歳、監督・三隅研次46歳。
う〜ん、つめのアカあれば、いただきたい。
2008-5-22
うつうつと、なってきました。
相変わらずバタバタしてはいるのですが、忙しないことで心的混沌が紛れるわけもなく。

そんな時、しばしやり過ごすには、映画を観たり、観劇するのが最も良く。
本ではダメなんですねえ、これが。
言葉はもっと、うつうつさせるのです。でも、読んじゃうんですが。

というわけで、衣笠貞之介を観ました。『白鷺』と『大阪の女』。
学生の時分、「映画は大映」という標語は僕のためにある!と思うぐらい好きで、大映京都の作品を浴びるように観ていたのですが。
いやあ美しい。美しいのですよ、衣貞は。
物語の前に美しさがある、というか。
あえて言いますが、話はつまらないんですよ。
美しいけどつまらない、のか、つまらないから美しいのか。
あ、いや、美しいからつまらないのかなあ。
とにかく、その完璧な構図、究極のセット美術と人工照明には、観るたびに唸るしかないわけです。
まあ、それを知ったのは、当時(も今も)僕は実は、衣貞の弟子である三隅研次へ傾倒しているからなのですが。
あの凄まじい美意識に、最初に気づいたのは、『かげろう絵図』という作品でして。
大奥の女中達が、廊下の奥から鳴り響いてくる鈴の音に、ささささあーと集結するカットを観た時にゃあ、卒倒しそうになった。
もう、それは、単なるエキストラシーンとは思えず、ああこの人は、人間が芝居をしているのを写してるのではなく、人物というモノの運動の軌跡の究極を、フィルムに定着させようとしてるのではないかと、倒錯した興奮を抱かされたのでありました。
と、書いてみると、なんだろうこれは、と失笑ですね。失敬。
ま、で、10年ぶりぐらいに、衣貞を観て、ああ気持ち良かったと思い、帰宅して検索してみたら、なんと、フィルムセンターで特集やるんですね。
しかも『かげろう絵図』もやるのかあああ。
また、観に行ってしまいそうだ。

吉村公三郎も観ました。『偽れる盛装』。吉公もいいんだよなあー。
京マチ子いいなあ。成瀬の『あにいもうと』。
って書くと、もうどこに足繁く通ってるか分かってしまいますね。
別に宣伝するつもりではありません。

が、宣伝したいぐらいグッときたのは、快快(faifai)の「ジンジャーに乗って」。
とてもグッときたのは、会話の最中に一言一言、死んだように倒れる演出でして。
それが、鈴木志郎康さんの、「生きているということは、今、この瞬間が死んでいくことの連続なんだよね」(だったかなあ)という感想から生まれたという逸話を聞いて、なおグッときました。
詩だなあ。

ああ、うつうつ。
2008-5-6
日記を更新するのを怠ると、どんどん億劫になっていくもので。
書こう書こうと思いながらも、できぬまま三週間ほど過ぎてしまいました。
なぜでしょう?

たぶん、書くべきことが、たくさんあったからだろうな。
四月の後半は、あまりに毎日、トピックスの連続で、
ああ、あれも書いてないし、これもまだだし、
それなのに今日またこんなことがあって、うわぁもうダメだ、おいつかねー!
と、目の前の宿題の山に、すっかりダウナーな、のび太くん状態で、
過ごしていたゴールデン・ウィークもすでに、もうおしまい。
いやあ、どうもすいません。

それでも、これだけは言っておかないと。
おかげさまで『眠り姫』、東京での三度目のアンコール上映は、大盛況のうちに楽日を迎えられました。
なんとなんと、秋になりますが、4度目の再映が決定しました!
いやあ、すごい。
みなさま、本当にありがとうございました。

そして、6月には京都と神戸。
関西シリーズ第二弾も行われます。
引き続き、宜しくお願いいたします。

2008-4-15
大阪へ二日ほど行って参りました。
『ホッテントット』を上映してくれてる劇場が、イベントを組んで下さって。
で、早く着いたので通天閣、新世界へと足を伸ばしたのですが。
あれれ。
なんかきれいになっちゃいましたね。
まあ、僕が知ってるのは、震災前の風景ですが。
10年も経ちゃ、そりゃね。
でも、10年経ってもあまり変わらぬジャンジャン横丁で、ちょうど帰省していた『マリッジリング』助監督・茶谷くんを呼び出し、昼前から祝杯を。

何の祝いか分からぬが、ほろ酔い気分で劇場へ。
まずは僕のセレクトで、縁深い藤田敏八監督作品をかけてもらいました。
『八月はエロスの匂い』と、『ホッテントット』のカップリングですよ!
むささび童子と、阿久根裕子の競演!!
もう、眩暈がしそうでしょ。
でも目を回すには、まだ早い。
『おそい人』の柴田剛氏も駆けつけてくれて。
なんと、阿久根さんが十代の頃の遊び仲間が、柴田氏だったとか。
遊び?飲み?そりゃ君達、法に触れてるよ。
って、まあ『おそい人』の監督に言っても、しょうがないっすね。
翌日対談する唐津くんも合流して、朝まで飲み明かしました。

朝まで飲んでたのに、朝から天満神宮までの長い長い商店街を、たらたら歩いていたら、
助監督時代の上司から電話あり。なんと、伊勢参りに来てるとか。
あちらこちらで、いい歳こいて、男達の旅路です。
しかし、この日の対談は、もしかしたらベスト・トーク。
それは、『赤い束縛』唐津正樹が、理系出身だからか?

なんか、よく分からない文章になってきましたが、とにかくとても楽しかったです。
でも、今夜はいよいよ、黒沢清さんとの登壇。
ああ、緊張。
2008-4-11
あちらこちらで自作を上映してもらっていて、つくづく思うこと。
それは、この映画を観てみようと思ってくれた人がいるんだなあ、
そして実際に観てくれた人がいるんだなあ、という感慨です。

まあ、何を今更、当たり前のことではあります。
僕自身、「お、これ観よう」と何の気なしに思い、
あるいは、「ああ早く観たい」と待ち焦がれ、
はたまた、「これは観ておかないとな」と義務感のように、
様々な映画のために劇場へ足を運んだ末に、
打ちのめされるような感動から、打ちのめしたくなるような怒りまで、
様々な思いを胸に劇場を去るわけですが。

でも、そういう情動が、見知らぬ誰か(知人の場合もありますが)に起きるという、かけがえの無さ。
それを思うと、途方に暮れてしまいます。
ああ、怖ろしいことだ。

明日から、広島と、下北沢でまた、『眠り姫』が上映されます。
大阪では『ホッテントット』が公開中で、週末のイベントでは『のんき』などもかけてくれます。
そして、どこかで誰かが何かを思うのです。
恐縮です。
2008-4-7
なんだか体調すぐれず、今日は、うとうと。
まあ、この一週間はかなりの強行軍だったわけですからね。
札幌では粉雪舞ってたし、広島では超緊張だったし。

ペドロ・コスタは、ホントにいい言葉を連ねる人でした。
それは広島での通訳の村上さんの力量も大きいのですが、実に素晴らしい時間を送れたのです。
本物の作家の言葉を、隣に座り、聞き出せたこと。
また一人、偉大な人物に出会ってしまったんだなあ。

そんな夢のような体験を、布団の中でつらつら思い出し。
ああ、でも今日、リベット観に行きたかったなあ‥
2008-4-5
ついに観ました! 「OUT1」
ああ、12時間半の伝説を、ついに。
昨夜東京に戻ったのですが、今日は朝から日仏会館へ。
駅で、中央線の遅延を知ったときは、ヤバイと焦りましたが、なんとか定員に滑り込み。
とにかく、これだけは観ておかないと。
その映画の存在を知ってから約20年、実際これを観れる日が現実にやって来るとは、うーん、思わなんだ。

と、
とっても嬉しいのですが、観れてしまうと伝説も呆気ないもので。
リベットはやはり、リベットでした。
ひたすら可愛いジュリエット・ベルトと、荒唐無稽にヘンテコな前衛劇団が、
失恋の世界一似合うジャン・ピエール・レオーと、気高く素敵なビル・オジェが、
めくるめく戯れを、あてどなく続ける12時間半。
楽しくてしょうがなかったのですが、お話は理解できず。
僕、フランス語、分からないので。
そうなんです、字幕が付いてないのです。

誰か、ストーリー詳説書いてくれないかなあ。
2008-3-23
昨日からシネマテーク高崎で、『眠り姫』が始まりまして。
初日の挨拶に行ってきたのですが、いやあ、高崎の人々は最高ですね。

『のんきな姉さん』が4年前、高崎映画祭に招かれた時も感じたことですが、
スタッフの方々はもちろん、観客の目が肥えている。
上映後の感想や質問が、実に深くて、聞き応えのある話をして下さるのです。
全国初だったという市民映画祭を、今年で22年も続けている歴史の厚みが、
観る人々の映画への愛情と見識を育んだんだろうな。

『眠り姫』のような、ささやかな作品にも、この上ない歓待をしていただいて。
高崎の映画の顔である茂木さんは、病後の身で酒席に深夜まで付き合って下さったのですが、それは、
なんでも、4年前の『のんき』のとき、あまりじっくり話せなかったから、今夜は飲み直しなんだと仰るのです。
そんな嬉しいことってありますか!
感激のあまり、ぐいぐい酒も進み、なんだかとっても幸せに酔いました。

そして、特別にお礼を言いたい方が、支配人の志尾さん。
『のんき』のときも今回も、あなたの熱意のおかげで、こんな素晴らしい機会を持てました。
本当にありがとう!
お土産の甘納豆、甘くて美味しいでーす。
2008-3-20
お金が無いときに限って、衝動買いをしてしまい、後から困るものですよね。
最近は、経済活動にトンと背を向けっぱなしで、文無し街道をひた走ってるのですが、
CDを買ってしまいました。

ブロッサム・ディアリーの「シングス・ルーティン・ソングス」。
これが、幻の名盤と呼ばれていたのは、もともと売り物ではなく、ルートビアの景品だったからだそうで。
でも、そんなウンチクはさておき、欲しかったのです。
それもこれも、悪いのはリベットだ!
『Mの物語』のエンディングテーマ「Our day will come」が、これに入ってるから。
昨夜のユーロからの帰り道、猛烈に聴き返したくなっちゃて。
今日、アテネへペドロ・コスタを観に行く途中、お店へフラフラ吸い込まれてしまいました。

おかげで本日は牛丼並み盛一杯なり。
スイカも残額足りず、危うく帰れなくなるところでした。
トホホ。
それにつけても、コスタは凄い。
まあ、あんな凄いもの見せつけられた後には、財布の中身なんて気にしてる余裕ありませんよ。

いやはや、映画の素晴らしさとは、罪深いものです。
2008-3-18
『ホッテントット』のアンコール上映も無事、終わりまして。
おかげさまで、楽日は満席になるほどの大盛況でした。
観に来て下さった皆さん、そしてスタッフの方々に、改めて御礼申し上げます。
どうもありがとうございました!

てなことで、その翌日から僕は、すっかり幸せモード。
と言うのも今週は、ジャック・リベットの大特集上映に通っているからです。
リベット映画の素晴らしいところは、とにかく長いこと!
いやいや、長けりゃ良いってもんじゃありませんが、とにかく、
いつまでも終わってくれるな!という至福の映画が、本当に3時間、4時間と続いてくれるのですから。
初日も、今まで短縮版ばかり上映されてきた『狂気の愛』がフルサイズ、なんと字幕付きで観れちゃったり。
でも、あれですね。
リベットの凄いところは、字幕が付いても、字幕無しで観ていたときと、あんまり面白さが変わらないところですね。
こりゃ、ついに初公開する幻の『アウトワン』12時間上映・字幕無しも、あんまり苦にならないかも。

そんなこんなで今週は幸せ一杯なのですが、
来週は、緊張のペドロ・コスタ週間が到来。
25(火)にはアテネで、初顔合わせの柳下毅一郎さんと、コスタについてお話し、
月末には広島へ飛び、ついに、コスタ本人とお会いしてしまうのです!
ああ、緊張。
2008-3-9
昨夜のオールナイト。
トークを入れて、7時間にも及ぶ長丁場にも拘らず、
なんと、補助席が出るほどの大盛況でした。
いやあ、ご来場のみなさま、本当にありがとうございました。
興行の成功もさることながら、今すごく充実した気持ちでいれるのは、
実に、レアでコアな上映会ができたなあと思うから。

そもそも、この企画の始まりは、
ずっと見逃していた『花を摘む少女 虫を殺す少女』をぜひ観たい、
そして、矢崎仁司という稀有なる映画作家に敬意を表さねばという、
まあいつもながら、きわめて私的な希望でして。

『花虫少女』の劇場公開時が、製作の佳境だった拙作『のんきな姉さん』を、まずは前座に捧げて、
その『のんき』が生まれるために無くてはならない映画の一つが、『三月のライオン』だったこと、
17歳で観た『風たちの午後』の衝撃は、僕の無意識にすり込まれてしまっていることを告白してしまえば、
あとはもう、好き好き光線発しまくる女子高生(by花摘会)のように、
矢崎さんの隣で話を聞いてただけだったわけです。
ああ、申し訳ない。

それにしても、『花虫』は、もの凄い映画ですね。
映画の中の人が、生きているように見える映画は、時折ありますが、
映画の中の人が、本当に生きている映画は、めったにありません。
4時間、まばたきも出来ぬほど。
スクリーンに吸い込まれそうでした。

そして、なんでしょう!あの残酷さは。
最後の一時間、僕は戦慄が走り続け、もうやめてくれと心の中で叫びました。

「二人の愛を、見世物にしてしまった」と、『風たちの午後』に後悔した末、矢崎監督が目指したこと。
その達成が、この映画だったのではないでしょうか。

とにかく、どうにも静められぬ高揚した気分で劇場を出ると、
やはり、このままでは帰れないよーという人々が、20人くらいたむろしていて、そのまま居酒屋へ。
矢崎さんを囲んで、9時近くまで飲んでいました。

でも、今さっき震えた映画の、監督を目の前に酒を飲むのも、酷ですよね。
できれば、一日引きこもって反芻したい気持ちが、むき出しになっちゃうわけですから。
「ひどい、ひどいよ、ひどすぎるよー」と呟き続ける僕に、矢崎さんもまんざら悪い気はしなかったようで。
「七里さん、電話番号を教えて下さい」と言ってくれたことが、ちょっと自慢です。
2008-3-6
体調悪く、起き上がれぬのをいいことに、午前中は『三月のライオン』を観てました。
久々なので、忘れていたこと多く。
こんなに何度も、鏡が割れていたんだっけ‥。
黄色い光線は、布団に包まり、ぬくぬく見るのにぴったしでして。

最近、久々に、映画をよく観てます。
昨日までは、本田さんの新作『船、山にのぼる』のパンフ原稿を書くために、彼の旧作を観直していました。
夜はアートンで、イベントに来てくれた東海林くんの短編『23:60』を再見。やはり、いい。
で、今日は夕方から京橋へ。
『コミュニストはSEXがお上手?』という、ドキュメンタリー。
社会主義時代の東ドイツは、いかに性生活にリベラルだったか。
目からウロコ。で、納得の一時間でした。

自宅に戻る前にカレー屋に寄って、新聞を読んでいたら、後輩の奥さんにばったり。
彼女は、某市民映画祭のスタッフでもあるので、さすが情報も早く。
「ペドロ・コスタのイベントに出るんですよね?」と。
うーん、そうなんですよ、気が重いです。僕なんかが、何話せばいいんすかねえ‥。
でも、目下の大事は、明後日のオールナイト。矢崎監督との対談があるのです。
そう話すと、もちろん彼女は、そのことも知っていて。
「子供がいるから、行きたいけどなかなかねえ」。
と言いながらも、バウスの爆音映画祭に関わるらしく。
勢いで、『爆音・眠り姫』を提案してみました。
が、あれ、投票なんですってね。
勇み足でした。

2008-2-28
いよいよ今週末から、『ホッテントット』のアンコール上映が始まります。
てなことで今日は、イベントやらおまけやらで、かけて下さる作品の、上映チェックに劇場へ行ってきました。

まあ、今回のビッグイベントは何をおいても、
矢崎監督の『花を摘む少女 虫を殺す少女』の、オールナイト上映に違いない。
が、極私的には、13(木)14(金)に、短編『夢で逢えたら』を併映できることが、この上なく嬉しいのです。
これは、“プレ・のんきな姉さん”とでも言うべき、僕の最初の35?フィルム作品なのですが、
実は、長い間、プリントの所在が分からなくなっていまして。
今回の上映のために関係各所を当たり、見つけ出してきたのです。

で、4年ぶり。
チェック試写は、短編なので、通して観たのですが。
感慨深い。

撮ったのは、20世紀の最後の年の、春から梅雨にかけてでした。
この映画のことは、本当に何から話したらいいのか、頭がぐるぐる気絶してしまうほど、いろんなことがありまして‥。
‥ファーストシーンで住宅街の坂を走り抜けるバスからして、昭和三、四十年代の型で一台だけバス研究会が所有していた半スクラップを修理して動くようにしてもらい、茨城から運んで、しかもバス通りとして認可されてない細い道を、特別に運行させたという、なんともはや大変なことをしたのに、そんなことさっぱり分からないぐらいに、あっさり写してまして‥。
‥五月晴れの季節に、全編曇天狙いをした上に、すり鉢上の地形の底に位置する、つまり周囲の地域の音が響き集まる場所にある公園でロケしたために、何十人もに走り回ってもらって音止めをしたのですが、どうしても満足のいく同録ができず、結局その音は使わなかったり‥。

苦労というか、苦難、苦痛について触れ出したらキリが無いのですが。
でもそれよりも、それだからこそ、ここには、僕のすべてがあるんだなあ、と。
主演の、安妙子さんと大友三郎くんには、あの時の僕の、本当にすべてを注ぎ込んだのです。
それは彼らにとって、全くもって、地獄だったはずで。

感謝してます。
なんていう、陳腐な言葉でまとめれません。
このフィルムには、ささやかですが、奇跡のように美しい表情が写っています。
そう自信を持って言い切れることを、二人に捧げようと。

13木、14金に、観に来て下さる方には、お願いがあります。
前座上映なので、遅れないように。
20時半には始まりますので、開映前においで下さい。
くれぐれも、よろしく。
2008-2-21
ハーモニー・コリンの久々の新作、『ミスター・ロンリー』を観ました。
十年近くも、いったい、彼はどうしていたのか。
その混沌を突き抜けての復活!とは、僕にはどうにも思うことが出来ず。
ああ、詩だなあと。
うるうる観たのでありました。

ところで、今週日曜24日放映の世界遺産を書きました。
スペインは、ビルバオという19世紀の鉄の街の川に架けられた、
ビスカヤ橋という、巨大でヘンテコな鉄橋のお話です。

ひょっとしたら、これが最後の担当になるかも。
4月から日曜夕方の放映になり、装いも新たに、番組方針も変えるとのこと。
(なんせ、ちびまる子ちゃんの裏番組になるわけですからね)
時々ではありましたが、約6年間、思えば長いこと関わったなあ。
てなわけで、偶然ヒマでしたら、どうぞ見てやって下さい。
2008-2-16
Macが、死にかけております。
処理できることや、スピードが、ここんとこ開くごとに衰えていき。
パソコンにも老衰ってあるんだなあと。

ポンさんの映画の宣伝がいよいよ始まるようで、
特報やらのために、夏の現場のメイキング映像を提出せよと指令が来まして。
まあ、そんなことでもなければ、めったにパソコンで映像編集なんてしないもので。
久しぶりにと、開いてみたら、浦島太郎のように老人になっていたのです。
ああ、あ。

新しいMacを買う余裕なんてないし、どうしようかな。
もともとパソコン作業には、どうも馴染めなかったし。
こいつの御臨終とともに、こういう仕事からフェード・アウトしましょうかねえ、と。
相変わらず、マイナス指向を邁進する日々なのです。
2008-2-7
喬太郎を聴きたくて、池袋演芸場へ。
人様が働いている真昼間から、寄席へ通える境遇というのは、優雅なのか、荒んでるのか。
ああ、これからどうやって生きていこうかと、日々思い悩む昨今。
柳家喬太郎の噺は、マゾヒスティックに快感です。
まず、枕から噺に入る瞬間の、あの凄み。
つかまれるというより、殺されると言った方がいいぐらい。
あれにコロッとやられちゃうんですよねえ。

今日の噺は、『路地裏の伝説』。
父親の法事で実家に帰って、同級生達と酒を飲み、子供の頃の都市伝説の話題で盛り上がるうち、
父親の日記が見つかり、その伝説の正体が明らかになるという、
可笑しくも切ない展開の物語なのですが、なんちゅうか、グサっと刺さるんですよね。

最初に聴いたのが、『猪怪談』だったからかなあ。
笑いが、怖い。
心の奥底を、えぐり取られるような。
大袈裟かなあ。
でも、凄まじい芸なのですよ。
もう一度、『猪怪談』、聴きたい。
2008-2-2
昨日は、榎本氏のピンク映画の新作の初号試写を見てから、
(力作でした。僕が見た彼の作品の中では一番、好きかも)
久しぶりに会う友人と、馬場の焼き鳥屋で。
ここは、僕の学生時代からですから、20年も値段の変わらぬ、大変感心な店で、まあ酒も進みまして。
いい気分でいるところに、これまたびっくりな電話が。
この日はバウスの最終日だったのですが、なんと、満席立ち見で入れなかったお客さんも出たとか。
いやあ、嬉しい!
来てくれた方一人一人の手を握りに、飛んで行きたい気分になりました。

今日は、夕方から新中野の鍋横地域センターへ。
花咲政之輔氏の、ザヒメジョオン&太陽肛門スパパーンのライブを観に。
地下青少年ホールという会場名に相応しい、怪しい寸劇と圧倒的な音楽性!
花咲氏は、フランク・ザッパの志を継ぐ音楽家だと再確認しました。
それにしても、何故にこの真っ当な人々のHPを、某最大手検索エンジンは抹殺したのでしょう!
2008-1-29
続く、続く、濃厚な日々に翻弄されっぱなし。

先週は、花代さんと行った、灰野敬二with猪俣道夫のライブが、ヤバイくらいに良くて。
「あたし、あんまりヤバイと笑い出しちゃうの」と言う花代さんが、とってもチャーミング。
週末は、方法マシンの安野太郎氏主宰の『音楽映画・横浜』に、合唱団の一員として参加。
合唱といっても、映像に映る事物を、みんなで声に出すだけなのですが、
でもこれ、ぶっ通しの一時間、発声し続けるのでして、
最後には、ほとんど酸欠状態に陥るくらいの体力勝負。
午後と夜と、二回公演終えたら、もうへとへと。
打ち上げでビール、進む進む。
酔った勢いではありましたが、手相を見てもらいました。
あ、合唱団のメンバーは、みな一筋縄ではいかないツワモノぞろいで、占い師もいまして。
それが、もうびっくりなぐらいに当たっている。
性格、適性、健康、運命。
手のしわだけで、そんなに分かっていいのかい!
三宅さん、あんたすごいよ!

そして、昨日は、矢崎仁司さんと会うために、日本映画学校へ。
斉藤久志ゼミに参加したのですが、なんと、『風たちの午後』が上映されたのです!
いったい何年ぶりに観たのでしょう、定かではありませんが、おそらく十四、五年前。
最初に観たのは、さらに遡り、でも、はっきり覚えています。
1985年。
入選した年のPFF、17歳でした。
あの時、『ドレミファ娘』も、ホウ・シャオシェンも、マキノも初めて観たのですが、
僕にとって一番、強烈だった映画、それが、『風たちの午後』だったのです。
改めて観て思うに、これはもう、影響というより、すり込みですな。
お正月映画でも、夏休みロードショーでもない映画として、初めて観たのが、これだったという衝撃が、
僕の運命をこうしてしまったのかもしれません。
南無三。
2008-1-21
ちょうど、二年前の今頃。
『象の目を焼いても焼いても』、という素敵な題の、
のっぴきならない文章を読みました。

僕は当時、エッフェル塔を建てたエッフェルさんについての、
二時間番組の構成台本に、四苦八苦していまして。
というのも、二時間ほぼ、オール・ナレーションという、しゃべりまくりの、もの凄い分量で。
ま、人の一生を語り倒すわけですから、そりゃま、そうなるのは当然なんですけど。
書いても書いても終わらなくて、へとへとになって(後に、これが引き金で身体を壊すのですが)
嫌になって、図書館で全く関係ない本を読み耽ったり、油を売ってたときに、偶然、出会ったのです。

ユリイカの、ニート特集の号でした。
でも、そういう社会的なテーマとは一線を画す、なんだか異様な文章が載っていまして。
それは、嘆きの告白でした。
図書館を象の目にたとえ、どこにも居場所の無い自分が、
本や、物語や、言葉に、必死に立ち向かうも敗走するしかないのだという、
切実な問題を幻想的に書いていて、いたく心を打たれたのでした。
これを書いたのはどんな人なんだろう、と思いつつも、
しかし、そのときはエッフェルさんに追い立てられ、深く調べるに至らず、
そのうち慢性疾患が発覚したりのドタバタで、記憶の奥底に沈んで行ったのでした。

それが再び、その名を見たのは何だったか。
ナボコフの新訳の若島正さんが書評で、日記を誉めていて。
で、ちょうど僕は『マリッジリング』の仕上げやらなんやらの頃で、今度は本屋で立ち読みして。
この語り文体は、いったいどれくらいのスピードで吐き出されてるんだろうかと思ったりして。
次は春。
早稲田文学に、滅茶苦茶なタイトルの小説が掲載されて、またぶっ飛んで。
それが芥川賞にノミネートされて。
じわじわと注目されて‥。
そして今回。

川上未映子さん、受賞おめでとうございます。
古い話で恐縮ですが、年末の慌しい時期にもかかわらず、観に来て下さってありがとうございました。
終了後に、ゆらゆらと近づいてきて、
「私の詩集を差し上げます」、と下さった新刊の御本に、
『象の目を焼いても焼いても』が入っていて嬉しかったです。
2008-1-19
朗報です!
問題が解決しました!

バウスでの上映が明日(20日)より、DLPになります。
先ほど僕も立会い、映写状態の確認をしてきました。
これで、画質も遜色なく、御覧いただけます!!

迅速に対応してくれた、映画館と配給スタッフに感謝します。
しかし残念なことに……今日初日には間に合わなかったわけです。
本日観に来て下さった方々には、誠に、誠にお詫び申し上げます。
願わくば、皆さんの感応力が、それぞれの頭の中に、美しい像を描いていて欲しい。
いやきっと、この映画を観ようと思ってくれた方々は、そういう人たちだ!と信じております。
2008-1-18
帰京して早々に、頭を抱えてます。
祝・東京続々映!と思いきや、初日前夜になって大問題が発覚。

これは全く配給サイドの確認ミスなのですが、
バウスで今、設置されているプロジェクターが、『眠り姫』に適したものではないと分かったのです。

画質が本来の映像に比して、若干、劣ってしまうのです。
なんとかしたいのですが、今のところ、いかんともしがたい状況。
‥‥なんとも申し訳ありません!
2008-1-16
大阪と名古屋の上映に顔出しがてら、帰省してまして。
で、せっかくだから、先行上映の『実録・連合赤軍』を観ました。

う〜む、圧倒的!
映画館を出てからも、その劇が描いた事実の重みに、頭を占拠され続けました。
久し振りに、多くの人が観るべき邦画に出会えたと言えましょう。
そして確実に、2008年の代表作に数えられる映画になるはずです。
若松孝ニ、健在なり!

が、素晴らしい作品だからこそ辛らつな思いも過ぎりました。
これが突出した作品に見えてしまう今の邦画の惨状ってなんなんだ?

ま、自分を棚に上げた発言ですが。
2008-1-8
体調がすぐれないせいか、気分も暗いのですが、
なんと急遽、東京での追加上映が決まりました!
吉祥寺のバウスシアターで、来週末1月19(土)から二週間です。
見逃した方や、また見てもいいなと思ってくださる方、ぜひ足をお運び下さい。

今週末から、大阪と名古屋でも上映が始まります。
舞台挨拶やイベントもあるし、それまでには元気になっていたいなあ。

映写チェックの件で名古屋シネマテークに電話しまして。
支配人の平野さんに、まあ新年でもありますから、「あ、明けましてお‥」と言いかけましたら、
優しい声で、「‥うん、ご苦労さま」と、次の句をさえぎられました。

なぜか、ほっとしました。
2008-1-1
更新せぬまま、年が明けてしまいました。
すいません。

ノロだかなんだか分かりませんが、一昨夜から腹部の激痛に倒れてまして。
30晩の忘年会から戻って以来、熱は上がるはなんやかや。
もだえ苦しんでるうちに、行く年来る年。
いやあ、今年一年の結末がこれかよと大晦日に布団の中でしみじみ。
まあ、明けて正月、PCの前に座れるようになったので、めでたいかなと。

旧年中は、大変お世話になりました。
今年もどうぞ宜しくお願いします。
2007-12-18
熱は下がりませんが、映画を二本も観てきました。
というのも、両方とも、僕にとっては一時も早く観ておかねばならないものでして。

一つ目は、『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』。
ダーガーをはじめて見たのは、1993年の世田谷美術館の「パラレル・ヴィジョン」展。
以来、すべての展覧会に足を運んでいますが、それでも見るたび、新たに思うことはあるわけで。
ああこの刺激を、何か創造にぶつけたいと、じりじりし。
夏に原美の方の御好意で、キヨコ・ラーナーさんとお話したときの興奮までも甦って、焦るわと。

焦燥感に足を乗せて、試写のハシゴ。
ペドロ・コスタの新作、『コロッサル・ユース』です。
パンフにも書きましたが、『ヴァンダの部屋』は、『眠り姫』という大事業を前に、僕に、一人でも映画を撮る勇気と衝動を与えてくれた作品でして。
今回も心して、スクリーンに向き合いました。
で、思いました。
やはり映画は、窓なんだな、と。
2007-12-17
風邪をひきました。
熱がぐんぐん上がってる感じ。
ああ、このダルさに身を預けながら、だらだらするのもオツなものですね。

振り返ってみれば、先週末は、そりゃ熱もあがるわってなことの連続で。
『眠り姫』の続映に加えて、『ホッテントット』までアンコール上映が決まったわけですから!
ってなことで14(金)は、下北で『ホッテン』上映前に、祝大入り挨拶を済ましてから、即行渋谷へ。
『眠り姫』上映後のトークの打ち合わせで、束芋さんと初顔合わせ。
緊張で汗かいちゃうほど、素敵な方でした。
登壇前の打ち合わせで、
「『眠り姫』は、私にとって、今とても大切な映画なんです」
な〜んて言われた日にゃあねえ、あなた。
もうその言葉を頂いただけで思い残すことはありません、
おつかれさま今日はこれにて失礼いたしますおやすみなさい。
ああ、熱も上がるってなもんですよ!
2007-12-13
終電を途中下車して、酒を飲み。
朝刊の配達が始まるのを横目に、井の頭通りを延々一時間。
まだ明けぬ濃紺の空を見上げながら、そぞろ歩いて帰りました。

今夜のトーク・ショーは実に感慨深くて。
ある人には、「親戚の法事かなんかで久しぶりに会ったおじさんたちに、ごちゃごちゃ口うるさく言われてる図みたいでしたね」、と言われましたが。
ま、まさにその通りの状況だったんですが。
でも、あれこれ言われたって嬉しいおじさんもいるわけで。

井川さんは相変わらずの独断&偏見的発言だったし、
鎮西さんは珍しく壇上でよく話してくれたけど、一般的には意味不明なことばかり言ってたんだが。
僕にとっては、この上ない祝福なわけで。

ま、すいません。観に来て下さったみなさん。
僕ばかり楽しんでしまって。
大目に見て下さい。
2007-12-12
作ったものについて語ることの困難に、日々翻弄されています。
『ホッテントット』のトーク・ショーが連日ありまして。
これは“ショー”なんだ、アフター・トークなんだと分かっていてもね。
上滑りしていく自分の言葉に、ジレンマです。

だからなおさら、相手をして下さる皆さんの語りの巧さに舌を巻くわけで。
日曜の佐々木敦さんは、やはり流石!
新雑誌創刊直前の、多忙な時期に駆けつけてくれて。
打ち合わせもなく突入したのに、淀みない、見事な構成でした。
一方、月曜の坂手洋二さんは、異種格闘技ゆえの先の読めぬスリリングな展開。
僕はもう、のど渇き、水、飲む飲む。はあー。
しかし実は、どうやら坂手氏も緊張してたようで。
終わってから、話す話す。3時過ぎまで店ハシゴすることに。

でも圧巻は、花咲政之輔!
マイクを握った瞬間から、もう独壇場! これぞショーでしょう。
あご下にマイクあてる、あの堂に入ったアジるポーズだけでノックアウト!ですよ。
いやあ、楽しかった。大笑い。しびれたなあ。
彼とは初めて会ったのですが、どうやら学生時代が重なってたようで。
彼の“活動”をもしかしたら目撃してたかもしれんなあと。
思いながら、豪快に酒かっ食らって潰れた彼の寝顔を横目に、朝まで飲みました。
2007-12-8
つくづく損な性格だな、と。
素直に喜びゃいいものを、なんだか気が重くて。

お昼は、銀座のシネパトスで、『マリッジリング』のロードショー、
夜は、下北沢アートンで、『ホッテントットエプロン−スケッチ』のレイトショーが始まりまして。
舞台挨拶を一日に、二作品経験するという事態になりました。

『マリッジ』宣伝のアルゴ細谷さんに、
「なんで七里は、うれしそうな顔しないんだよー」と、突っ込まれましたが、だって、ねえ。
今日は、ジョン・レノンの命日だし、パールハーバーだしと、全く関係ない理由のせいにしときましたが。
ホント、何でだろう?
うれしくないわけないんですが、不安が先立っちゃうんですよね。

そういえば、『のんき』の初日のときも、
上映待ちの列が、地下のテアトル新宿から表へ出て、伊勢丹近くまで延びまして。
お祝いに駆けつけてくれた廣木監督が、それを見て、
「一生に一度だから、Vサインの写真でも撮っとけ」と言ってくれたのですが、
もじもじしてるうちに、開場しちゃったし。
要するに、ノリが悪いんですよね。
だから華やかな世界が逃げてっちゃうんだろうな‥。

でも、一日に二作品の主演女優と、久しぶりに会えて。
二人ともそれぞれに、盛り上がっていて。
彼女たちの晴れ舞台に立ち合えて、良かった。

それにトークショーで、人形作家の清水さんとも再会できたし。
実は二つの舞台挨拶の合間に、『ホッテン』打楽器・宿谷氏宅での忘年会にも顔出したり。
あちらこちらで酒を飲み続けて、充実した?一日でした。
朝から終わりまで付き添ってくれた助監督茶谷くん、ありがとう、ご苦労様。

あ、あと一つ。
『ホッテントット』の上映後に、ひょっこり高校時代の友人が現れて、びっくり。
おめえ、変わってねえなあ、と言われ、
おめえこそ、と。
自然に笑みがこぼれたのは、あの時かな。
2007-12-3
帰宅して、ふーと一息。

今日、この日を迎えることは、僕にとってある意味、
自作の公開よりも、緊張して臨んでいたわけで。
だって、あの、柴田先生ですよ!
文章を頂いただけでも、身に余る光栄なのに。
対談までさせてもらっちゃうわけですから。

「入試前の受験生みたいですね」。
登壇直前の舞台袖で、司会の北田さんに微笑まれて。
いや、まったく、その通り。
地に足が着いてないというか。

壇上に並んだ、たった二つのイスの片側に、
自分が座り、隣に柴田元幸がいて。
なんだか、僕に関係あることを話してらっしゃる。
この夢みたいな状況が、最後まで半分信じられなくて……。
いやいや、アガったからなんて理由をつけるのは、潔くないですね。
自分のおつむの回転の鈍さが、もどかしくて。

後から、つらつら思い返すに、
せっかく、知の巨人が気さくに、話を面白く返せるような質問を、あれやこれやしてくれたのに、
ウイットもユーモアもない、愚直な答えをしてばかり。
きれいな軌跡のトス・ボールを、
ただ闇雲に、バット振り回して当てようとしていたというか。

ん〜でも、気の利いたことを言おうとか、
柄にもないことしたって、ろくなことないだろうから、
あれでよかったのかなあ。
でもなあ。

思えば、大学一年生のとき。
とある先輩に、「これは君の参考になるかもしれない」と教えられ、
読んだのが、『鍵のかかった部屋』でした。
以来、約20年。
オースターはもとより、ミルハウザーやダイベック、ゴーリーから『ロックピープル101』まで。
先生の著書の半分も読んでない、生半可なファンですが、
自作を評していただける日が来るなんて、夢にも思わなかったです。

それにしても、なんてカッコいい方なんでしょう。

事前の打ち合わせどおり、映画を観て、最後のクレジットのところで、
さあーっと客席を立たれた先生。
僕も遅れてロビーに出ると、先生は一人、エレベータ横の階段の暗がりで、
こちらに背中を向けて、佇んでいました。
短い間でしたが、じっと沈思するその風情が、
今も、目に焼き付いて離れません。
2007-12-2
「最近よく出歩いてますね」と、侘美くんに言われまして。
この日記を読んでのことだと思うのですが、いえいえ違うのです。
出歩いたり、人と会ったときだけ、日記を書いてるわけで。
つまり、書いてない日は相変わらず、悶々としているのですが。

と言いつつも、確かに、ここのところあちこちに、出没してるなと。
一昨日も、高円寺のコクテイルへ。
あの感動をもう一度と、松倉如子と渡辺勝を聞きに。
で、中川五郎さんも、また良くて。
いい気分で、ゆらゆら、阿佐ヶ谷のバルトへ。
給料日だった友人のおかげで、ワインを一本、空けてしまい。
いつのまにやら終電を逃して、歩いて帰りました。

その酒も抜けきらぬまま、翌日は、野毛山の急な坂を上りまして。
急な坂スタジオでのワークショップ。
方法マシンの安永さんの、「音楽映画・横浜」の練習です。
いやあ、疲れました。
あんなにぶっ続けで文字を書き、唱えさせられたのは小学生以来じゃないかな。
いやいや、小学校であんな授業はありませんね。
で、へとへとなまま、下北アートンへ。
『ホッテントット』の上映チェック。いよいよ、今週末から公開です!
そのあと、同じ下北で偶然開催していた、『狸御殿』のときのスチールウーマンの写真展イベントに顔を出し。
またしても助監督時代の上司と、ばったり。
まあ、飲みに行ってしまいますわな。

そして今日。
三茶トラムでカフカ『審判』を観た後、中野へ。
お世話になった清麿師匠の「寄席・夢月亭」です。
で、度肝を抜かれました。
柳家喬太郎。
噂には聞いてましたが、その芸を見るのは、不覚にも初めてでして。
いやあ、凄い!
今、噺家の中では一番じゃないでしょうか。
と興奮してましたら、清麿師匠も、「あれは旬な芸人だけが、できる芸ですよ」と。
いやあ、いやあ、いいものを見せていただきました。
2007-11-29
エキストラに借り出されて、久しぶりに現場へ。
そこで同じく呼ばれて来た、助監督時代の上司である先輩監督と久しぶりに会いまして。
昼までに用は済んだので、いそいそと。
近くの蕎麦屋へ入って、飲んでしまいました。

監督ってのは、一部のスターを除けば、皆だいたいは、
ニートや引きこもりに近い生活をしてるんだなあと、実感&連帯感。
少しは気が楽になりました。
この、楽になるってのが、ウツ気味には特効薬なんですなあ。
「人生、終わりの方に近くなっちゃいましたねえ」と言えば、
「やっと終わりが見えてきたってことじゃねえか」と応じてくれて。
ああ、この洒脱な人柄が、好きなんだよなあ。
大事な先輩です。

夕方には飲み終えて、銀座へ。
上田風子さんの個展を観に。
偶然、ご本人がいらして、初対面。
絵の感想も巧く言えず、相変わらずの人見知りですいません。

もう一軒、足を伸ばして野口里佳さんの写真展。
そしてもう一件、用事を済ましてからアムリタ食堂へ。
ライブでお世話になった、グンデル奏者の堀川さんらの演奏を聞きに。
インドネシアから来たダンサーが素晴らしかった!
2007-11-24
昨夜はすっかり、舞い上がってしまって。
あんなにはしゃいだのは、いつ以来なんだろう。
山本直樹さんとのトークショーだったのですが、
自然と顔がニヤけてしまって。

後で飲みの席で、花摘会のある女性に、
「好き好き光線出しまくってましたよ」と冷やかされまして。
いやあ、御来場のみなさま、すいません。
ただのファン、丸出しでした。

で、ファンとしては今、『レッド』のことを聞きまくるしかないわけで。
司会をしてくれた宣伝の原田君から、「あの、『眠り姫』についても何か‥」とお咎めが入ってしまうくらい。
これが何のイベントかを、全く忘れておりました。
と言うわけで、壇上では聞き足りなかったことを、みなさんが映画を御覧の間、宴席でじっくりと。
いやあ、重ねてすいません! 僕はあのとき世界一の幸せ者でした。
ああ、『眠り姫』。
頑張って作って良かったと、つくづくかみ締めたのであります。

そんなこんなで、山本先生の乗るタクシーを見送った後も、興奮冷めやらず、
そのままの勢いで、『国道』チームの愚連隊打ち上げに突入!
なんだか知らない間にカラオケまで同行して、
帰りたくなーいと寂しがり発言の富田君に引きづられ、
早朝のセンター街で牛丼。
帰宅したら9時でした。

しかし今日は、市民健康診断の残りがありまして。
どろどろフラフラのまま、心電図にレントゲン。
「異常ありませんよー」と明るく、問診で言われてもねえ。
不摂生と不健康の見本のような生活をリセットしたかったのですが、
午後には、ハープの堀米さんのミニライブありまして。
とっても上品なギャラリーでのアクリル画展へ。
俺、酒臭くないかなあと隅っこの方で身を縮めておりましたら、挨拶する場を作っていただいて。
映画の宣伝をさせてもらえて感謝!とともに、みっともない姿を陳謝です。

でも一日(あ、二日目か)はまだまだ終わらず、
夜はヴィオラの波田生さんが参加する“半獣神の午後”へライブのはしご。
変拍子の嵐のような楽曲群に、眠気も吹っ飛び、ふー。
いざ、ユーロへ。
と、渋谷に向かったら、『ホッテントット』の藤田君からメールが。
急遽、渋谷FMの生放送に出させてもらえることになったと。
ダッシュして、マークシティ奥の公開スタジオへ。
22時オンエア直前に滑り込み、DJで詩人の東さんの見事なナビゲートで一時間を無事に完走。
しかも、放送中に僕はいったんスタジオを抜けて、ユーロへ顔を出し、
偶然見に来てくれていた『ホッテン』衣装の生頼さんを連れ戻るという、まさにライブな番組構成でした。

いやはや。
アドレナリン全開の48時間。
日ごろ、うつうつと過ごしている反動ですかね。
まあ、たまにはソウのときもあるってことで。
2007-11-22
ついに袋とじですよ。フライデイの。
立ち読みで済ますこともできないので、買ってしまいましたが。
あ、『マリッジリング』の記事です。グラビアです。
“保阪尚希、禁断の不倫現場!”ですからね。

いやあ、そういう映画を期待して観に来るお客さんには、申し訳ない。
渡辺淳一原作もの史上、まれにみる、そこはかとない作品に出来上がってますので、請うご期待!
って、期待を裏切ってるのか。
あの宣伝ヴィジュアルに、だまされないでね。

まあ、“人が出てくる『眠り姫』”と思って観に来ていただけると。
オヤジの殿堂・銀座シネパトス(大阪は天六ユウラク座)で12月8日からロードショーです。
女性の方も、ぜひ。
でも、入りにくいかなあ。

2007-11-20
まあ、相変わらず、どんよりしてまして。
毎晩、劇場に顔を出す前に、カンフル剤を打つかのごとく、
あちらこちらに出没しております。

日曜は、松倉如子&渡辺勝さんのライブ。
「新宿に星が降るのだ!」と、タイトルを叫びたくなるくらい良かったです。
勝さんの歌は、人生を搾り出すように、はりつめていて。
まばたきさえも許さないような、凄みがあって。
でも、それに全くひけをとらないのが、松倉如子。
彼女は一声で、持って行ってしまうんだよなあ。
連れて行ってくれるんですよ。
詞の一言一言に、命を吹き込むように歌う、あの様が素晴らしい。

昨日は、広島から来た怪物と飲みまして。
あ、知る人ぞ知る、宮岡氏です。
さしで飲むには、僕は力量不足なわけで、
吉田&桑野氏が傍で見守ってくれたのですが。
彼の『眠り姫』評には、我が意を得たり。
それでいいのだと背中を押されました。

で、今日は本郷の赤門をくぐりました。
シンポジウム「世界解釈としての文学」です。
パネラーは、池澤夏樹、柴田元幸、沼野充義‥。
名を書き連ねるだけで、背筋がしゃんとしますね。
カナダの日本文学者、テッド・グーセンさんがケルアックの『オン・ザ・ロード』の出だしを朗読したのですが、
原文で聞くと、言葉がビート!
音楽のようでした。

ってなことで、カンフル打って、自分を奮い立たせながら、
ユーロへの坂を、毎晩、上っているのであります。
2007-11-17
初日です。
この日を、どう送ろうかと思いまして。
まず、青梅の喫茶店、夏への扉へ向かうことにしました。

電車に揺られて1時間。お昼頃に着いて。
早速、店主ご夫妻に、今日から劇場公開だと報告したら、とっても喜んでくれて。
ちょうど居合わせた、近くに工房を持つ彫刻家の赤川さんも交えて和やかに話が弾んで。
で、そろそろ東京に戻ります、ごちそうさまと店を出て、
発車間際の上り電車に飛び乗って、線路沿いの店を通過した後、気づきました。
あ、カレーと珈琲代、払い忘れた。
すいません!
今度うかがった時、必ず払います!!

引き返せなかったのには、わけがありまして。
知人が主宰する劇団が公演中で、
今日の昼の部を逃すと、不義理をすることになってしまうから。
そんなわけで、新宿へトンボ返り。
なんとか間に合い、観劇。
会場で、『眠り姫』のキャストでもある園部君とばったり。
お茶でもしようかということになり、
なぜか吉野家に入って、牛皿をつまみにビールを飲みました。
そういえば、『のんき』の初日のときも落ち着かなくて。
親友のクラリネット吹きと、三平食堂で、舞台挨拶前に飲んじゃったなあ‥。

とか、つらつら思い出しながら一人、明治通りをそぞろ歩きで渋谷まで。
ユーロに着いたら、もう、けっこうロビーは人だかり。
え?もしかして?
満席でした!!
ふー。良かったあ‥。

緊張の挨拶とトークショー。
何度やっても、巧くはできないもんですねえ。
でも、ちょうど観に来てくれた山本浩司くんが、飛び入り参加してくれて。
なんとか様になったかな。
山本くん、どうもありがとう。

しかし、終了後はロビーから、そそくさと退散してしまいまして。
初日から公約違反。
すいません。
2007-11-16
いよいよ、明日です。
ああ、明日からなんだなあ。

ということで、髪を切りに行きました。
で、自分の性格について、重大な疑問が浮かんだのでした。

いつもの美容師さんに、お願いしまして。
その人はなかなか勘のいい人なのか、
初めてのときから、僕とは無言で仕事を遂行してくれるのですが、
それでも職業柄、何かの弾みで話しかけてしまうわけです。
すると僕は、一応、そつなく受け答えするのですが、
無意識のうちに、すぐに会話を終わらせようとしてるのです。

決して、話が合わないとか、そんなんじゃないですよ。
むしろ察しが良くて、好感が持てるぐらいなのです。
それなのに何故か、お終いへ導くのです。
これは、人見知りとか、人付き合いが苦手とか、そんな程度じゃないのかも。
誤解を恐れず申し上げれば、
人と仲良くしたいという意識が、根本的に欠落してるんじゃないか?
鏡に写った髪を切られてる自分を眺めながら、そんな疑いが頭を駆け巡ったのでした。

そんなわけで、決心しました。
上映期間中イベントの無い日も、劇場へ足を運んでみようかなと。
ロビーでぼんやりしてようと思うので、もし気づいたら、
感想などぶつけてみて下さい。
たぶん、うまく答えられないし、すぐ黙ってしまいますが、
勘弁してね。
2007-11-14
久しぶりに『のんきな姉さん』を観ました。
アップリンクで、日本映画独立愚連隊という特集上映がありまして。

普段自分が作ったものって観ないので、四年ぶりかな。
2004年の劇場公開のとき、テアトル新宿で。
まあ、自分の映画を映画館で観れることなんて、そうそうないだろうと思って、
楽日の前日に、こっそりお客さんに混じって観て以来。

で、今日です。
いやあ、我ながら、ぶっ飛びました。
なんて観念的なんだ‥。
トークショーのホスト役の富田くんも言ってたのですが、
よくぞこれを、商業映画として劇場公開してくれたもんだ、と。

ここ数年、俺、ヘンテコな映画ばかり作ってるなあと思っていたのですが、
いやいやどうして、『のんきな姉さん』に比べたら、
『眠り姫』って、とっても分かりやすい映画ですよ。

という発言には、なかなか賛同を得られませんでしたが。
ただ、あれですね。
人間って変わらないもんですね。
すっかり忘れてたんですが、やはり『のんき』でも、
冬の枯れ木や、その長い影を撮ってるんですよね。
カーテン、黄色いし。

あ、忘れそうなので、先にいつもの告知を。
今週18(日)の世界遺産を書きました。
こないだのテキーラと同じメキシコの、銀山の話です。
前回のほのぼの路線とは打って変わって、南米の呪われた歴史に触れる、
問題提起で硬派な話です。

でも、今週末からはいよいよ、『眠り姫』の劇場公開。
みなさんー!日曜夜も映画館へ来てくださーい!
2007-11-12
一週間なんて、あっという間ですね。
写真展の飾り付けに、さあこれから始まるんだあと高揚したのは、
先週の月曜日。
あれから、火、水、木、金、土、日。
確かに一週間経ちましたねー。

と、当たり前の確認をしたくなるほど、
実にいろいろなライブを、毎晩開きました。

先日の日記に書いた後も、
マイク・オールドフィールドのような美しいギターをフィーチャーした、
高田壱さんのトリオがあったかと思えば、
翌日は、元気と若さいっぱいな即興コント集団と、
いぶし銀のような清麿師匠の新作落語の組み合わせ。

いやあ、それにしても師匠の洞察力には、感服いたしました。
『眠り姫』にインスパイアされた新作落語?
謎かけのようなお題が、ああも見事にまとまるとは!
映画なんて軽く飛び越して、作家性を撃たれたような。
痛いけど嬉しい〜みたいな。
監督冥利につきました。

そして、土曜はグンデル・ワヤンですからねえ。
落語からいきなり、バリ島の伝統音楽&舞踊ですよ。
高座を組んだ同じ場所に、翌日には、結界のような紙飾りがぶら下がってるんですから。
こんなイベント、世界中探しても、歴史上初でしょうよ、きっと!

で、日曜のクロージングは、まずは堀米さんのグランドハープのソロ演奏。
美しい。実に、美しい音色でした。
僕はすっかり虜になりました。
そして、ルクスプラス。
侘美くんたちのグループです。

ああ、お腹いっぱいな一週間でした。
みなさん、お疲れさまでした。ご協力ありがとうございました。
久しぶりの文化祭、堪能させていただきました!
2007-11-8
昨夜、ヒバクした夢を見ました。
被爆です。
トンデモないですよね。

音は無かったような気がします。
ただ、とてつもない光に、からだを貫かれて。
そして、誰とも知れない声にささやかれたのです。
何と言われたか、はっきりは思い出せませんが。
「浴びちゃったね‥」みたいな‥

びっくりして目が覚めました。
キテます。かなり。
人前では平静を装ってますが、少しずつ、壊れているのかな。
ふー。

いよいよ始まりました。
写真展&ライブが。
一昨日は、方法マシーン。
やってくれました、ベケットの「クワッド」。
もう、笑いをかみ殺すのに必死!
いやあ、好きだなあ〜。
終わってからも、ひとりでに足踏みしちゃってました。

昨日の松倉さんも、凄くて。
彼女の声は物語を感じさせるんですよ。
じわじわと、染み渡るのです。
でもお客さんが少なくて、もったいなかったなあ。
だって伴奏は、元はちみつぱいの渡辺勝さんだったのですよ!
2007-11-4
肌寒くなってきましたね。
いつの間にか、11月になっちゃって。
ああ、どうしましょ。

今月から来月にかけて、
この3〜4年間やってきたことを、
一気にまとめて人前に差し出すことになるわけです。
もうギリギリ。
引きこもってる場合じゃありません。
自分を奮い立たさねばなりません。

今週はいよいよ、宮沢くんの写真展。
(彼との腐れ縁については、2005年の日記0511を参照)
そして、日替わりライブが始まります。
方法マシンは何をしでかしてくれるのでしょう?
『水兵少女』の実像とは?
ドキドキです。

(あ、ちょっとだけ情報を。『水兵少女』は、『ホッテントット』生演奏上映に参加してくれたミュージシャンたちの、特別ユニット。なんと、新柵未成が朗読[Voice]で参加します)

さて。
昨日は、金子雅和くんという若き映像作家の個展に招かれ、お話しました。
彼の作品は、今回始めて見たのですが、実に撮影が巧い。
あれは、天性のセンスですね。
それについては、上映後のお茶席で、鈴木志郎康さんも同感しておりました。

会場には、金井勝さんもいらしていて、
大和屋さんの思い出話など立ち話したのですが、
いやあ、金井さんは、強烈な人ですねえ。
ディスイズ・ジャパニーズ・アンダーグラウンドな空気をいっぱい吸って、
イメージフォーラムからアップリンクへ。

『国道20号線』の初日だったのです。
富田くんとは、あいにく会えなかったのですが、
トラや石原くんやら、空族のメンツと。
そうそう。
石原くん、ホッテントットのHPありがとう。
予告がupされたので、みなさま、ぜひご覧下さい。

さてさてそれから、
維新派の新作「nostalgia」を観てきました。
数年前の新国立での舞台は見逃したので、
今回初めて、コヤで観るジャンジャンオペラを体験。
正直に言えば、野外劇でのあの圧倒的な感動には達しませんでしたが、
口ずさみたくなるような、小気味良さが印象に残り、
今後の第二部、三部への期待を抱きました。

そういえば昔、侘美くんと関わっていた劇団で、
一時期、制作をしていた心優しき青年がおりまして。
維新派にも少しの間いたとか言ってたなあ。
もう十年以上前の話ですが、ふと思い出しました。
伝説の漫画家、故・湊谷夢吉さんの息子さんで、
夏くんと言うのですが、今はどうしてるのでしょう?
2007-10-27
うつでして。
ま、そんなことも言ってられない状況なので、
なるべく表に出るようにしてるんですが。

てなわけで、今週はいろいろ見ました。
まずは、『船、山にのぼる』。
ドキュメンタリー作家の本田さんの新作が完成しまして。
そのお披露目上映を横浜のバンクアートへ見に行きました。
ダムに沈む町で、注水時に、巨大ないかだを浮上させるという、
アート・プロジェクトを記録したものなのですが、
計画から実現まで、10年以上ですよ!
ひとつ事を成し遂げるまでの息の長さに、勇気が湧きました。

それから、『タイペイストーリー』。
エドワード・ヤンの作品中、これだけ見てなかったんです。
やっと見れた。
主演は、ホウ・シャオシェン。
劇中のキレっぷりは、主役を張るに納得の、堂々とした演技でした。
上映後は、ホンホン監督という『恐怖分子』の助監督で、
『クーリンチェ』では脚本も勤めた元スタッフの話も聞けたし。
僕のささやかな、追悼です。
そう言えば、『クーリンチェ』を最初に見たのも、東京国際だったなあ。

そして、燐光群の芝居を久しぶりに。
『ワールド・トレード・センター』。
9・11を坂手洋二がどう斬って見せるか期待して行ったのですが、
予想した武骨な直球勝負ではなく、スローカーブに泳がされた感じ。
してやられました。

アフター・トークには、羊屋白玉が登場して。
七年前のことを思い出しながら聞いてました。
ちょうど9・11の時、羊屋さんはニューヨークにいて、
東京とインターネットの同時中継でパフォーマンスを上演したのですが、
それについては僕にも、ちょっとした逸話がありまして…。

あのとき、案内のチラシが届いて、ん?と思いました。
ニューヨーク側の出演者に、覚えのある名があったのです。
それは、学生時代に僕の映画に出ていた人なのですが、
その時はもう10年近く音信不通で。
同一人物なのだろうか? テロ後の安否も気になるし。
でも、引っ込み思案なので、一人で確かめる勇気がなくて。
共通の知人だった、写真の宮沢を誘って見に行きました。
確か当時まだ日芸の学生だった富永(昌敬)くんも、何故か、ついて来て。

で、結局どうだったかと言いますと、
まさに僕らの知る彼女だったわけですが、
ニューヨーク在住の舞台女優というには、あまりに昔と変わってなくて。
頭を抱えて、観劇後、カレーを食べたのでした。
人って変わらんもんだね、世界って狭いね、とかなんとか言いながら。
まあ、元気そうで良かったけれど。
そうそう、あの渋谷百軒店のインドカレー屋・ナイルも、
閉店してしまったのだよなあ。

さて。
今日も芝居を見ました。
monの『私の知っている男は、これだけ』を。
あいにく外は台風接近の暴風雨でしたが、
たくさんお客さんが来ていて良かった良かった。
『ホッテン』や『眠り姫』の上映で頑張ってくれてる、
山本ゆいちゃんが美術をしている芝居なのです。
場面転換が独特な感触で、面白かったなあ。
映像のオーヴァー・ラップのような。
複数の人物が登場しても、頭の中は地続きで、それを覗いてるような。

さてさて、最後に明日の告知を。
毎度、世界遺産です。
28(日)のテキーラの回を書きました。
知ってましたか?テキーラって、世界遺産だったんですよ!
いつもの格調高さから、ちょっとくだけて、
のんきなメキシコの風景と、お酒の話をします。
お楽しみに。

ああ今日は、だらだら長文になっちゃったなあ。
うつだからかなあ。
2007-10-19
うつです。
うつうつと過ごしてます。

最近、なんでこんな気分なのか?
まあ原因がはっきりしてれば、ゆーつにも対処できるんでしょうが。

さて。
そんなときに音楽は、いっときでも、現在を忘れさせてくれます。
今日は、カッセのコンサートでした。

久しぶりに、「のんき」のテーマを、しかも生演奏で聞いて、
恥ずかしながら、ぐっときてしまいました。
名曲ですなあ。
2007-10-10
三番地が、無くなってしまいました。

三番地という珈琲屋です。
ご存知の方もいるかもしれませんが、
東京で一番美味い珈琲を出すと、僕が信じて疑わなかった店でして‥

ある意味、この町に住んでいる理由の一つでもあるくらい、
特別な場所だったのです。
かかる音楽も、とても品があって、好みだったし。

特別だから、あんまり週に何度も行ったりしなかったのが、
あだになりました。

ようやく原稿の目途が付いて、ふーっと一息つこうと思ったら。
紙切れ一枚、がらんとした店舗のガラスに。
「10月8日閉店しました」

なんでだー!

でも、そんな感じの人だった、あのマスターは。
こんなことなら、毎日行けば良かった。
2007-9-29
う〜ん、眠い、眠い。
寝たりないのは、ただ単に寝てないからだけなのですが。

理由は簡単、いつもの世界史の補習と追試です。
しかも、2週間ちょっとで二本書けという指令が下ったから、さあ大変。

でも、こんな時ほど、現実逃避してしまうのが人情。
飲べえ知り合いが、パレスチナの演劇人と、
井の頭公園でやってるテント芝居を見に行ってしまいました。

芝居っていいなあ。
どっからともなく楽隊のパレードが現れて、
マリオネットやら、白塗りの踊り子やら、ロバまで出てきて、
ただの公園の敷地が、いつのまにやら祝祭空間になっちゃうんですからね。
日常から遠く離れて、とっぷり異次元世界に浸らせてもらいました。
なかでも特に良かったのは、
パレスチナの女優さんと、不破大輔の音楽。
お終いには、テント芝居お約束の例の手法もバッチリ決まるし。

10月7日までやってるので、興味持たれたらぜひどうぞ。
『アザリアのピノッキオ』という芝居です。

2007-9-19
日々が、忙殺され続けています。

こんなときほど、無性に、何かを吸収したくなるもの。
読みきれぬほどの本を、図書館で借りてしまったり。

そんなわけで今夜は、
柴田元幸さんの講演を聞いて、知的興奮と刺激を受けた勢いで、
ポレポレ東中野のレイトショーへ、はしご。
沖島勲監督の『一万年、後‥』を見てしまいました。

衝撃的に面白かったです。
面白すぎます。
凄いですね、あの壊れ具合は。
シュールとか、アヴァンギャルドとか、ポストモダンとか、
そんな言葉が薄っぺらに感じるほど。
年季が違うと言うより、腹の据わり方が違うのだな、きっと。
こんなにぶっ飛んだ映画は、今後何年も現れないのではないでしょうか。

さて、告知です。
毎度です。

今週日曜23日の世界遺産は、構成を担当した回です。
お題は、イギリスのキュー植物園。
18世紀から続く、世界で最も有名な植物園の過去、現在、未来のお話です。

過去とは、かつてプラントハンターという植物採集冒険野郎たちが活躍したってこと。
現在は、絶滅危惧種の保存と復活に取り組んでいて、
未来へ向けて、ミレニアムシードバンクという、植物版ノアの箱舟計画を遂行中なのであります。

ぶっ飛んでないけど、面白いよん!
2007-9-16
チラシを持って、青梅まで行きました。
「夏への扉」へ。

あ、『眠り姫』でクライマックスのシーンを、
ロケさせてもらった喫茶店です。
(居眠り日記・2005年0428参照)

一年振りなのに、全然そんな気がしない、
つい先週も来てたような錯覚に陥る、不思議な店です。
時が止まってるみたい。

美味しい雑穀米のカレーをいただきながら、
ふと窓外を眺めると、線路を挟んだ向かいが更地になってる。
あれ?確か、あそこは古い民家だったはず。

ですよね?と尋ねると、
「マンション建てるんだって。14階建ての」
と、お店の方も呆れ顔。

あ〜あ。
つまりあの、奇跡のような日没の光は、
失われてしまうわけです。

よく晴れた冬の日暮れに、
窓際の席で息を殺して撮影した、光と影のドラマ。
映画の核心となった光景を、もう二度と見ることができないんだなあ‥

何とかならんもんですかね、どこもかしこも。
無粋な世の中に、ファック!
2007-9-10
山本浩司くんと、久々に会いました。
ポン組の現場で。

ちょうどその日、内トラで出演する女の子がいまして。
(あ、内トラとは、スタッフ関係者が出演することの現場用語です)
彼女はガチガチに緊張して、どうにもこうにもな様子だったので、
三人で立ち話していたときに、聞いてみました。
「山本くんは、緊張したりするの? したらどうするの?」
すると、

「家に帰りたくなります。
 僕、すぐに、帰りたくなっちゃうんです」。

その答えに、とっても親近感を覚えました。
2007-9-6
台風の直撃で、
現場が比較的早く引けたので、
帰宅する前に喫茶店に寄って、新聞を開いたら、
佐藤真さんの自殺の報が。

なんとまあ。

事情はわかりませんが、
死んでしまいたくなるような世の中ではあるなと。
驚きとともに、ある種の共感めいた思いがこみ上げてきました。

ご冥福をお祈りいたします。
2007-9-4
チラシのデザインが、出来上がりましたあ!

すでに春から出回ってる、細長い予告チラシも斬新でしたが、
今度のも、鮮烈ですよ。
すばらしいっ!
デザイナー渡辺さん、ありがとうございます。

これから秋に向けて、あちこちに出回り始めますので、
目に入ったら、どうぞ手に取ってみて下さい。
きっと、じんわり切ない記憶が呼び起こされるはず。

僕は、もう、泣きそうです。
2007-8-28
残暑厳しい日々。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
僕はこのクソ暑い中、
久しぶりの現場仕事で毎日、滝のような汗を流し続けております。

先週からすでに一週間近く。
ポン・ジュノ監督が日本で撮影している映画に、
メイキングという気楽な役職で付いているのです。
ま、公式見物人とでも言いましょうか。

とは言え、ここ数日は、早朝五時過ぎには家を出て、
帰宅は日付が変わってからという、ハードワーク&睡眠不足で、
カメラを持つ手も疲労骨折気味だったのですが。
ようやく今日は、日記でも書こうかなという時刻の帰還だったわけです。

それにしても、ポン監督。

正直に言えば僕は、見た3本の映画に、
さほど感銘を受けたわけではなかったのですが、
(あの中では、『吠える犬は噛まない』が好きかな)
なかなかどうして。

失礼な言い方ですが、彼は、たいした男です。
監督として、カッコいいなあと心底感じます。
エネルギッシュで、賢明で、真摯。
ほれぼれする場面に何度も遭遇しました。

いやあ、いい現場を見させてもらっております。
2007-8-18
今夜は、バリ島のグンデルと踊りを見てきました。

と言うのも、秋に『眠り姫』劇場公開イベントとして、
写真展をやるギャラリーで、日替わりライブを企画してるのですが、
そこで、彼女たちにも出演していただくことになってるのです。

ワヤンの影絵は昔、見たことがあったのですが、
踊りを生で見たのは初めてでして、いやあ神秘的ですね。

これぞ、アジア伝統のトランス・ミュージックというか、
ガムランの心地よい金属音に身を任せ、踊りに目を奪われてると、
あっという間に、30分ぐらいは経ってしまっていて、
いやはや、不思議。
竜宮気分と申しましょうか。

これは、秋のイベントが楽しみです。

てな感じで、帰宅してHPを開いてみると、音が付いてました。
Topページに『眠り姫』のメインテーマが。
いやあ、たまげた。
おまけに、日記ページもかっちょよくなってるじゃ、あ〜りませんか!

HP制作の皆様、誠にありがとうございました。
これからも気を抜かず、更新続けていく所存でございます。

2007-8-10
東京に帰ってきました。
戻って早々、日本を離れてしまう友人のライブがありまして。

それさえなければ、
東京には戻りたくない気分だったのですが。
彼との別れは、何にも勝る一大事だったので。

というのも、
彼とは、彼が20歳になるかならぬ頃から、
もう十年以上のつきあいでして。
ずいぶん年下なのですが、
なんてストイックな生き方の風来坊だろうと、
心の拠りどころでもあった、男なのです。

そういうヤツなので、
ここ数年は、すっかり社会の状況に嫌気がさしていて、
こんな日本にゃオサラバだよと、
クラリネット一本、頼りに、
ニューオリンズへ行ってしまうのです。

ああ、ミュージシャンは身軽で、うらやましいなあ!

ライブも最高でした。
この日は、余業のアルトサックスで、
ソウルのダイナマイト・レパートリーを、
ブルースブラザースよろしく、ぶっ放してくれました。

いやあ、かっこよかったなあ。
彼こそ真の、ミスター・ソウルマンでしょう!

きっと本場のニューオリンズでも、
聞く者の魂震わす演奏を、繰り広げてくれるはずです。

あと数日。
心ゆくまで、別れを惜しむことにします。
2007-7-24
いよいよ、イメフォフェスも最終地。
札幌での『ホッテントット』上映に、同行して参ります。

北海道へは、これが二度目。
前回は、10年以上前に、あるTV番組のADとして。
先行突撃取材で、帯広へ飛ばされて以来です。

いやあ、楽しみだなあ。

というのも、上映後は、
そのまま、小樽の友人宅に、しばらく逗留させてもらい、
東北の祭ラッシュの頃に、青春18切符で放浪しながら、
ふらふら帰ってこようと思っているからです。

てなことで、早々に告知を。
8月5日に、構成を担当した世界遺産が放映されます。

『ハバナの旧市街地』。
コロンブスの上陸から、カストロとゲバラの革命まで、
キューバ400年の激動の歴史を、たった30分で語り切るという、
力技の回です。

放映の頃、僕はおそらく東北地方を、マン喫ジプシーしてると思います。
ああ、体調が不安だ…。
2007-7-19
昨日、記憶を無くしました。

夜中に目覚めたら、植え込みに寝ていました。

確か、昼の3時くらいから、
友人の写真展を開いてる店で飲み始めたのですが、
仲間が増えて、そのまま次の台湾飲み屋に雪崩れ込み、
そんなに量も飲んでないのに、なんだか呂律が回らなくなり、
あとは覚えていません。

今日、電話で友人が知らせてくれた情報によると、
いつのまにかフラフラと店を出て、
彼らが止めるのも聞かず、駅と反対方向へ歩いていってしまった、とのこと。
アホです。

しかも、植えこみで目覚めたあと、
実はもう一軒、飲みに行っちゃったんですよ、これがまた。

もう、アカンですな。
2007-7-16
原美術館での「ヘンリー・ダーガー」展。
そのクロージング・パーティに参加しました。

というのも、ダーガーの生前を知る大家さん、
キヨコ・ラーナーさんがいらっしゃるというので。

僕が、ダーガーの絵を初めて見たのは、1993年。
世田谷美術館のパラレルヴィジョン展でした。
(その存在を知り、興味を持ったのはさらに遡ります)

以来、その作品や資料に触れる機会は、常に逃さず体験してきた程、
ある種の啓示を貰ってきました。(ちょっと、大袈裟かな…)

てなことで、今回も、
どうしても聞いてみたいことがありまして。

その質問に、キヨコさんは答えて下さいました。
それは、予想だにしない答えでした。

いやあ、びっくり。
またしても、雷に打たれちゃった。

あまりに凄いので、今は書きません。
僕の密かな創作の源にさせていただきます。

何これ?
ただの自慢?
2007-7-13
思いもよらないことって、あるもんですね。
いやはや、びっくり。
というか、どうしましょう…

秋にユーロスペースで『眠り姫』を公開する際に、
腐れ縁の同志・宮沢豪の写真展を、
渋谷のギャラリーで開く企画を進めてるのですが、
ただ写真展するだけじゃあ、納まらなくて、
毎晩、日替わりライブイベントをすることになりまして。

で、いろんなミュージシャンが参加して下さるのですが、
凄いっすよ!

JAZZのトリオに、室内楽団、
弾き語りシンガーや、アンビエント・ミュージックから
踊り付きのバリ島ガムラン(グンデル)まで、
これでもかという多彩なジャンル!!

でも、それだけじゃあありません。
当たり前のことですが、
ライブは、音楽だけじゃあございません。

話芸です。
落語です。
高座を開こうなどと、
大それたことを考えてしまいまして。

それで、本日、お願いに上がってきたわけです。
夢月亭清麿師匠に、ご登壇願えないかと。

そしたら、さすがは師匠、
快くお受け下さった上に、
思いもよらない提案をなさいまして。
いやはや、びっくり。
というか、どうしましょう?

って、全然説明になってませんね。
でも今は、これぐらいで勘弁して下さい。
提案の中身については、そのうちまたいずれ。

でも、どうしよう…
2007-7-2
友人から知らされて、しばし絶句しました。

そう言えばもうずいぶん、新作が来なかったけれど、
でもまさか、ガンで闘病してたなんて、露も知らなかったので。
また忘れた頃に、とんでもない傑作を引っさげて、現れてくれるんだろうなあ。
そんな風に思っていました。

ああ、それなのに。

『恐怖分子』。(ああこんなときに、ニンベンに分の字が出ない!)
僕の学生時代は、この映画の衝撃とともにあった、
と言っても過言ではありません。

確か89年、池袋の今は無き、スタジオ200でした。
もしかしたら、字幕無しだったかも。しかも二時間近く、立ち見でした。
いや、あまりの戦慄に立ち尽くし続けた、と言った方が正しい。

風にさわさわと揺らぐ、女の顔の巨大な分割写真。
殺戮の衝動を一瞬の夢に留めて、自殺する男。

青い僕は、その感動を抑えきれず、
今思えば恥ずかしい程、影響下にある8?映画を撮っちゃったり。

さらに、『●嶺街少年殺人事件』。(うー、クーリンチェも出ない!!)
あの至福の4時間を、何度この映画から与えられたかしれません。
ちょうど助監督になりたての頃、不満だらけの頃で、
Vシネ現場で疲弊するたび、台湾に映画の楽園を思い描いていました。

そして、『ヤンヤン』。
完璧な映画とは、この作品のためにある言葉でしょう。
だからこそ、次が見たかった!

それなのに、遺作になるなんて…。

楊徳昌が示してくれた、映画が進むべき道。
僕は決して忘れない。
2007-6-9
三ヶ月なんて、あっという間ですね。
いつの間にやら、もう六月。
今年も半年が終わろうとしてるんですね。
あ〜あ。

更新を怠ってる間、何をしてたかと言いますと、
ひたすら世界遺産を書いておりました。
その苦労の結晶(?)がいよいよ、続々放映されます。

で、ちょっと告知を。
今月は2本。

明日(あ、もう今日か)10日が、ポーランドの平和教会。
プロテスタントが生み出した、木造バロック!
仰天建築の話です。

そして、来週17日は、リヴァプールの港。
ビートルズの故郷は、奴隷貿易の世界最大の拠点だったという、
呪われた物語。

まあ、おひまでしたら、ぜひ。

そんなこんなで、引きこもりな日々だったわけですが、
執筆仕事の他にも、いろんなことがありまして。

まずは、『ホッテントット』のイメフォ・フェス。
ゴールデンウィークの新宿に続いて、京都でも上映してくれまして。
ホイホイと、ついて行ってしまいました。

京都って、良いっスね。
アヴァンギャルドな店が多いんですよ!
旧毎日新聞ビル地下のカフェ奥にある、
「パララックスレコード」の品揃えには、
血湧き肉踊りました。

先斗町の歌舞練場で見た、舞子さんたちの舞踊劇も素敵だったし、
良い気分で、鴨川の土手に寝そべって、缶ビールを飲みました。
ああ、幸せ。

それから。
ついに『眠り姫』の劇場公開が正式に決りました!
秋、ユーロスペースです。

そんなわけで、このHPも、
一部リニューアルしたというわけです。

てなことで、今後はちょくちょく、
日記を更新せねばならなくなりました。
ふー。

頑張りまーす。

2007-6-2
なんか今月に入ってから、ずーっと飲んでます。
いやあ、まずい。体調は最悪です。

でもね。
飲まざるをえないんですよ、いろんな事情で。
例えば。

下北の『プロジェクト稲妻』上映会に顔出したら、鎮西さんがいまして。
そりゃ、飲み会に付き合いますよね。
で、終電で帰ろうとすると、「まあ、いいじゃないか。今夜は」。
大工原さん、常本さんに、長曽我部さんや中原さんまで居残って、朝までです。
うー。
白み始めた空の下、たらたら駅へと歩きながら、デジャブ。
この道はいつか来た道。
いやいや実際、15年程前、
フィルムキッズ助監督時代は、こんな日々でした。
うぇっ。

その翌日、名古屋へ行きました。
『実験映画とドキュメンタリーの愉しみ』という特集上映。
『ホッテントット』を掛けてくれたのですが、
ナムジュン・パイクや、ジョナス・メカスに混じってプログラムされるなんて、
光栄というより、恐縮っす。
てなことで、飲むしかないと。
久富の味噌ダレ串カツ、美味かったなー。ドテ焼きも。

帰京したら、タイの映画界で働いてる友人が、一時帰国してまして。
彼女は学生時代にさかのぼる、古い仲間です。
みんな集まり、こりゃ飲むしかないわけです。

それから『マリッジリング』の初号もありました。
みなさん、お疲れさまでしたー!
当然、飲むしかないっすよね。
そのうえ、この映画のカメラマンが引っ越してまして。
後日、新居でパーティ。
乾杯!
いやあ、しょうがないわけです。

なんか、言い訳してるだけですね。
そろそろ養生しないと。

でも、もうすぐビールの季節が到来。
ふー。
2007-3-26
筆不精を言い訳に、更新しないまま、はや2ヶ月。
ようやく春らしくなってきましたね。

最近は何をしているかというと、
久し振りに、世界遺産の原稿書きに勤しんでおります。

世界遺産の仕事のたびに思うのですが、
僕は、高校時代、世界史を全く勉強してませんで。
赤点をくらったり、受験も文系なのに、数学を選択して誤魔化したりしたので、
今ごろになって、補習と追試を受けてる気分であります。
因果なもんですな。

そんな日々の間にも、いろいろありまして。
8?の上映会なんてのも、こっそりやってしまいましたし。
なんだかんだ、地下活動は続けております。

で、朗報です。
『ホッテントットエプロン−スケッチ』が、
今年のイメージ・フォーラム・フェスティバルの招待作品になったようで。
春から夏にかけて、全国を巡回上映することになりました。

といあえず、東京は、
ゴールデンウィークの頃にやるようでして。
また、詳細決りましたら、御報告します。

あ、『ホッテントット』のHPは、
地道に更新しておりますので、お暇なときにでも、どうぞ。
よろぴく。


2007-1-22
今夜は、落語へ行ってきました。
ゴールデン街劇場に。
武田浩介が書いた、新作落語が聞けるというので。

武田君は、御存知の方もいると思いますが、
ピンク映画で活躍していた、脚本家です。

彼とは、十年ほど前、彼が、
シナリオ作家協会の新人コンクールに佳作で入選した頃に、
(たしか、『コトリのうた』という脚本でした)
撮影現場を体験したいということで、
当時、まだ助監督をしていた僕の下についてくれた
(たしか、安藤さんのエッチビデオでした。あ、安藤尋監督です)
ということがありまして。

そんな縁で、そのころ僕が偽名で撮った、
エッチVシネのホンを書いてもらったり。
で、そのうち彼は、
「OLの愛汁 ラブジュース」という作品のホンで、
ワーッと注目を浴びて。
ああ、良かったなあと思っていたら、
なんか、いろいろあったみたいで……。

長いこと音沙汰も無く、会う機会も無く。
どうしてるのかなあと思うことは、ときどきあり。
それは、埋もれたままの彼のオリジナルのホンが、
(たしか、ロックの名曲を題に冠したものでした)
押入れから出てきたりしたとき、ぐらいだったのですが。

まあ、そんなわけで。
武田浩介が、久し振りに作品を発表する。
それも、落語らしいと聞いて、驚きつつも納得し、
(たしか、彼の部屋には、落語の本やテープがたくさんあったので)
馳せ参じたわけです。

いやあ、傑作でした。
『恋と魔心眼』

まるで、増村のようだった。オチへ向かう加速度が。
『華岡青洲の妻』?っていうより、谷崎の『春琴抄』か。
それって、つまり落語と言えるかどうか。
いや、笑いとは狂気なのだから、まさしく落語でしょう。

本人を捕まえて、
「良かったよ」と素直に誉めたのに、
「ジョークが口からこぼれてますよ」と、
斜に構えられました。

相変わらず、シニカルな奴です。
2007-1-12
明けましておめでとうございます。
と言うのも、もう遅すぎますね。

ようやく、編集の目途がつきまして。
ひとまず、ホッとしているところです。
『マリッジリング』の。
あ、昨年の終わりからやってます、新作映画です。

とにかく、怒涛でした。

『ホッテントット』の上映から、
十日ほどで準備して、十日足らずの撮影期間。
そのままの勢いで、年の瀬までに画を繋いじゃうという、
スピード仕事。

しかし、
そんなドタバタで作ったとは思わせない、出来栄えになるんじゃないかな。
昔取ったキネヅカは、サビてはいなかったようで。
我ながら、感心。
スタッフ・キャストのみなさん、ありがとう!
お疲れ様……と言うのは、ちと早い。

まだまだ仕上げ作業は続きます。
てなことで、また。

2006-12-1
ああ、もう明日しかない!

って、何のことかと言いますと、
監督仕事を引き受けた作品が、
もうクランク・インしてしまうのです。

なーんて複雑なモノ言いになっているのは、
とにかく、ドタバタ。

振り返れば『のんき』のときも、シビレル状況ではありましたが、
今回のお仕事は、その比ではありません。
なんせ、さっき、最後の役者さんが決り、
明日、衣装会わせして、次の日には撮入しちゃう上に、
一週間に毛が生えたぐらいで、撮り上げなければならないのですから!
うーん、弱った困った。

すでに『ホッテントット』の感激も、遠くなりにけり。
トホホ…。

しかし、めげている暇などありません。
ムカシとったキネヅカ。
私、自主映画作家のような振りをしていますが、実は叩き上げの元・助監督。
早撮りの妙技を、久し振りに、御披露しようじゃありませんか!

で、どんな映画かと申しますと、
原作はなんと、渡辺淳一?!
うへーっ。
2006-11-23
追加上映も無事終わり、
充実した気分に浸っていたら、
アルトマンが、逝ってしまいました。

ああ、なんてことでしょう!

『三人の女』。
僕は、永久にあの映画を忘れない。

そして、『ロンググッドバイ』。

案外、アルトマン自身は、
こんな狂った世界にオサラバして、せいせいしているかも。

アルトマンよ、ロング・グッドバイ!!
です。

2006-11-18
一夜明けて。
(朝まで飲んでいたので、言葉通り明けました)
少し寝たら、もうバタバタと、次の日が始まりました。

いつも思うのですが、
次の日って、必ず来るんですよね。

何があっても、次の日は来る。
死ぬまで、この繰り返し。
それが、生きてるってことなんすね。

「繰り返してるようでも、それは違うことなんだ」
と、『のんき』の課長は言っておりましたが。

まあ、そんなわけで、
僕は午後から、別件の打ち合わせを済ませまして。
夜、ライブ上映に使った資材をバラし終えた、
藤田・平林両選手と、明大前のドトールでコーヒーを飲みました。

三人とも、ヘロヘロ感がシンクロしてて、面白かったな。
早く、ゆっくり眠りたいという顔をしておりました。

2006-11-17
やった、
やりました。
やってみせました、ついに!

納得の完成度でした。
まずは、演奏のみなさんに、ありがとう!

会場は、立ち見さえ、これ以上は入らないほどの、満員御礼。
我々のベストパフォーマンスを、固唾を飲んで目撃して下さった、
お客さん方に、敬意を表します。

そして何よりも、こんな演出家冥利に尽きるイベントを、
支えてくれた制作スタッフたちに、大感謝です。

上演がはねた後、びっくりするようなことがありました。

無声映画のピアノ伴奏者として高名な、柳下美恵さん、
(あ、ガース柳下さんの奥様です)が、いらしていたのですが、
評論家の大久保賢一さんに紹介されて、初めて知りました。

なんと彼女は、僕の高校の先輩であり、
しかも、教育実習で母校に来ていて、
僕が十六歳のときに撮った8?映画『時を駆ける症状』を、
観たと言うのです!

この話は、長くなるので、
またいずれ詳しく書きます。

続く!!(オダジョー)
2006-11-16
シビレルような一日でした。

制作の面々をはじめとする、みなさんのおかげで、
お客さんの入りは、補助席まで出すほどの満席状態!

しかし、その舞台裏は……
よくぞ上演にこぎつけた、というのが実感です。

幾多のトラブルとギリギリの状況を乗り越えてくれた、
演奏家のみなさんに、大感謝。
本当に、ありがとう。

そして僕自身としては、反省多き日でした。

ライブは生き物。
その成果を引き出すことの奥深さを思い知った。
あれは、ある種のギャンブルなのです。

帰り道、一杯あおって、藤田くんと、
闘いができる境遇にいる、喜びをわかちあいました。

今日、会場に足を運んで下さったみなさんに、
心からの御礼を申し上げます。

そして明日。
我々は、歴史的な上演を御披露することになるでしょう!
2006-11-15
いよいよでーす!
明日から「ホッテントット」のライブ上映会。

今夜(というかすでに昨夜)もギリギリまで、
演奏班は、テクニカルな問題の解決に奮闘。
新井さん、池田さん、そして侘美くん、おつかれさま!

そして制作班は、会場準備に追われておりました。
前野さん、山本さんをはじめとする女性スタッフみなさん、ありがとう!
もちろん、平林選手に、前田くん他、男性諸君にも感謝しておりまーす。

この日にたどり着くまでの長く、
険しくも愉快な日々を振り返ると、感無量です。

実に二月から、中心になって頑張ってくれた藤田くんと、
車に揺られて帰路、しばし二人で盛り上がりました。

さあ、明日。
ですよ!

2006-11-4
丸々とした赤カブを買いました。
煮て食べたら、甘くて、美味しかった……

なんてことを書くと、
サボってんじゃねえぞ!と声が飛びそうなので、言い訳します。

カブを煮て食うぐらいしか、
気の休まらない日々なのです。

しかし、何故こんなに、精神が滅入ってしまうのでしょう?

世知辛い世の中を、温かいカブの甘さに、
ひととき忘れることにしました。
2006-10-26
3D映像を作ってまして。

『Test Piece 01』というタイトルの、
2分程度の代物なのですが、
いやあ、てこずっております。

映像の浮き出し方、その視覚的な整合性、とか。
表現のベーシックなことが、学習と疑問の連続で、
我々にとっては、まさに試み(Test)なのです。

『ホッテントット』の上映会に先立つ、11月10日に、
日韓共催の3Dイベントで、上映することになっているので、
もう、ギリギリです。
なんとか間に合わせないと。

とは言っても、実際、大変なのは、
VFX(視覚効果)の東海林くんなわけで。
僕はただ、大変な彼の側で、
ヤキモキしてるだけなんですが…。
2006-10-13
やっと、出来あがりました。
ベリー・グッドです!!

「ホッテントット」のサウンドトラック。
侘美くん、岡瀬さん、ミュージシャンの皆さん、ありがとう!
いやあ、長いことかかりましたが、納得の完成度です。

あとは、この音響を、
本番のライブで、どう再現するか。

詳しい話はしませんが、今回のライブ上映では、
生演奏以外の音源も、映像に合わせて鳴らすので、
その同期システムの構築が、課題でして、
夏からずっと、悩まされてきたのです。

今日は、そのテクニカルチェックを、
アキバの会場で、終日、やっておりまして。
なんとか、問題もクリア。 ふ〜。
藤田くん、御苦労さま!

夜には無事、スタッフ試写もし、充実の一日でした。

帰りの車で、侘美くんがポツリ。
「…これ、僕の遺作にできます」

おいおい、死ぬにはまだ早いよー。
でも、分かるな〜、その気持ち。
2006-10-11
なんだか慌しく、日々が過ぎて行きます。
忙しい時って、何故、いろいろなことが重なるのでしょう?
というか、重なるから、忙しいのか?

まあ、ニワトリたまご問答は、さておき。
今日は、夕方から、東映ラボテック(旧・化工)へ。

先日、エキストラでお手伝いした、榎本氏の新作、
「悶絶!ほとばしる愛欲」(だったかな)の初号です。

ピンク映画と関るのは、ホント、久し振りで、
現場に行った時は、まるで同窓会に顔を出したように、
懐かしさを堪能してしまいました。

15年ほど前、僕は、ピンクで監督デヴューするべく、
鎮西さんのもと、助監督を始めたのに、
結局なんだか、そういうことにはならず、
流れ流れて、今に至ったわけです。

柴崎から、現像所への道、思い出せるかな。
不安げに駅を降りましたが、心配無用。
前を、おっちゃん(佐野さん)が歩いておりました。

佐野さんとも、ずいぶん久し振りだったのですが、
試写室へ行くと、懐かしい顔のオンパレード。
なかでも、広瀬さんの健在振りには、とっても嬉しい気持ちになりました。

ホントは、打ち上げまで残っていたかったのですが、そうもいかず、
女池くんと立ち話しただけで、そそくさとラボを後にしました。

というのも、この日は、侘美くんが音楽監督を務めた、
イ・ジフンさんのコンサートがあったから。

渋谷コクーンに入り、席に着くと、
まだ始まってもいないのに、焦燥した顔の侘美くんが、
近寄って来ます。
そして、はあ〜と、ため息。

うん、もう分かったよ。何も言うな。
頑張ったね。よくやった!
そんな、ねぎらい言葉をかけました。

韓流ファンの、妙齢の女性一色の会場で、
俺って、明かに浮いてただろうな。

それにしても、彼女たちは……凄いですね。
2006-10-4
胃カメラ、ってやつを飲みました。
上部内視鏡検査、です。

なんでかというと、
例の慢性疾患の食事療法で、カロリー制限をして、
ストイックに泳いで、運動をこなしてるうちに、
10kgも体重が減ってしまいまして。

会う人、会う人、口々に、
「痩せたねー!」「大丈夫かあ?」と繰り返されるうち、
小心者としては、すっかり不安に陥ってしまい、
医者に申告したところ、あっさりと、
「胃癌の疑いを調べてみましょう」と言われたから、さあ大変!
もう、決死の覚悟で今日の日を迎えたわけです。

結論を言うと、何の異常もありませんでした。
体重減は、おそらく、長年の飲酒で蓄積された脂肪が、
キレイさっぱり、削ぎ落とされたからのようで。

ビール腹が引っ込んで、良かったなあ。
2006-9-28
ホームページが出来ました!

って、もちろん『眠り姫』のは、去年からこうしてあるわけで、
それは『ホッテントットエプロン−スケッチ』のHPのことです。

とは言っても、今これを読んでいる方は、ひょっとして、
『ホッテントット』から飛んできたのかもしれなくて、
あれ?ここはどこだろう?、何だ?『眠り姫』って?
と思っているかもしれない。

というのは、筆不精の僕が、更新するページを二つも持てるはずも無く、
日記は、両HPの共用にしてもらったからなのであります。

てなわけで改めて、今後とも御見知りおき下さい。

そして、石原君ありがとう!

2006-9-26
そうか。
侘美君は、B級グルメだったんだ。
と、合点がいきました。

というのは、半月程前。
『ホッテントット』の音楽打ち合せの折、
「みなさんで、食べて下さい」と、侘美君から、ニヤニヤ渡されたのが、
“ジンギスカン味”のキャラメル。

そして、今度はその第二弾。
“イカスミ味”のキャラメルを、お土産に買ってきてくれたのです。

いやあ、二つとも、珍味と言うか何と言うか……。

でもこれは、
たまたま気分でしでかした、ジョークなのかというと、
どうも違うような気がする。

考えてみれば、以前も、
ダンゴの中にみたらしが詰まった、みたらし饅頭とか、
なんか変なものをいただくこと、しばしば。

うーん。
ご自身のブログでは、美味しいもの巡りをしてる様子ですが、
実は……?
2006-9-16
ロハスって、何じゃらほい?

金持ちのエコ指向なんて縁の無い世界さと、シラを切っていましたが、
その代名詞のような雑誌に、書かれてしまいました。

「ソトコト」の今月号。

コラム欄の連載に、世界遺産の枠がありまして、
そこで、まんまとネタにされてしまったというわけです。

詳細は、まあ立ち読みでもしていただくとして、
話題として取り上げられてる、僕が構成を書いた、イランの遺跡、
「タフテ・ソレイマーン」の回の放映は、9月17日。

あ、明日です。
(これを書いてる今、すでに今日ですが……)
もし気がついて、気が向いたら、見てやって下さい。
でも、“選び抜かれた一語一語……”ってのは、ちと大げさ過ぎですな。

あ、そうそう。
今日は、11月の「ホッテントット」のライブ演奏上映で、
パーカッションを担当する宿谷さんが、参加してるバンド、
「デリメンズ」を、下北のモナレコードで観て来ました。

ゆるくて、楽し〜い、ひとときでした。

これって、ロハスかも。


2006-9-3
いつのまにか九月。
夏も、もう終わりですね。

今年の夏は、泳いだ!
泳ぎまくりました……という実感も、すでに遠い過去。

実は、前回の日記をつけた後、
泳ぎに行く頻度が、急に減ってしまったのです。

これだから、日記は好きになれない。
書くと、何故だか変化してしまう。

ま、ただ意志が弱いだけかもしれませんが。

ところで、
「ホッテントットエプロン−スケッチ」上映会の、
チラシが刷り上がりました。

いよいよ、宣伝活動も始動。
より多くの人に知ってもらい、浸透させたいです。

こればっかりは、強い意思で臨みますよ!
2006-8-18
クロールが、好きになりました。
スムーズな水の掻き方を、会得したみたい。

もちろん昔から、クロールで泳いでたのですが、
どうも疲れるので、苦手でして。
平泳ぎの方が、楽でいいやと思ってました。

それが、ここ3ヶ月ほど、毎週プールに通ってるうちに、
(あ、慢性疾患のための運動療法です)
いつのまにか、効率良く、水を掻く動きを、
身体が覚えてしまったようなのです。

毎回、1?は泳いでます。
全くどうしちゃったんでしょう?
なんか、別人になった気分です。
2006-7-29
アテネに、井土くんの新作自主映画を観に行きました。

そこで、十年ぶりになるのでしょうか。
鎮西さんと、再会しました。(あ、鎮西尚一監督です)

懐かしい、
なんて簡単な言葉では片付けられない、
複雑な思いが、僕にはあります。

今から15年以上前のこと。
先輩の映画の現場を手伝う、大学生だった僕が、
助監督として、メシを食う道を選んだのは、
鎮西さんに、誘われたからでした。

出会った最初は、いつだったかな?
「ホテトル天使 恥辱の罠」の後で、
「パンツの穴 キラキラ星みつけた!」の前。
たぶん、広(廣)木監督の、「さわこの恋」の、
エキストラに借り出されたとき、だったんじゃないかなあ。

廣木さんのピンク映画時代の名チーフ助監督であり、
当時、注目の新人監督だった鎮西尚一から、
「うちでやりなよ」と、声をかけられた僕は、
心踊り、勇んで、映画界の門を叩いたのでありました。

あれから、月日は流れました。

しかし、鎮西さんは、
月日の流れをものともしない、軽い調子で、
「ちょっと、コーヒーでも飲んでいこうぜ」
と、まるで学生同志のように、アテネの地階のラウンジへ、
僕を誘いました。

ちょうど居合わせた井川さん
(あ、脚本家の井川耕一郎さんです。
 僕にとってはこれまた因縁深い人ですが)と三人で、
地階なのに、坂下の光景が望める、
不思議な窓際の席に陣取り、
なんてことない話を、なんとなくしました。

奇妙な感じでした。
まるで、昨日も会っていたような……
そんな感じだったから。

コーヒーも飲み終わり、
僕と井川さんが帰ろうとすると、鎮西さんは、
「俺は、もう一本観てくから。じゃ!」
と、アテネの階段を、一人足早に上って行きました。

さわやかな風が一陣、吹いたような気がしました。
そして思ったのです。

きっと僕は、15年以上前、
この人の、すがすがしさに惹かれたんだな、と。


2006-7-26
久しぶりの太陽に、洗濯物を干しました。

久しぶりと言えば、「世界遺産」。
イランに在る、ゾロアスター教の聖地だった遺跡、
「タフテ・ソレイマーン」の回を書いたのですが、
……大変だった。

おそらく日本で、テレビ番組として取り上げるのは、
初めての場所ではないでしょうか?
(これからも二度と無い、かも)

それだけに、書くのも一苦労でして、
先月上旬からですから、ほぼ2ヶ月っすよ。
ふ〜。
たった30分間、一回きりのテレビ放映なのに、ね。

昨日も、監修の先生とのやり取りで往生しました。
明日、中村勘太郎さんが、無事、読み終えてくれればいいのですが。

さて。
時間がかかると言えば、『ホッテントット』のレコーディング。
先日、ようやく、ひと段落つきました。

でも、無事に全ての素材が上がり、
侘美くんのもとに届くまでには、あと少し。
(がんばれ、新井くん!)

しかし、まだまだその先には、
侘美くんの、孤高の作曲活動が待ち受けているのです。

え?
なぜ、レコーディングしたのに、作曲なのかって?
それは、本番のお楽しみに。
ってことで。
2006-6-19
映像に音が付けられていく瞬間に、
立ち合うのは、まさに至福の時間です。

今日は、「ホッテントットエプロン−スケッチ」ライブ上映の、
リハーサルの初日でした。

本番は、晩秋。11月ですから、
演奏家のみなさんとしては、まだまだ手探り状態でしょうが、
僕は、今回も必ず良いものになるだろうと、確信が持てました。

うん、いいぞ!
2006-6-17
画〜が出〜る、
画〜が出な〜いは、おいらの勝手〜♪
未現、ゲ、ゲン〜、
「未現ゾーン」♪

と、
思わず唄ってしまったのは、この二日間、
奥山順市ワールドに、
すっかりハマってしまっているからです。

いやあ、素晴らしい!
フィルムというマテリアルへの愛が溢れる作品群の数々。
一つの道を突き進んでいく人生の、なんと偉大なことか!
なんたって、四十年っすよ!

昨夜のイベントでの、
ライブ版「W8は16?」はその白眉でした。
映写機をインストゥルメントとして使いこなす、
奥山、かわなか、中島、実験映画の御大三人衆の名人芸!

ん〜でも、こんなスゴイ芸当も、
フィルム文化の衰退とともに、失われてしまうのだろうな。
そう思うと、ちょっと切なくなりました。
2006-5-10
なんと。
ドイツで、今週末の12、13に、
「ホッテントットエプロン−スケッチ」が、
上映されることが発覚しました。
オスナブリュックで開催される、
ヨーロピアン・メディアアート・フェスティバルで、です。

“発覚した”と書いたのは、
選出されていることを、全く知らされていなかったからです。

何かの手違いがあったようで、
窓口をしてくれている、愛知の美術館も大慌て。
昨日、上映用のディスクが、FedExでドイツへ飛び立っていきました。
無事間に合うと良いのですが……。

なんでも、マシューバーニーの新作なんかと一緒に紹介されるようで、
早目に分かってれば、僕も行ったのになあ。
生ビョークと会えたかも?
つくづく、華やかしさに縁が無いなあ、と思うのでした。
2006-5-7
慢性疾患の食事療法で、
すっきり健康的な、自炊生活を送っているうちに、
すっかり胃腸が、ヘルシーと言う名の、軟弱になってしまったのでしょうか。

自炊にも飽きてきたので、
久し振りに、好物のカレーを、
エスニック系の店で食したのが、昨夜のこと。

今日は朝から、下す下す。
いやあ、参りました。

もう、カレーも食べれないのか……

病気は私の楽しみを、次々に奪っていきます。
ふ〜。
2006-4-22
四月って、こんなに寒い月でしたっけ?
今年はなかなか、春の陽気にたどり着けませんね。

実は私、とある慢性疾患であることが発覚しました。
昨年末から、どうも体調が悪かったのですが、どうりで。
なんか、すっきりした気分です。

おまけに、そうと分かってから、ガラリと生活態度を改めまして。
毎日、健康的に暮らしているので、すこぶる調子が良いのです。

病気だと分かってから、元気になるなんて、変ですね。
でも、そんなもんかもしれませんね。
2006-3-2
いつの間にやら、もう三月も終わり。
二月は一度も更新できなかった僕としては、
日々、膨大な日記を書き続ける、
きっこさんって、すごいなあと思う今日この頃、
みなさんいかがお過ごしですか(笑)。

な〜んて、分かる人は笑ってやって下さい。

さて。
今日は、江古田のバディというライブハウスで、
カッセレゾナントのライブを聴いて参りました。

説明は要らないかと思いますが、
カッセは、僕の盟友、侘美くんが指揮する楽団です。
でも、正直な感想を言いますと、
今日の演奏は、ちょっと淋しかったかな。
『眠り姫』のときに、素晴らしい演奏を聞かせてくれた、
彼女たちの何人かが抜けてしまっていたからかもしれません。
カッセレゾナントの今後に期待したいところです。

さてさて。
ちょっと告知を。
明後日の月曜。3月27日の夜8時から、
TBS系の衛星放送、BS‐iで、
エッフェル塔を造った、エッフェルさんについての、
二時間番組が放映されます。

久し振りに「世界遺産」のチームと作った力作です。
衛星放送が見れる方は、ぜひ御覧下さい。
ナレーターは、なんと、
西島秀俊さんです。
お楽しみに。
1月28日
今日は、横浜まで、
八ミリの上映会を見に行ってきました。

昨年の『眠り姫』生演奏付き上映会から、
『ホッテントットエプロン』の助監督まで、
ものすごーく活躍してくれた、
トントンこと、居島知美さんの初の全作上映会だったのです。
(http://filmmaker.jp/modules/pepe/activity.php?act_id=14&page=0)

とても、良い上映会でした。
僕も八ミリ、撮りたくなっちゃいました。
素直な感想です。

トントン、おめでとう!
1月27日
明けましておめでとうございます。
と言うには、あまりに遅すぎますね。
今年もよろしくお願いします。

実は年明けから、『眠り姫』に取り組んでまして。
今日、ようやく音のミックス作業が終了しました。
完成まで、あと少しです。

え?
それって、どういうことかって?

どういうことかは……どうぞお楽しみに。
12月13日
愛知での『ホッテントットエプロン-スケッチ』上映も無事終わり、
東京に戻ってからこの二日間、どうも、からだがだるくて。
疲れが出てるんだなあ。

思えば、『眠り姫』の撮影が本格的になり始めたのが、
ちょうど去年の今ごろ。
ほぼ一年の間に、『眠り姫』と『ホッテントット』と、
二本も、大変な映画を作ったのだから、
疲れて当たり前だよなあ。

それにしても、充実した一年だったなあ。
と思い起こしながら、布団の中にもぐり込んでいるのでした。
12月8日
やっとできました。

毎度毎度、完成ギリギリまでスリルとサスペンス。
でも、ついに。

タイトルは『ホッテントットエプロン - スケッチ』
愛知県の美術館のホール(愛知芸術文化センター)という所で、
今週末にお披露目上映されます。
って、明日からだ。やばいやばい。

まずは、
スタッフ・キャストのみなさん、ありがとう!
『眠り姫』にも増して、好き勝手やらしてもらい、
振りかえれば、とても幸福な時間を送れたなあと思います。

そして、
主演の阿久根裕子さんを始め、
みんなの思いが結実した素晴らしい作品に仕上がっているはずです。

本当にお疲れ様。どうもありがとう。

というわけで、名古屋に行って参りまーす。
10月23日
ようやくロケも一段落しまして。

先ほど、制作の藤田・平林両選手が、
この夏から秋を過した勝浦のセットを、
ばらし終えて帰還しました。
おつかれさん。

僕はと言えば、
すでに過酷な編集作業に再突入。
四六時中、マックとにらめっこしてまして。
常に脳の一部がコネクトしてるような錯覚に陥ってます。
ふ〜。

明日で38になるのですが、
誕生日はマックとともに。
ですな。
9月3日
しかし、あれですね。
日記のつもりが、月記の様相を呈してきましたな。

最近はまあ、八月にも書いたように新作を撮っておりまして。
作ってる最中にそのことを書くのが苦手なもので。
どういう状況かは、やはり書けないのであります。

しかも、先月から四六時中その映画のことばかりの日常でして。
というわけで、日記に書くことが何も無いのです。

久々に日記つけて、書けない言い訳するってのもねえ。
我ながら、しょうもないですな。
8月1日
いやはや、もう八月だなんて。
ヤバイです。

何がヤバイかと言いますと、
12月に上映が決っている作品を、これから作るのです。
あと、もう4ヶ月しかない……。

某県の美術館から、短編の実験映画を依頼されまして。
ここ最近は、その立ち上げに奔走してる毎日です。
ああ、ヤバ。

でもこのスリルがたまらんのですわ。

7月17日
混乱しています。

何がって、そりゃもう、
岡村ちゃんの逮捕です。

違和感、ショック……
ネット上を飛び交う様々な言葉の、
どれにも共感します。

事態は、我々の憶測以上に深い淵なのかもしれません。
とても辛い。

しかしそれでも、
靖幸を愛す!とだけは言っておくぜ。
6月23日
昨夜は酔っ払ってしまい、
相当はしゃいでしまったような気がします。

そんな晩の翌朝は、
助けてー!と叫びたくなるほどの、自己嫌悪の嵐が吹き荒れます。
いい年して、全くもう……

でも、はしゃいでしまうのには理由がありまして。
昨夜は、『眠り姫』上映スタッフの打ち上げだったのです。

ひと月以上も間を置いてのことなのに、
十人以上も集まってくれて。
それだけでも感激溢れそうだったのに、
2次会のカラオケが火をつけました。

侘美君は「三年目の浮気」でデュエットするし、
平林選手は「ラピュタ」の主題歌だし、
北田さんのアニメ声は可愛いし、
山岡さんはビートルズでシャウトするし……
いつのまにか僕も、
『のんき』の打ち上げで梶原さんと歌った、
「危険な二人」を絶叫しておりました。
ああ、恥ずかしい。

でもって、終電逃してからは、
最近定番の橋爪君の店に雪崩れ込み、
侘美くんの携帯電話テレビで、
ブラジル戦を見せてもらいながら、
始発まで、飲み続けてたのでした。

もっとちゃんとしないとなあ。
もう、いい年なんだし。
でも、やめられないんですよねえ。
6月12日
今月に入ってから、
ずーっと引きこもってましたが、
ようやくシャバに復帰しつつあります。

今日は、ソワレさんと言うシャンソン歌手のリサイタルに行きまして。
ゲストだった渚ようこさんを、初めて生で聞いたのですが、
あの人は実に良い声をしてますね。
グッと来ました。

引きこもっていましたが、
ちょこちょこ、飲んではいました。
一昨夜も、茅場町の立ち飲み屋に友人と行きまして。
話には聞いていた、焼酎の自販機ってやつを経験しました。

コップを置いて、100円入れると、
ちょろちょろっと、焼酎が落ちるのです。
まあ、食堂でお茶や水が出るあれの、焼酎版です。
笑いました。
その店は、故中島らも氏がよく酔っ払ってたらしいのですが。
楽しかったなあ。
また行きたいっす。
6月1日
いやはや、複雑な気持ちです。
自転車のことなんですが。

2週間ほど前、
ちょうど、眠り姫の上演直前に、
僕は愛車を盗まれました。
しかも、家の前で。

ほんの数分、鍵をかけずに留め置いて、
用事を済まして戻ってきたら、
もう、影も形も無くなっていたのです。
なんだか、裏切られたような気持ちになりました。

僕は、15年以上、同じ町に住んでいて、
けっこう、この町を気に入ってたのに。
人の物を盗むようなヤツが住んでたなんて!

時代錯誤なボヤキに聞こえると思いますが、
相当、ショックだったのです。
信じてたのに……。

ところが、出てきたのです。
昨日、家に戻ると、警察署から留守電が。
赤い自転車を、交番で預かってるから、と。

なんだ、やっぱり良い町だ。
すさんだこの世も、あながち捨てたもんじゃないね。
な〜んて、小躍りして、取りに行ったわけです。今日。

けれども、そこで目にしたのは、
タイヤはパンクし、カゴはグチャグチャ。
ハンドルは曲がり、スタンドも折れた、
見るも無残な姿になった自転車が。

まるで、レイプされてボロボロになった、
愛娘が帰ってきたような気持ちになりました。

近くの自転車屋に持っていったら、
修理するより買った方が安いと言われ、
バンクだけ直してもらって、
フラフラ乗って、帰宅しました。

しかし、
どうしようかな、この子を。
捨てるのは忍びないし、
乗るのも危ないし。

あ〜あ。
5月26日
リバプールが勝ったそうですね。
知らなかった。

昨夜も朝方まで起きてはいたのですが、
ずっと、作業をしていまして、
サッカー好きの友人がメールしてくれなければ、
CLがあったことすら忘れていました。
見たかったよー。

それにしても、ここ最近のオーバーワークには、
さすがに身体も、きしみ始めていて、
昨日も、内臓から喉仏にかけてが、
ギューッと締めつけられるような痛みで、
しばしベッドの上で悶絶しておりました。

でも、こんな状況も、あと数日。
あと数日頑張れば……

次の仕事が待っているのでした。
5月21日
今週末は、
ワークショップをやらせてもらってまして。

それぞれのエチュードを組み立てて、
三十人近い参加者のみなさんが、
一気に登場するシチュエーション劇を、
一気に演出しようと試みてるのですが。

これがまた、カオスと爆笑の連続で。
三十人一気とは言え、
一人一人の人柄が見えてくるのが、楽しいのです。

やはり、人と向き合うのは健康的ですね。
しみじみ思います。
昨年末から、人のいない風景ばかり撮ってたもんで。
5月19日
夕方から、ちょっと息抜き。
文楽を見てきました。

いやあ、良かったなあ。「先代萩」の御殿の段。
前半は、乳母が子らに、ご飯を炊いて食べさせるという状況だけで、
一時間近く持たせてしまうのだから。
そしてそれは、劇的な後半を盛り上げるための計算でもあるわけです。
住太夫と咲太夫の組み合わせも絶妙でした。
声量は出なくなっても、やはり住さんの芸にかなう人はいませんね。

国立劇場にいる友人のおかげで、
もう三年以上、毎回見させてもらっているのですが、
毎度毎度、文楽の舞台表現の豊かさ、奥深さには感服します。

鶴澤清治、しびれたなあ。
5月16日
昨日、ぼんやりしていたので、
もう大変です。仕事の締め切りが……

当分、マックとにらめっこか。
ふう。
5月15日
一日ぼんやりしておりました。
この二日間の興奮覚めやらぬ、だったのです。

いやあ、びっくりした。
こんなに大盛況になるなんて。
制作のみなさんのおかげです。
宣伝活動はもちろん、
当日まで、席を出したり見つけたり。
客入れ大変でしたよね。
どうもありがとう。

上映中、僕は映写機の横で、
演奏に合わせて、台詞出しをしていたので、
ライブに感じる客席の反応にしびれました。

とくに、最終回の異様な雰囲気は忘れられません。
あんなにたくさんの皆さんに見てもらえて、
とても幸せです。

それから、
満席で入れなかった方々には、本当に申し訳ない。
どうしても、もう無理だったそうなのです。
すいません。そして、
貴重な時間を割き、足を運んでいただいたことに、
心から感謝いたします。
5月13日
すごーく嬉しいことがありました。

終演後、落ちつき始めたロビーに、こそこそ出ていったら、
ひょっこり、山本直樹さんに声をかけられました。

「マジ、良かったです」。

ムチャクチャ嬉しい。
泣きそうな気持ちになりました。
ああ、頑張って、本当に良かった。
みんな、ありがとう。
5月12日
ついに、明日なのか。
と思うと、感慨深いものがあります。

どんな映画もそうなのでしょうが、
振り返ると、あっという間のことであり、
よくよく考えると、いろんなことがあったわけです。

まあ、明日、無事に上演できますように。
気が小さいので、
ドキドキです。
5月11日
いよいよ、です。

明日の最終リハ、当日のゲネに向けて、
機材関係が集結し始めました。
今日も一日、各方面を飛び回ってる平林選手と、
確認のやり取り。
いやあ、ライブものは、
この直前の緊張感がたまりませんね。

宮沢選手の写真展の方も、
いいプリントが焼き上がったようです。

彼は、
僕の八ミリ映画なんかも手伝ってくれていた、
学生時代からの悪友です。
現場でも、助監督とスチールマンの間柄で、
苦楽をともに……というよりは、
ムカツクことや恥ずかしい経験をたくさん味わった、
生き証人みたいな存在なのです。
「のんき」や「夢で」のスチールも、彼です。

そして、
見ている方は少ないかもしれませんが、
僕の最初の監督作に、
「七瀬ふたたび」というのがありまして。
それが、まあ、テレビドラマにしては、
たいそうアバンギャルドなことをしちゃいまして、
ほぼ全編、大量の写真で構成したのですが、
その写真を撮ってくれたのも、宮沢なのです。
ああ、あの写真群は良かったなあ。

だから、今回、
彼の写真展が開けるのは、すごく嬉しい。
アンド、楽しみなのです。

そうそう。
話は飛びますが、この場を借りて一つお礼を。
パナソニックさん、DLPの提供、ありがとうございます。


5月8日
いやはや、今日も帰宅したら午前2時。
音楽の侘美さんと、制作の平林選手と、連日の打ち合わせです。

自分で言うのもなんですが、
監督というのは、つくづく厄介な存在ですな。
いよいよ上演日まで一週間を切り、
楽団のリハも佳境を迎えているというのに、
まだ、注文を出してしまうのですから。

しかし、それに応えようとしてくれる、
お二人には、つくづく頭が下がります。
なーんて、
いつ頭下げたんだよ!って、ツッコまれそうですが。

そんなわけで、ツトム君は、いまだ眠る暇もなく、
安眠枕の次回執筆は、どうやら上演終了後になりそう、かな。
僕のせいです。
みなさん、ごめんなさい。
5月2日
体調を崩して、寝こんでいました。

ここ数日、内臓の調子がよくなかったのですが、
突然、立ってるのも辛くて、冷や汗が出て来て……

僕は、とても気が小さいので、
もう治らないんじゃないか……
なんて思ってしまったのですが、
一日寝てたら復調しまして。

でもあれですね。
必ず治るんですよねえ。
不思議ですね。体って。

って、何書いてるんですかね。
まあ、そんな日でした。
4月28日
眠り姫のロケでお世話になった、
青梅の喫茶店へ、チラシを渡しに行ってきました。

「郵送でも良かったのに」と、
奥さんは笑っていましたが、どうしても手渡したくて。
遅くなって、すいません。

そのお店を知ったのは、今からもう十年以上前。
大学のサークルの後輩の、自主映画ロケを、
覗きに行ったときのことでした。

その頃の僕は、助監督として働き始めたばかり。
毎日、悪戦苦闘していた頃でして。
だから、久し振りに八ミリの現場の自由な雰囲気を味わい、
すっかりユルユルな気分になり、
ロケが終わってから、小旅行気分で、
青梅の町を散策したのでした。

すると、
ふと、目に入ってきた看板。
それは、昔読んだことのある、
猫が出てくる、大好きなSF小説の名でした。
引き寄せられるように店に入り、
席についた僕の目に、次に飛び込んできたのは、
小さな伝言ボードの手書きの文字。
“本日、どんとライブ”

えっ? あの(ボガンボスの、ローザの)どんと?

だってそこは、別にステージがあるわけでもない、
小さな、小さな喫茶店です。
半信半疑で、日暮れまで居たら、
ホントに、どんとがやって来て、
とても素敵なライブを見れたのでした。

行ったのはそれっきりだったのですが、
そのお店での、夢みたいな体験は忘れられぬものでした。

だから、眠り姫で、
快くロケさせてもらえたのが、すごーく嬉しいのです。
クライマックスの重要な舞台として、
グッとくる光景が撮れているので、期待して下さいね。
あ、そうそう。
そのお店の名は、夏への扉、です。
4月25日
ここ数日、
時間が消滅しているような感覚に、襲われています。

というのは、遅れ馳せながら、
僕も自宅に、Macを導入しまして。
家でお仕事を始めたのです。

まあ、慣れない作業をしているのだし、
今までも、引きこもりのようなものだったのですが、
本を読んだり、文章を書いたりで、
過ぎていく時間と、どうも違う。

何なんでしょうね。あのタイム・ラインってヤツは。
なんだか、ミヒャエル・エンデの“時間泥棒”のように、
思えてならないんですが。

そんな話を先日、飲んだときにしたら、
旧知の友人やら後輩たちは、口をそろえて言います。
「パソコン、やめた方が良いですよ。似合ってないっすよ」。

でも、そんなこと言ったって、ねえ。
4月20日
「眠り姫」の上映準備以外にも、
最近、いろんなことをしてまして。

そのうちの一つが、
廣木さんの「ラマン」のDVDの特典映像の仕事で、
出演者にインタビューしてるのですが。
やっぱ、皆さん、
脚本書いた者から質問されるというのは、
妙に、気を使わせてしまうようで……。

でもそれは、こちらも同じことでして。
答えづらい、聞きづらいの壁を乗り越えて、
どこまで行けるかが、テーマだったりするわけです。

例えば、廣木監督インタビュー。
ん〜、緊張したなあ。
元助監督だった僕としては、
廣木さんの、へらへら笑いながらも目は決して緩まない様に、
内心ちぢみあがりながら、しかし、
スゴク突っ込んだところまで、語ってもらいました。

そんなこんなの冒険の日々も、今日で終幕。
トリを務めてくれた、村淳さんは、
実にナイスで真摯な方で。
とっても良いお話が聞けたなあ。

DVDは8月発売だそうです。
どうぞ、お楽しみに。
4月21日
横断歩道でばったり、友人と会いました。

ニコニコ笑いながら彼は、「どうしたの?」と聞きます。
どうも僕は、一人でいるとき、
いつも思い詰めたような顔をしているらしいのです。
以前にも、「怖くて、声かけられなかった」と、
言われたことがあります。

考えごとをしているんですよね、だいたいは。

やはり今日も、信号を待ちながら、たいそう深刻な表情だったらしく、
その友人は、何も聞かず僕の肩をたたいて、
「まあ、いろいろあるんだろうが、なんとかなるよ」と、励ましてくれます。

その微笑みが、妙に実感こもっているので、
「で、お前、何してんの? こんなとこで」と尋ねると、
彼は、明るく答えました。
パチンコに負けて、これから銀行に行くとこだと。

なんだかなあ。
でも、不思議と気が休まったのでした。
4月18日
午後から、北沢タウンホールの下見。
当日の舞台スタッフが勢ぞろいして、
映写や音響、スクリーンと楽団の位置関係など、
実地検証してきました。
映画作りで言えば、メインロケハンみたいなものですな。

ただ、ちょっと映画と違うのは、
キャストにあたる、演奏者も同行し、
楽器を鳴らして、響き具合を確認したり、
階段席からの歩きの、秒数を測ったり……おっとっと。
これ以上は言えません。
当日のお楽しみに。

下見の帰りに、ぞろぞろと十数名で、
がらがらのファーストフード店に入ると、
あれ。
黒沢清監督だ。
何やら書きものをしている。
お仕事中ですな。
邪魔にならぬよう、静かに打ち合わせしました。
4月15日
鈴木清順の新作、
『オペレッタ狸御殿』の試写を見ました。

いやあ、すごい。
シュール・絢爛・金屏風、ってとこでしょうか。
齢八十にして、このスカし振り。
俗世間への背の向けっぷりに、圧倒されました。

実は、現場にも、一日だけですが、顔を出してまして。
助監督時代にお世話になった上司からの指令で、
とある狸の代役として、うっすら写っております。

そうそう、思い出しました。
生まれて始めて、ズラを被ったのですが、
ズラって、重いんですよね。
首を曲げるたびに負荷がかかって、
弁当食べるのも、一苦労でした。

あれが、確か去年の五月のこと。
それから11月に、日活で、音の仕上げ中の清順組と遭遇して、
(そう言えば『のんき』のときも、下の階で、
『ピストルオペラ』が仕上げてたっけ……)
ようやく来月、劇場公開なのですね。

でも、プレスシートによると、
企画が立ち上がったのは、さらにさかのぼること、五年前。
脚本が最初に書かれたのにいたっては、『陽炎座』のすぐ後だというのだから、
20年近く前ですか。
ふう。
映画って、ホント気の長い仕事ですなあ。

と、他人事のように書いてしまいますが、
『眠り姫』も、けっこう積年の代物なのです。
まあ、清順さんほどではありませんが。
4月11日
日曜の花見で飲みすぎて、
起きると、体調悪く食欲なし。
何も口にせず、一日、過していました。

そんなわけで、夜、侘美くんのお宅に、
音楽演奏の打ち合わせに行くころには、腹はペコペコ。
いただいた大阪土産を、失礼して、その場で開けて、
口に放りこんだところ、なんと!

みたらし団子って、上からタレがかかってるものですよね。
でもそれは、白い団子の中に、みたらしが詰まっていたのです。

こんなのありでしょうか?
まあ、美味しかったんですけどね。
4月10日
ちょっと宣伝を。
今夜放映の世界遺産は、僕が書かせてもらった回です。
ドイツの宮殿(別荘かな?)のお話です。
18世紀のケルンに、芸術家たちのパトロンで、
建築大好きな大司教がいたのです。

毎度思うのですが、寺尾さんのナレーションは上手い。
なんか自分が名文を書いたような気にさせられます。
4月8日
仕事の途中、寄り道して、
某名画座を覗いてきました。

と言っても、映画を観たのではなく、
そこに勤めている先輩の顔が見たくなったのです。

久し振りに会ったのに、ほんの腰掛けで、
もう少し話してたかったけれど、
それで十分、満たされたような気もしました。
そういう存在の人って、いますよね。

昔、六本木にシネヴィヴァンという映画館がありまして、
よくそこに通ったのは、その先輩がいたからでした。

ドワイヨン、リベット、ガレル……いろいろ教えてもらったなあと、
帰りの道すがら、大学生の頃のことを思い出しておりました。
4月6日
ホームページが出来ました。
って、これを読んでいる人は、もう知ってるよと、
分かってはいるんですが、嬉しいのです。
石原君、徳野君、ありがとう。

でも、今日からまた、日記を書くことになるのは、
大変だな。

前回「のんき」の時は、日記の間隔があくたびに、
近しい人から、最近どうしてるのか心配されたり、
逆に、今忙しいんだね良かったね、と安心されたり。
つまり、読んでくれてるんだなあと、励みになりました。

今度の日記は、なるべく毎日……
とは思っているのですが、まあ、ボチボチ。
書いていきますので、どうぞお付き合い下さい。